少年の歌声
2209年5月18日 東京市千代田区 株式会社文化春暁
ユニット結成を発表した翌日、とあるゴシップ週刊誌の編集部にタレコミがあった。編集長の永倉はそのタレコミをしてきた人物とビデオ通話をしている。
「なるほど・・・ザドキエルの熱愛ね。そりゃ大スクープだろう、2日前までならな」
『・・・どういうこと?』
だが永倉のPC画面には「SOUND ONLY」の表示があり、相手の顔は映っていなかった。だがその声質から若い女性であることが分かる。
「ネットニュース見ていないのか?」
『・・・え?』
永倉はその人物のことをよく知っている。この女性はライバルとなる他のアイドルを蹴落とすため、彼女たちのゴシップを仕切りに密告していたからだ。そしてこの日も、ある人物のゴシップをリークするために電話をかけていたのである。
だが今回に限っては、その目論見は空振りに終わっていた。事態を飲み込めない彼女に対して、永倉はあるネットニュースのリンクを送る。女性がそのリンクを開くと、以下の見出しで報じられたネット記事が現れた。
『ザドキエル、ユニット結成を発表! 相手は一般人男性!』
記事にはザドキエルが一般男性とユニットを結成すること、その男性が幼馴染であることなどがセンセーショナルに書かれていた。
「業界内では将来的な交際発表の布石だろうと、専らの噂だよ。君が送ってくれた写真の男、このギタリストの男と同じだろう」
『・・・あ』
電話の主は記事に掲載されているヨウジの顔を見て、思わず言葉を失う。それは間違いなく、あの映画撮影の日にザドキエルが連れていた“事務所スタッフ”の男だった。
「そういう訳だ。この写真には何の新規性も話題性もない・・・それじゃあ」
『ちょっと、待っ・・・』
永倉は容赦なく通話を切る。かくして、ザドキエルを貶めようとした企みは、図らずもRuna-PRO側が先手を打っていたことで、空振りに終わった。
〜〜〜
6月10日 東京市港区 Runa-PRO事務所
ユニット結成から約1ヶ月後、梅雨の雨が降り頻る中、Runa-PROに新たな案件が舞い込んでいた。
「お芝居の練習〜?」
「そう・・・あの映画の友情出演がだいぶ反響を呼んでるみたいで、今後そういった仕事が来るかもしれないわ。だから、本格的な演技の指導を受けておいた方が良いんじゃないかと思うの」
春川は棒アイスを口にするレイナに説明をしている。再び演技の仕事が舞い込んできたのだ。
「ほら、8月末は数十年ぶりかの『24時間テレビ』があるでしょう。その中で放映される特別ドラマの撮影が始まるの。芸人やアイドルやら素人の役者も多くて、その人たちに向けて演技指導のためのワークショップをするから、それに参加しないかって、この間の映画の時に会った筒川監督が話を持ってきてくれたのよ」
「・・・っ!」
「貴方、こういう時のイヤそうな顔、絶対仕事の時はしないでね」
レイナは天使という二つ名にあるまじき形相で、拒絶反応を示していた。彼女にとって前回の映画撮影は軽いトラウマになっていた。
「言っておくけど、監督と交わした条件・・・忘れていないでしょうね」
「わかりましたよ、行けばいいんでしょ・・・行けば!」
レイナはぶっきらぼうに答えた。ヨウジはせんべいをかじりながら、2人のやり取りを見つめている。
「ヘェ〜、芸能人って大変だなぁ」
「貴方も行くのよ」
「ゔぇっ!? ゲホッ!」
予想だにしない流れ弾があたり、彼は思わずむせ込んでしまう。
「むしろ必須でしょ。誰があの自由人のストッパーになるのよ? それに、この話を持ってきてくれた筒川監督は、貴方にも興味があるみたい」
「・・・え?」
筒川監督は孤高の歌姫の手綱を握る謎の少年に、強い関心を抱いていた。何方かと言えば、ヨウジの方が目当てであったのだ。
「・・・というよりレイナ、『24時間テレビ』のテーマ曲、ちゃんと完成したの?」
春川は議題を変え、レイナに懸念を問いかける。今回の1件の発端である「24時間テレビ」にて、彼女の下にはもう1件の仕事が舞い込んでいた。
「・・・うーん、正直滞ってる」
レイナは眉間にしわを寄せる。彼女のもう1つの仕事とは、24時間テレビのテーマ曲の提供であった。
24時間テレビとは、20〜21世紀にかけて日本テレビ系列で毎年放映されていたチャリティー番組である。日本列島の異世界転移が起こった2025年以降は不定期放映となり、最後の放映は遥か数十年前で、いつの間にか無期限休止状態となっていた。
だがライブ・エイドの開催が決まり、世界中のあらゆる機関が人類史上最大のチャリティーイベントに同調している。その風潮の中で、かつてチャリティー番組の代名詞だった「24時間テレビ」の復活放送が決まったのである。
そして、そのテーマソングとなる楽曲の提供が、ザドキエルのもとへ舞い込んでいたのだ。
「ねぇ、ヨウジは中学の時にバンドしてたんだよね。バンドでは何してたの?」
レイナは滞る楽曲作成のヒントをつかむため、かつて音楽活動をしていたヨウジに話を振る。ヨウジは少し間を開けて口を開く。
「リードギター兼サブボーカル」
「・・・え!? 歌ってたの!?」
彼がギターだけでなく歌唱も担当していたと知り、レイナは興奮の声色を上げる。
「お願い! 何か歌って!」
「えぇ・・・」
そして早速、レイナは何か歌うようにねだる。ヨウジはため息をつきつつ、このオフィスの片隅に置いていたギターケースを取りに行く。
「・・・俺たちはオリジナルソングとか作ってないから、やってたのは基本的に21世紀のJ-POPのカバーだぞ?」
「いいから!」
ヨウジは漆黒のエレキギターを取り出し、渋々ながらもピックを取ってギターを握りしめる。喉の調子を確認しつつ、携帯端末で曲のタイトルを検索して再生ボタンを押した。
そしてギターの音色と共に、ヨウジの喉奥から発せられた歌声は、いつもの彼の声質とは少し異なるハスキーボイス寄りの歌声であった。
「・・・」
レイナは無言のまま、彼の歌声に聞き入っている。歌詞の内容は、成人と言われつつも、何もかもが中途半端で大人になりきれない「19歳」である自分への自己嫌悪、そんな自分を無条件に愛してくれる年上の女性への依存、そしてわずかな恐怖を表現する独特な世界観の歌であった。
弾き語りをするヨウジの姿は、普段とは比較にならないほど大人びて見える。そしてレイナは1曲を歌い切った彼を無意識の拍手で讃えた。
「・・・すごい! 上手い、上手いよ!」
ギターの実力が高いことはわかっていたが、歌唱力もなかなかのものであった。春川と璃も目を見張っている。
「・・・ねぇ、ヨウジ」
そしてレイナはある企みを思いつく。彼女はまるでいたずらっ子の様な笑みを見せていた。ヨウジは思わず悪寒が走る。
「次の曲、デュエットにしよう!」
新たなアイディアが浮かんだ瞬間、レイナの中には創作意欲が湧き上がっていた。
〜〜〜
6月12日 東京市江東区 ある低層マンション
江東区の低層マンションの一室に、1人で暮らす少女がいる。彼女は入浴を終えて、ラフな薄手の部屋着に身を包んでいた。少女は髪の毛をタオルで拭きながら、パソコンデスクに座って画面を見つめる。そこにはこの時代に最多ユーザー数を誇るSNS「AL-Talk」のタイムラインが表示されていた。
「・・・」
少女の名は山奈メル、アイドルグループ「フォルテシモ」の主力を務める現役のアイドルである。この日、ネットでの配信ライブを終えた彼女は、ファンたちの反応を個人的なアカウントでエゴサーチしていたのだ。
「・・・フフ」
「フォルテシモ」は「ザドキエル」と並んでライブ・エイドの出演候補とされており、その実力やファン人気は高い。山奈は絶賛するファンのコメントを見て、思わず笑みをこぼす。
そしてメインモニターの左にあるサブモニターには、ザドキエルの非正規掲示板と、週刊誌編集長とのビデオ通話のログを残したリモート会議アプリが立ち上がっている。
「・・・ん?」
その時、AL-Talkのタイムラインに「ザドキエル」公式アカウントの新着投稿が表示された。ザドキエルを敵視する山奈だが、週刊誌へのスキャンダル売り込み失敗を反省し、敵の情報を得るため個人アカウントで、「ザドキエル」のアカウントをフォローしていたのだ。
その投稿には「新入りのギター弾き語り」と書かれ、事務所Runa-PROがリリースしている配信用アプリへ誘導するURL付きのサムネイルが添付されていた。
「・・・」
サムネイルには1ヶ月前、急遽ザドキエルとユニットを組んだという元一般人の少年が、あぐらを組んでギターを抱えている画像が映っていた。一般人という割には、その顔は男性アイドルに見劣りしない程に整っており、人気アイドルグループのエース格である山奈も無意識のうちに目を惹かれてしまう。
「・・・」
山奈は映画撮影での光景を思い出す。彼女の脳裏には、屈託のない少女のような笑みで男に抱きつくザドキエルの姿が浮かんでいた。そしてその数日後にはその男とのユニットの結成が発表された。交際まで公表されたわけでないが、オンデマンド配信で2人のやり取りを見ると、単純な音楽ユニットを超えた信頼関係が伺えた。
「・・・ウザッ」
思わず声が出る。この時代、恋愛禁止を宣言するアイドルなどコンプライアンス的に存在しない。だが、事務所からは暗黙の了解的に釘を刺される。彼女は今まで何となく、ザドキエルも同じ穴の狢であると思っていた。
だが、“奴”は堂々と男と馴れ合い、そして事務所がそれを咎めることもない。ザドキエルにとって、男性との熱愛疑惑はスキャンダルでも何でもない。彼女はアイドルではなくシンガーソングライターなのだ。
「・・・」
山奈は苛立ちと妬みが入り混じった感情を抱えながら、そのリンクをクリックする。すると、あらかじめダウンロードしていたRuna-PROがリリースしている配信用アプリ「シャル・ハート」へリダイレクトされる。
すると、AL-Talkに投稿されたサムネイルと同じ構図で、ギターを抱えて座るヨウジの動画が映し出された。動画はリアルタイム配信ではなく、収録されたものの様だ。
『・・・えぇーっと、どうも。工藤ヨウジです。ネットに何か出すのは初めてなので緊張してます。じゃあ、早速』
ヨウジは引っ掛けていたピックを掴み、弦を弾き始める。どこか異国情緒漂うラテンなイントロから始まるその曲は、20世紀末に活躍した女性シンガーソングライターの代表曲であった。しかし23世紀の今、そのシンガーの名とこの曲を知る者はいない。
その曲は、真夏の夜の熱気に浮かされた男女の出会いと別れを、独特な表現で熱烈に歌った歌であった。キスや抱擁を直情的に求める様な、この時代としては過激とも捉えられる歌詞を、女性歌手に劣らない高音のキーで歌い上げる。
「・・・!」
その歌唱技術と声量は、プロの歌手と比べても劣らないように思えた。山奈もいつの間にか、自然と聞き入っている。
カリビアン・ナイト、高音のビブラートを効かせて気持ちよく歌いきったヨウジは、照れくさそうに笑いながら、カメラに向かって頭を下げた。
『ありがとうございました』
先程までの熱唱とは打って変わって、寡黙な少年はそれだけを口にするとさっさとカメラをオフにしてしまった。コメント欄には“キー高!”、“ふつうに上手いじゃん”など、好意的なコメントも投稿されている。
「・・・っ!」
我に返った山奈は眉間に皺を寄せ、アプリを閉じてしまう。スキャンダルを物ともせず、好きな歌を歌い、心から楽しそうに音楽を奏でる「ザドキエル」の姿は、彼女の目にはとても“自由”に見えていた。
この時代、反体制的活動の温床になることを懸念した政府の圧力で、ライブやフェスの開催許可が厳しくなっている。というよりも、あらゆる表現活動自体に対して締め付けが強くなっているのだ。芸能事務所やレコード会社もそんな政府に日和っている面があり、楽曲に少しでも政治的・性的な表現があると作詞家に差し戻すこともあるのだ。
山奈はそんな大手事務所に所属し、アイドルという枠組みの中でしか自らをアピールできない日々を、とても窮屈に感じていた。
(でも、ここまで来たんだ・・・。私は私の復讐のために、絶対に引き返せない!)
彼女は芸能界での成り上がりに固執している。その裏には、他のグループメンバーも知らない彼女の秘密と野望が隠されていた。
山奈はパソコンデスクの上に置かれた古風なペンダントを掴み上げる。そのペンダントは山奈の“魔力”に呼応して怪しく光り、その光は彼女の瞳を紫色に染めていた。




