7/24
「あら倉田くんじゃない。相変わらず暇そうね。遊んであげよっか?」
練習を終えて球場から出ると、左ハンドルの車の中から怪しげな女の人が声をかけてきた。
うちのチームの帽子を被り、メガネをかけている。
……変装した野沢さんだ。
「何してるんですか?」
「帯やってたらほとんどオフの日ってないんだけど、今日はほんっと久しぶりにオフなのよ。だから遊びに来たの」
……その理由はどうなんだと思うけど。
相手は誰だろう。
そう言えば、最近吉岡さんがインタビューされてたような。
吉岡さんかな?
「吉岡さんとですか?」
「え? 誰?」
「え? いや、吉岡さんは、吉岡さんだけど……」
「君以外誘わないわよ。何されるかわからないでしょ」
……その理由もどうなんだと思うけど。
俺も男だし。
でも、今日もこれから予定がある。
「すいません。これから予定が……」
「ん? 何するの?」
「……まぁ」
察してほしい。
別にデートってわけじゃなくて、キャッチボールをするだけだけど。
他の女の人と会うから遊べませんとは、言えなかった。
「あ。なるほどね。会わせなさいよ。減るものじゃないでしょ?」
「……なんで?」
「君の彼女よね? ほら、お世話になってるんだから、挨拶しとかないと」
「何言ってるんですか……」
あんた誰だよ。
俺のなんなんだよ。
そう言いたいのはやまやまだけど。
実はもう大人になった俺は頑張って耐えた。
冗談にも大人の対応で、軽く手を振って別れを告げよう。
そう考えてあげた左手を、野沢さんに掴まれた。
「ほら、乗って乗って」
「……え、本気なの?」
「なんで嘘つくのよ。タイムは有料なのよ」
さっさと乗りなさい。
それだけの言葉に負けて、徒歩十分の距離を車に乗り込む。
当然駐車場なんかない普通の公園だから、有料駐車場に停めることになって野沢さんは不機嫌になった。
お金あるんだからいいじゃん!
「心配しなくても、すぐに帰るから」
「いや、別にデートとか、そんなわけじゃないんで……」
「……高校の時の、あの子よね?」
「あれはただの幼馴染です」
わかってたけど。
前々からなんで知ってるんだろうって思ってたけど、野沢さんが言っていた俺の彼女は夕実だった。
わかってたけど。
「案外モテるのね」
「案外ってなんですか……。別に彼女じゃないですけど。ほら、あの人」
案外ってことは、俺がモテないみたいじゃないか。
失礼な。
少しだけ憤っていると、いつものようにジャージ姿でストレッチをしている瑞季さんが見えた。
「こんにちは、瑞季さん」
「あ、こんにちは! 今日、は……。お友達ですか? こんにちは!」
笑顔で振り返って来た瑞季さんは、俺の隣に立つ野沢さんに頭を下げる。
……有名人なんだけどな。
知らないのか気付いていないのか。
どっちなんだろう。
「彼女ですか? このこの!」
早口でまくしたてた後、間を置かずに俺に向かってタックルしてくる瑞季さんを、野沢さんは悠然と眺めていた。
そしてゆっくりと頭を下げる。
「こんにちは。いつも弟がお世話になってます」
……何も言うまい。
言ったら疲れる。
「あ、お姉さんでしたか。夕実さんじゃなくて、本当のお姉さんがいたんですね!」
「側から見てると、ゆみも姉みたいなものですよ」
……待って。
野沢さん夕実と会ったことないよね名前も今日初めて知ったよね!?
何勝手に話合わせてるの!?
「ではお邪魔をしてはいけないので、あたしはこれで失礼します。瑞季さん。くらっ、ぐぁっ、たっ、けほけほ。弟をお願いしますね」
「……え? 帰るの?」
今倉田くんって言いかけたよ。
キャラまで作って姉を演じてる人が、弟役を名字で呼びかけたよ。
そしてごまかし方が酷すぎる!
別にいいけど……。
俺は恥ずかしくないから。
って、え? 帰るの?
「そりゃ、デートの邪魔しちゃ悪いもの」
「残念ながらデートではないですよ! お姉さんも一緒に、キャッチボールしませんか?」
「……キャッチボールっていうのは、ボールを投げ合うあれのこと?」
「はい! それのことですよ!」
「それ以外何があるのさ……」
「……残念だけど、靴的にできないのよね」
言われて初めて、野沢さんの足下を見た。
サンダルの時点で厳しいし、さらにハイヒールときた。
絶対に足を挫くし……運転しちゃダメじゃん!
「でもせっかくだし、見ててあげよっか?」
俺の肩をポンと叩いた容疑者は、瑞季さんじゃなくて俺に言ってくる。
……別にどっちでもいいけど。
野沢さんが嫌じゃなかったら。
「退屈じゃないですか」
「ぜーんぜん? 一人でドライブしてる方が虚しいわよ」
「しちゃダメじゃんそのサンダルで……」
軽く手を振って野沢さんは近くのベンチに腰掛ける。
何球か肩をならしているのをボーっと見ていた野沢さんはすっと立ち上がって、何故か近付いてきた。
「ねぇ。バッター役してあげよっか?」
「……いやいやダメですよ。やめて。ほんとに。逆に投げにくいから」
俺は拒絶したはずなのに、野沢さんは瑞季さんのバットを持って、適当な位置に立つ。
ブンブンと腰の入ってないスイングを繰り返している。
俺も投げにくいけど、瑞季さんはもっとたまったものじゃない。
プロの球を受けてるだけでも凄いのに。
「……絶対に振らないでくださいね」
言っても聞かないので諦める。
当てたら終わる。
集中せざるを得ない。
そんな中で見えた瑞季さんの右手は、カーブを投げる仕草をしていた。
……はぁ!?
無理無理!
首を振る。
カーブのサイン。
首を振る。
カーブのサイン。
首を振る。
カーブのサイン。
「雰囲気出してくれるじゃない。あたしもレフトスタンド狙おっか?」
「だから振らないでっ、あっ」
首を振るつもりだったカーブのサインに、野沢さんの声が重なって、俺は間違えた。
怒りが別の方向へと向いてしまった。
振ったのはカーブの握りをした腕。
咄嗟に、指に力を込める。
縫い目で指が滑ってしまう。
綺麗に抜いたボールは、まっすぐに野沢さんへと向かっていく。
野沢さんは避けない。
なんで!?
まったく避ける素振りも見せない野沢さんに向かったボールは、低めのストライクゾーンで瑞季さんがキャッチした。
「……」
「……」
「ナイスボールですよ! 次はスライダー行きましょう!」
「……」
「……瑞季さんは、経験者?」
殺される。
社会的に。
まさかとは思うけど、つけられてないよね?
つけられてたとしても記事にできなくて帰ってるとは思うけど。
人気女性アナウンサーにボールを投げつけた男。
野沢さんがそう認識した瞬間、俺は終わる。
「まぁ、一応はですね!」
「そう。あの子、まだ若いからお互いに不安だとは思うけど、あなたなら大丈夫そうね」
「……今はまだ違います。きっかけがあれば、ですかね!」
……なんだかよくわからないけど、矛先は俺に向かっていないみたいだ。
……助かったのかな?
「あ! そう言えば、夕食は決まってますか?」
「いや? まだ決めてないですね。ねぇ、何か食べたいものある?」
「もしよろしければ、うちで食べませんか? サービスしますよ!」
……助かってない!
今日はデーゲームで一軍の試合もあったから、あの店に行ったら確実に何かしらの選手に会う!
野沢さんにインタビュー受けた人も何人かいるはずだから、確実にバレる!
そして俺は行きたくない!
「あら倉田くん。お久しぶりね」
なんとかして阻止しようと思っても、具体的な案は一切浮かばない。
先に帰ってますね! と自転車に乗った瑞季さんを無視するのも、気分が悪い。
無抵抗のまま俺は小料理屋の扉を開けることしかできなかった。
「そち、っ!」
迎えてくれた梢さんに軽く頭を下げる。
梢さんの視線はそのまま野沢さんへと向いて、口を押さえた。
野沢さんはというと、人差し指を口元に当てている。
一瞬でバレた!
「……まぁいいわ。こちらの席へどうぞ」
すぐに落ち着きを見せた梢さんにカウンター席へ案内され、とりあえず一番手前の席に座る。
奥のテーブル席では、うちの球団とは関係のない一般人が四人座っていた。
明らかに、誰かの子供を含んで。
「お姉さんは日本酒? それともビール?」
「せっかくなので、日本酒をいただきます。冷酒はありますか?」
「もちろん。冷酒ね。倉田くんは、緑茶……って、倉田くん。あなたもう二十歳じゃない?」
「……まぁ、一応」
「どうする? 飲んでみる?」
「……まぁ、一応」
「了解。でも最初から日本酒じゃないわよ。初めてがここで良かったわね」
「はぁ。まぁ……」
今から瑞季さんはあの子の相手をしに行くんだろう。
お酒が飲める俺と野沢さんはこうやって梢さんが相手をしてくれる。
……まぁ、別にいいけど。
「ならこれがおすすめですよ!」
横から伸びて来た手が、カクテルという部分を指差していた。
ならそれで、と適当に答えておく。
「あんたはどうするの?」
「あたしは生一択ですよ!」
「はいはい」
野沢さんは日本酒の冷酒。
俺はカシスオレンジ。
そして瑞季さんは生ビール。
ジャージ姿から、サロペットのワンピースと無地のシャツを組み合わせたものに着替えている。
よいしょと声に出しながら、俺の隣に腰かけた。
「……え、ここ?」
「え? ダメでしたか?」
ポツリと呟いてしまった声を慌てて否定する。
ダメじゃないですと三回は言った。
「瑞季さん、子供の相手って言ってたから……」
「あぁ。最初はですよ。一昨日も、田部さんに娘さんのプレゼントの話をされましたし。指名が入れば誰とでも、ってキャバ嬢じゃないですかそれだと!!」
「だから最近来なかったのね。安心した?」
「……はい」
「そう。いつでもいらっしゃいね」
顔が赤い。
触らなくてもわかるくらいに。
瑞季さんの顔だけじゃなくて、梢さんの顔も見れない。
仕方なく野沢さんを見ようとしたけど、野沢さんの顔と表情はスマホへと向いていた。
完全に我関せずだ。
「言われてみればそうですね! 開店前にはよく来てくれていたので、全然そんな気はしないですね!」
そして瑞季さんも野沢さんには全然絡まない。夕実の時はずっと夕実と話していたのに。
「いいの? 放っておいても」
「構いません。あたしは保護者みたいなものですから。だから願ったりですね」
早速出された冷酒を飲みながら、お通しで出された天ぷらを口に含む野沢さんは、両手で口を押さえた。
そして瞬く間に平らげる。
去年の俺と同じだ。
そこからはほとんど話さずに料理を食べ続けていた。
「今何杯目ですか?」
「……わかりま、せん……」
「はい追加行きますよ!」
俺はずっと瑞季さんに捕まっていた。
ジュースにしか思えないお酒を、四杯までは覚えてる。
今は料理の味もわからない。
瑞季さんは生ビールをいったい何杯飲んだのかな。
初勝利の時にチビチビ飲んでいたのはなんだったのか。
もう無理です。
答えることもできなくて、右手を前に出した。
「ご馳走さまでした。凄く美味しかったです」
「いえいえそう言ってもらえるとありがたいわ。でもあんまり口外しないでね。そういうお店じゃないから」
一口も入らなくなった俺の分まで食べてしまった野沢さんは、梢さんの言葉にもちろんですよと答える。
食べかけだったのに食べちゃうなんて、そんなに気に入ったのかな。
「そう言えば瑞季さん。余ってる色紙はありますか?」
「え? ありますけど……」
首を傾げながら奥へと入っていく瑞季さんについて行く野沢さん。
……よっぽど気に入ったんだ。
奥の部屋からは一瞬だけ瑞季さんの悲鳴が聞こえた。
やっぱり、気付いてなかったんだ。
後日、店内には野沢さんのサインが飾られるようになった。
そして俺はタクシーで帰った野沢さんに、残して帰った駐車料を請求されて、瑞季さんには数週間嘘つき呼ばわりされて言葉を信じてもらえなくなった。




