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お疲れ様でした。
「放送席、放送席。今日のヒーローは、見事プロ初の完封勝利を上げた倉田選手です。おめでとうございます」
「ありがとうございます」
落ち着いたトーンで始まったヒーローインタビュー。
敵地でマイクの入らないインタビューなので、俺も適当に喋るだけで済む。
桑谷さんのミットめがけて、頑張って投げました。
スタンドの皆さんの応援が後押ししてくれました。
これからも頑張ります。
応援よろしくお願いします。
そう答えてインタビューを終え、帽子と手を振ってベンチ裏へと戻る。
……これが来週ならな。
そう思ってもどうしようもない。
来週もまた、同じように頑張ればいい。
開幕三戦目で登板してずっと日曜日に登板している影響で、例え中四日になろうと関係ない。
次回登板は甲子園球場。
俺が来週、夕実との約束を果たすのは確実なんだから。
「倉田、クールダウンはやったのか?」
「え……どのタイミングですればいいんですか?」
風呂に入った後、トレーニングコーチから声をかけられて気付いた。
というより思い出した。
俺、試合後のケアを何もやってなかった。
「あー、風呂入っちゃったのか?」
「あ、はい……。アイシングはして、バタバタしてて、なんか、忘れて……」
「おいおい。仕方ないな。そんなくだらないことで怪我なんかするんじゃないぞ?」
普段は降板後、少しキャッチボールなどをして、肩をほぐしてからアイシングをする。
でも今日は降板後すぐにヒーローインタビューがあった。
完封どころか完投すら始めてだったので、流れがよくわからなかった。
とりあえずコーチとストレッチをして、体に言い聞かせる。
大丈夫だよなって。
次からは、浮かれないようにしよう……。
「……出ないな」
次回登板が決まり、無理を言ってチケットを確保してもらった。
夕実に連絡を入れたけど、何故か出てくれない。
『チケットもらったよ。来週の土曜のデーゲーム。渡したいから連絡してよ』
実際に告げられたのは、中五日での土曜日。
先週炎上した山岸さんが二軍落ちして、日曜日に下で好投した田川くんが昇格即先発になるらしい。
電話に出ないのでメッセージを送ると、すぐに既読になった。
『ごめん今缶詰。でも絶対に行くから。ここに送って』
位置情報と一緒に送られてきた言葉。
場所は確かに大学だけど……缶詰のわりには、即既読なんだけど。
すぐに返ってきたんだけど。
まぁ、どうでもいいか。
夕実が大学で何をしてるかとか、知らないし。
俺は約束を守った。
それが全て。
あとは爆発炎上してバカにされないように頑張ろう。
「……気負いすぎてませんか?」
緑茶を出してくれた瑞季さんに声をかけられた。
シーズンに入ってからキャッチボールはしなくなったけど、それ以外の過ごし方は、年明けのクリスマス以前と何も変わらない。
……まだ付き合ってはない。
俺が告白してないし。
瑞季さんからも、何も言ってこないし。
「まぁ……オールスターとかも、出れるかもしれないですし」
今年の成績は絶好調以外の何物でもない。
初黒星は喫したものの、九勝一敗。
防御率は一.二三。
まだまだ気が早いけど、最多勝と最優秀防御率のタイトルが見える位置にある。
「遠い存在になってしまいますね!」
「やめてくださいよ……」
飛躍の要因は、間違いなくスライダー。
真横にすべるスライダーは新しい切り札になった。
面白いように三振が取れる。
代わりに、ツーシームとチェンジアップの投げ方がわからなくなってしまった。
球数は少し多くなってしまったけど、成績が良ければ問題はない。
「でも、今日はブルペンに入る日じゃなかったはずですよ」
「あぁ……。今週、中五日なんですよ。だから一日ずれてて。久島さんに聞いたらブルペンには入らないって言ってたけど、なんか、不安で……」
初めての中五日ということで、エースの久島さんに調整方法を聞いてみた。
基本的にはほとんど同じ。
ただ、ブルペンには入らないらしい。
理由は全然わからない。
初めて話すのに凄く丁寧に説明してくれた。
それでもよくわからない。
だから俺は一応ブルペンに入った。
「それが気負いすぎって言いますよ!」
瑞季さんに言われるまでもなく、失敗だったと思う。
肘が凄く張ってる。
でもそれを言うと怒られるから言わない。
「今日はこれを食べて早く寝てください」
怒られはしなかったけど、冷たくあしらわれてしまった。
出されたのは、キウイやオレンジが固まりのまま入れられたヨーグルト。
「あたし特製疲労回復特製ヨーグルトですよ!」
「……特製なだけありますね」
バケツのような容器に浮かぶそれは、さすが特製と二回言うほどのものだなと思った。
え、俺、これ全部食べるの?
……胃が活発になりすぎて、逆にダメなんじゃない?
「左手のお守りも最近してませんね」
意を決してスプーンを突っ込んだ時、さらっと突っ込まれた。
俺の左手首には、去年一年巻き続けていた数珠のブレスレットがつけられていない。
女性が目ざといのか単純に目立っていたのかわからないブレスレットは、簡単に言うと壊れた。
瑞季さんと勝負をしたあの日、ポケットに入れていたはずのブレスレットは、寮に戻って取り出そうとしたら粉々に砕け散っていた。
破片で指を切りそうになるくらいバラバラになって大変だった。
「なんかおかしくなったんですよ」
「……お守りだったんですよね?」
「多分……そう言われた気がする」
「誰にですか?」
「……誰だっけ?」
「全部曖昧ですね!」
思い出せなかった。
夜の公園で、……誰かに渡されたことだけ。
思い出せるのはそれくらい。
……怖っ!
よく考えたら怖い話だ。
ずっとつけてたくらいだから説得力はあったんだろうけど、もしかして呪いだったんじゃ……?
……考えすぎか。
「ならあたしが、代わりをあげますね!」
食べ進めていたバケツのヨーグルトは十分の一が減ったくらいで、胸焼けを起こしていた。
ちょうどいいタイミングで声がかけられたので、瑞季さんの方に顔を向けた。
「代わーーー」
「んっ!?」
「んむっ!?」
代わりってなんですか?
そう聞こうと思ってたら、なぜか至近距離にあった瑞季さんの顔が見えた直後、唇を柔らかいもので塞がれた。
目の前には見開いた瑞季さんの瞳。
そして俺は突き飛ばされてイスから転げ落ちた。
「痛い……」
「あ、いやいや。刺激的すぎましたね! そんなにうまくはいきませんね! いきませんでしたね!」
わたわたと慌てる瑞季さんは口元をゴシゴシとこすっている。
俺は拭きたくない。
「あ、腕! 腕は大丈夫ですか!? 左はともかく右の腕ですよ! 痛くはないですか!?」
「いや、まぁ……」
「なによりですね! なら今日はおしまいですね! さっと帰って明後日に備えてくださいね!」
痛いですけど、と答えるタイミングすら挟めないまま、俺は店を追い出されてしまった。
どこからが夢だったのかわからないけど、唇に残った感触はバッチリと覚えている。
あれは夢じゃない。
ならなんで俺は追い出されたんだろう。
まだ食べ終わったわけじゃなかったのに。
……扉に顔を当てて、隙間から中の様子をのぞいてみる。
「……」
瑞季さんは席に戻って座っていた。
でも背中しか見えない。
表情は全然わからない。
そして全然動かない。
やらかしたのは俺じゃないけど、もし泣いてたらどうしよう。
そう思って見ていたら、突然ぶんぶん首を振った瑞季さんは容器を持って立ち上がった。
……泣いているわけじゃない。
なら、嫌じゃないって思ってしまうのは飛躍しすぎなのかな。
半年間、ずっと逃げ続けてきたけど、ちょうどいい機会な気がする。
夕実との約束を果たした後、瑞季さんに告白しよう。
三者凡退に終わった一回表の攻撃。
試合はそこで中断していた。
先発として発表されている倉田が、なかなかマウンドに出てこない。
他のナインは守備についているが、アップもそこそこに内野陣はマウンドへと集まり、外野はセンターに集まっている。
そんな光景を、バックネット裏の招待席で座っていた女性は無表情で眺めていた。
観客の声が声援から野次へと変わる中、三塁側から監督が現れて、審判へと近づいていく。
同時にベンチから走って飛び出してきた選手がマウンドへと向かっていくが、その姿を確認した女性は立ち上がってその場を後にする。
「守ります先行チームのピッチャー、倉田に変わりまして、高橋。九番、ピッチャー、高橋。背番号五十二。キャッチャー桑谷。ファースト……」
場内アナウンスが流れる中で空席になった招待席には、最後まで女性が戻ってくることはなかった。
『ありがとう。でも、ごめんね』
『俺も、ごめん』
四日前に途切れた夕実とのメッセージは、謝られた意味すら聞けないままで既読もつかなくなってしまった。
電話しようかなとも思ったけど、約束を守れなかった俺から動くのは違うような気がして、行動には移せなかった。
「入りますよ!」
カギをかけていたはずの扉は、開かれてからノックの音が聞こえた。
時刻は朝の五時半。
それでも夏真っ盛りの太陽は既に輝き始めていて、瑞季さんが一人で出歩いても危なくないのかもしれない。
「……何、してるんですか! こんな時間に!」
そんなわけがない。夜よりマシだとは言っても、女の人が一人で歩くのに危険な時間に変わりはない。
「何って、お見舞いですよ! 豆でも潰した、程度ならよかったんですけど……」
俺の怒りは軽く流されて、視線は俺の右腕へと。
黒いサポーターが巻かれた俺の腕。
「半年後には?」
「……リハビリが終わってたらいいですね」
ブルペンで最後の投げ込みを行なっている最中に右肘は悲鳴を上げた。
試合は当然回避。
翌日に登録抹消。
代わりに先発した高橋さんは三回六失点で降板してしまい、非常に申し訳なく思ってはいるけど、それを伝えに行く余裕はなかった。
「そうですか……。少し残念ですけど、大丈夫ですよ! 頑張って復帰を目指しましょう!」
「……無理ですよ」
絶好調だった。
正直なところ、ドラフト下位からの成り上がりは主人公のような気分になれて楽しかったし、慢心もあった。
でも、結局俺は主人公じゃなかった。
控えに甘んじた小中。
内容で勝って結果で負けた高校。
そして、使い捨てのプロ生活。
最後に活躍シーンをもらえただけでもありがたい。
でも、目標は達成できずに出番は終わってしまった。
「大丈夫ですよ! メロンも持ってきてますしね!」
「……何が?」
「ほら、好きって、言ってみてくださいよ!」
「……好き」
別にメロンは好きじゃないんだけど。
でも瑞季さんが満足するのならそれでいい。
俺にはもうそれしか残っていない。
投げられなくなったピッチャーが望むのは、好きな人が喜ぶ姿。
どんな理由であっても、例え隣にいなくても、瑞季さんが幸せなら、俺は満足なんだから。
「あたしも好きですよ!」
「はぁ」
「ずーっと、キミの事が好きでしたよ!」
「はぁ……えぅっ」
目を見開く間も、瑞季さんはくれなかった。
前には目を瞑った瑞季さんの顔。
事故で起きたあの時とは違って、今回は突き飛ばされることもない。
むしろ俺の体は瑞季さんに抱え込まれている。
真正面から求められた初めてのキス。
「あたしが一緒にいますよ。ずーっと、一緒に。だから負けないで。一緒に乗り越えましょう!」
何分経ったかわからないキスを終えて、瑞季さんは俺の顔を両手で包み、笑顔でそう言ってくれた。
「……なんでですか?」
「何がですか?」
「なんで、俺に……そこまでしてくれるんですか?」
根拠もない言葉で惑わされる俺じゃない。
はずだったのに、問いかけは好意を受け入れてしまっていた。
思い返してみるとよっちゃんにフラれた日から、いや、最初からずっと瑞季さんは優しかった。
他の人にもそうなのかはわからない。
でも、無条件にかけてくれる甘言をそのまま受け取ってしまうくらい、瑞季さんはずっと優しかった。
「最初に店に来てくれた日、初めて会った日のことは覚えてますか?」
「……?」
……何かあった?
状況としては覚えてる。
横本さんと、同期二人と店に行った。
……間接キスをした気がする。
「正直ずっと、つまらなかったんですよ。野球をやる気も起きない。それ以外は料理しかないのに、お客様に出せるレベルじゃない。だから年下の相手ばっかりやることになって。全然面白くなかったんですよ!」
「……俺もその一人じゃないの?」
「キミはあたしに、飲み物をくれましたよ!」
……記憶を探る。
……俺がお茶をもらった。
俺はあげてない。
間違いなくあげてない。
「キミにとってはその程度のことでも、あたしにとってはそれほどのことだったんですよ!」
心を読まれた。
そしてもう一回、キスをする。
……結局俺はずっと変わらない。
告白も先を越されるほどに受け身なままで、依存の対象がよっちゃんから瑞季さんに変わっただけ。
でも、だからこそ、ここをスタート地点にしよう。
四日前に決意した気持ちは衰えてないんだから。
「好きです。瑞季さん」
「はい、あたしもですよ!」
「だから、……こんな状態だけど、よろしくお願いします」
「……はい! お願いされますね!」
腐った俺を二回立ち直らせてくれた瑞季さんにできる恩返しは再び一軍のマウンドに立つこと。
いつになるかわからないけど、絶対にやり遂げてみせる。
「ピッチャー倉田。キャッチャー桑谷。ファースト……」
一年ぶりに戻ってきたマウンドは、あの時に上がれなかった約束の場所。
少ないビジター席からの歓声を背に受け、投球練習を行う。
まっさらなマウンドとはいかなかったけど、悪い気持ちはしなかった。
「初球は何がいい? 選ばせてやるよ」
ベテランの域に差し掛かった桑谷さんが、投球練習後にマウンドへと駆け寄ってくる。
海の向こうの開幕戦じゃないのに。
でも、せっかくだから、好意に甘えよう。
俺が今、一番投げたい球。
思えば高校からずっと俺を振り回してくれた球。
ゼロからの再スタートに向けての第一歩にふさわしい球。それを桑谷さんに告げる。
「スライダーで、お願いします」
最初はよっちゃんのために。
でも今は瑞季さんのために。
これからも投げ続けていこうと思う。
こんな話書いといてあれなんですけど、彼女いない歴年齢おじさんやからどうしたらいいかわからんまま終わってました。




