ユニット「ザドキエル」
2209年5月14日 東京市新宿区 新大久保
その日の夜、滞在先のホステルへ戻ったヨウジは事の顛末を仲間たちに説明していた。
「・・・OK、OK、いや待って待って、理解が追いつかない。というより、頭が理解を拒んでる」
沢はまるでアメリカの司会者のような手振りをしながら、彼の話を一生懸命に理解しようとしていた。ヨウジの告白、それは正式にザドキエルとユニットを組んで、芸能界デビューするということだったからだ。
「ただのはなたれ小僧だと思っていたヤツが、実は世界の歌姫と幼馴染で、いつの間にかアーティストとして芸能人になろうとしている・・・タチの悪い冗談でしかないじゃん、こんなの!」
沢は混乱しながらも、ここ1ヶ月の出来事を振り返り、旅仲間だった筈の少年が知らない間に別の世界に飛び立とうとしていることに、驚くばかりであった。
「じゃあ、俺たちの旅も、この東京で終わりということか」
「・・・!」
沢とは対照的に、東郷はポツリと呟いた。ヨウジはその言葉を聞いて、ハッとした表情を浮かべる。
「・・・そっか、そうだよね。この話、多分今年の大晦日までってことじゃないもんね」
沢も落ち着きを取り戻して口を開く。東京の芸能事務所に所属する以上、ヨウジはこの先東京で暮らすことになる。それはこの一行が解散することを意味していた。
「・・・東郷、星羅、すまない。でも、俺はやっぱりレイナに必要とされるなら、ずっと彼女を支えたいと思ったんだ」
ヨウジは東郷と沢に改めて謝罪の言葉を伝えた。
「・・・謝らないでよ、ヨウジ。アンタが旅に誘ってくれたおかげで、私はこの星を、この国をもっとよく知ることが出来たんだから」
「ああ、俺の妻も子も、両親も・・・皆死んでしまったが、俺はお前に出会えた。抜け殻だった俺が新しい人生を歩めたのはお前のおかげなんだ」
だが、沢と東郷はヨウジに感謝の言葉を返した。火星からの引き揚げ者である沢、家族を失った退役軍人である東郷、そして戦災孤児であるヨウジ、出自も年齢もバラバラな3人は、数奇な運命に導かれ、そして出会った。彼らの旅路の記憶は、かけがえのない絆と思い出になっていたのである。
「・・・でも! 覚悟を決めたからには、絶対にザドキエルを『ライブ・エイド』まで導いてよね!」
「あの子の目標なんだろ、その舞台に立つことが。なら、叶えてやれよ」
沢と東郷は後ろめたさが残るヨウジに発破をかける。
「・・・ありがとう!」
2人の言葉を聞いて、ヨウジの心から迷いが消えた。彼は芸能界で突き進む覚悟を抱いていた。
〜〜〜
5月17日 東京府東京市 江東区木場
それから3日後、春川と正式に雇用契約を交わしたヨウジは、レイナと共に江東区にあるマンションの一室を訪れていた。
「・・・えぇっと、これでよし!」
そこはザドキエルと同じくRuna-PROに所属する男性インフルエンサー、ハチスガの自宅兼スタジオであった。「ハチスガ」こと八須賀暁は、カメラの位置を調整している。レンズの先にはヨウジとレイナが座って待機していた。
ヨウジがRuna-PROに所属して以降、「ザドキエル」は専属ギタリストの彼を加えた2人体制の音楽ユニットとなった。今回の配信は、そのことを正式に発表するための特別企画であった。
「・・・よし、ヨウジくん、ザドキエルちゃん・・・行くよ」
カメラのセットを終えた八須賀は、ヨウジの右隣に座る。撮影風景としてはカラフルな柄の座椅子やクッションが並べられた床の上で、今回の目玉であるヨウジを真ん中に据え、その左にレイナが、右に八須賀が座る格好となっていた。
『ハチスガTVチャンネル! 毎度お馴染みRuna-PRO所属のハチスガでェす!』
八須賀が時間を確認しながら収録開始のボタンを押すと、その3秒後に生配信がスタートする。八須賀はキメポーズを取りながら、視聴者たちに向かって挨拶をした。
『はい、今回はコラボ企画です! ウチの事務所の人気筆頭! あのザドキエルから重大発表〜! イェーイ!』
八須賀は拍手をしながら場を盛り上げていく。レイナも彼に合わせて笑顔で拍手をしているが、こういう場に慣れないヨウジは引き攣り笑いを浮かべるしかなかった。
『さて・・・ゲストはそのザドキエルちゃんと・・・ええっと、君誰ですか?』
事前に決めた台本通り、唐突な訪問者という設定で、八須賀がヨウジに自己紹介を促す。
『工藤・・・ヨウジ、です』
ヨウジはつっかえながら少々無愛想な挨拶をしてしまう。
『はいっ! というわけでもう1人のゲスト、工藤ヨウジくんです! さてザドちゃん、この子を今日連れてきた理由を聞いても良いかい?』
八須賀は早速、レイナに重大発表を告知するように促す。事前告知の効果も相まって、視聴者数はすでにこのチャンネルの過去最高記録をマークしていた。
『実はコイツ、この間、日暮里で偶然、10年ぶりくらいに再会した幼馴染なの! そして私もびっくり! プロ顔負けのギタリストなんですよ! 実は4月の『ジャパン・ミュージックフェスティバル』で、当日の交通事故で急遽来れなくなったギターさんの代わりに出て貰っていたんです!』
レイナは少し興奮した口調でヨウジを紹介する。それと同時に、視聴者のコメントが目まぐるしい速さで更新されていく。
“10年ぶりの幼馴染って、マジ?”
“映像見返したら・・・マジだわ”
“だからいつもの高嶺さんじゃなかったんだね〜”
“前にちょっとバズってなかった?”
憧れの歌姫から突然一般人の男を紹介され、視聴者たちは一様に困惑している様だった。そしてレイナは、そんな困惑を一気に吹き飛ばすサプライズを口にする。
『・・・で、これから『ザドキエル』は、専属ギタリストであるヨウジとのユニットになります!』
“えぇ!!?”
“は!?”
“男女ユニットってこと?”
孤高の歌姫、閉塞した時代に生きる人々に、その奇跡の歌声で安らぎを与える救世主、白色の大天使、そんなキャッチフレーズを持つザドキエルが、突然幼馴染の一般人とユニットを組むと言い出した。視聴者は悲喜交々のコメントを残している。
『えー、突然のことでファンの皆さんからはいろいろな声があるとは思いますが、その『ジャパン・ミュージックフェスティバル』の映像を見てみましょうか』
八須賀は映像を切り替え、4月に行われた「ジャパン・ミュージックフェスティバル」の編集映像を流す。主役として映し出されるレイナの横に、ちらほらと映り込むヨウジの姿があった。
『この時、高嶺さんが事故で来れないことが直前に分かって、セトリを数十分で仕上げてくれたんだよね』
『えぇー!? すごいね! それまで練習なし?』
『えぇ、まあ。3曲中1曲は初見でしたし、実際は間違って上手く誤魔化してるところもまぁまぁあるんですが』
『でもそれで合わせられるもんなんだー』
フェスのことを話しているうちに、ヨウジの緊張も徐々に解けていき、普通に会話できるようになっていた。
『・・・で、例のアンコール事件だね』
『はい、私もバックバンドのみんなも驚いちゃって・・・あの時、ヨウジが助けてくれなかったらどうなってたか』
話はネット上でも非常に話題となったアンコール事件へと移る。最終的には良い結果となったものの、Runa-PROから公式にアンコール禁止令が出される事態となった。
『結局は、公式ファンサイト以外の掲示板で呼びかけがあったらしいね』
『そうなんです。さすがにびっくりしましたね』
その後の調査で、不特定多数が参加する匿名掲示板に建てられた1本のスレッドが、事の発端になっていたことが判明した。レイナ自身が追求を望まなかったこともあり、スレッドを立てた人物を特定することはできなかった。
『・・・で、この曲を歌ったと。200年以上前のJ-POPなんてよく弾けるね』
『はい、20世紀末から21世紀初頭の邦楽が好きなんです。AIが出てくる前の時代の邦楽はやっぱり完成度が違う。著作権が切れていることも大きいですね』
ヨウジは2世紀も前の楽曲を好む理由を説明する。この時代、全くAIに頼らない創作活動を行うクリエイターは、存在しない訳ではないがほとんどいない。
『なるほど、ヨウジくんはあまりAIが好きではないと』
『いえ、別にそういう訳ではないですが、AIが発達する前の音楽に興味があるだけです』
「ジャパン・ミュージックフェスティバル」の舞台裏についてのトークが進む。そして編集映像は終わり、配信映像は再び八須賀のスタジオに戻った。
『・・・いやー、すごいね! ヨウジくん! とても直前に合わせたとは思えないおちつき振りじゃない!』
八須賀はヨウジの演奏技術を褒め称える。コメント欄も概ね彼の技術を好意的に捉えている意見が大勢を占めていた。中には“ヤラセ”や“AI”、“エア演奏”を疑うような穿ったコメントも流れるが、3人は気に留めずに話を進める。
『いえ、まだまだです』
ヨウジは謙遜の言葉を伝える。
『・・・あ、そういえば! ザドちゃんからもう1つ、お知らせがあるんだよね?』
八須賀は台本の流れ通りに、話題を切り替えてレイナに話を振る。
『そうなんです! 実は私、ちょっとだけ銀幕デビューしちゃいました!』
レイナは映画「秩父自警団」に特別出演を果たしたことを公表した。画面の右上に映画のキービジュアルと3ヶ月後の公開日が表示されている。
『・・・』
あれだけ渋っていた映画出演を、ビジネススマイルとは言え嬉々とした表情で告知する幼馴染を見て、ヨウジは思わず苦笑いを浮かべてしまう。
『役柄はネタバレになるから言えませんが、セリフ付きで出演してます! みんな、是非見にきてね!』
レイナは映画の宣伝を終え、カメラに向かって頭を下げる。八須賀が時間を見ると、ちょうど1時間ほど経過していた。
『・・・えー、あっと言う間ですが、そろそろお時間となりました! 今日の視聴者は最大101万人! 見逃した人はアーカイブ配信もあるから是非見てね!』
八須賀は締めに入る。ヨウジとレイナは改めてカメラへ向き直した。
『みんな、ありがとう! 新生『ザドキエル』をよろしくお願いします!』
『よろしくお願いします』
2人は視聴者に向かって手を振る。八須賀はカメラを止め、世界中の視聴者たちが見ているディスプレイには、「ご視聴ありがとうございました」の文章が書かれた規定のサムネイルが表示された。
「・・・ふぅ〜」
「いやー、お疲れ様! よかったよ!」
通信が切れたことを確認し、ヨウジは大きなため息をついた。八須賀は初の生配信を乗り越えた彼を褒める。
「ありがとう! 八須賀さん!」
「いや、俺も楽しかった。ありがとう」
レイナはコラボ企画に応じてくれた八須賀に感謝の言葉を伝えた。
「それにしても・・・10年ぶりに出会った幼馴染同士のユニットか。もしかして、もう付き合ってるの?」
「!!」
八須賀はヨウジの顔をまじまじと見つめ、率直な疑問を提示する。レイナはその瞬間、茹蛸の様に真っ赤になった。
「・・・いえ、俺とレイナはそういう関係ではありません」
彼女とは対照的に、ヨウジは冷静に八須賀の疑問を否定する。あまりにも淡々としていたため、レイナは少しだけ不機嫌になってしまう。
「そうなんだ、お似合いだと思ったけどね」
「!!」
だが、八須賀のその言葉を聞いた途端、レイナは再びご機嫌になっていた。
その後、2人は八須賀のスタジオを後にする。生配信を終えた後の空は、すっかり夜空になっていた。彼のマンションの正面には、ザドキエルのマネージャーを勤める璃が、車を止めて待機していた。2人は彼女が用意した車に乗り込み、家路に着く。
22世紀の地球においては、自動車は完全自動運転が当たり前となっていた。だが、連合による攻撃でGPSを構築する人工衛星やインフラが悉く破壊されたことで、自動運転技術は21世紀前半の「運転支援」へ後退していた。故に人々は23世紀という時代において、自らハンドルを握る手動主体での運転を余儀無くされている。
マネージャーの璃が運転する車の後部座席で、ヨウジとレイナは隣合って座っていた。煌びやかな電飾の光が、2人の顔を照らしている。
「ねぇ、ヨウジ・・・」
「?」
レイナは窓の外を見つめながら、隣に座るヨウジに話しかける。その表情はいつになく真剣な雰囲気を漂わせていた。
「・・・芸能界は“嘘”と“虚栄”の世界、それは20世紀から変わらないものなの。人を疑うことを知らないアンタは、人一倍気をつける必要がある」
「・・・分かった」
レイナが伝えたのは、芸能界の新参者であるヨウジへの、先輩としての忠告だった。ヨウジはこくりと頷く。
その後、車は一旦港区内のRuna-PRO事務所にてレイナを降ろし、続いてヨウジたちの滞在するホステルがある新宿区新大久保へ向かう。
「・・・」
そして車内はヨウジと璃の2人になる。出会って2ヶ月以上経つが、2人はまともに会話したことがなく、しばしの沈黙が流れる。だが、車が渋滞に引っかかった時、沈黙に耐え切れなくなったヨウジが口を開いた。
「・・・改めて、よろしくお願いしますね。大丹波さん」
「・・・」
ヨウジは1歳年上の璃に改めて挨拶をする。Runa-PRO所属のタレントとなった以上、今後は密に連絡を取り合うことになると考えたからだ。
だが、璃はヨウジの問いかけに答えない。顔を俯け、肩をワナワナと震わせ始める。
「・・・? 大丹波さん?」
「・・・こんなの、寝取られじゃないですかぁ!!」
その直後、璃は感情を昂らせ、今まで溜まっていた鬱憤と心の叫びを吐露した。ヨウジは彼女の言葉と今までの態度から、その心情を瞬時に悟る。
「寝取られと来たか」
ヨウジは思わず間抜けな言葉を発してしまった。そして璃はハンドルを握ったまま、ザドキエルへの憧れと、ヨウジへの複雑な感情を吐露する。
「私はレイナさんが顔出しするずっと前からザドキエルの大ファンで、ダメ元で送った職員募集がまさか通って、そしてマネージャーになれるなんて本当に夢なんじゃないかって心地で・・・毎日が薔薇色だったのに・・・!! ・・・のに!!」
大丹波璃、18歳である彼女はある日Runa-PROの求人案内を見つけ、高校の卒業がまだだったのにも関わらず、卒業式前に応募してしまった。
そして無資格・無経験の小娘だったのにも関わらず、何と他の多くのライバルを蹴落として採用されてしまったのである。
「まぁ、レイナのことを好いてくれてるのは分かりました」
「ほら! その言い方も! まるで何年も前から深い仲だったみたいに! 若干18歳にして高卒を覚悟したほどの推しに、ぽっと出の男が現れてイチャツキを見せつけられるガチ恋ファンの気持ちがわかりますか!?」
「いや、実際レイナとの付き合いは多分俺の方が古いけど・・・」
璃は溜まりに溜まった鬱憤をぶちまける。ヨウジは悪意なく煽りになる様な言葉を吐いてしまう。
「・・・〜っ! 見ててください! ザドキエルへの愛は負けません!」
璃はまるで宣戦布告の様なセリフをぶつける。ヨウジは苦笑いを浮かべる。
様々な反応と意見が飛び交う中、この日、新生「ザドキエル」がスタートしたのであった。




