1 たぴよん
『植木鉢のハーブがことごとく枯れてる、最悪。お店に入る気も起きない☆
0』
『売っているのが初心者でも作れる薬ばかりでがっかりしました。☆0』
『店が存続してるのが不思議、なんで潰れないのか☆0』
『店主が陰気☆0』
魔女はそこらじゅうにいる。そこらじゅうにいて、お店を開いている。
占いのお店、魔法小道具のお店、薬のお店。
私のお店は薬局だ。
街の端っこ、森の入り口にぽつんとある。まさに魔女のお店って感じがする古びた風情の一軒家、それっぽい雰囲気。だけど、お客さんは今日も来ない。
魔女ログというものがある。
この世界を旅する冒険者たちは、これを参考にして魔女のお店を選ぶ。最高評価は☆5、そういうお店はやっぱり大賑わいらしい。占いが当たるとか、最高級ポーションがあるとか、お守りが効くとか。そういうのは、うちにはなにひとつないです、すみません。うちの評価は☆0。最低限のポーションと、枯れた薬草が少しの品ぞろえ。品ぞろえともいえないこれが私の魔女の力の限界なんです、すみません。水やりが面倒で店先のハーブ全部枯れちゃいました。
「やーい、ズタボロ! 生きてるか!」
お客さんではない声がして、目が覚めるお昼過ぎ。こどもの声だ。私は黒いカーテンを開いて窓の外にいるそいつに声をかける。
「生きてるか、じゃなくて、起きてるか!」
あはは、生きてた! とその薄汚いこどもはケタケタ笑う。こいつは街の孤児院のこどもだ。金もなければ礼儀もない。恐れも知らない。こうやって昼過ぎに来ては、大声で叫んで私を起こす。
なにが楽しくてこんな街はずれの終わりかけズタボロ薬局に来ているのか。理由は簡単。食べ物がもらえるからだ。
「今日はなに?」
「待て待て、見てくる」
そう言いながら私は長い髪をくるくるとまとめて、黒い寝間着のままキッチンへと向かう。お客さんじゃないし気を使わなくて済むのは楽だ。よいしょ、と大きなオーブンの重い扉を開き、中を覗く。
あのこどもは、二週間前にこの薬局の前で倒れていた。
雨の日の夕方、ぼろぼろの血まみれで。
憂さ晴らしに街の人間に暴行されたのか。それとも仲間内のケンカか。何も言わなかったから何も聞かずに、最低限の薬草を塗布し、最低限のポーションを飲ませた。ずっと売れずにお店に残っていたポーションだったから、消費期限がとっくに切れてるの忘れていて、こどもはすごく青い顔をしてそれを吐いた。それから元気に部屋の中をまずいまずいと言って駆け回った。よかった、元気に動いてるしポーションは効いてるっぽい。だけどずっと、まずいまずいとうるさくするので、仕方なく美味しいものも食べさせてやることにしたのだ。本当に美味しいものを。そんなことがあってから、こいつは数日おきにやってきて、飯をねだるようになってしまった。
「あー、わからん、今日は飲み物っぽい」
オーブンの中に手を伸ばして中のものを私は掴む。ひゃっと声が出て、手を離す。冷たい。薄い入れ物に入った、冷たいものだ。私はそれを取り出して、オーブンの中へと耳を澄ます。遠くから「たぴよんでーす」という声がきこえた。なるほど、たぴよん、これたぴよんか。
こどもは店の外の朽ちかけのベンチに腰かけて、足をぶらぶらさせて私を待っていた。そこに私はオーブンから取り出した飲み物を運ぶ。ぺこぺこした透明な入れ物に入った茶色い液体が四個。入れ物の底には黒い卵のような粒々が不気味に沈んでいる。
「うえー、なにそれ、きもちわる!」
「じゃああげない」
「いるって!」
こどもは、最初の頃はひったくるみたいに手を伸ばしてきたけれど、最近はちゃんと待てが出来るようになった。私はベンチの上にそのたぴよんを置く。一つをこどもに、一つを自分に、もう一つを窓枠のところに置いた。余りが私とこどもの間に残る。
本当に美味しいもの。それは、いつでも美味しいものだったから、私も、こどもも、なんであれ試すことに恐れはなかった。
では、ひとくち、いただきましょうか。
私はひんやりとしたその容器に顔に近づけてじっくりと見る。贅沢にも氷が入っている。氷、高級魔法道具があれば季節を問わず作れるだろうけど、きっとこの街の領主様でもそんな魔法道具は所持していない。
入れ物には中が空洞になった長い赤い棒が付いていて、それで私はその飲み物をくるくる混ぜてみる。表面の氷はからからと、底に沈んでいた黒い粒はふよふよと回った。
入れ物のふちに口を付けて、ひとくち、こくりと飲み下す。あ、甘い。ただただ甘い。これは牛乳入りの甘いお茶らしい。うわー、あめえー! と隣のこどもが大きな声をあげた。この甘さは、孤児院で生活しているとなかなか味わえないものだろう。果実の甘さとも、穀類の甘さとも違う。
冷たい牛乳入り甘茶を半分ほど飲み進めたところで、隣りからすぽぽぽぽと音がした。見れば、赤い棒を口にくわえたこどもが、底に残った黒い粒をその空洞を使ってスポスポ吸っている。それが正しい作法なのか分からないが、私も試してみることにした。すぽぽ、う、これは喉に詰まりかねない、やめておこう。容器を傾けて、滑ってきた黒い粒を口で受け止めて、食べる。弾力があって、なにか、変な感じがする。これ自体も甘く美味しいのだが、やっぱり、魚の卵の煮たやつみたいだな、と思った。
「変だけど、美味かったなぁ」と空になった入れ物を見つめながらこどもがひとり呟いた。最後の一滴まで口に入れようと、ひっくり返したり舐めたりしている横で、私もそれを食べ終えた。
今日も美味しかったなぁ、と遠くの街を見ながら思う。森からざわざわと風が吹いて、私の黒い寝間着がぱたぱた揺れた。
満足して入れ物をベンチに置く。こどもは空になった入れ物を手に持ったまま、私たちの間に置かれている最後のたぴよんをじっと見ていた。
「これさ、持ってってもいい?」
おかわりが欲しいのかとおもったが、そうじゃないらしい。と、友だちに、あげたい、と恥ずかしそうに小声で言うので、子供らしい可愛らしさがあるじゃないかと笑ってしまった。友だち、いるのか。よかった。
「いいよ、持ってきな」
こどもは、やった! と顔をぱっと明るくして、最後の一個を持ってわあわあ言いながら帰っていった。うんうん、早く帰った方がいい。氷が解けちゃう前に。だってその方がきっと美味しいから。あ、でも、これに味をしめてたくさん友だちを連れてきたら、困るかもしれないなあ、と少しだけ顔を曇らせながら、私は空になった三つの入れ物を片付けた。
そして、たくさんの人が来た。
大勢の足音がして、私は窓から顔を出す。ちょうど枯れた薬草を煮ているところだった。黒い服によごれた前掛けをつけて、中鍋を火にかけているところだった。森がざわざわと鳴った。この森は私と親しくはないけれど、その親しくない私にさえ警告を与えてくれるくらいの温情がある森だった。
金属の音。大勢の男。
あのこどもが友だちをたくさん連れてきたら困るなあ、という私の心配は、違う形で目の前にあらわれた。
街の自警団だった。その男たちを従えて、馬上からこちらを見ているのはこの街の領主様だ。髭の生えた、頑固そうな顔の中年の男。直接顔を見るのは初めてだった。
良くない予感がした。
「おい、氷を作る魔法道具を出せ」
お客様というより強盗のような口調で、その男は言った。私は前掛けをはずして外に出ると、彼らの前で膝を折った。
「申し訳ございません領主様、こちらはしがない薬局でございます。氷を創り出すような魔法道具など、置いてあろうはずがございません」
久しぶりに権力のある人間と接したので、ちゃんとした喋り方ができているか気にしながら私は頭を下げる。ここには無許可で住み着いていたし、無許可で営業していた。街のはずれの森とはいえ、ここもこの街の一部なのだ。下手な態度はとらないでおこうと思った。
「嘘を吐くか」
領主は自警団に合図をして、勝手に家の中の捜索をさせた。あ、あの、と言いかけているうちに、悲鳴が上がる。慌てて飛び出してくる男たち、そして、目の前があかるくなった。家から、激しい火が立ち昇りはじめたのだ。
いけない、と私は急いで家の中に入る。確かに、さっきまで中鍋を煮ていた。その火があったせいだ。どたどたと家から出てくる男たちとぶつかりながら、台所へ向かう。熱風。白く燃えるカーテン。怒りに似たごうごうという炎の音。ああ、これはもうだめだ。私は入り口に戻って、ドアを閉めて、鍵をかけた。内側から。ドアの丸窓から見れば、自警団と、馬に乗った領主様が遠巻きにこの家が燃えるの眺めていた。と、その向こうに、小さな影を私は見つける。木の陰にいるのは、あのこどもだった。
よかった、生きてたんだ、と私はほっとする。
領主様が氷を作る魔法道具を求めに来たのは、あのこどもが持ち帰ったたぴよんのせいだろう。自分から自慢したのか、はたまた見つかって無理に言わされたのか、そんなことは分からない。まあ、いつかこうなるだろうと分かっていた。あの美味しいものは、火種になる。美味しいから、やめられないけれど。
べろべろと炎の舌が壁を舐めていく。炎の指が私に触れる。仕方ないなあ、と私は炎と手をつなぐ。
ひかりのなかで家は崩れた。
あっという間のことだったと、見ていた彼らは言うだろう。
そして最初から何もなかったみたいに、家は消えていた。
少しの焦げ跡と、枯れたハーブの鉢だけが、そこに残っていた。
『ちょうど通りがかったので見てみたら跡地になってました。魔女ログからの掲載の取り下げをお願いします』
『燃えたらしいですね、よく燃えそうな古い家でした』
『あってもなくても同じような店、村の道具屋レベル』
『なくても全く困らない』
好き勝手いうなあ、ほんとうに。
数年前の魔女ログを見ながら、私はむしろ笑えてくる。指をぱっと開けばぼうっと光って魔女ログのページは霧散した。
黒いカーテンを開ける。久しぶりに日光を浴びて顔をしかめる。くしゅん、くしゅんとくしゃみが出るのは、家の中が埃っぽいからだろうか。それとも、他の要因が?
鍵を開けて外に出てみる。そこは、小高い丘の上だった。大きな木が一本、この家に寄り添うように生えている。見上げると、小鳥がぴちぴち鳴いていた。巣があるのだろうか。いい木陰だ、この下で美味しいものが食べたい。
太陽の位置は真上からすこし傾いたところ。
どこからか風がそよと吹いてきて私の髪を撫でた。うん、お腹が空いてる、食べたい、食べよう。私は家の中に戻る。廊下はほこりだらけ。だけど台所のオーブンはぴかぴかとキレイなままだ。
私はこの家と、魂の契約をしている。
私の眠りが、この家の栄養らしい。
今回の転移と修復には数年の眠りが必要だったみたいで、目が覚めたら周りは埃まみれ、お腹もすごく空いていた。
私は重いオーブンの扉を開く。あたたかくて、いい匂いがした。皿に乗った中身を取り出す。二皿。それを両手に持つ。それから匂いが残っているオーブンの中へと耳を澄ました。「えっぐべねつーです」
外では爽やかな風が吹いていた。さわさわと気持ち良さそうに葉が鳴っている。私は一皿を家のために出窓に置いてあげる。それからベンチに積もった木の葉をさっと払って、腰かけて自分の膝の上に皿を置いた。えっぐべねつーは不思議な卵が乗ったパンのような食べ物で、手で食べるとべちゃべちゃになったけれど、とても美味しかった。