地球からの使者
2199年3月21日 月面 首都・竹取 国際連邦宇宙軍 シャクルトン・竹取基地
「月」・・・地球唯一の衛星であるこの星は、人類が最初に移住した天体である。現在は地球とほぼ同一の環境と化した火星に人口を追い抜かれているが、それでもなお、地球を除く太陽系天体では第2位の10億という人口を抱えている。
78の都市が地表に点在し、地下にはそれぞれの都市をつなぐ鉄道網が張り巡らされている。繁栄する月面の首都である「竹取」は、月の南極「シャクルトンクレーター」に位置する1500万人都市であった。
クレーター内部には建造物が所狭しと並び、大都市が広がっている。火星と異なり宇宙服無しに屋外での活動は不可能であるため、人々は密閉された建造物の中で暮らしている。その閉鎖された空間の中で空気と水のリサイクルシステムが構築され、人々は地球とほぼ変わりない生活を享受しているのだ。
そして「シャクルトンクレーター」の外側に、地球外天体で最大の「国連宇宙軍基地」が存在する。「月面国際連邦宇宙軍 シャクルトン・竹取基地」、国連宇宙軍月面派遣部隊の司令部が設置されている基地である。
基地には複数の格納庫が並び、その中には宇宙戦闘機がずらりと駐機されている。また宇宙戦闘艦が離発着する港湾設備も隣接している。
その規模は太陽系に点在する国連宇宙軍基地で最大を誇るものであり、火星の水龍基地の様に日本皇国軍だけでなく、アメリカとEUの宇宙戦闘機も派遣されていた。
そして今、その格納庫にパイロットたちがずらっと整列している。彼らの視線の先には、巨大なホログラムディスプレイに映し出された月面方面派遣部隊司令、峰岡凛中将の姿があった。
『明日、国際連邦の使節団がワシントンD.Cを出発し、敵の占領下にある『火星』へ向かう。我々の任務はその使節団を乗せた宇宙航行船を火星まで無事に送り届けることである!』
地球から占領状態の火星へ「国際連邦使節団」が派遣される。世間へ「宇宙漂流連合」の存在を公表し、初めての公開会談が始まるのだ。
月面基地に駐屯する彼らには国連より、その使節団を乗せた「宇宙航行船」を護衛する任務が課せられていた。
『この太陽系は我々の世界である! 我々の世界を守るため、この交渉は何としても成功させなければならない! その橋渡しを行うためのこの任務には、太陽系の未来がかかっている! 総員、命を賭けて成功させるのだ!』
峰岡中将は闘魂を込めた演説を繰り広げる。それを聞いていたパイロットや整備兵たちは、改めて気を引き締める。
(エイリアンか・・・、まさか本当にこの目で御目に掛かれるとはな・・・)
その中に第2航空群の戦闘機パイロット、東郷俊亨中尉の姿がある。日本皇国宇宙軍より国連宇宙軍へ出向した兵士たちの1人だ。彼はまだ見ぬ地球外生命体との接触に、不安と微かな期待を抱いていた。
宇宙航行船を保有するのは、日本皇国宇宙軍、アメリカ合衆国宇宙軍、EU宇宙軍、さらには日本国有太陽系航宙などの官営組織のほか、各国政府や国連から認可を得たいくつかの民間組織のみである。
また宇宙条約の再編によって、地球以外の天体における「単一の国家」や「民間企業」による軍事活動が正式に禁止された。よって「宇宙開発機構」設立とほぼ同時期に「国際連邦宇宙軍」が編成され、宇宙における軍事活動は「国際連邦宇宙軍」のみによって行われることとなった。
国連宇宙軍は建前として、平和維持軍と同様に世界各国の宇宙軍から人員・兵装が提供され、編成されていることになっている。しかし、その実態はほとんど日本皇国宇宙軍に依存して成り立っているものであり、一般的には国連宇宙軍と日本皇国宇宙軍はほぼ同一の軍隊として認識されている。ゆえに国連宇宙軍は「帝国軍」と揶揄されることもあるのだ。
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2199年3月23日 地球 日本皇国 静岡県駿河湾沖 東京・宇宙港
22世紀初頭、民間人も利用可能な地球と宇宙を結ぶ定期航路の離発着拠点として、世界初の宇宙港が日本の領海に作られた。それがここ「東京・宇宙港」である。縦横4キロにも及ぶメガフロートであり、1日に20本近い宇宙貨客船が出入りしている。数多の乗客の他、地球から各天体へ支援物資を届け、各天体で採掘された資源を地球へ運び込んでいるのだ。
ここの他にも、アメリカ、ヨーロッパ、インド洋にも宇宙港が開港しており、数多の人々が地球と宇宙を行き交っている。しかし火星への襲撃以降は、その全てが欠便状態となっており、東京港も閑散としている。
だがこの日、国際連邦よりチャーターされた特別便が第1バースに接岸していた。ついに火星に向けて「国連使節団」が旅立とうとしていたのである。その歴史的一幕を写真に収めようと、数多の報道陣が押しかけている。
『RLVコード01091・貨客船『那由多』、出航準備完了』
『核融合エンジン、重力子阻害機構に問題なし』
出航直前の最終チェックが終わり、「那由多」と名付けられた宇宙航行船の出発準備が整う。船内の客席には高級スーツに身を纏う集団が座っており、出発の時をそわそわしながら待っていた。彼らは国際連邦によって組織された「地球使節団」である。
『・・・皆様、大変お待たせしました。当船はまもなく出航いたします。離水の際には船体が大きく揺れることがございますので、シートベルトをしっかりと着用してください』
出発を告げるアナウンスが聞こえてきた。程なくしてけたたましいエンジン駆動音が聞こえると同時に、船体がゆっくりと動き始める。
『垂直噴射開始、重力子阻害率0から10へ。20、50、70・・・!』
船底に仕込まれた特殊素材が重力子を阻害し、船にかかる重力が軽減されていく。そして「那由多」はその500メートル台の巨体に似つかわしくない軽さで、海面から飛び上がっていく。この重力子阻害技術こそが、この時代の宇宙開発を支える根幹であり、日本が長らく秘匿し続けてきた28世紀の遺産の1つである。
これによって、地球と宇宙間の離着陸にかかるコストパフォーマンスと安全性が大幅に改善され、人類の宇宙進出が一気に進んだのだ。なお、重力子を阻害する特殊素材については、未だ日本政府が海外でのライセンス生産も認可していないため、ブラックボックスとなっている。
『当船はただいま海面より離水しました。竹取にて月面国連宇宙軍と合流した後、火星・水龍へと向かいます。水龍到着予定は現地時間3月25日午前5時を予定しております・・・』
フライトルートがそれぞれのシートに設置されている画面に表示される。地球の重力から解放された宇宙貨客船「那由多」は、旅客機が飛ぶ高度を遥かに超えて、あっという間に宇宙空間へと到達する。
『人工重力が発動しました。船内を移動される際には“マグネットシューズ”を使用してください』
シートベルト着用サインが消える。アナウンスされた「人工重力」とは磁力のことだ。「扶桑」以外の宇宙航行船は船底に磁力を発生させ、乗客には専用の靴を履いてもらうことで擬似的な重力を再現しているのである。
「・・・」
使節団の代表を務める国際連邦事務総長のジュンタ・ピワランは、思い詰めた目で窓の外の宇宙を見つめていた。彼女の双肩には地球の代表者として、人類の未来が掛かっている。
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日本皇国 千葉県 つくば市 国際連邦宇宙開発機構
つくばの学術研究都市圏内に、宇宙開発事業の総本山が存在する。「国際連邦宇宙開発機構」・・・そこは、今や世界的事業となっている「宇宙開発」を一元的に統括・監督する組織だ。
宇宙移民が本格的に開始されて以降は、それら宇宙都市の行政も担当している。表向きはUNICEFやWHOと肩を並べる国際連邦の一専門機関であるが、有する権力と財力はそれら他の専門機関とは群を抜いているのである。
この歪な構造の発端は22世紀初頭、28世紀の技術を開示することを条件に、日本政府と国際連邦の間で交わされた契約によるものである。名目上、宇宙開発機構は国連の機関であり、国連の管轄下にあるが、実際には日本政府が人事権を握っており、その実態は「日本皇国宇宙開発省」の出先機関なのだ。尚且つ、宇宙移民が始まって半世紀以上が経過した今も、各地球外天体には自治が認められておらず、各天体の行政は宇宙開発機構から派遣された行政官が担っている。
よって、宇宙における行政権は全て日本政府が握っているも同然だった。人々はその実態を「太陽系帝国」と揶揄している。その太陽系帝国の本部で、1人の男が思案を巡らせている。
『・・・今の地球に『連合』へ対抗する手段があるとすれば、『扶桑』のみです。ですが、その扶桑でさえ、彼らの持つ科学力と比べれば数百年単位で劣っているのです』
宇宙開発機構の代表を務める利能は、自室にてリモート会議を行なっていた。ノートPCの画面には、開発機構に属する研究員の顔があった。
「・・・では『扶桑』でも彼らには太刀打ちできないと?」
研究員の報告を聞く利能の顔は険しい。研究員は言葉を選びながら、事実を伝える。
『・・・そうなります。万が一、彼らと全面戦争になった場合、人類には勝ち目はありません』
宇宙開発機構は密かに、宇宙漂流連合と戦争状態に陥った場合に備え、数十回に渡るシュミレーションを行なっていた。しかし、AIが出す答えはいずれも「地球の敗北」であった。
『しかし、彼らの目的は『地球』という惑星そのものです。無秩序な破壊はしない筈・・・そこに隙はあるかもしれません』
「・・・」
研究員は希望的観測を指摘する。今の彼らには、交渉がうまくまとまることを期待することしかできなかった。
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2199年3月23日 火星 首都・水龍 第7区(高級住宅街)
火星襲撃から5日後、大富豪である永見沢の邸宅に身を寄せていたイツキは、角一郎の身を案じながらも、占領軍の監視を恐れ、行動を起こせない日々が続いていた。
「・・・篤志さん、紅茶です」
「おお、すまないね」
イツキは紅茶が入ったティーカップを篤志のもとへ運ぶ。篤志はお礼を言いながら、そのティーカップを受け取った。
彼は今、自室のPCでニュースを見ていた。占領軍による報道管制が敷かれている中、ゲリラ的な報道によって、水龍の現状が克明に映し出されていた。
破壊された家屋、デモを繰り返し鎮圧される民衆・・・立ち上る無数の黒煙、宇宙開拓時代の象徴とも言うべき、地球外最大の都市「水龍」は荒れ果てている。イツキはその映像を固唾を吞んで見つめていた。
「気になるかね?」
「・・・はい」
永見沢は彼女の心を悟った。イツキは彼の問いかけに頷く。イツキは養父である角一郎のことが気がかりでならなかった。だが、敵軍がうろつく街中に出るのは危ないと、永見沢が止めていたのだ。
「だが・・・今ここを離れるのはいい機会かもしれない。先ほど、行政庁から不穏なメールが届いた。おそらくはまもなく・・・」
「・・・え?」
だが今までとは一転、永見沢は邸宅から出ていくように促した。イツキは困惑した表情を浮かべるが、その直後、玄関のチャイムが鳴り響いた。永見沢の眼前にバーチャルディスプレイがポップアップする。そこには守衛の男が映っていた。
『旦那様・・・火星行政庁と占領軍の方がお見えです』
「この場で出る。まだ入れるな」
『はい、インターホンカメラへ切り替えます』
永見沢はティーカップを机に置いた。バーチャルディスプレイが守衛の顔からインターホンのカメラへ切り替わる。
『永見沢篤志さん、火星行政庁の者です。昨日メールでお伝えしましたが、この邸宅は宇宙漂流連合火星占領軍によって接収されることが決定しました。新たな居住地は行政庁が責任を持ってご用意させて頂きます。どうか抵抗せず、穏便に邸宅を明け渡してください』
「・・・そんな!? 勝手な!」
ディスプレイには火星行政庁からの使者が映っていた。彼の言葉を聞いたイツキは、その理不尽さに憤慨する。だが永見沢自身は動揺することなく、隣に立っていたイツキに毅然とした声色で口を開いた。
「もうじき、この第7区にも敵の占領軍が来る! 君は裏口から出なさい!」
「・・・で、でも!」
「早く!」
「・・・ッ!!」
イツキは永見沢の強い言葉に気圧され、後ろ髪を引かれる思いを抱えながらも、意を決して彼の部屋を飛び出した。そして来訪者たちがいる正面玄関とは別の出入り口から外へ飛び出したのだ。
(待っててね! ・・・牧師さん!)
イツキは目尻に涙を浮かべながら、教会のある第4区へと走る。
水龍 第1区
教会がある第4区と第7区は、都市の中心地である第1区を挟んでほとんど反対側にある。
そしてその第1区の中央広場ではデモと乱闘騒ぎが絶えない状況が続いていた。
「エイリアンは去れー!」
「我々の家族を返せ!」
「この太陽系は我々人類のものだ! 宇宙人は出ていけ!」
各国の言語が書かれたプラカードを掲げ、数多の水龍市民が「火星行政庁」の前に集まっていた。今や占領軍の本拠地となっているそこには、宇宙漂流連合が運用する巨大アンドロイドが警備兵として居座っている。
『・・・催涙弾発射』
巨大アンドロイドがデモ隊に向かって催涙弾を乱射する。着弾した弾頭から数多の催涙ガスが放出され、民衆を襲った。
「うわあああ!!」
「キャアアア!!」
民衆はパニックになって散り散りになって逃げ惑う。直後、追い討ちをかけるように放水が民衆に襲いかかる。中心街は催涙ガスによって視界が奪われ、何も見えなくなっていた。そんな中でデモ隊は報復とばかりに火炎瓶や手製の手榴弾を投げ返し、数多の怪我人が出る有様となっていた。
「・・・!」
観光客向けの電動自転車を持ち出し、第4区に向かっていたイツキは、中心広場に辿り着き、そしてデモ鎮圧騒動の最中にぶつかってしまった。
(・・・どうしよう)
彼女は自転車を徐々に減速させていく。広場を迂回すると更なる遠回りになる。しかし、目の前の暴動へ考え無しに突っ込めば、命すら危ういことは明白であった。
「お母さん・・・ごめん! 今だけはこの『力』を使わせて・・・!」
悲鳴と爆発音がこだまする。イツキは首にかけたペンダントを握りしめる。そしてついに覚悟を決めて、電動自転車の速度を最大まで押し上げ、催涙ガスの霞の中で突っ込んでいく。
「・・・『幸運の導き』!」
その時、彼女の秘められた力が発動する。魔力を纏ったイツキは、一直線に暴動の中へ飛び込んで行った。逃げ惑う人々、次々と発射される催涙弾、漂う催涙ガス、飛び散る破片は、ひたすらまっすぐに進み続ける彼女に当たることなく、イツキは何事もなかったかの様に暴動の中を通り過ぎて行った。
第4区 モウリ通り
暴動の真っ只中を抜けたイツキは、ついに自宅のあるキリスト教会にたどり着いた。そして電動自転車を乗り捨て、現場へ駆けつけた彼女が見たのは、見るも無惨に踏み潰された教会の姿だった。
「・・・う、嘘。教会が・・・!」
イツキはたまらず瓦礫の山へ手を伸ばし、積み重なっている石くずや木片をどかしていく。
「・・・牧師さん! 牧師さん!」
イツキは必死に角一郎の名前を呼んだ。彼女は大粒の涙を流しながら、瓦礫の中をかき分けていく。そしてついに、彼女は“それ”を見つけてしまう。
「・・・あ」
瓦礫の中に埋もれていたもの、それは角一郎がミサを行う時に身につけていた祭服の切れ端だった。血痕が付着しているそれを見て、イツキは絶望の底に落とされる。
「ウゥ・・・ッ! 牧師さん・・・!」
イツキは泣きながらその切れ端を抱きしめる。そしてさめざめと泣く少女の奥底に、新たな激情が芽生え始める。
「・・・殺してやる! 殺してやる! エイリアンめ!」
イツキは宇宙漂流連合への復讐心を露わにする。この一件は15歳の少女が、戦いに身を投じる切っ掛けとなっていくのだった。




