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あっという間に始まった春季キャンプ。
同期で俺だけが一軍メンバーに割り振られていたことが今季一番のビッグニュースだったはずなのに、一週間ごとに記録は更新されていく。
「ピッチャー、倉田。背番号、九十三」
ブルペン初日に、監督がバッターボックスに立った。
二クール目で落とされなかった。
二次キャンプにも同行することになった。
そして今、対外試合初戦の先発マウンドに立っている。
「いいか。平常心だぞ。打たれたら全部俺のせい。わかったな」
先発マスクはレギュラーの桑谷さん。
そう言って二度右肩を叩かれる。
平常心とはなんだろう。
俺のせいってことは、自己責任。
さすが一軍の舞台は恐ろしい。
でも、逃げも隠れもできない現実に違いはない。
大きく息を吐いて、プレートを踏みしめた。
予定の四イニングを投げ終えて一失点。
オープン戦初失点は、ストライクを取りに行ったボールを狙われてのホームラン。
それを打たれた以外は危なげない内容だったと自分でも思う。
三月も半ばに入るけど、ビッグニュースは続いている。
でもここだけの話、開幕ローテーションには入らない。
そうコーチからは言われていた。
中六日で二軍の開幕戦。
そこからローテを守って、七回を投げ抜けたら一軍に昇格させる。
そう言われた。
一軍が見える位置に立っている。
一年前には、ろくにブルペンにも入れなかったのに。
「あれ、野沢さんじゃないか?」
試合が終わってロッカーに引き上げる最中、通路にマイクを持って待機している野沢さんがいた。
「ほんとだ」
「またお前じゃないの?」
「いや、多分違います。何も聞いてないですし……」
「……ああいうのって事前に連絡ついてるのか?」
……しまったぁぁーーーー!!
つい口を滑らせた!!
『次は前もって連絡するから、準備しときなさいね』っていうメッセージは俺しか読めなかった!!
「え? あ、俺が前受けた時は、尾花さんが……」
「へー。俺受けたことないからさ。他意はないぜ?」
……なんていい人なんだ!!
俺が言ったのも嘘じゃないけど、ニコニコ笑いながら肩を叩いてくる岡原さんは聖人のような人に思えた。
眩しすぎて会釈をすることしかできなかった俺に、「そういえばさぁ」と話題を提供してくれる姿までも神々しく見えてくる。
こんな人が活躍する世界になればいいのに。
現実は非情に作られていた。
「はぁーい♪」
「……」
「ほらさっさと乗りなさい。見つかるじゃないの」
球場を後にしようとした俺を野沢さんは待っていた。
俺がお人好しなんだろうか。
疑うことを知らない俺が悪いんだろうか。
「君ね、せっかく六百万ももらってるんだから、もっといい服買ったらどう? 見てあげよっか?」
逃げた方が面倒だと思って助手席に座ると、ファッションに文句を言われてしまった。
ジーンズにちょっと大きめの黒いパーカー、白いシャツだ。
どうせユニフォームに着替えるんだから、移動くらいは楽な服装でさせてほしい。
「あんま変わらないじゃないですか」
ハンドルを握る野沢さんはというと、グレーのカーディガンに白いシャツ。青いスカート。
正直何が違うのかよくわからない。
「あたしはほら、ロケだし。メイクさんはいても、スタイリストがいるわけじゃないしね。お金もあんまりないし」
「ロケって、最近なんか多くないですか?」
軽いボケは無視していく。
絶対野沢さんの方が年収良いし。
野沢さんが番組を担当するまではそんなになかったんだけど。
「そりゃマンネリ打開もあるでしょ? 言っとくけど、あたしがわがまま言ってるわけじゃないからね?」
ギアを入れて、びっくりするくらいスムーズに車が動き始めた。
野沢さんは片手でハンドルを握って運転している。
「え? 何?」
会話を止めて野沢さんの運転を見ていると、戸惑った表情で問いかけられた。
「いや……運転できるんだと思って」
「何? 惚れた?」
「ううん。でも凄い」
正月の帰省は夕実と、年末年始はよっちゃんと一緒に車に乗った。
怖かった。
それ以外に感想はない。
帰りは新幹線を使った。
自由席でも騒ぎが起こらないから安心だった。
「どこに行くんですか?」
「んー? 別に決めてないわよ。あたしのストレス発散。どうせ暇でしょ?」
「扱い! いや確かに、暇だけど……」
「だけど?」
「俺でいいんですか?」
試合終わりの未成年を拉致するような人だけど、世間的には帯番組担当の人気アナウンサー。
そんな人が、どうして俺に構ってくるのか。
ずっと聞きたかった。
「むしろ君だから」
「俺だから?」
「あたし、あの時が初めてだったのね。って言った?」
あの時とは多分、去年のキャンプだと思う。
初対面がそこだし。
初めてとはなんだろう。
仕事?
正直、何を話していたかは全然思い出せない。
ただただ絡まれていたことしか覚えていない。
「緊張してました?」
「当たり前でしょ。予行演習って三日前に言われる? 必死で検索したわよ新人選手のこと」
「そうは見えなかったですけど……」
「君がいたからよ。テレビ慣れしてる福山くん、浮かれてるその他大勢の中に、異世界に迷い込んだような君がいたから。あたしも、何も取り繕う必要ないんだって思えて」
……褒められては、いないよな。
だからといってバカにされてる感じでもない。
面と向かって言われた俺はどう反応すればいいんだろう。
「だから、サンドバッグにしてあげよっかなって」
「下ろしてください!」
「やだ冗談よ。むしろ役得じゃない? こんな美人なお姉さんと一緒に過ごせるって」
「浮気になるんですけど……」
「えー、そういうこと考えてるのー? 怖いわー。お望み通り、パーキングエリアで下ろそっか?」
「そんなつもりはないよ!!」
あはははと笑う野沢さん。
俺は全然面白くないんだけど。
っていうかほんとに高速乗ってるし!
ほんとどこに連れてく気なの!?
「下ろさないって。一人で行ってもつまらないしね」
怯えた意味を履き違えた野沢さんは結局、最後まで行き先を教えてくれなかった。
ペラペラペラペラと、本当にあったのかどうかもわからない業界の裏話をし続けて俺を困惑させていた。
「……海浜公園?」
そして三十分ののち着いた場所は、海だった。
車から降りて野沢さんについて歩き、浜辺で立ち止まる。
「ずっと、海が見える街で育ってきたから海が一番落ち着くの。楽しい時も悲しい時も、ずっと見てきたから」
「……ネガティブモード?」
「まぁ有名税ってやつよね。あー、もう! 腹立つー! ネットなんか見なきゃよかったー!!」
何を書かれたかは聞かない方がいいと思った。
ネットは見ない方がいい。
それは間違いない。
俺は野沢さんとの絡みで殺害予告までされていた。
怖かった。
見たくないのに夕実が送ってくるから見てしまっているけど。
「君が嫌ならもう誘わないわよ」
海に向かって叫んだ野沢さんは、俺に背を向けたままぼそりと呟いた。
一瞬、これも愚痴なのかなって思ったけど、多分違う。
俺に向けた問いかけだ。
実際俺はどう思っているのかな。
嫌というよりは、困惑していると言った方が正しいと思う。
向けられていた好意を理解できていなかったから。
……理解できたかは怪しいけど。
「嫌じゃないです」
だからぼそりと、そう答えた。
聞いてもらえて気持ちが晴れるのは俺も経験してる。
そして俺は野沢さんの押し付けが決して嫌じゃない。
ただ困惑していただけだから。
「そう? よかった。あとでホテル行こっか?」
「嫌! 嫌い! 俺一人で帰る!!」
「やだ冗談よ。撮られたらヤバイでしょお互いに」
「ここに来るまではよかったの!?」
基準がわからない。
球場を出た瞬間を撮られていたらどうするつもりだったんだろう。
裏話をあれだけ言ってきた野沢さんだから、末路はわかってるはずなんだけど。
……俺の立場もヤバい!!
「ん~~~……あーっ! スッキリした! ありがと、付き合ってくれて」
「……どういたしまして」
更新続きのビッグニュースだけど、そのニュースにはもう続きがない。
のんびりとした野沢さんをジトっと見つめる。
……もうひとつ気になることができた。
写真に関してはもうどうでもいい。
この程度を撮られたくらいで、どうにかなるものでもないと思うし。
気になるのは、少し先のこと。
「もし、行くって答えてたら、どうしましたか?」
「ビンタして売る。被害届を出す。とりあえずそのくらいね。あいにく刃物は持ってないから」
「ハニートラップ!」
危なかった!!
いや、行こうとは微塵も思ってなかったけどさ!
冗談を返す時は練って練って練りまくらないと、俺の人生が終わる。
これが大人か……!
「あたしと寝たいなら釣り合うくらいじゃないと。せめて称号くらいはほしいかな。若きエースとか」
「求めますね……」
「そりゃそうよ。顔は除外してあげてるんだから。顔で選ぼっか?」
……待って。
俺のこと?
違うよね?
俺の顔がバカにされてるわけじゃないよね?
……いいけど、べつに。
「だから頑張りなさいよ、期待の若手くん」
「だから俺彼女が」
「……頑張って!」
いや頑張らないよ!?
野球は頑張るけど!
口に出さずに曖昧な笑みを返した俺。
案外帰りの車内も会話が盛り上がった。
決して頑張ることはないけども。
そして後日、ビッグニュースが更新された。
夕暮れの海浜公園で車に乗り込む俺と野沢さんの写真が週刊誌に載った。
やんわりと否定する野沢さんのコメントと、無言を貫く俺のコメントが一緒に。
俺は球団事務所に呼ばれた。
世間というものを俺は読み誤っていた。
泣きながら否定して、やっと信じてもらえた。
厳重注意を食らった。
よっちゃんは俺の長々としたメッセージに、『ふーん』とだけ返してきた。
『お揃いだね♡』という野沢さんのメッセージは無視しておいた。




