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帰省の車中で、隣に座った夕実に話しかける。
今年は車と言い張らなかったのが少し不思議だったけど、どこかで自分の運転技術を自覚できたのかな?
この世界にとって凄くいいことだと思う。
「えー……めんどくさーい」
「なんで?」
「だってそれ、私何か得するの? しないよね。嫌だよそんなの不公平だよ」
話した内容は帰省の間キャッチボールをしてくれという内容。
何故か断られた。
理由はさっぱりわからない。
だって、中学の、いや小学生になる前からも、夕実とは一緒にボールで遊んでいたはずなのに。
「俺とキャッチボールができるよ」
「私したいって言ったことあった!? 高校の時は君が宮藤くんと仲悪かったから、代わりに私がやってただけだよ!?」
「……そういうことだったの!?」
……いや、確かに宮藤とは仲がよくなかったけど。
でも、普通に考えて、エースの俺にマネージャーをキャッチボールの相手で当てはめる?
信じられない。
どれだけやる気がなかった高校なんだ……。
……俺が嫌われてた!?
「せっかく地元なんだから、もっと他にあるでしょ。お買い物に行ったりとかー、そもそも正月だから、初詣に行ったりとかー」
「それ、俺何か得するの?」
「しまくりだよ! 万が一しないとしても、私に強いてるんだから君もやってよ!」
「……ならいいや、もう」
なんでキャッチボールをしてほしいだけで、こんなに面倒ね話になるんだろう。
女の人は年齢関係なくこうなのかな。
この間も、有季ちゃんに頼む時も、あの後凄く面倒なことになった。
お姉ちゃんに直接聞いてとか。
私得するの? とか。
そもそもおじさん誰? とか。
「どれだけ嫌なの!?」
「別に嫌じゃないけど。戻ってきてから行こうよ。あんまり、外に出ようと思ってないから……」
「……あぁ。そういうこと」
まだ引きずってるんだ。
冷たく言ってきた夕実には何も返さない。
引きずっているわけじゃなく、合わせる顔がないだけだから。
俺は、もう……。
「ま、いいけど」
「……ありがとう」
「もうちょっとだしね。後悔になったらあれだし」
場所は考えといてよ、と話を打ち切って、夕実は窓枠に肩を預ける。
あれってなんだろう。
よくわからなかったけど、話は打ち切られてしまった。
騒がしかったのは俺たちだけではなく、家族連れの喧騒が耳に入ってくる。
夕実から寝息が聞こえてきたのを確認してイヤホンを耳に刺す。
……もう、ちょっとか。
あの約束から、プロに入ってから二年が経った。
設けていた期限は、三年。
……最後の一年が始まる。
「今年もよろしくお願いしますね!」
帰省を終えて寮へと戻った俺は、早速瑞季さんに呼び出されていた。
キャッチボールはなし、とのことだけど。
正月気分には浸る間もない。
そして訪れた先。
ガラガラとドアを開けると、満面の笑みを浮かべた瑞季さんが立っていた。
「え、あ、よろしく、お願いします」
「背番号も変わって、今年は飛躍の一年になりますね!」
「確定してるの!?」
確かに俺の背番号は変わった。
別れた直後、爆発炎上した試合の負けは消してもらえたので、四勝負けなし。
防御率も一点台を記録して、年俸も三倍近くに膨れ上がった。
もらった背番号は十七。
新しい監督にはエース目指して頑張れと声をかけられた。
無名校で甲子園も未出場の六位指名が、よくここまで成り上がれたなと不思議に思う。
「お雑煮は食べ飽きましたか?」
「いや、食べたら太ると思って、ほとんど……」
……それにしても、瑞季さんはなんでこんなにニコニコしてるんだろう。
少し気持ち悪い。
……もしかして、彼氏?
本当に彼氏ができたのかな。
漫画で読んだことがある。
彼氏ができた途端に兄弟に甘くなる姉妹。
逆パターンも然り。
「旅行は楽しかったですか?」
だから聞いてみた。
どっちにしろ、俺がやる事は決まっている。
「旅行……? あぁ、まぁ楽しかったですよ!」
「彼氏はできましたか?」
「はい?」
「梢さんが、男の人も一緒だって……。だから、彼氏ができたのかなって、何してるんですか?」
やっぱりニコニコしたままの瑞季さんは、聞いている最中にずんずん近づいてきて、俺の頭に手を伸ばした。
そのままわしわしと頭を撫でられる。
身長に差があるから、背伸びして腕も伸ばして辛い姿勢だと思うけど、何が楽しいのか、ニコニコしながら俺の頭を撫でていた。
「できたって言ったら、どうしますか?」
「これをあげます」
一旦瑞季さんから離れてリュックに手を伸ばす。
中から取り出すのはラッピングされた、年を跨いだクリスマスプレゼント。
「うわぁ、ありがとうございます!」
開けていいですか? と聞かれたから、いいですよと答える。
多分、プレゼントのことは有季ちゃんが喋ってるんだと思うけど、中身は絶対に知らない。
だから瑞季さんはこんなに笑ってるんだ。
「……これ、あたしに、ですか?」
「はい。似合ってると思いますよ」
箱を開いた瑞季さんは、笑顔が消えて俯いてしまう。
手に持っているのは守備用の手袋。
ちなみにバッティング用のものも同梱されている。
「瑞季さん。お願いがあります」
「……はい」
「俺と一打席、勝負してもらえませんか?」
「……打てるわけないじゃないですか!」
「四球目にスライダーを投げます。カウントはワンボールツーストライクで。ヒット性の当たりなら瑞季さんの勝ち。三振なら、俺の勝ち」
「……」
ヒットを打つお姉ちゃんはかっこよかったけど、それって、女の人としてどうなの?
有季ちゃんは瑞季さんに直接問いかけたらしい。
「どこまで聞きましたか?」
「小学生から野球を始めて、女子野球では毎年四割打ってた、とまでは」
有季ちゃんが幼稚園に入る前、梢さんは夫と離婚してしまったらしい。
父方に引き取られてしまった有季ちゃんに、瑞季さんは自分のかっこいいところを見せようとして、野球に打ち込んだ。
結果が女子プロにもスカウトされるほどの成績になって、小学校に入るまでの有季ちゃんも、そんな姿をかっこいいと思っていたらしい。
でも、幼い子供の世界は広がっていく。
根本的に、有季ちゃんは野球に興味がなかった。
躍動する姉の姿がかっこいいと思っていただけで、興味は可愛いものへと移り始めた。
それでさっきの問いかけが来て、瑞季さんは答えられなかった。
答えを聞いて瑞季さんは顔を上げた。
困ったような、そんな表情。
「勝ったらどうなりますか?」
多分瑞季さんは受けてくれる。
そしてきっと俺が勝つ。
そこで言ってやる。
瑞季さんのおかげですよと。
瑞季さんの野球は、俺を救ってくれましたよと。
そこで畳み掛ける。
「え?」
「あたしが勝ったらキミは、キミが勝ったらあたしは、何をすればいいんですか?」
「……ん? あぁ、そっか。えー……、そうか。あの、あれですよ。その……」
何度も描いてきたシナリオを反芻していると、修正文が叩きつけられた。
俺が勝つシナリオしか考えていなかったし、そもそも、ここでの答えはいいですよ! 以外想定していなかった。
こんな手袋をあげたら血が滾るだろうと。
俺のスライダーと言えば、瑞季さんは乗ってくれるだろうと。
……何も浮かばない!
「だからひとつ、お願いを……」
「お願いを?」
「……聞いてあげます」
「キミが勝ったらあたしはどうなりますか?」
「……勝ってからのお楽しみです」
「……」
返事はない。
追求もない。
助かった。
いや、まだ助かってない。
勝負が決まるまでの間に答えを出さないといけない。
「いいですよ!」
覚悟してくださいね!
そう言った瑞季さんは、バットとボールを用意すると、自転車で先に公園へと走っていった。
俺は置いていかれた。
まったく意味はわからないけど、考える時間ができたのはありがたかった。
公園までの十分間。
その間に、答えを出す。
「遅いですよ!」
さっそく俺のあげたバッティンググローブをつけて素振りをしていた瑞季さんは、ダッフルコートを着たまま素振りをしていた。
寒い中で体を動かして顔も紅潮している。
さすがに時期が悪い。
けど、そんな姿もいいものだなと思えた。
「あの、はい」
「でもいいですよ! 願い事を考えられましたからね!」
予告ホームランのようにバットを俺に向けて言い放つ。
凄いなって素直に思う。
俺は答えられなかった。
悶々と考えるだけで、確かな答えはひとつも出せなかった。
「覚悟してくださいよ!」
ぼんやりとは考えていた。
でもそれはただの押し付けになってしまいそうで、そもそも有利な俺からすれば瑞季さんに強要しているように思えてしまう。
だから何も言わない。
苦笑いを浮かべてボールを受け取った。
「う、っ、えぇっ!?」
初球に投じたのはツーシーム。
沈むように変化する球を左打者のインコースに投げ込む。
いわゆるフロントドアに、瑞季さんは大げさなくらいに避ける。
でも、球はストライクゾーンへと入り、ワンストライク。
「ストライクですね」
「……テレビとは、全然違いますね!」
ジト目で睨んでくるけど、勝負は勝負。
四球目にスライダー宣言までしてるんだから、これくらいはしておかないと。
ブンブン素振りを繰り返す瑞季さんが構えるのを見て、俺も握りを変える。
次に投げるのは低めのカーブ。
一旦目線を上げてから沈む球に、瑞季さんはその軌道を確認するように凝視しながら見送った。
ワンボールワンストライク。
三球目は高めのストレート。
寒さに震えて球速は出ていない球だけど、それでも女子プロよりは十キロ近く早い。
フルスイングしたバットはボールの下を通って、ワンボール、ツーストライク。
「四球目ですね」
「四球目ですね!」
追い込まれたはずの瑞季さんなのに、声は弾んで、顔は笑みを浮かべている。
最後に来るスライダーを楽しみにしているのか、それとも、野球自体を楽しんでいるのか。
……後者だった場合、俺はまた、その芽を摘もうとしてるんじゃないのかな?
俺が言いたかったのは、瑞季さんが野球をしていたから、俺は救われたってこと。
なのに、もしかするとこてんぱんに叩きのめしたらまた、野球に取り組んでいた時間が無駄だと思って……。
いや、それよりも、もしスライダーが曲がらなかったら……。
俺は負ける。
俺は伝えられなくなる。
付き合ってくれた時間を無駄にしたのと同じことだから。
普段ならチェンジアップを投げるカウント。
……本当に、スライダーを投げるべきなのか?
「……」
「……行きます」
微動だにせず構えている瑞季さんを見ていたら、答えは自ずとわかってしまった。
セットポジションに構えて握りを変える。
縫い目に沿わせた二本の指に力を入れて、縦に切る。
……パキッという音が聞こえたような気がした。
でも、いつもならすっぽ抜けていくはずのスライダーは、今回は抜けなかった。
「おめでとうございます!」
ストレートと同じ軌道で放たれた球は瑞季さんのバットを避けるように横滑りしていき、ガシャンと音を立てて金網へとぶつかった。
空振り三振。
祝福の言葉が示すように、俺が勝った。
それよりも、何よりも……。
「キミの勝ちですよ!」
「投げれた! 曲がった! スライダー!!」
スライダーが曲がった。
夕実との練習でも一回も曲がらなかったのに!
「え? あ、そうですね!」
「五年も曲がらなかったのに! ずーっと練習してたのに! 今やっと曲がった!」
「え? あ、そうですね! 特訓の甲斐がありましたね!」
「ありがとう! 瑞季さんが、ずっと付き合ってくれたから……」
「え? あ、そうです……かね。あたしで役に立ったのなら、何よりですよ!」
この感触を忘れたくない。
手元には、ボールとグローブ。
となると……。
「これから、用事ありますか?」
「いや、ないですよ!」
「なら、付き合ってもらえませんか?」
「……一応聞きますね! 何に、ですか?」
「キャッチボールに!」
「……ふーん。嫌です。お断りですよ」
「……え?」
満面の笑みから無表情に変わった瑞季さんは、そう吐き捨てると、バットを抱えて自転車に乗り込んだ。
そして立ち止まることも振り返ることもなく、スーッと走り去っていった。
……落ち着いて考えてみよう。
しまったーーーーーーー!!!
何ひとつ伝えられていない!!
瑞季さんのおかげだって。
よっちゃんにフラれて、夕実に冷たくあしらわれた俺を見捨てないでくれて、救ってくれて、ありがとう。
そう伝えるつもりでこの勝負を仕掛けたのに、何ひとつ伝えられていない!!
「終わった……」
道すがらにぼんやりと考えていた俺の要求は、瑞季さんへの告白の言葉。
これからは俺も瑞季さんを支えられるように頑張るから、という言葉だけど。
それはただの押し付けになって卑怯だと思ったから、やっぱり言えなかった。
そして何より、勇気が出なかった。
……どう言い訳したところで、要はスライダーが曲がったから興奮してしまっただけだ。
全部台無しにした。
瑞季さんを怒らせた。
もう何もかも手遅れだ……。
「ん……?」
飛び込めるような手頃な線路を調べているとメッセージが届いた。
開く気なんかさらさらなかったけど、つい癖で開いてしまった。
『明日からはどうしますか?』
……え?
『なながですか』
焦ったーーー!!
入力ミス!!
『キャッチボールですよ!』
『なにが』
『?』
『やるって言ったらやってくれますか?』
『もちろんやりますよ!』
……付き合ったのかどうかすら、聞いてなかったな。
これが瑞季さんの優しさなのか憐れみなのか、俺には理解できない。
ただ、この関係が維持できるのなら、知る必要はないのかもしれない。
『お願いします』
『了解ですよ! 終わったらオムライスですね!』
結局俺は、瑞季さんに甘えてばかりだ。
なんと次回最終回。




