混沌の日本皇国
11月2日 東京都千代田区 首相官邸
政府発表が行われた翌日、そして事件発生から2日後、会見が行われた首相官邸の首相執務室に数名の閣僚が集まっていた。
「全く・・・既に開会式まで行っていた万博を、事此処に至って中止に出来る訳が無い」
内閣総理大臣の橋田悠真は午前中に国会で行われた答弁を思い返し、大きなため息をついた。彼は”再発防止策が十分とは言えないまま、万博を再開させること”の是非について、野党から再三追及され、嫌気が差していたのである。
「全くです。21世紀最後の万博と銘打って、今までどれほどの金を掛けたと思っているのか。開催できなければ大赤字ですよ」
万国博覧会担当大臣を勤める名波恵が言葉を続ける。
「しかし、この一件はやはり我が国にとっては大ダメージですな。この『日本皇国』は世界で唯一、”完全な法治国家”たる体制を維持している。故に国民はこの国だけは世界で唯一安全なんだという意識でいましたからね。その中で、厳しい警備体制が敷かれていた万博の開会式でテロが起こったとなると・・・」
「治安と安全に対する不安感は確実に募る。そしてその不信感はイコール政府への不信に繋がります」
名波に続いて、国家公安委員長の長谷川朝春が口を開いた。彼の言うとおり、日本国民の間では、テロを防げなかった日本政府に対する不信感が募っていた。
「・・・例の『朝鮮人民革命軍』と名乗る集団についてですが、こうして正面から堂々と我が国の秘匿技術の開示を求めたとなると、どうもキナ臭さを感じますね」
外務大臣の峰松次郎は頬杖をつきながら口を開く。
テロリストたちが開示を要求した”核融合技術”と”宇宙開発技術”、これらは60年前に”異世界テラルス”より持ち帰った遙か未来の遺産「飛行戦艦・扶桑」に用いられていたものを、日本国内の研究機関が解析・複製し、自らの力としたものであった。
当然ながら、これらの技術は他国から垂涎の的となっており、他国の大使館から出入りする諜報員たちは情報の収奪に躍起になっていた。それをテロリストが要求したとなると、何れかの国家権力の関与を邪推せざるを得ない。
「まあ・・・それについては追々として。名波さん・・・万博の再開についてはどうなっていますか?」
首相の橋田は某国に対する直接的な言及を避けつつ、万博担当大臣の名波に問いかける。
「既に爆発によって損壊した箇所の修復作業が開始されています。最終的な確認等も含めて、開催までには2〜3週間はかかりそうですね」
名波が答えた。警察が捜査を進めている一方で、日本政府は万博再開へ向けて着実に準備を進めているのである。だが与党はその結論に納得しない野党と、激しい舌戦を繰り広げていた。
・・・
東京都中野区 東京警察病院
刑事部と合同で「万博テロ事件」の捜査を行っている公安部は、テロ組織が日本国内へ入国を果たしたルートについて調べていた。そしてこの日、拾圓の同期である瀬名静三を含め、公安部外事第2課に属する3名の刑事が、身柄を確保されたテロ組織メンバーが収容されている「東京警察病院」を訪れていた。
「・・・」
無言のまま廊下を歩く3人の公安刑事は、ある病室の扉の前に立つ。その扉の両脇には2人の警察官が立っており、現れた公安刑事たちに敬礼をした。刑事たちは敬礼を返した後、テロリストのリーダーが収容されている病室の扉の取っ手に手を掛ける。
「我々は警視庁公安部外事課だ。国際テロ組織『朝鮮人民革命軍』幹部、クォン・ジョンス。お前に事情聴取を行う」
刑事たちが見つめる先には、病床の上に臥す万博テロの首魁クォン・ジョンスの姿があった。外事第2課の5係にて係長を勤める瀬名は、治療中のジョンスを鋭い目つきで見下ろす。彼の左腕に付いている小型翻訳機が、彼の日本語を朝鮮語へ翻訳した。
「・・・」
ジョンスは目の前に現れた瀬名らの顔を一瞥すると、短い鼻息をフンと鳴らしながらそっぽを向いてしまう。瀬名たちは彼の不遜な態度に不快感を抱き、一瞬だけ眉を顰めた。
「ではまず・・・お前たちは何を目的にこの国へ来た?」
瀬名は窓の外を眺め続けるジョンスに問いかける。一見すると腕時計の様に見える翻訳機が彼の質問を朝鮮語に翻訳する。
「・・・あの場で言った通りだ。日本政府が隠匿する”技術”を我が国に供出させる為だ」
「何故?」
「決まっている。我が祖国の繁栄の為だ」
ジョンスはきっぱりと答えた。彼らは”28世紀の遺産”がもたらしたものを求めて、この国へ来たのである。
彼らの故国である「朝鮮民国」は、朝鮮戦争以降分裂していた「大韓民国」と「朝鮮民主主義人民共和国」が2027年に合併して誕生した国だ。
名目上は韓国主導の統一だったが、東亜戦争によって荒廃した朝鮮半島を救ったのは旧北朝鮮領内での資源開発事業であった。故に統一政府内では”北閥”と呼ばれる旧北朝鮮出身者の派閥が、力を持っているとされる。
さらに東亜戦争の爪痕と世界経済崩壊の影響を受け、旧韓国領の生活水準は大きく後退しており、主要都市の住民を除く大部分の国民は、貧困の中、荒れた農地で厳しい生活を余儀なくされているという。
「今、日本は生意気にも世界の雄を気取っているが、お前たちが秘匿する技術さえ得られれば、我が国は瞬く間に日本を凌駕できるのだ。そもそも今の日本の力は分不相応なものであり、核融合と重力子の技術は我が民族にこそ・・・」
「分かった分かった・・・もういい。では、次の質問だが・・・どうやってこの国に入った?」
途端に饒舌に語り出すジョンスの言葉を遮り、瀬名は最も重要な質問をする。半鎖国体制を維持する為、強固な海防網が敷かれたこの国へどうやって入国したのか、警察にとって最大の関心はそれにあった。
「・・・海を越えて来た。それだけだ」
「・・・」
ジョンスはそう言うと、口を閉ざしてしまう。その後、彼は此方の質問を一切無視し、窓の外を見つめ続けた。
瀬名はこれ以上何を言っても無駄だと悟り、部下たちを引き連れて病室を退出した。
・・・
東京 新宿区 池袋
「東京」、世界唯一の完全なる法治国家「日本皇国」の首都たるその都市には、煌びやかな摩天楼が林立し、数多の人々が行き交う。21世紀末の日本は正に爛熟の極とも言うべき繁栄を謳歌していた。全国の都市は東京を中心に、新幹線に代わったリニアモーターカーによって繋がり、駿河湾沖には地球唯一の宇宙港「東京宇宙港」がメガフロートとして建設されている。
また、自衛隊の発展的解消によって編制された「日本皇国軍」は、アメリカ合衆国との同盟解消に伴う大幅な戦力の強化と、人口減少に伴う無人化が推進され、非常に強固な軍隊となっていた。国防の自立はオートメーション化による食糧自給体制の確立と共に、この国の半鎖国体制を維持する為の2本柱となっている。
そして日本国民は世界唯一の”平和な国”で、紛争や飢餓とは無縁の生活を過ごしている。遠回しな情報統制と思想教育、そしてインターネットの完全な管理が成されている為、国民は海外への意識は希薄で、世界と国内の間に存在する圧倒的な相違を意識することはない。
そしてこの国には治安以外に、他国とは決定的に違うものがあった。
「・・・アハハ、それでさ〜」
「ウッソー!? 信じられない!」
色鮮やかな電飾看板が目映い夜の池袋の街を若い男女が行き交う。その中の1組、とある女学生の2人組に注目すると、彼女らの頭部から一対の獣耳が飛び出しているのが見える。感情の機微に従って細やかに動くそれは、カチューシャやコスプレなどの飾り物の類ではない。正真正銘、彼女自身の身体の一部としてあるものなのだ。
さらに辺りをよく見てみると、異形の身体を持つ者はこの女性だけではない。この日本皇国には「亜人族」とその血を引く者たちが居る。海外から見れば異様でしかない彼らは、この国の社会に当たり前の様に存在していた。
「見てみろ」
「飾り・・・では無いんだよな、本当にこの国は一体どうなっているんだ?」
池袋を見物している2人の外国人観光客が、街中で偶然見つけた女子高生らの姿を見てひそひそと話している。「猫人族」と「兎人族」の血を引く彼女らの頭からは、本物の獣耳が飛び出していた。テラルスから移住した亜人とその子孫は、諸外国の人々にとって畏怖と好奇の対象なのだ。
2025年から2040年までの「異界の15年間」で、特別措置として定住を許可された亜人族とその子孫は、様々な形で日本に貢献してきた。テロリストを捕獲した近衛師団兵の様に、国を守る盾として軍人になった者もいれば、長命の種族は自らが持つ遺伝情報を医療に役立てる為、細胞や血液を研究機関に提供しているという。
だが彼らとて善人ばかりでは無い。地球への帰還直後の混乱期においては、亜人による犯罪がちらほらと出現し、一般の警察官では処理しきれない事件もあった。事態を憂慮した警察庁は、亜人や魔法が絡んだ事件を担当する新たな部署を設立することを決める。「警視庁刑事部捜査第4課」はその先駆けとして誕生したのだ。
毒をもって毒を制す・・・常人を越える身体と特殊能力を持ちうる彼らに対抗する為、捜査4課には亜人族の血を引く者が多く配属されている。
「ちょっと声掛けてみようぜ・・・!」
「あ、ああ」
都市国家「香港共和国」に住まう富裕層の子息である2人は、好奇心半分・ナンパ心半分で亜人族の血を引く少女たちに近づく。女子高生らも自分たちの方へ近づく大陸からの観光客に気付いた様で、並走して歩き始めた2人の男に視線をやる。
「ねぇ、君たち・・・こんな夜になにしてるの?」
男が話す広東語は、腕時計型の翻訳機によって日本語に訳され、少女たちの耳へと伝わる。
「それ、近くの販売車で売ってたやつでしょ? それ食べるくらいなら、俺たちがもっといいもの奢ってやるよ、どう?」
もう一方の男が少女らの行く先に回り込み、彼女らの顔を見下ろした。行く手を阻まれる形になった彼女たちは、立ち止まって男らの顔を見上げる。
「・・・」
彼女らの顔には困惑や不快感の色は無く、それどころか不敵な笑みを浮かべていた。そして少女の1人がクスクスと笑いながら口を開く。
「・・・2ヶ月前の話なんだけど、調子に乗ってたチンピラ数人が、とある女子中学生に絡んでね。チンピラ連中はその後、ひどい凍傷になって死にかけているところを発見されて、意味不明な証言を繰り返したんだって」
「・・・!?」
彼女は東京都内で起こった”ある事件”について口にする。それは5人の不良が不運にも「雪女」の血を引く少女に絡み、帰宅途中の彼女に返り討ちに遭ったというものだった。
「な・・・何のことだよ」
不意に不気味な話を聞かされ、大陸の男たちは顔を引き攣らせる。
「アハハ・・・! 特に意味は無いよ、でも・・・ちょっとだけ気を付けてね、東京は何でも起こるから・・・行こ」
「うん」
見知らぬ外国人観光客を脅かして満足したのか、話をした女子高生は一緒に歩いていた友達に声を掛ける。彼女らは何事も無かったかの様に、男たちの前から立ち去って行った。
「・・・くそ、気分が悪くなっちまった」
香港人の男はそう言うと、空に向かって左脚を蹴る。その後、2人は大人しく宿泊しているホテルへと帰って行った。
2040年2月、日本国は飛行戦艦「扶桑」と亜人族の血統、そして魔法を異界から地球へ持ち帰った。亜人族の中には前述の事件を起こした「雪妖怪」の他、人智を超えた特殊能力を持つ種族も多数居り、科学という常識が通じない彼らの存在は各国政府にとって警戒の的となっているのである。
〜〜〜
11月3日 東京都千代田区 警視庁庁舎 外事第2課
拾圓の同期である準キャリア、瀬名静三警部が率いる外事第2課5係の公安刑事たちは、オフィスの会議室に集まっていた。
「先程、合同捜査本部会議にて新たな情報が確認されました。スクリーンに映します」
瀬名はノートPCを操作して、部下たちに各部署へ提示された新たな情報が何なのかを見せる。彼らが視線を向けるスクリーンには、東京23区内のある監視カメラに記録された映像が表示された。
「刑事部『都市統合捜査支援センター』が23区内の防犯カメラを解析した結果、クォン・ジョンスと思しき容姿の男を、港区の南麻布に設置されていたカメラから検出しました」
「都市統合捜査支援センター」とは「捜査支援分析センター」が発展して誕生した、警視庁刑事部の内部部局である。東京都内に設置されている全ての監視カメラが捉えた情報を一元的に収集、管理・分析し、事件捜査に有益な情報を提供することを使命としている。
被疑者の身体的特徴が分かれば、それと同等の者を全ての監視カメラの映像から検出することも出来、今回の様に顔貌まで判明している場合には、顔を出して歩いてさえいれば、ほぼ確実に該当の人物を捜し当てることが出来る。
「南麻布といえば・・・『朝鮮民国大使館』がある場所か」
5係の1人である榊原真将が口を開く。立場上は瀬名の部下だが、刑事としてのキャリアは2倍近い5係のベテランだ。
「まさか・・・大使館が手引きしたとか!?」
「流石にそこまでは・・・彼の国でもしないと思いたいですが」
榊原の推測は国家間の外交関係を揺らがせる大胆なものであった。彼の言葉を聞いて、5係の1人である那城界人は苦笑いを浮かべていた。
「今の日本は半鎖国体制を国策の基軸にしていますが、まあ・・・手立てというものは何時如何なる時代と状況でもあるものです。小型ボートや貨物船に乗り込み、無謀な日本海越えで日本列島を目指す者は未だ後を絶ちません。そしてその中の0.1%は、幸運にも監視の目に引っかからず、この国に辿り着くと言われています」
日本皇国の海上警備は、海上自衛隊が発展的解消を遂げて誕生した「日本皇国海軍」と、法改正により軍の一部門となった「海上保安庁」が合同で行っている。「鳶型フリゲート」「桜型フリゲート」と呼ばれる完全無人化フリゲートが領海・排他的経済水域を巡回しており、地上監視人工衛星とのデータリンクによって、大陸からの密入国を図る不審船を排除しているのだ。
またコンテナ船等の密航者に対しても、日本国内の港に到着する前に、「海上関門」と呼ばれる日本国の領海の各地に建設されたメガフロートにて厳しいチェックが行われる。
「例の『朝鮮人民革命軍』もそうやって紛れ込んだのかも知れません。もしくは・・・」
「・・・」
那城がそこまで言いかけたところで、瀬名は人差し指を唇の正中に置き、発言を止める様に促した。彼の意図を悟った那城はそのまま口をつぐむ。
「これ以上の討議は止めておきましょう。我々が成すべきことは奴らの侵入経路を明らかにし、協力者が居ればそれが何者であろうとも確保することです」
〜〜〜
11月4日 警視庁 捜査第4課7係 オフィス
公安と外事がテロ集団の入国経路について捜査を進める一方、捜査4課の刑事たちは興梠氏の殺人事件について新たな証拠を掴んでいた。
「『都市統合捜査支援センター』からの解析結果が届きました。あの現場となったトイレに入り、そして爆発まで出てこなかった人物・・・それが検出されました」
拾圓はそう言うと、集まっている部下たちに対して新たな捜査資料を提示する。それは興梠氏殺害事件における最重要参考人を映し出していた。
「帽子を目深に被っていて良く顔は見えないな」
穂積は目を細める。当然ながら、その人物は周りから自分の目元を隠す様な恰好をしていた。
「現在、センターはこの人物を監視カメラの映像で追跡し、素性の特定を急いでいます。ですが・・・少し時間は掛かるそうです」
重要参考人を探し当てた「都市統合捜査支援センター」は次の作業として、該当のカメラ映像を起点に、万博会場、さらには東京都内に無数に存在する監視カメラの映像を巻き戻しながら、重要参考人が何処から来たのかを辿るという作業を開始していた。
「怨恨の線で捜査を進める以上、今一度、被害者の周囲を洗い直す必要がありますね。センターの解析結果が出るまで時間がありますし、興梠氏のご子息、興梠紗門のところに行ってみましょう」
多村は血縁者への訪問を申し出る。その後、彼は六谷と共に被害者の実子である衆議院議員、興梠紗門の事務所へと向かった。
・・・
東京都調布市 興梠紗門議員事務所
事務所を訪れた多村と六谷は、2階の応接室へ案内されていた。2人は秘書が持って来た緑茶を啜りながら、興梠紗門の入室を待つ。
「やあ、お待たせしました」
扉が開く音と共に、待ち人が応接室へ入って来た。多村と六谷はすくっと立ち上がって会釈をする。その後、両者は漆塗りのテーブルを挟んで、向かい合う形でソファに座った。
「興梠紗門です。警視庁の方ですね」
「はい、警視庁捜査4課7係の多村と申します」
「同じく、六谷です」
興梠紗門、そして多村と六谷の3人は改めて自己紹介を交わした。興梠の容姿は選挙ポスターで見るのと違わない、爽やかな印象を受ける若者で、彼の纏う雰囲気は国政に直接携わる立場にありながら、奢りや傲慢さといったものを微塵も感じさせないものだった。
「・・・では、父の事件に何か進展があったということですか?」
「はい、監視カメラの解析を続け、ようやく容疑者と思しき人物の存在を確認しました。しかし、人物の特定にまでは至っていません」
多村の説明を聞いた興梠は、少しだけほっとした様な表情を浮かべていた。万博テロに紛れて父親が殺されたと聞いた時には気が気でなかったからだ。
「誰か・・・お父上に、恨みを抱いていた様な人物に心当たりはありませんか?」
「捜査1課の方にも同じことを聞かれましたが、私としては特に・・・」
興梠は首を捻りながら、実父が怨恨を買っていた可能性を否定する。彼は少し顔を俯けると、何処か含みのある表情を浮かべた。
「ま、父も私も・・・天下りした元官僚、そして政治家という、何かと大衆からの批判を浴びる立場に立っております。私たち自身に覚えがなくとも、理不尽な恨み辛みを買っているかも知れませんね」
「・・・成る程」
興梠は実父が殺害された理由が逆恨みではないかと推察する。多村はその発言に対して否定とも肯定とも言えない様な態度を取った。その後、彼は隣に座る六谷とアイコンタクトを取ると、2人同時に会釈をしながらソファから立ち上がる。
「・・・今回はお忙しい中、お時間を頂き感謝します」
「いえ、こちらこそ・・・父の命が奪われたのです。協力は惜しみません」
興梠も会釈を返しながら立ち上がった。事件の解決に繋がるのであれば、彼には協力を惜しむ道理など無い。
「そう言って頂けると、我々としても有り難い。また何か分かりましたら、すぐにご報告致しますね」
多村はそう言うと、六谷と共に部屋の外へ繋がる扉へ足を進める。興梠は立ち上がったまま、2人の客人を見送った。
そのしばらく後、興梠は自身の執務室へと足を運んでいた。彼は部屋の最奥にある机の椅子に座ると、その引き出しから1枚の紙を取り出した。
「・・・」
その紙切れは短い手書きの文章が書かれたメモであった。直後、興梠は懐から携帯電話を取り出し、何処かへ電話を掛ける。
・・・
警視庁 万博襲撃事件特別合同捜査本部
7係が興梠氏殺害の一件について捜査を進めていた頃、万博テロ事件の捜査を進めていた捜査本部では新たな動きが出ていた。本部長である坂本管理官のもとへ、新たな捜査情報が届けられたのだ。
「警視庁アーカイブへのアクセスログを洗ったところ、万博警備計画の用途不明なコピーを発見しました。また、メディアの入場に際して各報道社へ配布されていたパスカードのデータまで複製されていました」
1人の刑事がサイバー犯罪対策室から届けられた調査結果を報告する。警視庁内のコンピューターから万博警備計画の不審なコピーが行われた形跡が発見されたのだ。
「何!? ・・・アクセス者の名義は分かったのか!?」
坂本管理官は前のめりになりながらその刑事に問いかける。刑事はクリアファイルから1枚の紙を取り出した。それはある警察官のデータを顔写真付きで載せた資料だった。
「・・・公ヶ崎武市、警視庁警備部警備第1課所属の警部です」
「・・・そ、んな!?」
その男は警備部長の利能と共に、万博の警備計画策定に関わったメンバーの1人だった。もし警備計画を策定した男が、テロリストに警備計画を売っていたとしたら、それは警視庁にとって国民の信頼を大きく損なう一大不祥事となる。
「任意事情聴取の為、公ヶ崎警部のもとへ既に人員を向かわせてあります」
「そんな・・・何故、彼が・・・?」
公ヶ崎、その男は非常に評判の良い警察官であり、坂本も彼の名前は良く知っていた。それだけに坂本はショックを隠し切れない。
・・・
東京都品川区 みどり大学医学部付属病院
血液内科の病棟にある一室、そこのベッドには1人の少年が横たわっている。病室のネームボードには“公ヶ崎唯人”と書かれていた。
ベッドの脇には簡素な椅子に座る男が居る。少年の保護者である公ヶ崎武市だ。ベッドの反対側では主治医の狗寺という男が診察を行っていた。
「・・・」
狗寺は無言のまま診察を終える。その時、病棟の廊下から、此方へ近づく数名の足音が聞こえて来た。その足音は彼らが居る病室の前で止まる。そして病室の扉が開いた先には、スーツを着た数名の男が立っていた。
「公ヶ崎武市警部、貴方に・・・警視総監より出頭命令が出ています。ご同行願えますね?」
「・・・」
名を呼ばれた公ヶ崎は動揺することもなく、現れた刑事たちを黙って見つめる。
「フ・・・思ったより遅かったじゃないか」
この状況を予測していたのか、彼は諦めの混じった笑みを浮かべると、出頭命令に応じる意思を見せた。彼は無言のまま、刑事たちと共に病室を後にする。
「・・・た、公ヶ崎さん!」
医師の狗寺はさも驚いた表情で彼らの後を追い、公ヶ崎の名を呼んだ。公ヶ崎はゆっくりと振り返る。
「・・・狗寺先生、あの子を頼みます」
「・・・!」
公ヶ崎はそれだけ告げると、刑事たちと共に再び歩き出す。狗寺は不安げな表情でその後ろ姿を見つめていた。
公ヶ崎は3名の刑事たちに囲まれて病棟の廊下を歩く。その途中、何処からか怒鳴り声が聞こえて来た。
「おい、看護師! 速く来い!」
ふと声のした方を見れば、車いすに乗った患者が看護しに何やら怒鳴り散らしている。50歳代前半くらいの男だ。
「何だ、あの患者・・・」
「ああ、あの男、見た事あります。確か・・・万博でテロ組織に成り代わられた取材班の1人だった男ですよ」
「何時の時代にもああいうのが居るもんかね」
刑事たちは思い思いの感想を口にする。所謂モンスターペイシェントを目の当たりにして、彼らは苦々しい表情を浮かべていた。