新たなる事件
警視庁 取り調べ室
警視庁へと出頭した公ヶ崎は、取り調べ室にて刑事たちから取り調べを受けていた。マジックミラーの向こう側には坂本管理官も臨席している。既に証拠が挙がっていることもあってか、公ヶ崎はデータの不正コピーと会場内への武器の持ち込みをあっさりと認めていた。
そして、公ヶ崎は今回の愚行に走った理由を問われると、鼻で笑いながらこう答えた。
「金です、金。そのデータを売れば4億の金をくれると言われてね。あいつらの武器も、俺が開会式の前日に堂々と持ち込んで隠しておいたものだ」
公ヶ崎は4億と引き替えに、朝鮮人民革命軍へ「東方電子通信」のスタッフの情報とパスカードを売り渡し、さらに会場内への武器持ち込みを手助けしたという。
「こんなこと、貴方ならすぐばれると分かっていたでしょう。何故こんな軽率なことを!」
「・・・だから金だって言ってるでしょう?」
刑事の詰問に対して、公ヶ崎は悪びれる様子すら見せない。
「まさか・・・息子さんの治療費の為に? そんなことして、あの子が喜ぶとでも!?」
公ヶ崎の家には唯人という名の子が居る。先程の「みどり大学医学部付属病院」に入院している子だ。唯人は“急性リンパ球性白血病”を患っており、入院治療中という状況だった。
この時代、骨髄移植と言っても骨髄バンクドナーからの移植に限らない治療法もあるが、当然、その治療費にはそれなりの値段がかかる。
「・・・お前があの子の何を知っている!?」
「!!」
子供のことに触れられた瞬間、それまで不遜な態度をとっていた公ヶ崎の様子ががらりと変わる。取り調べを行っていた刑事は、思わず身体をビクッとさせた。
そして一時の沈黙が流れた後、刑事は1つの質問をぶつける。
「因みに、その依頼主は?」
刑事は公ヶ崎に話を持ちかけた黒幕の名を問いかけた。公ヶ崎は刑事の目を真っ直ぐ見つめると、ゆっくりと口を開く。
「朝鮮民国大使館参事官、チャン・ワンテクだ・・・」
「!!?」
裏切りの警部・公ヶ崎の口から衝撃の事実が語られた。
・・・
みどり大学医学部付属病院 とある場所
その日の夜、公ヶ崎が身柄を確保された大学病院に不審な動きをする2つの人影があった。場所は監視カメラの死角となる植え込み樹林の中、人影の一方はもう1つの人影から、拙い歩き方で逃げ惑っている。
「ま、待ってくれ! 俺は脅されて仕方無くやったんだ! 頼む、助けてくれ! 金なら払う! 元々、お前には関係無い話だろう! ・・・なぁ!?」
男はとうとう追い詰められ、逃げられないことを悟ると命乞いを始めた。右足にはギプスが巻かれている。この男の名は古屋壇司、公ヶ崎が身柄を確保された時、車いすに乗って看護師に怒鳴り散らしていた男であった。
「あの興梠から金を貰ったことは分かっている。俺たちは親友だ。あいつがお前を許せない様に、俺もお前を許せない・・・!」
もう1人の人影は、樹木を背にして地面にへたりこんだ古屋を、獣の様な眼光で見下ろす。そして右腕を大きく振りかぶった。人の腕であったそれは、徐々に姿を変えて、鋭い爪を持った巨大な獣の腕へと変化する。
「悪運強く助かりやがって・・・! だが、お前が夜な夜な煙草を吸いに此処へ来るのは知っていた。わざわざ監視カメラの死角に来てくれるとは、お陰で退院まで待つ手間が省けたよ・・・! じゃあな」
「ま、待っ・・・」
獣の腕が振り下ろされる。鋭い5つの爪は涙でくしゃくしゃになった顔諸共、古屋の身体を深く切り裂いた。断末魔を上げる間も無く、大量の血が噴き出し、男だったものは地面へ倒れ込んだ。
〜〜〜
11月5日 警視庁 捜査第4課7係 オフィス
翌日の朝、4課7係のオフィスに拾圓たちが集まっている。ホワイトボードの前に女性刑事の弐条梨里が立っていた。彼女の前には係長である拾圓が座っていた。今、彼は部下である弐条から「魔法」に関するレクチャーを受けていた。
「『魔法』とは、テラルスの血を引く者たちの体内に宿る『魔力』を、詠唱や魔法道具などの種々の触媒によって、異なる事象や物質に“変換”させることを言います。魔法を使える者はテラルスの血を引く者のみ、ですが・・・その数は年々増加しています」
『魔力』とは、本来地球には存在しなかったエネルギーであり、異世界「テラルス」に転移していた日本が、地球へ帰還する際に持って帰ってきたものだ。如何なる事象・物質に変換が可能だという“有用性”において、魔力に勝るエネルギーはこの宇宙に存在しないとされている。
魔力はテラルス出身の人間・亜人、または獣、及びそれらの血を引く者に例外なく宿る。そして魔力保有者は世代を重ねるごとに着実に数を増やしている。そしてハーフやクオーターだからといって、保有する魔力の強さが半分や四分の一になるわけでは無いということも判明しているのである。
「問題は・・・警察や政府の手に余る亜人が、この国に紛れ込んでいることです。地球への帰還から60年、政府はそういった亜人・魔術師の情報を必死に収集しました。ですが、未だ全数の把握は出来ていないと聞きます」
日本国内には未知の脅威がうごめいている。それは全く未知数な混沌の闇そのものである。その闇に対する第一線の組織として設立されたのが、この「捜査第4課」なのだ。
「・・・成る程」
多くが既知の知識ではあったものの、拾圓は弐条の話に興味深く耳を傾けていた。その時、オフィスの扉を乱暴に開く音が響く。
「!?」
刑事たちが視線を向けた先には、軽く息を切らした六谷の姿があった。
「係長! 興梠釀苑氏と似た傷を負った男性の遺体が、都内の病院で発見されました!」
「!」
六谷は捜査1課から伝えられた一報を知らせる。それは明らかに“第2の被害者”と思しき存在が現れたことの知らせだった。
飛び込んで来た六谷は、スクリーン操作用のノートPCにメモリーカードを挿入する。4課7係の刑事たちは、画面の前に集まって捜査1課から届けられた資料に目を通す。
画面には最初に、被害者の遺体の写真が映し出された。
「・・・い!?」
「・・・っ!」
それはほとんど身体が引き裂かれた凄惨な遺体だった。弐条と九辺は顔をしかめて短い悲鳴を上げる。
「被害者は古屋壇司、51歳。東方電子通信の取材部に所属していた男です」
「東方電子通信・・・って」
拾圓はその社名に聞き覚えがあった。
「はい、例の万博テロ事件で、犯行グループが成り代わっていたのが東方電子通信でした。今回の被害者を含む14名のクルーが、犯人たちによって拘束され、トイレに監禁されていました」
「じゃああの時、多村さんが助けた連中の1人だった訳か。折角助かったのに、運がないというか何というか・・・」
穂積が呟く。テロが起こる直前、万博会場の一画にある男子トイレに放置されていた「東方電子通信」のクルーを、多村が率いる警護班が助け出した。その直後、会場の各地で爆発が起こり、クルーが監禁されていたトイレも爆発した。恐らくは口封じの為に殺すつもりだったのだろう。
「・・・あの時、多村さんが助けなければ死ぬ筈だった男が、興梠氏と同じ傷を負って死んだ。一体何なんだこれは・・・?」
万博テロに関連して、次々と不穏な事態が起こる。拾圓は少し動揺してしまっていた。本来、あの場で死ぬ筈だった人物が殺害された。それは拾圓に興梠氏を殺害した犯人とテロ組織との関わりを感じさせる。
思案を巡らせる拾圓に、六谷が追加の報告を告げる。
「それと・・・『朝鮮人民革命軍』の構成員より得た証言から、彼らの日本国内における潜伏場所を特定しました。場所は千葉県浦安市舞浜のテーマパーク跡地、今は捜査員と鑑識が捜索を行っています。あと・・・」
六谷は顔を俯ける。その様子から、良く無い知らせであることは容易に想像出来た。
「『都市統合捜査支援センター』より・・・。防犯カメラに記録されていた、興梠氏殺害の容疑者ですが・・・映像の追跡に失敗したそうです」
・・・
警視庁 万博襲撃事件特別合同捜査本部
同じ頃、捜査本部は公ヶ崎から得た新たな情報を受けて、慌ただしく動き始めていた。朝鮮民国の大使館が、テロ組織の手引きをした可能性が明確に示されたからだ。
「公ヶ崎警部は朝鮮民国大使館参事官、チャン・ワンテク氏より、データ売却の依頼をされたと証言しました。これは早急に外務省へ通達すべき事実です!」
取り調べをした刑事が声を荒げ、本部長の坂本管理官に詰め寄っている。しかし坂本の返事は歯切れが悪いものだった。
「大使館は治外法権の場・・・出頭の要請なら出来るが、我々が踏み込める場所じゃない。向こうの政府も認める訳が無い。そもそも、公ヶ崎が虚偽の証言をしている可能性もある。それは分かっているな」
「はい、それは分かっています。ですが、大使館がテロ組織の手引きをした可能性がある以上、放置しておく訳には・・・!」
刑事は食い下がる。だが、坂本としては、まだ物的証拠が何も無い段階で、先走った真似をする訳にはいかなかったのだ。
「外務省への通達はいずれする。だが・・・まずは物証を収集すべきだ。公ヶ崎とチャン・ワンテクが接触した事実を早急に確認するんだ。『都市統合捜査支援センター』にも連絡を!」
「はい!」
管理官の指示を受けて、刑事たちが部屋から退出していく。その後、公ヶ崎の証言から判明したチャン氏との接触場所を捜査したところ、監視カメラからあっさりとその事実が明らかになったのである。
・・・
みどり大学医学部付属病院
捜査本部がテロ事件の裏付けを進めている一方で、4課7係は興梠氏・古屋氏殺害事件の捜査を進めていた。そして今、拾圓と多村の2人は第2の事件の現場となったみどり大学医学部付属病院を訪れていた。
彼らの応接を担当するのは、病院の事務長である中戸千丹という男だ。彼は規制線が張られた殺害現場、未だ鑑識ドローンがわちゃわちゃとうごめいている中庭で、拾圓に説明をしている。
「病院という施設、すなわちプライバシーへの配慮という観点から、外部からの侵入に対しては万全の対策を期していますが、こうして内部で色々されると、どうも・・・なんですよね」
事件後、当然ながら、病院中の監視カメラが調べられた。しかし、それに映っていたのは、隠し持っていた煙草を抱えて、中庭に向かう被害者と、当直の医師・看護師、巡回する警備員だけであった。
「今、外部からの侵入には万全だと言いましたよね? 念のためお訊きしますが、病院職員に亜人族は?」
拾圓は内部犯の可能性を思い浮かべていた。その思惑を悟った中戸は、少し怪訝な表情を浮かべる。
「・・・居ないことはありませんが」
「名簿を見せて貰えますか?」
「はい・・・分かりました」
中戸は会釈をすると、拾圓の前から小走りで走り去って行く。捜査の手は病院の内部にも向けられることとなった。
およそ10分後、中戸が名簿を持って戻って来た。多村はテーブルの上に置かれたそれを手に取り、中身を確認する。
「確かに・・・受け取りました。精査が済み次第お返しします」
多村は名簿を鞄の中に仕舞う。拾圓は中戸に向かって頭を下げた。
「御協力、感謝申し上げます。あ・・・そう言えば、もう1つだけお訊きしたいことがあるのですが・・・」
「はい、何でしょう?」
拾圓は人差し指を立てながら、追加の質問を口にする。
「此方の病院に公ヶ崎警部のお子さんが入院されていると聞いたのですが・・・」
「ああ、はい。病気が発覚してもう数ヶ月にはなると思いますが、お父様の武市さんは足繁くこの病院に通っていたと聞きます。まさかあんな事になるなんて・・・」
公ヶ崎が病棟で刑事たちに連れて行かれた一件は、すでに噂の風に乗って病院内を駆け巡っていた。故に中戸の耳にも入っていたのである。本庁の警部という立場にありながら、病気の我が子を気遣い、足繁く面会に通う彼の姿は、病棟でも評判となっていた。
「息子さんの治療はそんなに難渋しているのですか?」
「・・・ええ、主治医の狗寺先生も苦慮されていて。ドナーは見つからないとかで・・・iPS細胞による自家移植を考慮している様です。ですが、ドナーの話が過ぎてから、武市さんも何処か辛そうで・・・」
「・・・?」
その後、拾圓と多村は名簿を持って病院を後にする。
・・・
その日の夜、日本全国に衝撃的なニュースが駆け回った。それは大使館職員が万博を襲ったテロ組織と結託し、彼らを日本国内へ招き入れたというものだった。
ネット上ではさまざまな憶測が交錯し、世論は大きなざわめきを見せている。渋谷区にある街灯テレビには、キャスターがそのニュースを読み上げている。
『日本政府は朝鮮民国大使館のチャン・ワンテク参事官に対して、万博爆破テロ事件の実行犯である国際テロ組織『朝鮮人民革命軍』の入国、及び武器の密輸入を手引きした疑いがあるとし、同大使館に対して出頭を求めました。武器・爆薬については外交行嚢を用いたと見られています。
朝鮮民国政府は日本政府の声明に対して、これを事実無根とし、『自らの失態を、捏造証拠で他国に責任転嫁しようとする厚顔無恥な行い』だと非難、外務省からの出頭要請を拒否しました』
坂本管理官の予想通り、彼の国の政府がテロ組織の手引きを認めることは無かった。
『この朝鮮民国の対応に関して、洛奥時帆内閣官房長官は、特命全権大使を含む全大使館職員に対して、『ペルソナ・ノン・グラータ』の発動を行う可能性を示唆。これが発動されれば、両国は事実上の国交断絶状態となると考えられます』
ペルソナ・ノン・グラータとは、外交官待遇の同意取り消しのことだ。事実上の追放勧告である。これが発動され、相手国が該当人物の本国への召還を行わなかった場合、その者の外交特権は失効する。
日本が朝鮮民国大使館の全職員にこれを発動すれば、朝鮮民国も対抗措置として同じことをしてくるだろう。さすれば、互いの国に外交職員が居ない状態、即ち国交断絶の状態に陥ることになる。
日本国内の世論は、この政府対応を支持する動きが優勢となっていた。