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季節はすっかり春になり、新人気分も薄れてきた。
とは言っても俺はまだ何もしていない。
キャンプでもブルペンには一回しか入っていない。
その他大勢だったはずの俺でも、プロはやっぱり少し違った。
翌々日からはフォーム固めの日々になった。
ストレートと変化球の腕の振りが全然違うらしい。
今まで言われたこともない。
よく準決勝まで行けたなとは思う。
「ここの魚は美味いんだよ」
その分疲れないかといったら、まったくそんなことはない。
相変わらず疲労困憊で死にそうだ。
「いいんすか横本さん。俺ら未成年っすよ」
「バカ、だからこそだ。ウチの選手の憩いの場みたいなもんだからな。顔と名前売っとけ。ジュースでも飲みながらさ」
休日前の夜、俺はそんな状態のままで横本さんという先輩に連れられて、夕食を食べに来ていた。
居酒屋……という風ではないし、まぁやってることは居酒屋なんだろうけど。
「いらっしゃい横本くん」
横本さん、山田くん、田川くん、俺の四人でガラガラと扉を開くと、カウンター席と二人席が三つほどの店内から、女の人の声が出迎えてくれた。
「やぁ梢さん」
「後ろは……まだ子供じゃない。何教えようとしてるの? 悪いおじさんね」
「自分の店じゃないか! 何めちゃくちゃ言ってるんだよ!」
「お初にお目にかかります。秋村梢です。ご贔屓にしてくださいね」
着物を着たおばさんは秋村梢というらしい。
横本さんとのやりとりは手慣れたもので、行きつけの店ってのは嘘じゃなかったみたいだ。
「うわ、サインめっちゃあるで」
「うちの選手だけじゃないぜ」
「遠征の時に連れてきてくださるのよ」
穴場なのかなとも思ったけど、サインを飾るってことは、一般の方も利用するってことだよね。
どういう立ち位置なんだろう。
今日は……誰もいないみたいだけど。
「お前ら何飲む?」
「俺ビール飲んでみたいですわ」
「おいおい。ダメに決まってるだろ。ソフトドリンクで我慢しろ」
「俺ジンジャエールがいい」
「なら俺はコーラやな」
「お前は?」
お前とは俺のことだ。さて、どうしよう。ここは……ボケてみよう。
「ドデカミンで……」
「ジンジャエール、コーラに、ドデカミンね」
「え、そんな注文通んの!?」
山田くんが真っ先に突っ込んだけど、俺もびっくりした。
オロナミンCなら通りそうだったから、似た感じで思いついたのを言ってみたけど、通った!
「でもこの店凄いですね。なんでもありそうですやん」
「ん? まぁ、あるっちゃあるかな。さすがに食いモンは厳しいけどな」
話をしているうちに、お通しとかいう天ぷらが出されてきた。
天ぷらというよりはかき揚げみたいなものだけど。……なかなか美味しいな、これ。
「へいお待ちー! ジンジャエールにコーラ、ドデカミンに熱燗ですよ!」
……ほんとに出てきた! しかもジョッキで……。
「マジやんすげー」
若い女性の店員さんが器用に手にしてきた四つのジョッキを、これまた器用にカウンターへと置いていく。
ただ、ジャージ姿なのが少し気になったけど。
「こいつらさ、今年入った新人なんだよ。仲良くしてやってくれな」
「ふーん。あたし瑞季って言います。よろしくお願いしますよ!」
お団子にしたハーフアップの髪を見せるくらいにお辞儀をした瑞季さんは、にこにこしたまま椅子をひとつ持って、俺たち同期の真ん中辺りに腰を下ろした。
「ソフトドリンクということは、ルーキーさんは皆さん高卒ですか?」
「はい! まだ未成年っすよ!」
「おぉ、そのイントネーションは関西ですか? あたしの友達にも何人かいますよ! でもご安心ください。あたしには移りまへんで!」
「瑞季さんは何歳ですか?」
「ふふん。あたしは大学生です。お酒も飲めます。タバコも吸えます。結婚もできるのです」
「はは、みーちゃん酒以外やってないじゃないか」
「あたしにも権利があるのです。できるとするはまた違いますよ!」
横本さんに注ぐべきかどうか迷ってたけど、他の二人は瑞季さんに夢中だし、横本さんは何が楽しいのか、はははと笑いながら会話に参加している。
日本酒も自分で注いで飲んでいる。
体育会系と言っても、公立高でダラダラやっていた俺は二か月経った今でもまだ慣れないしタイミングがわからない。
「あ、俺コーラお代わりいいですかー?」
「なら俺は梅酒いっちゃおうかなー!」
「はいはい、コーラと梅ジュースですね! えっと、キミは……あれ? 減ってないですよ?」
合コンのようなノリにもついていけず、大人しいですね、と梢さんに言われながら、煮魚をもそもそと食べていた俺。
正直めっちゃ美味しい。
箸が止まらない。
野沢さんの時は構われすぎて妬まれたから、ちょうどいいかなとも思っていた。
そして和食とドデカミンはまったく合わなかった。
味を殺している。
一口飲んでやめてしまった。
山田くんと田川くんのグラスを持って立ち上がった瑞季さんは、初めてそこで俺と目を合わせた。
「あ、俺は大丈夫です」
「そうですか? 何でもは言いすぎですが、結構注文は通しますので、何でも言ってくださいね!」
どっちだよ。
とは言えずに、ありがとうございますと言っておいた。
あぁ、俺もコーラとかにしとけばよかったかな。
コーラも合わない気がするけど、飲み慣れている分少しマシかもしれないし。
「へいお待ちー! コーラと梅ジュースですよ!」
今回の瑞季さんはあっという間にやってきた。
山田くんのコーラ、田川くんの梅ジュースを片手で器用に運んでくる。
そしてもう一つの手には湯呑み。
そういえば瑞季さんの飲み物がなかったっけ。
飲み物のチョイスも店に適してるし、自分のことよりも客を楽しませようとする精神も素晴らしいと思う。
そして瑞季さんは、その湯呑みを俺の前に置いた。
「はい! キミにはあつーい緑茶ですよ!」
「……えっ?」
「日本という意味では玉露とかがありますが、ウチで用意できるのは緑茶くらいなので」
「いや、そうじゃなくて、頼んでないですよ?」
「サービスですよ! 凄く美味しそうに料理を食べてくれているのに、飲み物がそれでは台無しですからね!」
「……えっと。あの、瑞季さんの分は……?」
「……はい?」
なんていい人なんだ。
あまりにもいい人だったので、思わず聞き返してしまった。
俺の言葉を聞いた瑞季さんは、少し怖そうな目を丸く開いて俺をまっすぐ見つめる。
「……ふーん。なるほどですね! ならあたしはそれをいただきますよ!」
一瞬の間を置いて笑顔になった瑞季さんは、俺の横で眠っていたジョッキを引き寄せた。
それをそのまま口に寄せて、ぐいぐい飲み始めた。
……!?
「かっ、きっ、こ……かかか……」
「はい? ……あれ、一口も飲んでないと思ってました。でもこれくらい、大人は気にしませんよ!」
声が出なくなる俺。
対して瑞季さんはえへへと笑ってもう一度飲み始めた。
横本さんと梢さんは笑っていた。
山田くんと田川くんは固まっていた。
大人が気にしないというのは本当なのかもしれない。
「ありがとうございました」
「またきてくださいよ! お待ちしてますねー!」
そこからの流れはあまり覚えていない。
梢さんと瑞季さんに見送られながら、横本さんの後ろについて三人で歩いていた。
「どうだ? 美味かっただろ?」
「はい! サイコーっすわ!」
「お前はみーちゃん目当てだろっ」
「ぐえっ!」
勢いよく反応していた山田くんの言葉は間違いじゃない。
確かに美味しかった。
ただ、ふたつ問題がある。
「ウチの先輩は結構通ってるんですか?」
「ああ。梢さんのお母さんが女将さんだった頃から御用達だからな。伝統みたいなもんさ」
「これからもよろしくお願いします!!」
ひとつめはお金がない。
金銭感覚が麻痺しないようにしなくてはいけない。
特に俺は指名順位も低くて、一番年俸が低い。
「ははは。みーちゃんのガードはその程度で崩せるかー?」
「週三でお願いします!」
「あのなぁ……。お前ら三人でワリカンすればいいじゃないか。みんな得するだろ?」
そしてふたつめ。
まだ確証はないけど、多分間違いない。
横本さんに詰め寄る二人を見てたらわかるし。
「こいつとは絶対に行きません!!」
言われるまでもなく、俺も行かない。
……半年も経ったら、瑞季さんの顔をまともに見れるようになるかな……?




