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スタメンが発表された後の場内オーロラビジョンに、数秒間映し出されたベンチ入りしている選手の名前。
目標だった一軍の舞台で俺の名前が載って、約束は果たした……ことにはならなかった。
「先発じゃないとダメだよ」
朝の時点で俺から聞くまでもなく、夕実からはメッセージが送られて来ていた。
それは悔しいけど同意見だった。
大量ビハインドの場面で、経験を積むための敗戦処理を高校時代に経験していたとして、それが約束を果たしたことにはならない。
連れて行くと言った以上俺が投げなければ意味がない。
俺が俺の力で一回のマウンドに立つ。
それこそが夕実との約束を果たす条件だから。
「山岸に代わりましてピッチャー、倉田」
三点ビハインドの四回途中から登ったマウンドは当然のように踏み荒らされていて、少しだけ投げにくかった。
「あんたたち、まだ続ける?」
店が開けられないんだけど。
店の奥から聞こえてきた声に顔を向けると、赤いボーダーシャツにデニムパンツを履いた女性が、腕組みをしていた。
……え、梢さん?
私服、初めて見た。
「デートならここじゃなくて遊んできなさいよ」
「デートじゃないですよ! ご飯を食べてただけですよね!」
ニッコリと否定する瑞季さんに、こくこくと頷く俺。
実際デートじゃないし。
いつも通りキャッチボールをして、ご飯を作ってもらって。
五月から始まった日常も半年くらい続いている。
「なら家の中でやりなさい。四十分前よ!」
つかつかと歩み寄ってきた梢さんに服を掴まれて、店の奥にある居住スペースに投げ込まれてしまった。
瑞季さんと一緒に。
切羽詰まった火事場だったのか、畳を転がる俺は、俺自身を眺めているような気持ちになった。
信じられない力だ……。
どうなってるんだ……。
そして、もう一つ重大なことに気付いてしまう。
「いたた……乱暴ですね。大丈夫ですか?」
「あ、俺は平気です、けど……」
ここって要するに、瑞季さんの家なわけだよな……。
さっきの時間が家みたいなものだけど、本来の家に上がったのは初めてだ。
……二人目だったかな。
「せっかくなのであたしの部屋にでも行きま、あっ、予定は大丈夫ですか?」
「別に予定は……どこにって?」
「あたしの部屋ですよ! こう見えて箱丸も四もスイッチも揃ってますから選びたい放題ですよ!」
ひとつだけ古い! とは言えなかった。
こっちですよ! と引っ張る腕を振り払うこともなく、階段を上って奥の部屋に引きずり込まれる。
白い壁に覆われた部屋。
昔に入った部屋はピンクと黄色で眩しすぎたけど、ちょっと殺風景な気がしないでもない。
「どれにしますか?」
「あぁ、なら……一番新しいやつで」
ガラステーブルに、テレビに、机があって……。
ベッドもなければパソコンもない。
そんな部屋で目立つのは机に立てかけられたバットとグローブ。
そして、飾られていた三人で写った写真。
着物を着た梢さんと、制服を着た瑞季さんと、……瑞季さんが抱きしめている、小さな子。
「よし、人を殺しましょう!」
ベッドの下に潜った瑞季さんが出したのはFPSと呼ばれるゲームで、言った通り殺し合いをするゲームだ。
……誰の趣味だよ。
写真のこいつか?
男か女かよくわからないけど。
「この子の趣味ですか?」
「はい? ……どっちもですよ! あたしも好きです! ストレス発散になりますよ!」
好きと言った言葉の通り、瑞季さんは凄く上手かった。
オンラインのチーム戦で離れ離れになった俺は何回殺されたかわからない。
俺はあんまりやったことがなかったのに。
「ねぇ、有……って倉田くんまだいたの? 門限過ぎてるわよ」
殺される俺は面白くないし、ヘタクソの相手をする瑞季さんもあくびが混じり出した頃に、梢さんが部屋に入ってきた。
門限?
……十一時半!!
やばい!!
二年連続で秋季キャンプに門限破り!?
もしかして、クビにされたりとか……!?
「瑞季……あんた狙ってたんじゃないでしょうね」
「いや、あのその、たまたま! たまたまですよ! たまたまですよ!」
狙う?
何をだろう。
そんなことはどうでもいい。
俺は今自分のことしか考えられない。
素行不良で二軍幽閉になったら、夕実との約束も守れなくなる。
今から寮に帰ることはできない。
お金もほとんど持ってない。
……お店で一晩過ごすか?
過ごさせてくれるだろうか……。
「何やってん……あっ」
「あっ」
「……あーっ!!」
さすがに、土下座まですれば泊めてはくれるだろう。
皿洗いでも済むかな?
「お姉ちゃん、彼氏?」
「ちち違いますよ! これはそう、後輩です! 大学で、そう。後輩ですよ!」
……って、この女の子は誰だ?
それに気付いた瞬間、俺は瑞季さんに頭を抱え込まれた。
右側からは瑞季さんの柔らかな体が、左側からは頭を撫でる瑞季さんの手が俺を包み込む。
……温かくて、頭がとろけてしまいそうになる。
「ふーん。あんまりかっこよくないけど。よかったね」
「いや、いいってわけじゃないですよ?」
「やっぱり辞めたからだよ。すぐにできるって、私の言った通りでしょ?」
瑞季さんの温もりに身を委ねていると、体が震えたのがわかった。
同時に俺を抱える力が緩くなる。
「そう、かもですね!」
「いいよ。ゆっくり遊んでて。ごゆっくり~」
「あっ、ちょっと、有季……」
梢さんの腕を掴んだ女の子は、戸惑ったままの梢さんを引きずって部屋から出て行ってしまった。
……もしかして気まずい?
でも、これで俺はようやく……抜け出せない!!
え、なんで俺抱きしめられたままなの!?
っていうか、より力が強くなった気が……。
「お願い、してもいいですか?」
「え? ……あ、はい」
「泊まってくださいよ。朝帰りが見つからなかったら、門限破りにはなりませんよ」
「……はい。ありがとう、ございます」
ベッドのない瑞季さんの部屋に敷かれた二組の布団。
寮や俺の部屋では味わえない甘い匂いの中、隣の布団に入った瑞季さんは、電気を消す前に寝入ってしまった。
的確に表現するなら、男物の服を借りた俺が着替えて戻ってきたら、寝ていた。
寝つきが良くて羨ましい。
俺はどうだろう。
思ってたよりドキドキしない、というのが瑞季さんの寝顔を見た時最初に思ったことだった。
一応成人男女が二人きりで寝室にいる状況なんだけど。
初めてのシチュエーションに困惑しているのか、それとも俺が使い物にならないのか。
でも居心地がいいのに間違いはない。
……変に深入りして辛い思いをするなら、今の関係のままの方がいいのかもしれない。
さすがに布団には入らず壁にもたれながらそんなことを考えるうちに、意識が遠のいていった。
微妙に揺れながら真ん中低めへと投げ込まれた球は、次々に打ち返されてしまう。
コートを羽織りながら打っている瑞季さんにプロの球が通用しないなんて、普通に考えたら悪夢でしかなく引退まで考えるレベルだとは思うけど、俺は思わない。
むしろ、気持ちよく打たせるために投げているんじゃないかとも思ってしまう。
「変わらずへなちょこですね!」
左打席でブンブン素振りをしている瑞季さんはいつもと変わらず楽しそうで、俺との戯れに何も言わず付き合ってくれている。
野球が嫌いなはずなのに。
なんで嫌いなんだろう。
わからない。
俺が勝手に嫌いだと思っているだけなのか?
わからない。
俺が好きだから付き合ってくれているのか?
わからない。
……俺は瑞季さんのことが好きなのか?
……わからない。
「次に会うのは年明けになりますね! 何か食べたいものはありますか?」
明日から大学の友達と旅行に行くらしく、いつもより短めの時間でフリーバッティングは終わった。
瑞季さんが帰ってくるのは二十八。
俺が帰省するのが二十七。
年明けにならないと会うことはできない。
自転車にまたがった瑞季さんに問いかけられたけど、唐突な質問だったので少し答えに困った。
天ぷらと、……お刺身と、揚げ物しか作ってもらったことないけど。
他にも作れるのかな。
……待って。
別に何も食べたくない。
「……え」
「お土産ですよ! キャラメルでもチョコレートでもプリンでも、全部でもいいですよ!」
「……そっちか。なら、プリンで」
「そっち、ですか? ……なら、もうひとつ質問ですね! 何か食べたい料理はありますか?」
ボソッとした呟きは拾われて、口を塞いだ俺をニヤニヤと見つめてくる瑞季さん。
「……オムライス」
「了解ですよ!」
遅めのクリスマスプレゼントですね!
そう微笑んだ瑞季さんは颯爽と走り去っていった。
……クリスマスプレゼントか。
俺もお返しを用意しようかな。
でもどんな? ……。
「ひとつ言っていい? 鬱陶しいって」
魚の出汁をとっている梢さんは、俺がいいですよと答える前に言ってしまっていた。
鬱陶しいと言われても、俺は瑞季さんの好きなものをあまり知らない。
好きなものどころか、大学生で野球が得意くらいしか知らない。
そんな中で何を送ればいいのか。
夕実と野沢さんに聞くのは違う気がするし、頼れるのは梢さんしかいなかった。
「あのね。じっくりゆっくり進めるのも微笑ましいとは思ってたけど、最近のあなたたちはなんなの? 一緒の部屋に泊まったかと思ったら二人仲良く離れて寝ちゃってるし。ほぼ毎日お店でいちゃいちゃしてると思ったら公園お店家しか行動範囲ないし。倉田くん。あなた付き合う気あるの?」
「……わかりません」
「そうでしょ。なら……って、え? 付き合う気、ないの?」
「……」
何回聞かれても俺の答えは変わらず、わからない。
俺はきっと、瑞季さんが好きなのは間違いない。
でも、無防備な姿を見て、ドキドキしなかった。
隣で寝てる瑞季さんを相手に、何をしようとも思わなかった。
この好きだと思う気持ちが友達としての親愛なのか。
先に進むことを恐れた恋心なのか。
俺にはわからない。
「ま、それならそれでいいわよ。帰ってきたら、彼氏ができてるかもね」
男の子も一緒らしいし。
そう言って挑発してくる梢さんの言葉にも、俺は何も返せなかった。
間を置いてからわざとらしくため息をついた梢さんは調理へと戻ってしまう。
何も解決しなかった。
もやもやした気持ちは何ひとつ晴れないまま、クリスマス当日を迎えた。
もし包装をしてもらうなら最後のチャンスだけど、贈り物が決まらない俺はただひたすらにランニングをしていた。
駅七つ分の距離を、無心で、ただひたすらに。
さすがに足が震えてる。
帰りは電車かな……。
下校する小学生の姿を尻目に膝に手をついて息を整えていると、見覚えのある顔が目に入った。
「有季ちゃん?」
ランドセルを背負った制服姿の集団で、ツインテールの茶髪を見つけた。
どことなく梢さんに似た顔立ちは、一瞬しか見た覚えがないけど、なんとなく、覚えてしまっていた。
そして閃いた。
「えっと、有季ちゃん……だよね?」
気付いたら声をかけていたけど、有季ちゃんの反応は鈍かった。
表情が動かない。
……先走った!
否定はしないから間違えてはないはずだけど、これ多分俺のことをわかってない!
「ゆーちゃん、知ってるおじさん?」
「おじさん!?」
「ううん。知らないおじさん」
「おじさん!?」
「誘拐されるかも。たっくん逃げて。私が止めるから」
「待って、思い出して! 梢さんのお店で、瑞季さんの部屋で会ったよね!?」
防犯ブザーを構える有季ちゃんに、慌てて声をかける。
野沢さんと問題を起こす以上に有季ちゃんはまずい。
警察沙汰になってしまう前に必死で止める。
「……あ、お姉ちゃんの彼氏」
「そう! 彼氏じゃないけど、そう!」
「お姉ちゃんに抱っこされてたから、顔は知らない」
明らかに事実とは異なる認識だけど、思い出してくれたならそれでいい。
俺は怪しくない。
それが伝われば十分だ。
「あの、さ。瑞季さんのことで、聞きたいことがあって」
「あ、わかった。クリスマスプレゼントだ」
小学生にまで悟られてしまう俺。
話が早くて助かる。
後は、瑞季さんが好きなものを聞くだけだ。
「そう。瑞季さんって、何が好きなのかな」
「……なんだろう。前は野球だったけど。今は知らない」
「……野球?」
思ってもみない言葉に、思わず聞き返す。
……いや、多分、俺は気付いていた。
わかっていて、気付かない振りをしていた。
「そうだよ。お姉ちゃん、女子プロに行くかもって言われてたんだよ」
言わないってことは触れられたくないことだと決めつけて、それでも俺に付き合ってくれてる優しさに甘えていただけだから。
「よかったら、聞かせてもらってもいいかな。お姉ちゃんの、昔の話」




