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「終わったら交代。終わらなくても交代。わかるか?」
肩を叩きながらコーチが伝えてくる言葉。
バッチリと伝わった。
このバッターまでで、俺は用済みだという意味が。
「よし。終わったら梢さんのとこ行くぞ。頑張れよ!」
六回裏の攻撃中。
組んでいたマウンドでの輪が解かれ、散り散りに守備位置へと戻っていく。
二死一、二塁。六点差をつけての守備だ。
「打たれても自責ゼロで俺のゴールデングラブが遠のくだけ。勝ち投手の権利までついてくる。良い先輩だろ?」
グラブで頭をバンバン叩いて、キャプテンもショートへと戻っていく。
打たれたら殺す。
キャプテンの本心が頭の痛みからジンジンと伝わってくる。
そして迎えるバッターは、七番スタメンの望月くん。
出されたサインは、……アウトローの、スライダー。
「初勝利おめでとーう!!」
カチンカチンとグラスが重なる音が響く。
俺のグラスはオレンジジュースだ。
ビールをゴクゴク飲み干すコーチと坂下さん。
梢さんは口を付けた程度で、俺は半分くらいしか飲めなかった。
「最近は早い子が多いけど、初勝利でビールじゃないのは誰以来かしらね」
魚を捌きながら、覚えてる? と梢さんが呟く。
ちびちびとビールを飲んでいた瑞季さんは首を傾げていた。
「あたし担当ではなかったですよ。ボケました? あたし代わりますよ!」
「ボケてないわよ。でもやってみる?」
「はいはい。わかってええぇぇーーーっ!?」
ちびちびと飲んでいたビールをぶちまけながら、挟んで座っていた俺を乗り越えて梢さんに迫る瑞季さん。
重い……。
疲労困憊の体には厳しい……。
「えぁっ、あたし!? あたひですよ!?」
「いいじゃないの。やりたかったんでしょ? 記念よ」
「やったーーー! 頑張りますよ!」
俺を踏み台に飛び跳ねていった瑞季さんは、店の奥へと消えていった。
カミカミなくらいテンションが上がった意味がさっぱりわからない。
「……なんすか今のは」
「あれお前知らないの? みっちゃん今修行中なんだぜ。料理作らせてもらうのも初めてじゃないかな」
「あの子担当で初勝利も初ホームランもいなかったからよ。そろそろヒットでもいいかなと思ったけど。山田くんは打たなかったし」
「担当ってなんすか……?」
坂下さんも梢さんも履き違えていた俺の疑問を訂正する。
俺が気になったのは担当という言葉。
この店他にもアルバイトがいるの?
「あら言ってなかった? あの子は基本子どもの相手させてるのよ。話題もそこそこ合うでしょ?」
私はちょっとね。と言った梢さんを見つめてしまう。
瑞季さんは未成年専門?
……俺、もうちょっとで未成年じゃなくなるんだけど。
「え? 何? どうしたの倉田くん」
言いようのない感覚に襲われて梢さんを見続けていると、若干距離をとられた。
いや、でも、引き下がれないと思ったのはいいけど、理由がわからない。
「みっちゃんに惚れたか?」
「はぁ? こいつがっすか? 身の程知らずっすね」
「あぁそういう。私は別に構わないけど。瑞季さえよかったら」
何を言ってるんだろうこの人たちは。
一回、よっちゃんを連れて来てみようか。
むしろ夕実でもいいくらい。
……でもそうしたら、半年後を待たずに、瑞季さんじゃなくなるんじゃない?
……やっぱり、やめた。
「お待たせですよ! ちょっとだけ待ってくださいね!」
そうしているうちに、奥に引っ込んでいた瑞季さんが着替えて出てきた。
着物姿でお団子のハーフアップに髪の毛をまとめた瑞季さんが。
……着替える必要あった?
ニコニコ笑う瑞季さんを見ていると、視線を三つほど感じた。
「いやっ、違うから! そういう意味じゃない!」
おっさん二人におばさん一人なんだから、せめて煽ってよ!!
無言で見つめてこないで!
対応に困るから!!
ほら今も俺が一人で急に大声出したみたいになってるから!
「あ、あたし一人分でいいですよね?」
「え? あんたそれでいいの?」
「いいんです! 全部やってむちゃくちゃになるよりは、一人分を仕上げたいんですよ!」
「ふーん……」
「意味深な視線はやめて……」
思い込みで話が進むのは別に構わないけど、俺実際彼女がいるからね?
いなかったら勘違いさせたままでも別にいいけど。
……瑞季さんは俺に彼女がいるって知らないの?
なんか、俺みんなに知られてるから、みんなが知ってるものだと思ってたけど、自惚れ?
「あの、瑞」
「ちょっと待ってくださいよ。今集中してます。美味しい料理ができてからにしてください」
話は遮られた。
本当に集中してるのか?
……まぁいいか。
多分相手にされないだろうから。
チラッとだけ、好きな人がいるかどうかだけ聞こう。
「待って瑞季、何してるの!?」
「何って、天ぷら揚げてますよ」
「待って瑞季……あんた、何作ろうとしてるの?」
「何って、あたし特製特選天丼ですよ」
「……海老が二尾の、青じそが八枚って、もう倉田くんに来てほしくないの!?」
……流れが良くない気がする。
なんで青じその天ぷらがそんなに多いかというと、俺が美味しいと言ったから。
瑞季さんに直接。
あの日以降時々、まかないと称して瑞季さんが作るご飯を分けてもらっているから。
……言う?
言わない?
「だってあの子青じそ好きですよ? 海老よりも多くいつも食べてますし」
「……そう。あとでお刺身は切る?」
「切りますよ! 天丼にお刺身なんて、キミもなかなか贅沢な生活ですね!」
ニコニコ微笑みながらサムズアップを見せつけてくる瑞季さんに、俺がえへへと笑顔を返すと、会話が途切れてしまった。
コーチと坂下さんは見たくない。
梢さんも見たくない。
なら瑞季さんを見るしかないのに。
どんどんと深みにハマっていく。
「お前さぁ」
「……はい」
ついに捕まってしまった。
惚れてない関係ない興味ないって言いながら、ちゃっかり会ってた現状。
浮気じゃないって思い込んでた俺が全部悪いけど。
本当にそういうのじゃないはずなのに、否定の言葉はまったく浮かんでこなかった。
「望みねーよあれ」
「……へ?」
「お兄、は違うな。弟……でもないし」
「お前はみっちゃんの子どもか」
「それっすわコーチ! お前はみっちゃんの子どもか!」
「……望んでないし、子どもでもないです」
思わず出たガッツポーズを必死で小さく見せて、心で叫ぶ。
いよっしゃーーーーーーぁっ!!
なんで生暖かい視線が憐れみの視線に変わったのかはわからないけど、疑惑はすり抜けた!
ただその後は、坂下さんのチャンスをものにする講座が始まってしまい、面倒なことにあまり変わりなかった。
「初勝利の感想はいかがでしたか?」
門限は破るなよと言い残したコーチと坂下さんは二軒目へとはしごしていった。
梢さんはテーブルを片付けて奥へ引っ込んだり洗い物をしたりしている。
結果的に、店内には俺と瑞季さんだけになってしまった。
「あんまり、実感がないです」
後味が悪いと言うべきなんだろうか。
最後のバッター。
二回首を振っても、アウトローのスライダーからサインは変わらなかった。
仕方なく投げた球はふわっと真ん中高めに浮いて、望月くんに真芯で捉えられた。
そして真正面に飛んできた打球を必死で避ける際に伸ばしたグラブに、球は吸い込まれていた。
「キミはもう少し自信を持つべきですよ! 結果として抑えられたなら、キミの勝ちですからね!」
相手はあの望月選手ですよ! と讃えてくれる瑞季さん。
ちなみにいうと、これで高校時代からの対戦成績は七打数ノーヒット。
全部俺が勝っている。
瑞季さんはやっぱり、俺の高校時代をまったく知らないらしい。
それが普通なはずなのに、とても新鮮に感じる。
「そう、ですね」
「おや、また泣きますか? 泣いちゃいますか? 全部受け止めてあげますよ?」
「泣かないよ……」
やっぱり一回泣いてしまったのは不覚だった。
このままずっと、そのことでからかわれそうな気がする……。
「はい、ではご褒美ですよ!」
突然立ち上がった瑞季さんは手を伸ばして、俺の頭に手を乗せた。
そして二度三度とその手を動かした。
「えへ、なーんちゃって」
さ、門限ですよ! と頭から手を離した瑞季さんは、少しだけ頬が赤かった気がした。
美味しかったですと伝えて店を出る。
何回も振り返ったけど、曲がって見えなくなるまで瑞季さんは見送ってくれていた。
彼氏がいるんですか? って質問は、なぜかする気にならなかった。




