最後の希望
2199年7月22日 早朝 日本皇国 首都東京都千代田区 首相公邸 大ホール
今回の「アルテミス・月軌道上の戦い」にて、地球は宇宙漂流連合艦隊の侵攻を辛うじて退けた。だが、その実態は勝利と称するにはほど遠く、相手にとっては「旗艦の不運な沈没」というイレギュラーが生じたが故の一時撤退であり、何日もしない内に再び侵攻してくることは自明であった。
そしてさらに、地球にも敵の攻撃が加えられた。連合より「太陽系の首都」と見做された東京、そして関東地方の各都市が空襲を受けてしまった。被害は甚大で、中央省庁や国会議事堂などの政府機関、さらに数多の軍事施設が攻撃を受け、その機能を失ってしまった。周辺地域に居住していた民間人、軍人をはじめとして、閣僚や高級官僚、国会議員なども多数死傷し、日本政府は大混乱に陥っている。
そして今、政府の主要施設で数少ない無傷の施設である「首相公邸」に「対策本部」が設置された。さらに崩壊した統合幕僚監部に代わって「大本営」も併設されることとなった。
対策本部と大本営が設置された公邸1階の大ホールには、唐木田首相をはじめとして生き残った閣僚たち、そして官僚や幕僚たちが集まっている。本来であれば、総理主催の晩餐や式典が行われる空間であるそこには、無機質な長机とモニター、通信機が並べられていた。
「月の戦いで、国連宇宙軍・・・いや、我々人類が持ち得る宇宙戦力はそのほとんどが壊滅してしまいました。残存するのは5隻の宇宙戦闘艦と7機の宇宙戦闘機、そして・・・『扶桑』のみです・・・」
空襲で絶命した国防大臣、統合幕僚長に代わり、宇宙幕僚長である宮藤平八郎中将が国連宇宙軍の被害状況を伝える。
「皇室の御動座が間に合っていたのは、不幸中の幸いか・・・」
首相の唐木田はぽつりと呟いた。
地球への先行攻撃によって東京、福生、入間、百里、厚木などの都市が空襲被害を受けた。皇居も爆破によって飛散した破片が落下しており、被害を受けている。しかし皇室はすでに「つくば市」へ退避済であり、皇居はもぬけの殻となっていた。
「残存の首都機能についても、疎開作業を急いでおります。生存した議員や最高裁裁判官には、すでにつくばへの移動を要請しております。そして我々も然る後に同地へ移動し、つくば市を臨時首都として定め、今後の事態に当たることになります」
国土交通大臣の香山が今後の動きについて説明する。奇襲を受けた東京に代わり、首都機能を短期間で他都市に移す極秘の非常時マニュアルが発動していた。それは20世紀中頃から存在していたものであり、首都東京が深刻な襲撃を受けた時、「つくば市」に首都機能を移転するというものであった。
「国連は・・・どの様な結論を?」
「まだ結論は出ていない様ですが・・・安保理は講和に動くことでほぼ固まりつつある様です」
外務大臣の猪野が、国連日本政府代表部からの報告を伝える。連合との戦いが始まって以降、国連安全保障理事会は連日開催されていた。その経過はリアルタイムで日本の外務省へ伝えられている。
「・・・それしか、手は最早あるまいか」
「国連宇宙軍が壊滅した以上、これ以上の抵抗は現実的とは言えませんが・・・」
首相の唐木田に続けて、防衛副大臣の有村が口を開く。謂れもない濡れ衣とは言え、地球の敗北は目に見えていた。ここから先は、理不尽な相手との交渉に臨むしか、手は無いかと思われた。
「・・・それについてですが、1つだけ方法があります」
すでに戦意を失っている首脳陣に一石を投じようと、宇宙幕僚長の宮藤中将が手を上げる。時同じくして大ホールの天井に、緊急事態を伝えるホログラムディスプレイが出現した。それは国連日本政府代表部からの緊急連絡であった。
『こちらワシントン、日本政府代表部! 宇宙漂流連合が新たな声明を発表しました!』
「・・・!」
宇宙漂流連合から地球人類への新たな声明、それが事実上の降伏勧告であり、最後通牒であることは想像に難くない。
その場に集まっていた首脳たちは、日本政府代表部からの知らせに、固唾を吞んで耳を傾けていた。
〜〜〜
同じ頃 アメリカ合衆国 首都ワシントンD.C 国際連邦本部
15カ国の代表が集まって行われる「国際連邦安全保障理事会」は、降伏か抗戦がで紛糾を極めていた。それはこの会議中に宇宙漂流連合が提示した新たな声明が原因であった。
「宇宙漂流連合は・・・『地球』を明け渡す様に要求してきました」
スイス連邦の代表であり、議長を務めるケヴィン・オメラギッチは額に冷や汗を滲ませている。つい先ほど、宇宙漂流連合から届けられた声明文とは以下の通りであった。
“我々が望むものは連合全住民がチキュウへ居住することである。あくまでチキュウがすでに人口飽和状態というのならば、チキュウ人がチキュウを明け渡せ。その他に我々が攻撃を止める道はない。例外はない。チキュウ時間36時間以内に決断されたし”
「これはあんまりではないか!? 我々が地球を出ていけと!?」
フィンランド代表の男は憤慨の声を上げる。
「しかし、現実としてこれ以上、抵抗の術など・・・最早我々に残された道は降伏しかないのではないか?」
「濡れ衣で奇襲を仕掛けてきた異星人に降るというのか!?」
「だが、これ以上の抵抗は地球全土がトウキョウの様な攻撃を受けることになるぞ!」
理事会は紛糾を極めている。当初は何方かと言えば降伏・講和を支持する主張が優勢となっていたが、連合の新たな要求によって、抗戦を主張する声が盛り返しつつあった。そんな中、途中退席していた日本政府代表の園田イズミが帰って来た。
参加者たちの視線が一斉に彼女へ向けられる。園田は自分の席に座ると、自身に注目する各国の代表者たちに向かって言葉を発した。
「確かに、今の地球に宇宙戦争を戦う力はありません、『扶桑』を除いて・・・! 彼の船はその身に攻撃を受けながらも、先の戦いで31隻の敵艦を沈めました。『扶桑』は・・・地球人類の最後の希望です」
「・・・!」
国連の認可を受けないまま、天皇の勅令によって出撃した「扶桑」、その事実はすでに世界各国が知るところとなっているが、敵艦隊を一時撤退させた戦果により、曖昧のまま不問となっている。
その事柄に敢えて日本が触れたことを、各国の代表者たちは驚いていた。
「それにまだ手がないわけではありません。連合の女王が健在であることは、皆様の知るところであり、陛下の御身は未だ我が国にあります。連合女王の無事を連合の民衆に知らしめ、陛下が連合の頂点に返り咲くことができれば、理不尽な侵攻は止まります」
園田は言葉を続ける。各国の代表者たちはざわつき始める。
「しかしミス・ソノダ、一体どうやって女王を返り咲かせるというのだ?」
「こちらからの通信はシャットアウトされている・・・。女王の無事を知らせる手立てなど・・・」
「・・・まさか!?」
参加者の1人、イングランド=ウェールズ代表の男が、園田が言わんとしていることを悟る。園田はニヤリと笑い、日本政府が急遽として編み出した計画の内容を伝える。
「行くしかありません! ・・・『エッジワース・カイパーベルト』へ! 日本政府は女王と共に、『扶桑』をエッジワース・カイパーベルトへ派遣することを決定しました!」
「エッジワース・カイパーベルト」・・・地球から約50億キロメートル離れた、小天体が密集した太陽系の果ての領域である。かつて第9惑星に数えられた「冥王星」も、この領域を公転している。
当然ながら、この22世紀末という時代であっても、未だ人類が到達したことのない領域である。そんな未知の領域に遠征できる船など、28世紀のオーパーツである「扶桑」しか有り得なかった。
「しかし・・・無謀すぎる! もし途中で敵に遭遇したらどうなる!?」
「それに今の状況で地球から扶桑を遠ざけるなど・・・! あなたの言う通り、今の地球には扶桑の他、彼らに抵抗する手段がない!」
単騎で未知の領域に遠征するなど、リスクしかない無謀な賭けであった。独断で“人類の切り札”を無謀な賭けに出撃させる決断をした日本政府に、非難の声が浴びせられる。
「・・・我々は決断しました。それに我が国の切り札は扶桑だけではありません」
すでに計画は動き出している。最早、日本政府はカイパーベルト遠征を止めるつもりはなかった。日本国内ではカイパーベルト遠征に向けて、すでに各所が様々に動き出していた。
〜〜〜
同日夕方 東京都23区内 某所
ここは東京都内にあるタワーマンションの1室である。一定以上の高所得者のみが住まうことを許されたその部屋に、6人の母子が住んでいた。
1人の母親と5人の歳の離れた子供たち・・・少し訳ありの様に見えるその家庭には、ある重大な秘密が隠されていた。
「日本政府からの指令だよ、母さん・・・」
長男はため息をつきながら、日本政府より出動命令が下されたことを母親に伝える。彼が視線を向けるソファの上には、母親と姉である長女が座っていた。
「全く・・・“吸血鬼”使いが荒いんだから! ねえママ。私、行きたくないわ。めんどくさい」
長女は頬を膨らませ、不満げな声を上げながら母親に抱きつく。母親は慈愛の笑みを浮かべながら長女の頭を撫でる。
「あら・・・わがままを言ってはダメよ、桃真」
「そうだよ、姉さん。地球の命運がかかってるんだから」
母親に次いで、弟である長男も彼女を嗜める。
「私も人類はどうでも良いけど・・・私たちの地球が余所者に好き勝手されるのは、癪に障るじゃない?」
母親は気まぐれの娘を慣れた様子で宥める。リビングには彼女たちの他に、3人の子供たちが遊んでいた。
「ママ、だめだよ。そんなこと言っちゃ! なんだかんだ、人間にはお世話になってるんだから。ねぇ、漣」
中学生くらいの見た目をした次女が、母親、そして弟である次男に視線を向ける。
「俺は週刊少年ジャンプが読めなくなるのが嫌なだけだ」
次男はそっけない様子でそう言うと、日頃愛読している週刊少年誌に視線を向ける。
「ユリカたち、宇宙に行けるの!? やったー!!」
末っ子の三女が無邪気な笑みではしゃぐ。彼女たちの瞳は窓から差し込む夕陽の様に赤く染まっていた。
彼女たちは日本で唯一無二の存在、異世界テラルスで最強と謳われた種族「吸血鬼族」の一家である。日本政府は「扶桑」と共にカイパーベルトへ旅立つメンバーとして、最強種族である彼女たちに白羽の矢を立てたのである。
かくして、前代未聞も作戦「エッジワース・カイパーベルト遠征計画」が始動したのである。
・・・
最強種族「吸血鬼族」
母 プランヴィ=ツェペーシュ(夜水雫)
長女 月神桃真
長男 月神葵
次女 愛川真純
次男 久遠漣
三女 駒込ユリカ




