璃の謎
少し際どいエピソードになっていきます。
2209年8月27日
24時間テレビは、その後も人気番組がリレーをしながら、世界各地・日本各地の復興状況について描くドキュメンタリーを伝えていく。また、合間では様々な企画が催され、さらに24時間フル生放送という目新しさからか、視聴率は高水準を記録していた。
「さぁ、ついに出番よ」
日本テレビ本社ビルの楽屋には、ザドキエルことレイナとヨウジの姿があった。先に出演していたヨウジに合流する形で、2人が揃っていた。
「ヨウジ、疲れてない?」
「ちゃんと寝たから大丈夫」
ヨウジの顔には緊張などない。彼はいくつかの場数をこなしていく中で、“芸能人”としての風格を漂わせる様になっていた。
「よし、じゃあ・・・行こう!」
レイナは真っ白なジャケットを羽織り、ヨウジは漆黒のエレキギターを手にして楽屋を後にする。マネージャーの璃は不安と期待が入り混じった目で、2人を見送った。
スタジオには大勢の出演者が集まり、目の前には一般人の観客席がある。そして大喝采の拍手で迎えられながら、ザドキエルの2人がスタジオに現れた。
『さぁ、ついにザドキエルの登場です! ユニットとなってからは初の生パフォーマンス! この24時間テレビのテーマソングとして新たに書き下ろした新曲を披露してくれます! それではお聞きください・・・』
総合司会の1人である樋浦莉奈の紹介が終わると、バックバンドが演奏を始める。シックなイントロと共に、白色の大天使の歌声が披露された。
そして天使の歌声に、ヨウジのハスキーな声が重なり合う。違和感のないハーモニーが観衆の耳を心地よくさせていた。
歌の内容は夏祭りをモチーフにして、浮かれた一夜に出会った男女の揺れ動く様を、古めかしい歌詞で赤裸々に謳ったものだ。
(不思議だ、あのレイナと・・・一緒に歌ってる)
ただの浮浪児だった自分が、成功した幼馴染と共にこの大舞台で歌っている。戦争によって失われた時間と心が、取り戻される様な心地がする。
(・・・こういうことか、これが数億人を魅了した“天使の歌声”!)
全世界にいる数多のファンと同じように、いつに間にか天使の歌声の虜になりかけている。幼少期からしきりに聞いていたはずの歌声は、本格的な鍛錬の末に聞く者の心も揺さぶる至高の領域に達していた。
(確かに・・・コイツとなら頂点に立てる! 世界を変えられる・・・そんな気がしてきたよ)
高音のビブラートを奏でる天使の笑顔が、観客へ向けられる。額から迸る汗すらも、彼女の輝きを彩るアクセントになっていた。
『ザドキエルのお2人、ありがとうございました!』
レイナは深々と頭を下げると、観客席に手を振りながら舞台袖へと下がる。ヨウジもその後に続いていく。2人には割れんばかりの拍手と歓声が送られていた。
その後、すべての放送企画を完走した24時間テレビは、サライの合唱でエンディングを迎える。34年振りの復活を遂げた伝説のチャリティー番組は、近年稀に見る高視聴率を記録して幕を閉じたのだった。
「お疲れ様!」
楽屋に戻ると、そこにはいつの間に来ていたのか、事務所CEOの春川の姿があった。拍手をしながら仕事を終えた2人を迎える。
「ありがとう!」
「ありがとうございます」
レイナは璃から手渡されたドリンクで喉を潤す。ヨウジは春川に会釈すると、肩に背負っていたギターケースをテーブルの上に置いた。
「お疲れ様でした!」
マネージャーの璃はレイナからジャケットを受け取る。ドアの外では同じようにサライを歌い終えた出演者たちが出て来ている様だった。
「璃さん・・・俺のギター、先に車のトランクになおしてもらって良いですか?」
「あ、はい!」
ヨウジは大事な相棒を璃に手渡す。後は帰って休むだけ・・・レイナとヨウジは小さなため息をつきながら、ソファにだらっと腰掛ける。
「おやすみモード中、申し訳ないんだけど・・・」
春川はそういうと腕時計型端末を操作して、空中に1枚のバーチャルディスプレイをポップアップさせる。それには千代田区にあるホテルの場所が書かれていた。
「この後、『スペース・エルメ社』主催で24時間テレビ関係者の懇親会、つまり打ち上げが予定されているの。場所は『ホテルニュータニモト東京新館』、時間は午後10時から」
「えぇ〜!?」
レイナは露骨に嫌そうな顔をする。
「やっぱり・・・そういう反応になると思ったわ。でも・・・あまり無碍にもできないのよね」
「どういうことです?」
「スペース・エルメ社・・・って聞き覚えない?」
春川は頭を抱えている。彼女は24時間テレビのスポンサーにして、この打ち上げの主催者でもある企業の名を改めて口にした。
「・・・あっ、『ライブ・エイド』の主催者!」
「ご名答、つまりそういうこと」
おそらく枠を奪い合うライバルたちは、この打ち上げに参加するであろうスペース・エルメ社の役員たちにロビー活動を仕掛けてくる。ザドキエルとしても、遅れはとりたくない。
だが、レイナはとても人前には晒せないような、ブスッとした顔で春川を睨んでいた。
「この“顔”を連れていく方が心象悪いわね・・・仕方ない、私と璃で行くわ」
春川はレイナを連れていくことを早々に諦めていた。
「あの・・・俺でも良いなら、行きますよ」
「・・・ホント!? 助かる!」
そんな彼女を不憫に思ったヨウジは懇親会の参加を申し出る。救世主に手を差し伸べられた春川は、パッと明るい表情を浮かべていた。
「ハァ〜、どっかの誰かさんにもこの社交性を学んでほしいわね」
「アハハ・・・」
春川はジトっとした目で、ソファにだらんと寝そべる歌姫を見る。ヨウジは乾いた笑い声を上げるしかなかった。
その後、一足先にタクシーで帰宅したレイナと別れ、ヨウジと春川、璃の3人は懇親会の会場へと向かう。ヨウジはその道すがら、東郷と沢に帰宅の遅れを連絡する。ちなみに彼らは居住地を安いホステルから賃貸アパートへと移していた。
璃が運転する社用車は、メインエントランスでヨウジと春川を下ろした後、千代田区のホテルの地下駐車場へと入っていく。
ホテルマンに出迎えられた2人は、最上階のラウンジへと案内される。貸切となったそこには、日本テレビの上役やスポンサー企業の重役、そして数多の業界人が集まっていた。
「うわ・・・」
襟付きの黒ジャケット、自分が持っている服の中では、最もフォーマルと思われる服を羽織ってきた。だが、その場にいる芸能人たちは、24時間テレビの終幕後にいつの間に着替えたのか、高級スーツや高級ドレスに身を包んでいる。
「気押されないでね。貴方は立派な芸能人の1人・・・それもあの人気デュエット『ザドキエル』の片割れなんだから」
「は、はい!」
ヨウジは改めて気を引き締める。ウェイターからノンアルコールのウェルカムドリンク(ジンジャーエール)を受け取り、スポットライトが当たる演壇に視線を向けた。
そこには、この懇親会の主催者である「スペース・エルメ社」の代表者が立っていた。
『スペース・エルメ社CEO、宿屋順一と申します! 皆様、本日はお疲れ様でした。僭越ながらこの様な場を設けさせて頂きました。お疲れのところ、お集まり頂いたことに感謝致します』
CEOを名乗った男は若く、30代後半くらいに見える。彼は元々現場の人間で、あの冥王星遠征に参加した義勇兵の生き残りだった。
『堅苦しい挨拶もここまでにして・・・乾杯しましょう、乾杯!』
宿屋はシャンパングラスを掲げる。他の参加者たちも乾杯の音頭に合わせて、それぞれのグラスを掲げた。
大人のムード漂うラウンジで、参加者たちは思い思いに歓談を楽しむ。だが、おそらくは他の芸能事務所関係者とその所属タレントと思われる者たちは、演壇から降りた宿屋と話すチャンスを狙っていた。
「えぇっと・・・俺たちも行った方が良いんですよね?」
「・・・ん?」
ヨウジはジンジャーエールを口につけ、カラカラに乾いた唇を潤していた。彼はザドキエルの片割れとして、そしてRuna-PROの顔として、ライブ・エイドの最重要人物である宿屋に挨拶に行かなければと考えていた。
「ん〜・・・、まぁ急ぐことないよ。空いたら行けばいいわ」
「え?」
日テレの楽屋でレイナと話していた時とは違い、春川の答えは妙に気が抜けたものだった。ヨウジはもちろん、璃も困惑している。
そうこうしているうちに、春川はどこかへ行ってしまった。その場にはヨウジと璃の2人が残されてしまう。
「・・・」
微妙な沈黙が2人の間を流れる。ヨウジと璃が2人きりという状況はあまりなかったからだ。
「あの! 新しいドリンク、持ってきますよ!?」
「え、あ」
気づけば無意識のうちにジンジャーエールをほとんど飲み干してしまっていた。
「・・・いや、自分で取りに行きます」
ヨウジは璃の申し出を断ると、カウンターへ向かって歩いていく。そしてパリッとした制服に身を包むバーテンダーから、2杯目のジンジャーエールを受け取った。
「・・・」
当てもなくフラフラと歩きながら、周りの様子を見渡してみる。春川はいつの間にか、何かの重役らしき男と歓談しているし、他の参加者たちも、それぞれグループを形成していた。
(居心地が悪ィ・・・)
ほんの数ヶ月前まで17歳の浮浪児だった彼には、他の人と懇談するどころか、この場の雰囲気になれることすら難しかった。そして誰も自分に見向きもしない現状から、レイナと共にいない自分には何の価値もないのだと改めて思い知らされていた。
「・・・あれは」
ヨウジの目線の先には、劇団ワークショップで縁があった山奈メルがいた。いつものキラキラしたアイドル衣装とは一転して、黒と白を基調としたシックなパーティードレスに身を包んでおり、とても大人びて見えた。
山奈はヨウジが話しかける隙もなく、おそらくはマネージャーと思しきスーツの男と共に、この懇親会の主催者である宿屋と話していた。ライブ・エイドの出演枠に踏み込むためのロビイングだろう。
「・・・」
相手はライブ・エイドの枠を取り合うライバルだ。この次は自分も挨拶に行くべきなのだろうか。そんなことを考えてながら立ち往生しているうちに、山奈と宿屋は視界から消えてしまった。
(ま、良いか・・・春川さんも行けたらで良いと言っていたし・・・)
ヨウジは踵を返し、ビュッフェスタイルで彩られた食事をとりに行く。すると、とあるテーブルの前に璃が待ち構えていた。
「あの・・・話をしませんか?」
「え」
璃は真剣な瞳でヨウジを見つめる。彼女は以前、感情のままヨウジに宣戦布告まがいの発言をしてしまったことがある。それ以降、ヨウジとの間に無意識の壁が出来てしまった。彼女はそれを悔いていた。
「この前は・・・子供っぽいこと言ってごめんなさい。私は貴方のマネージャーでもあるのに・・・」
「この前?」
「3ヶ月前、ユニット結成報告生配信の帰りです」
「・・・あっ、ああ〜!」
ヨウジの脳裏には、帰りの車のなかで「ザドキエルへの愛は負けない」と宣言された時の記憶が蘇る。彼はそこまで大事だと思っていなかったため、あまり印象に残っていなかった。
「・・・私、貴方のことを何も知らない。だから、この機会に色々教えてください」
また一方で、璃の方も成り行きでレイナの隣に立ったアマチュアギタリストの少年がシンプルに気に入らなかった。
しかし、周囲が彼の実力を認め、また子供っぽいレイナとは対照的に仕事への姿勢と対応が大人なヨウジが彼女の隣に立ってくれたことは、マネージャーである璃にとっても有り難かった。
璃はずっと謝りたかった。そして彼のことをもっと知りたかったのだ。
「まず、ヨウジさんの出身は?」
「レイナと同郷だから宮崎・・・知ってますよね?」
「あ、そうでしたっけ・・・」
璃は口元を右手で覆う。
「まあ、宮崎に住んでいたのは戦争の直前までなので・・・その後は東京、そしてあの戦争の後は長野に住んでましたね。璃さんはずっと東京ですか?」
「・・・ええっと私は、あまり覚えていないんですけど、確か母が離婚して、その時に東京へ来ました。12年前くらいです」
璃も地方出身者の1人だった。だが、自分がどこの生まれだったか覚えていないという。
「12年前? ん? その時、璃さんは・・・」
「6歳です」
「・・・ですよね、6歳は・・・確かに記憶も朧げでしょうけど、その時に自分が過ごした場所を覚えていないんですか?」
「はい・・・我ながら不思議なのですが」
璃は成長してから他者に指摘され、自分の出身地を知らないという特異性に気づいた。その時は家族全員が死亡していたため、役所に住所履歴を確認しに行ったのだが、空振りに終わった。
連合の空襲によりデータセンターが被災し、一部国民の戸籍データが破損していたのだ。
「ま、私の話はいいじゃないですか! それよりも・・・」
“レイナさんのことを聞かせてくださいよ!”、璃は屈託のない顔で笑った。
その後、彼はレイナとの出会いと別れについて語る。4歳から7歳までの3年足らずの間だったが、2人はまるで姉弟の様に過ごした。
「・・・アイツに歌うように勧めたのは地域のクリスマス会の時だったなぁ。それで地域のジジババから絶賛されて自信がついたのか、時々歌ってくれるようになりました」
「え! じゃあ、『ザドキエル』誕生のキッカケはヨウジさんだったってこと!?」
2人の会話は弾んでいく。元々年も近い2人の心の距離は、瞬く間に縮んでいった。
程なくして、時計の針は12時を指し示し、お開きの時間が迫る。この懇親会のホストであるスペース・エルメ社CEOの宿屋は、再び演壇の前に立つ。
『名残惜しくありますが、そろそろお別れの時間となりました。本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます。この時間が皆様にとって少しでも有意義な時間になったことを願い、終わりの挨拶とさせて頂きます・・・』
一礼するホストに向かって、ささやかな拍手が送られる。ホテルのエントランス前には、会社が呼んだタクシーや、各芸能事務所の送迎車が列を成していた。
ゲストたちはホテルスタッフに案内されながら、エレベーターホールへ向かう。その人波の中には、ヨウジと璃の姿があった。
「・・・あれ? 春川さんは?」
「先に帰ったみたいです。連絡がありました」
「・・・帰った!?」
璃は携帯端末の画面をヨウジに見せる。そこには「酔いが回っちゃった。ゴメン、あとはよろしく」と顔文字付きのメッセージが表示されていた。
「・・・レイナほどじゃないけど、あの人も割と自由というか・・・いきなり消えたりしますよね。前は突然東郷に送迎を頼んだり」
ヨウジは春川の隠れ自由人ぶりに呆れていた。この場で事務所の代表者が先に帰ってどうするんだ、と内心苛立ちを覚えていた。
その時、彼のつま先にコツンと、何かが当たった感触があった。
「・・・ん?」
目線を下にやると、そこには1枚のハンカチが落ちていた。誰かの落とし物だろうと思い、拾い上げると、中に何かが包まれている様な重みがあった。
「何ですか・・・? それ」
「・・・ペンダントですかね?」
ハンカチの中にはペンダントがあった。少し無骨なデザインで、メンズものの様にも見える。
「名前とか書いていないんですか?」
「ペンダントには書いていないけれど、ハンカチには刺繍がありますね・・・えっと」
綿製のハンカチには刺繍で所有者の名前が編み込まれていた。アルファベットの筆記体で書かれているため、解読に少し時間がかかる。
「Yamana Meru・・・」
・・・
その頃、都内某所を1台の無人タクシーが走る。後部座席には人気アイドルグループ「フォルテシモ」の1人、山奈が乗っていた。彼女はパパラッチ避けのため、事務所の送迎車からタクシーに乗り換え、ある場所に向かっていた。
その携帯ディスプレイには2人からのメッセージが同時に届けられている。1人は彼女のマネージャーから「本当に良いのか? 後悔しないのか?」と何かを念押しで確認する様な文面が送られていた。
そしてもう1人は連絡先を本日追加したばかりの人物から、ある場所を指し示すマップ情報が送信されている。それは彼女の目的地であり、その人物と待ち合わせている場所だった。
(・・・着いた)
タクシーが止まる。携帯をタッチパネルにかざして料金を精算すると、後部座席の扉が開く。山奈が降り立ったのは、先ほどまで懇親会が開かれていたところとは別の高級ホテルだった。
(・・・良し)
時刻はすでに午前0時30分、ロビーに入ると客入りはすでにまばらとなっていた。フロントを素通りしてエレベーターホールに向かうと、スーツ姿の男性が待っている。
「山奈様ですね、社長のお部屋へご案内します」
「・・・はい」
山奈はペコリと会釈をする。男が客室のカードキーをカードリーダーにかざすと、エレベーターの扉が開く。中に入ってもう1度カードリーダーにタッチすると、目的の階層を示すボタンが点灯した。上層階に位置するエグゼクティブランクの部屋が揃えられた階層だった。
男はその中の一室の前へ山奈を案内する。カードキーをドアノブにかざすと、ロック解除を示す緑色のライトが点灯した。彼女は意を決して扉を開ける。
「・・・やぁ、ようこそ。山奈さん」
そこには先ほどまで懇親会の主催を務めていた男、スペース・エルメ社CEOの宿屋の姿があった。




