大脱出
2199年4月20日 火星 北大洋の海岸 第3の都市 セレーノ・アクア
セレーノ・アクアの中心地にある市警本部の敷地内に、逮捕された未決犯罪者を一時的に勾留する拘置所がある。普段であれば誰も見向きもしない殺風景な建物だが、今はある理由で数多の民衆が門の前に押しかけていた。
「火星の英雄を解放しろ!」
「警察はエイリアンに媚を売るな!」
「地球人類の志士、イツキをすぐに釈放しろーっ!!」
民衆はプラカードや横断幕を掲げ、現在ここに拘置中である“1人の少女”の釈放を求めていた。数多の火星居留民の仇である連合女王の喉元まで迫った大久保イツキ、彼女を英雄と讃える人々が、その身柄を解放するように訴えている。現地警察だけでなく、国連軍兵士までもが出動し、デモを行う人々に向かって睨みを利かせていた。
その喧騒は拘置所の中まで聞こえている。無機質な独房に留置中であるイツキは、無意な表情で鉄格子の向こうから響く声に耳を傾けていた。
「凄まじい人気だな、・・・英雄様」
「それはどうも、それよりも・・・持ってきてくれた?」
勾留中のイツキは鉄格子の外に立つ刑務官に手を差し出した。刑務官は配膳口から1冊の本を差し入れる。
「はいよ、これだろ?」
イツキが所望したものは「新約聖書」であった。イツキは嬉しそうに聖書を手に取る。
「随分と信心深いんだな」
「信心深いも何も・・・私は教会の副牧師」
イツキはそういうと無垢な少女の様に笑い、聖書を手に取って読み始める。差し入れ品を手渡した刑務官は、小さいため息をついてその場を後にしようとした。
その直前、イツキは刑務官の男を呼び止める。
「ねぇ? もう1つ、お願い聞いて貰っても・・・いい?」
「・・・?」
刑務官が振り返ると、そこには娼婦の様な笑みで紙タバコを咥えたイツキがいた。いつの間にかどうにか持ち込んだものの様だ。イツキはタバコの先を鉄格子の外へ突き出し、点火するように求めていた。
「・・・! 国連宇宙共通法規で、18歳未満の喫煙は禁止されている! それは没収させてもらうからな!」
刑務官は声を荒げながら、イツキの持つタバコに手を伸ばそうとする。その瞬間、イツキの右手の人差し指が刑務官の手に触れた。
(・・・海で拘束された時、そして身体検査を受けた時、少しずつ・・・運気は溜まってきた。あと1人、幸運を奪ってしまえば・・・!)
「・・・『幸運の奪取』」
イツキは悪魔のような笑みを浮かべる。その瞬間、刑務官の運命が変わった。彼の体に得も言われぬ悪寒が走る。
「・・・う、うわあああ!」
刑務官の体に激痛が走る。イツキは倒れ込む彼を見下ろすと、しゃがみ込んで鉄格子の隙間から細腕を伸ばし、刑務官の腰に取り付けられた電子キーを手に取る。
「・・・ごめんね」
イツキは刑務官に謝罪の言葉を口にしながら、電子キーを鉄格子に取り付けられたカードリーダーにタッチする。直後、ピーッと解錠を知らせる電子音が鳴り響き、イツキを捕らえていた檻が開いた。
「・・・さて、ここからどうするか」
拘置所内部には、当然ながら多くの職員と監視カメラが存在する。自分が動けばまもなく、事態を察知した刑務官や警備員たちが集まってくるだろう。
「・・・ん?」
イツキは思案に余る。だが、時同じくして拘置所の外で大騒ぎが起こっていた。彼女は外から微かに聞こえる物音に耳を傾けた。
イツキの釈放を訴えるデモ隊、その背後から1台の改造ハイラックスが迫ってきた。荷台から顔を出す男は拡声器を使って、デモ隊やそれらを抑える現地警察に警告文を発した。
『今から10秒後に拘置所の門を吹き飛ばす! 死にたくなければとっとと道を開けろォ!! 10! 9! 8! ・・・』
「!!???」
デモ隊は一瞬で鎮まり返り、声のした方へ振り返る。そこにはハイラックスの荷台に立ち、旧世紀のロケットランチャー・RPG-7を抱えた牧師の姿があった。
「な、何だありゃあ!?」
「に、逃げろーっ!」
ただならぬ雰囲気を察知した民衆は、蜘蛛の子を散らすようにプラカードを投げ捨て、逃げていく。警察も突然の事態に戸惑うばかりであり、何を一番に対処すべきか見失ってしまう。
『5! 4! 3! 2! 1! ・・・発射ァッ!!』
「う、うわあぁ!」
カウントダウンが終わった瞬間、警官たちは情けない声を上げながら逃げ出した。その直後、予告通りにロケットランチャーが発射される。拘置所の敷地を市街地を隔てていた門が吹き飛び、ハイラックスはその瓦礫と立ち込める黒煙の中へ突っ込んでいく。
『不審車に告ぐ! 直ちに停車しなさい!』
緊急のアナウンスが暴走するハイラックスに停車を促す。さらには武装した警官や刑務官たちが、拘置所の中から続々と飛び出してきた。
だが、牧師の男は容赦なく2発目のRPG-7を取り出し、生身の彼らにそれを容赦なく向ける。
「ウチの子を・・・かえせ!! ・・・発射アッ!!」
「・・・いっ!? に、逃げろオォ!!」
修羅と化した牧師の希薄とロケットランチャーへの恐怖におされて、公僕たちは一目散に逃げ出していく。直後、放たれたロケットランチャーは拘置所の正面玄関を外壁ごと見事に吹き飛ばした。
「・・・ゲホッ、ケホッ! ・・・? あれは!?」
その黒煙の中に、独房から脱出したイツキの姿があった。彼女の目はハイラックスの荷台に立つ養父の姿を捉える。
「・・・ぼ、牧師さん!?」
ハイラックスの爆音と逃げ惑う公僕たちの叫び声が轟く中、イツキは必死にRPG-7を携えた養父・柏角一郎のことを呼んだ。
そしてその声は彼の耳へと届く。角一郎は娘の声を聞きつけると、RPG-7の抜け殻を投げ捨て、運転席の天井をガンガン叩き、運転手にイツキの下へ車を走らせるように指示した。
「・・・イツキ! 今すぐ逃げるぞ!」
「牧師さん! ・・・生きてたんだ!」
ハイラックスがイツキの目の前に停車する。彼女は健在の姿で現れた養父を目の当たりにして、目尻に涙を浮かべるが、事を急ぐ角一郎は感動に浸る余韻もないまま、イツキの体を抱き上げて、半ば無理やりに荷台へ乗せる。
「話は後だ! すぐに車を出せ! 権八!」
「あいよ! 組長!」
権八と呼ばれた男は生き生きとした表情でアクセルペダルを踏み込む。膨大な土煙をたなびかせながら、脱獄者を乗せたハイラックスは街中へと消えて行った。
・・・
セレーノ・アクア カジノ街
2人を乗せたハイラックスは行政機関が集中する中心街から離れ、セレーノ・アクア、陸の観光地であるカジノ街にたどり着く。
助手席に座る角一郎は、運転手である権八に指示を出しながら、少し怪しげな一画へと車を誘導する。
「いや〜、まさか組長から連絡を貰うとは! 自分、驚きましたよ!」
「びっくりしたのは俺だ、まさか真っ当に働いているとはな」
「俺のこと見くびりすぎじゃないッスか!? これでも妻子持ちなんですからね!」
角一郎と権八は数年ぶりに会う知り合いの様だ。後部座席に座るイツキは無言のまま、2人の会話に耳を傾けていた。角一郎の話し口調も、普段彼女が知っているそれとは異なり、まるでヤクザ者の様だった。
そしてイツキは、権八が繰り返し発する「組長」という単語が引っかかっていたが、この場でそれを追求する気にはなれなかった。
程なくして、ハイラックスは“とあるバー”の前で停まる。角一郎とイツキはその場で下車した。角一郎は今回の救出劇に協力してくれた元部下、現在は軍放出品店に勤めている加藤権八にお礼の言葉を告げた。拘置所を吹き飛ばしたRPGも、彼が用意したものであった。
「じゃあ俺はこれで・・・またいつでも頼ってくださいよ、組長!」
権八はそういうと、さわやかな笑顔で走り去っていく。ハイラックスを見送った角一郎は、どこか呆然としているイツキに話しかける。
「・・・無事でよかった、イツキ。ニュースを見て驚いたよ、どうしてあんな無茶を・・・!?」
角一郎は膝を折って目線を下げ、心からホッとした様な表情でイツキに話しかける。いつもの牧師としての顔をしている角一郎がそこにはいた。だが、イツキの脳裏にはロケットランチャーを抱えた修羅と化した、彼の凶悪な表情が焼きついて離れない。
「あの・・・私、水龍で、牧師さんが死んだと思ってて・・・」
イツキはやっとの思いで言葉を紡ぎ出す。だが、心ここに在らずといった感じであった。
「私もだよ・・・君が死んだと思っていた。だから、君が女王を暗殺しかけたというニュースを聞いて、水龍から飛んで来たんだよ」
角一郎はセレーノ・アクアを訪れていた経緯を説明する。そんな会話をしているうちに、2人は目の前にあるバーの中に入って行った。
バーの内部は子綺麗に整頓されていたが、客は1人もいなかった。カウンター席の奥に、店主と思われる腰エプロン姿の男がいた。品物のウォッカを煽り、酔っ払っている様であった。
その時、カランカランと、来店を知らせるドアベルの音が鳴る。
「悪いが・・・今は店仕舞いだ」
「そう言うなよ、ゲン」
店主の男は日本語を口にする。そして彼も、角一郎にとって旧知の人物であった。名を呼ばれた男は目を見開いて、角一郎へ視線を向けた。
「・・・あ、あんたは!? 組長!?」
「組長はよせよ。それより頼みごとがあるんだ。・・・ホラ」
角一郎は自身の背後にいるイツキに、前へ出る様に促した。イツキはオドオドしながらも、彼の前に出る。直後、ゲンと呼ばれた店主の顔はさらなる驚愕の表情へ変化した。
「は・・・イヨ!? まさか、そんな・・・!?」
「あの、母の名をご存知で?」
イツキも驚きの表情を浮かべる。男が自身の母親の名前を呼んだからだ。
「・・・母? そうか、そうだよな・・・イヨの娘さんか、あの子、娘がいたんだなぁ」
店主の男はどこか寂しそうな、それでいて嬉しそうな表情へと変わる。完全に酔いが覚めた男は、自らの素性をイツキに語り始める。
「俺は日村ゲン、イヨは・・・古い仲間だ」
「母の・・・仲間?」
「そうだ、あれは・・・もう17年も前か・・・」
日村は過去の記憶、若かりし日々の記憶を思い出す。イツキは生唾を吞み込み、初めて知る母親の過去に耳を傾ける。角一郎は近くにあった椅子に座り、日村が語り出すのを見つめていた。
「俺がイヨ・・・お嬢ちゃんのお袋さんと出会ったのは17年前、それ以前のあいつの過去は俺も知らねェ。ブラックジャックで荒稼ぎし過ぎて、違法カジノから出禁を言い渡されていたイヨに、俺が声を掛けたんだ」
「・・・違法カジノ」
17年前の水龍、ほぼ全域が無法地帯であるその都市の、さらに闇が深まる一画で、若かりし頃の日村、そしてイツキの母親である幸神イヨは出会った。
「・・・どういうわけか、アイツは途轍もない幸運の持ち主だった。俺はアイツの幸運を目当てに近づいたんだ。一緒に荒稼ぎしようぜってよ」
17年前、共通の目的で日村と手を組んだイヨは、彼の手引きで違法カジノを渡り歩き、その豪運で数々の賭場を潰していく。そして豪運の女として闇社会に名前を広げていった。
そんな折、当時水龍で頭角を現していた新進気鋭のマフィア、「柏組」の賭場で、イヨは運命的な出会いを果たす。
「・・・その時だよな、組長。俺があんたとイヨを引き合わせたのは」
「・・・ああ」
日村に話をふられた角一郎は、咄嗟に視線を逸らしてしまう。日村は1つの疑問を彼にぶつける。
「1つ気になるんだが、このお嬢ちゃんは・・・イヨと組長の」
「その話は後でいい。それよりも・・・俺がここへ来たのは、お前に頼みたいことがあるからだ」
「あ・・・ああ、そうだったな。で・・・頼み事っていうのは?」
角一郎は不自然な形で話題を変えてしまう。日村もそれ以上、過去を語ることをやめてしまった。イツキは恨みを込めた視線を角一郎へ向けるが、彼はそれを気にすることなく、頼み事の内容を伝える。
「この街を出る準備が整うまで、この子を預かってて欲しい。礼は後でする」
「預かる・・・? それは、かまわねェが・・・」
「恩に切る・・・じゃあ、また」
角一郎は呆気ない挨拶でバーを後にしようとする。その直前、イツキは咄嗟に彼を呼び止めた。
「・・・牧師さん!」
その声で、角一郎は歩みを止める。背後へ振り返ると、そこには1つの覚悟を決めたイツキが立っていた。イツキは様々な感情が入り混じった震え声で話し始める。
「あの・・・牧師さん、わざと日村さんの話、遮ったよね? 私の母親に関係する話、正直気になるけれど・・・牧師さんが話せるようになるまで、待ってるから」
「・・・!」
イツキは今まで全くの無関係だと思っていた、自身の母親と角一郎の過去について、この場では追求しないと宣言する。それを聞いた角一郎は、どこかホッとした様な表情を浮かべていた。
「それに・・・私も、牧師さんに言っていない秘密があります。母がカジノで荒稼ぎできた理由もそこにある・・・。私たちは・・・『ハッピーチャーム族』と呼ばれる、亜人種の中でもまた異質な特殊能力を持つ種族なんです」
「・・・亜人種だって!?」
角一郎、そして日村は衝撃を受ける。イツキは生まれて初めて、自分が人間ではないことを他者に明かしたのだ。
「私たちの能力は『幸運の操作』・・・言い換えれば、極小範囲での物理的な因果律の書き換え。他者から運気を吸い取って自分の幸運へ変えたり、他者へ幸運を押し付けることもできるの」
ハッピーチャーム族・・・「幸運」を操る能力を持つ亜人種であり、テラルスに住まう多種多様な亜人種の中でも、一際扱いづらい種族とされている。
幸運を操る力とは、すなわち極小範囲での「因果律の書き換え」であり、能力を発動するごとに他者の運命に大きな影響を与える可能性がある。故に、能力を多用しないことが種族間での不文律である。また「魔法」は能力が作用する因果律のさらに外側にある概念であるため、彼女たちの能力で干渉できない。よって他者の魔法・魔術が最大の弱点なのだ。
「最強の力じゃないか、億万長者だって夢じゃない!」
日村は興奮してしまう。幸運を操る力など、万人が喉から手が出るほど欲する能力だろう。だが、イツキは首を振り、彼が抱いた期待を静かに否定した。
「本当に最強な力なら、母はあんな若さで死んでいません。幸運を使いすぎれば、それ相応の不幸が自分たちに還ってくる。生物にとって最大の不幸は『死』・・・分かるでしょう?」
「・・・ぐ、すまない・・・無神経な発言だったな」
イツキは母親の過去を聞き、その死が種族の背負う呪いによるものだと考えていた。日村は軽はずみな発言を謝罪する。
「・・・そう、だったのか」
角一郎は口元を手で覆い、ショックを隠せない様子であった。
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セレーノ・アクア郊外 国連宇宙軍火星派遣部隊 リファーダー・ケインズ基地
その頃、セレーノ・アクア郊外に位置する国連宇宙軍基地では、1人の男が地球へ送る映像メールを収録していた。
彼の名前は東郷俊亨。日本皇国宇宙軍のパイロットである彼は、国連宇宙軍に出向中の身で、現在は国連宇宙軍月面基地へ派遣されていた。そして火星襲撃事件の後、国連使節団が地球から派遣される際、その護衛役として月から火星へ同行していたのである。
東郷は兵士宿舎の自室で、腕時計型端末による録画を始める。遠く離れた地球・日本で暮らす息子へ向けて、メッセージを告げた。
「久しぶりだな、大輝。実はまだ内緒なんだが・・・次の任務で地球へ帰れることになったんだ。1ヶ月以上先の話だと思うけど、お前たちにまた会えるかも知れない。何とか時間を作るように上と交渉してみるよ。
母さんは元気か? 単身赴任が続いて大分苦労をかけて、すまないと伝えてくれないか。また会える日を楽しみにしているよ。じゃあな」
およそ30秒の動画を撮影した東郷は、それをメールで地球へと配信する。惑星間メールは太陽系の各地点に設置された中継衛星を介して、地球へと届けられるのだった。
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地球 日本皇国 首都東京 外務省
その頃、地球でも新たな動きがあった。連合女王が天皇との会見を希望したことで、女王府使節団を接遇することとなった日本政府は、各省庁にその準備を進めるように通達している。
そしてここ外務省では、数人の若手官僚が集められ、ある指令が通達されていた。その中には庭月野天明の姿もある。
「君たちには・・・来たる連合女王の来日に先立ち、火星のセレーノ・アクアにて行われる我が国と宇宙漂流連合との事前協議・・・それに参加するメンバーに加わってもらう」
上司の男が彼らを招集した理由について説明をする。彼らには実際に女王が日本を訪れる時に備え、綿密なすり合わせや相手方を歓待するに当たっての文化の相違など、本番の会合をつつがなく進行させるための前準備を行うという任務が課せられたのだ。
宇宙と地球の橋渡しとなる大役に抜擢され、外務官僚たちは冷や汗を流す。
「・・・謹んで、お受けいたします!」
庭月野は元気よく答えた。
1ヶ月後、地球と連合との駆け引きは新たなステージへと移っていく。




