終わりの始まり
宇宙漂流連合軍の攻撃は北アメリカだけではなく、南アメリカ、ヨーロッパ、アジア、アフリカ、オセアニア・・・6大州の各地に点在する全ての大都市に及んだ。
それは日本も例外ではなかった。先の「月の戦い」によって奇襲攻撃を受けた東京は、新たな攻撃を受ける。前回の奇襲とは段違いの容赦ない破壊の雨が、東京に振り下ろされた。
23区は赤く燃え上がり、皇居の堀の水はその炎を赤く反射する。創業187年を迎えた東京スカイツリーは折れ曲がり、千代田区の官庁舎群は完全に倒壊した。
皇国軍も地対空攻撃や空軍機による迎撃を図るが、敵の前では全く意味を成さない。その凄惨な様相はまさしく22世紀末に蘇った「東京大空襲」であった。
それは東京だけではなく、横浜、大阪、名古屋、福岡・・・日本の工業と経済を支える名だたる大都市も同様の被害を受けていた。人々は逃げ惑い、泣き叫び、そして空を覆う悪魔たちを目の当たりにして恐れ慄く。
破壊神の行軍は地球各地で繰り広げられ、それはまるで地球を焼き尽くすかの様であった。
〜〜〜
エッジワース・カイパーベルト 冥王星 海中
連合母艦の攻撃を受けて冥王星の海中に没した扶桑は、まだ死んではいなかった。気を失っていた艦長の芝蔵大佐は医務室へと運ばれていた。
「・・・ここは?」
「あ、まだ動いては・・・」
看護師が無理に起きあがろうとする芝蔵大佐を静止する。周囲を見渡すと、奔走する医師や医療スタッフ、自分と同様に病床へ横たえられた負傷兵たちの姿があった。
「・・・艦長」
航海長の遠藤中佐が声をかける。艦長が横たわる病床の周りには、彼を含めた幹部たちの他、女王府総裁のロトリーや日本政府の代理人である庭月野、戦闘機部隊の隊長である東郷の姿もあった。彼らは皆、艦長が目を覚ますのを待っていたのだ。
「・・・状況は?」
芝蔵大佐は現状について問いかける。船務長の菅原中佐が口を開く。
「幸いにも・・・『ライ・アルマ』が盾となったことで、致命的なダメージはありません。現在、緊急修復作業中ですが、それが終わればすぐにでも出撃できます。ですが・・・」
完全に終わったわけではない。扶桑はまだ走り出す力を残している。だが、すでに事態は最悪な状況に陥っていた。
「扶桑単独では、もはや母艦に近づくことすら出来ません。それに・・・地球への攻撃開始にはもう間に合いません」
菅原中佐は声を震わせる。ついに地球への攻撃開始が開始されるタイムリミットを過ぎてしまった。これから先はどんなに頑張っても、地球への攻撃を防ぐことはできない。さらに、母艦に近づく術もない。まさに絶体絶命の状況であった。
「・・・」
この状況を打破する術など思いつかない。しかし、時間もない。集まっていた者たちは皆口を閉じてしまう。
「もはや、これまでか・・・」
機関長の松田優亮中佐は思わず諦めの発言をしてしまう。だが、他の皆もそれを咎めることが出来ない。
陰鬱な雰囲気が漂う中、医務室の自動ドアが開く音が聞こえた。そちらへ視線を向けると、1人の麗しい女性が立っていた。
「・・・1つ、提案があります」
「!」
その女性、亜里亜・ヴェファーナ=大道寺は靴音を立てながら医務室へ入ってくる。彼女は火星から乗船した民間志願兵の代表者を務めており、さらに“火星最強の魔女”として、扶桑の幹部たちもその存在を認知していた。
亜里亜は芝蔵大佐が横たわるベッドの前で立ち止まり、その場に集まっていた者たちの顔を見渡すと、いつもの柔和な雰囲気とは異なる神妙な顔つきで口を開いた。
「・・・突然の来訪となり失礼、ですが急を要することなので、“火星志願兵の代表”として直接馳せ参じました。母艦へ行く方法をお探しではないか、と」
「・・・何!?」
亜里亜の言葉を聞いて、幹部たちは目を見開く。
「まさか・・・何か策があるのか!?」
“火星最強の魔女”、彼女であれば想像を超える魔法の力で何か奇跡を起こしてくれるのではないか、芝蔵大佐をはじめとして、その場にいた者たちはそんな淡い期待を抱いていた。
「・・・いいえ、私ではありません。彼女からの申し出なのです」
亜里亜は首を横に降ると、扉の向こうに控えていた“真打”に登場するように促す。そして15歳の幼さが残る少女が、医務室へ足を踏み入れた。
「・・・あ!」
ロトリーは思わず声を出してしまう。連合の民であるロトリーにとって、亜里亜が女王の命の恩人であるならば、“彼女”は女王の命にあと一歩まで迫った仇敵であったからだ。
「・・・君は?」
船務長の菅原中佐はそんなロトリーの様子に気づかず、少女に素性を問いかける。少女は意を決して口を開いた。
「私の名前は大久保イツキ、亜里亜さんと同じく、火星からこの艦に乗った民間志願兵です。そしてこれから私が話すことは、きっと貴方たちにとって信じがたい話なので、無理に信じろとは言いません。ですが、どうか最後まで聞いて欲しい」
「・・・」
亜里亜の計らいで艦長との謁見に漕ぎ着けたイツキは、自らの素性と秘められた重大な秘密を明かす。彼女と因縁があるロトリーも余計な口出しはせず、彼女が真実を語るのを待っていた。
「私は『ハッピーチャーム族』という亜人種の末裔です。その能力は『幸運の操作』・・・他人の幸運を吸い取ったり、他者へ幸運を押し付けることができます」
「・・・つまり、どういうことだ?」
芝蔵大佐はイツキが言わんとしていることを計りかねていた。イツキは説明を続ける。
「つまり、私の能力の実態は極小範囲での『因果律の書き換え』・・・あらゆる偶然の積み重ねが、この艦を襲う凶弾を全て無効化する。私が必ず、この艦を連合の母艦へ届けます」
「・・・そんなことが、本当にできるのか?」
芝蔵大佐はようやくイツキの言葉の真意を悟る。彼女は自身の能力で扶桑を究極の“幸運状態”とし、連合の母艦まで導こうと考えていたのだ。
「もちろん私の能力はノーリスクではありません。過剰な幸運の消費は、私を生物にとっての“最大の不幸”へと導きます」
「最大の不幸・・・」
しかし芝蔵大佐の懸念通り、その力には相応の対価があった。イツキはサッと視線を逸らして深呼吸をすると、改めて皆の方へ向き直って口を開く。
「はい、私は多分死にます」
「!!」
イツキはさらっとした口調で、自身の死を布告する。彼女の言葉を聞いた者たちは、事情を知っている亜里亜を除き、驚愕の表情を浮かべた。
「でも、いいんです。汚い孤児だった私が、地球を救う力になれるのなら。牧師さんの人生を守れるのなら、それでいいんです」
そんな彼らを他所に、イツキは自らの死を受け入れる発言を続ける。彼女は地球を救うため、何より、最愛の肉親である角一郎を守るため、自分一人の命を捧げるつもりでいたのだ。
「・・・他の方法があるはずだ、他の方法を考えよう」
「・・・」
船務長の菅原中佐はイツキの自己犠牲を止めようと説得を試みる。その内心には、イツキの言葉を信じきれない心情もあった。そして何かに縋る様に、魔女である亜里亜に視線を向けた。だが、彼女は目を閉じると首を左右に振る。
「・・・無い、無いと思います。むしろ、あの母艦へ確実に到達したければ、彼女の命に賭けるしかない。彼女の力は、本物です」
「・・・!」
しかし、亜里亜の宣告は非情なものであった。幹部たちは再び言葉を失う。続けてイツキが再び口を開いた。
「本当は、最初の突撃で私の力を使えば良かった・・・。でも、使えなかった。こんな状況になって、本当に命を落とさなければならなくなってから覚悟が決まるなんて、情けない話ですよね」
イツキも命が惜しく無いわけではない。それ故に、千載一遇のチャンスを逃す失態を犯してしまった。だがその変えられない事実と目の前に差し迫った地球人類の危機を思い返し、ついに命を捨てる覚悟を決めたのだ。
その後、皇国軍の通信員が扶桑のコンピューターに保存されている亜人種に関するデータベースを照合し、イツキが称する「ハッピーチャーム族」という種族が実在すること、2世代前の日系火星移民にその血を引く女性が居たこと、さらにその女性には娘、すなわちイツキの母親であるイヨがいることが明らかになる。
イツキは無戸籍児であったため、祖母・実母との間に血縁関係の記録は存在しない。だが、彼女が語る記憶と物品的証拠から、イツキが火星に移住したハッピーチャーム族の“孫”であることが事実であると断定された。
第1艦橋
応急処置を受けた芝蔵大佐は、航海長の遠藤中佐と共に第1艦橋へ戻って来ていた。他の幹部たちもそれぞれの持ち場に戻っている。
扶桑は未だ冥王星の海中に没しており、第1艦橋の窓の外には海が見えた。地球の海とは異なり、一切の生命が存在しない死の世界である。
「・・・本当に、良いんだな?」
「はい」
芝蔵大佐はそばに立っていたイツキに念押しするが、彼女の決意は揺らがない。操縦士の松岡はいつもの飄々とした雰囲気は鳴りを顰め、少し悲痛な表情で操縦桿を握っていた。
イツキは緊張を少しでも和らげようと深呼吸をする。亜里亜は彼女の両肩に手を置いて、そっと耳打ちする。
「本当のラストチャンスよ。母艦に辿り着くまで、貴方の命が保つことを願ってる・・・」
「・・・うん」
イツキは小さく頷いた。直後、艦が再び動き出す。
『主機、再始動!』
『メインエンジンへ動力伝達!』
『エンジン点火! 急速浮上!』
エンジンに再び火が灯り、その瞬間、扶桑は一気に加速し水面へと急浮上する。イツキは両手のひらを合わせて祈りのポーズをとる。すると彼女の体を金色のオーラが包み込んだ。
「『幸運の導き』!・・・『扶桑』よ、まっすぐ進め!」
幸運の力に押し上げられ、扶桑は冥王星の海から飛び出し、一直線に母艦へ舵をとる。その動きはたちまち敵のレーダーに捉えられ、第5艦隊の軍艦の群れが一斉に主砲を扶桑へ向けた。
「・・・!!」
無数の粒子ビームが扶桑に向かって放たれる。航海員の1人は死を予感してたまらず目を閉じてしまった。だが、敵の火器管制AIは突如として原因不明の誤作動を起こし、幾重もの粒子ビームは扶桑に当たることなく、虚空の彼方へ消えて行った。
「・・・すごい! 本当に当たらない!」
航海長の遠藤中佐は思わず声を上げる。扶桑は一切の回避行動をしていないにもかかわらず、敵の攻撃は扶桑に掠めることなく、勝手に外れていく。そして扶桑はあっという間に、母艦の目前に迫った。
「まもなく、バリアに衝突した領域です!」
「残存の主砲、および副砲より砲撃用意! 弾種は中性粒子ビーム!」
「各種砲塔にエネルギー伝達! 発射準備完了!」
「・・・発射!!」
砲雷長である伊東中佐の命令を受けて、砲術士が発射ボタンを押し込んだ。直後、強力な粒子ビームが亜光速の速さで母艦に向かって放たれる。そして、母艦を覆うバリアに直撃し、一部分のみだがその壁を破壊することに成功した。
「・・・よっしゃあ!!」
船務長の菅原中佐は年甲斐もなくガッツポーズで歓喜をあらわにする。後はその中に向かって突入するだけだ。
だが、敵の本丸まで目前に迫ったところで、先に限界が来てしまったのは此方だった。
「・・・カハッ!! ゲホッ、ゲホッ!!」
「!!?」
イツキは突如として口と鼻から血を吹き出す。それだけでなく、皮膚に浮き出た血管からも出血し、立っていることすらままならなくなる。
「・・・イツキ!!」
亜里亜は咄嗟に彼女の体を抱える。彼女の腕の中で、イツキの脳裏には白骨死体と化した自分のビジョンが浮かび上がっていた。
(・・・しぬのが、こわい)
一度は死を受け入れた筈だった。だが、イツキの心には死への恐怖が芽生えていた。幸運の力を象徴する金色のオーラは、見る見るうちに小さくなっていく。
「亜里亜さ、ん・・・ごめん、私!」
「・・・!」
イツキは死を恐れてしまったことを詫びようと、必死に謝罪の言葉を口にする。彼女の意思を悟った亜里亜は、人差し指を彼女の唇に当てて、これ以上口を開くなという意思を込めたアイコンタクトを送った。
「・・・早く医務室へ!!」
「は、はい!!」
亜里亜はその場にいた航海員へ、イツキを医務室へ運ぶように指示した。その迫力ある剣幕を耳にして、航海員は思わず身を竦ませる。
同時に幸運の力を失った扶桑は、敵の攻撃に晒される様になる。1隻の戦闘艦が放った粒子ビームが扶桑の艦底に直撃した。
「第3艦橋大破!」
艦底に位置する予備艦橋、第3艦橋が吹き飛ばされた。凄まじい衝撃が第1艦橋まで到達する。
「どうやら、幸運もここまでか・・・!」
航海長の遠藤中佐は諦めの発言を溢す。第1艦橋は絶望感に包まれる。だが1人だけ、まだ希望を捨てていない者がいた。
「・・・いや、15歳の女の子が命を投げ捨ててでもここまで連れてきてくれたんだ! あとは俺たちが何とかする番だ!」
「!!」
操縦士である松岡は諦めていなかった。彼は操縦桿を強く握り直し、眼前に広がる無数の敵影を睨みつける。
「レーダー員!! 敵の攻撃の予兆を見逃すな! 航海班、意地見せろよ!!」
「・・・了解!」
松岡は第1艦橋に檄を飛ばす。航海班の兵士たちの気迫が変わった。
「前方から高エネルギー反応!」
「・・・っ! とりかーじ!!」
扶桑のマルチレーダーが敵艦の攻撃の予兆を察知する。松岡が操縦桿を傾けたその瞬間、強力な粒子ビームが扶桑の外壁を掠めた。
「・・・ああ、今のは危なかった!」
「うるせぇ、黙ってろ! 教習所じゃねぇんだよ! 気が散るだろうが!」
航海長の遠藤中佐は息が止まる心地だった。松岡は興奮のあまり、上官と部下という本来の立場を忘れて暴言を飛ばした。
「そこ、そこがバリアの裂け目だ」
「黙ってろって言っただろ!」
「ああ、わかった。わかったよ、ごめん!」
だが遠藤中佐も、そんな民間志願兵の狼藉を気にする余裕もなく、修復されつつある侵入口、すなわち母艦のバリアの裂け目を指さして松岡を急かした。
「もっと早く、もっと飛ばせよ、スピードあげろ!」
その間にも、敵の軍艦や戦闘機から、無数の攻撃が飛来する。松岡は神がかり的な操縦センスで致命的な直撃を躱し、何とか母艦に迫っていく。
「行け行け行け行け行け」
「うおおおおっ!!」
松岡は断末魔の如き雄叫びを上げながら、バリアの裂け目へ飛び込んだ。見えない防護壁に引っかかった一部構造物が、破片となって飛び散っていく。
「全砲門! 母艦の外壁に向けて斉射!!」
その瞬間、砲雷長である伊東中佐の命令を受けて、扶桑の主砲・副砲から幾筋もの粒子ビームが放たれた。それらは宇宙漂流連合母艦の外壁、その一点に集中砲火を浴びせ、堅牢な壁に孔を穿つ。
「・・・突入!!」
そして満身創痍となった扶桑は、その孔の中へ躊躇なく突っ込んでいく。およそ50億キロメートルの人類史上最も遠い旅路の末に、飛行戦艦「扶桑」はついに敵の本陣へと到達したのだった。