太陽系帝国
天の川銀河 太陽系 オールトの雲
太陽系の中心部をはるかに離れ、太陽から1万天文単位の彼方、「オールトの雲」と呼ばれる微小天体が集まる領域がある。その中に潜むようにして、巨大な飛行物体が浮遊していた。
その物体の内部には都市が広がっている。そして都市を統括する司令部の一室に、荘厳な会議室があった。
「これが『オリオン腕・ジェリカ恒星系第3惑星』、『チキュウ』か・・・」
「表面の7割を毒されていない水が覆う星です。また天然の植物が繁茂している・・・我々が今まで確認した惑星の中で間違いなく、最も美しい星です。宇宙一、と言っても過言ではないかもしれません」
この飛行物体にはおよそ130億人の人口が暮らしている。今、この場に集う彼らは、その莫大な人口を統べる統治機構の上層部だ。
「この惑星には原住の知的生命があります。ここ最近で、急激に宇宙空間への進出と植民を推し進めている様ですが、準光速航行の開発には到達していません」
「・・・成程、文明レベルとしては宇宙進出の最初期、という段階か」
彼らが囲む円卓の真上には、ホログラムで映し出された“青い星”があった。白い雲と青い海、緑の大地に囲まれたその惑星は、間違いなく「地球」である。
「『連合議会』と『女王府』は、この惑星を移住先として定めると決定しました。移住交渉のため使節団を派遣する予定です」
進行役の男が言葉を続ける。彼は青い肌をしていた。
「・・・地球人は納得しますかね?」
「この惑星は“宇宙の宝”です。それを科学の遅れた原始種族が独占することは許されませんよ」
進行役と同じく、青い肌をした壮年の男がほくそ笑む。22世紀末、人類史上最大の危機が太陽系に迫っていた。
〜〜〜
2199年3月17日 太陽系第4惑星 火星 首都「水龍」 第4区
時に西暦2199年、地球で生まれた知的生命「人類」は、ついにその版図を太陽系へ広げた。無限に広がる大宇宙、その大海原を民間人が航海できる日が、ついに現実のものとなっていた。
そして地球の1つ外側の軌道を回る赤い砂漠の惑星、「火星」の大フロンティアには、林立する摩天楼が出現し、眩い夜景が広がっている。その一画の雑多な路地裏で、絶え間ない銃声が鳴り響いていた。
「中華野郎をぶっ潰せ!」
「ブラジルに帰れ!」
ポルトガル語、そして中国語の怒声が響く。この地区では2つの勢力が覇権を巡って抗争を繰り広げていた。それは中国系マフィアとブラジル系ギャングの抗争である。弾丸は一般市民も暮らしている通りで無造作に飛び交っている。住民たちは建物の中に閉じ籠り、身をすくめながら事が終わることを祈っていた。
水龍 第4区 中華料理店「桃源」
「・・・また銃声?」
地区の裏路地に一軒の中華料理店がある。その店で忙しなく働く少女の耳を銃声が刺激する。少女は店の軒先から顔を出し、外の様子を伺っていた。
「イツキ! この街じゃ銃声の1つや2つ! 死体の1つや2つ! 気にしてたら何もできないヨ! それよりも、早く青椒肉絲を4番テーブルに持ってくネ!」
「は、はい!」
厨房に立つ店主が怒号を飛ばす。イツキと呼ばれた少女は、急いで青椒肉絲を言われた通りのテーブルへ持って行った。
「おまちどう!」
「おお、美味しそうだ」
そのテーブルには2人の男性が座っていた。どちらも東アジア系の顔をしている。男たちは割り箸を手に取り、目の前の青椒肉絲に箸先を伸ばす。
その間にも微かな銃声が聞こえてきた。男たちは朝鮮語でヒソヒソと噂話を始める。イツキはその会話に聞き耳を立てていた。
「第4区では、華人マフィアとラテンマフィアの抗争が激化している。今夜、マラッカ通りでの戦いが山場だろう」
「賭博自由化政策、金脈の奪い合い、そして新たなる未開地帯、火星はすでに地球の混沌に飲まれつつある・・・」
「この街も、毎日どこかでギャングやマフィア同士の抗争の絶え間がない」
「『太陽系帝国』は宇宙の治安をどうするつもりなんだろうな」
男たちは火星の治安を憂う。22世紀末、人類は太陽系の広範囲に活動範囲を広げた。そしてそれぞれの宇宙都市は溢れる人種のるつぼとなり、その治安は傾きつつあった。
特に28世紀の遺伝子改造植物「緑桜」によって、地球と同じ大気組成と化した「火星」は、その全土が人類の活動範囲となった。その首都である2000万都市「水龍」では、各人種の悪人たちがそれぞれ勢力圏を作り、覇権を争い、抗争を繰り返していた。14億の人口を有する「火星」は、今や太陽系で最も「危険な惑星」となっていた。
水龍 第4区 モウリ通り
中華料理店でのバイトを終えた少女・大久保イツキは、先ほどまで銃声が聞こえていた通りを古びた自転車で駆け抜け、大きな通りに姿を現す。通りには数多の日本車が走っているが、その中に一際目を引く街宣車があった。
『我々は火星人だ。水龍市民よ! 我々と共に日本人が牛耳る国際連邦宇宙開発機構の支配からの脱却と、新たなる国家『火星共和国』の建国を目指そう!』
街宣車のスピーカーからスピーチが聞こえてくる。近年、隆盛を強めている「火星独立論者」の街宣車である様だ。だが、イツキは特に興味を示すことなく、とある建物のそばに自転車を停めた。
建物を見上げると傾斜の強い屋根の上に十字架が立っている。そこは火星の日本人地区にあるプロテスタント系キリスト教会だった。イツキは正面の扉を開けて、礼拝堂へ入っていく。
「ただいま、牧師さん」
「おかえりなさい、イツキ」
電気が点いているものの、どこか薄暗い礼拝堂には、落ち着いた色の祭服を着た屈強な男の姿がある。牧師と呼ばれた男は、イツキに気づくと彼女に向かって微笑みかける。
「遅くなってごめん! すぐ夕飯の支度するね!」
イツキは帰宅が遅れたことを謝りながら、忙しなく教会と隣接する家屋へ走っていく。この教会の隣には、牧師である柏角一郎と、15歳の女子でありながら副牧師を務める大久保イツキが共に暮らす自宅があった。
2人は親子ではなく、名目上はただの同居人である。10年前、角一郎が素性の知れない孤児であるイツキを拾ったことで、2人の共同生活が始まった。以降、彼はイツキの親代わりとして、彼女を育ててきた。イツキも「義父」として角一郎のことを慕っていた。
教会に隣接する家屋の外見は、21世紀・日本の平屋住宅と変わりなかった。だが台所には、22世紀の技術力である「自動調理器」があった。
「・・・よいしょっと」
イツキは遺伝子改良作物「五色麦」、そして別個に購入した食料を投入口に補充し、タッチパネルを操作する。
「テイストはイタリアン・・・400キロカロリーで」
イツキが料理のテイストとカロリーを設定すると、注文通りの夕飯があっという間に調理される。その主な合成材料となっているのが、人間に必要な栄養素を一元的に補給できるように改良された28世紀の単一穀物「五色麦」である。
宇宙での食料事情は「五色麦」という単一種に依存することで成り立っており、これを合成加工したものが、全宇宙移民が口にする食料の95%を占めているのである。
「さてと・・・牧師さん! ご飯、できたよ!」
「ああ! ありがとう」
台所の隣にあるテーブルには、すでに角一郎の姿があった。イツキは2人分の食膳を運び、彼の対面に座る。献立はミネストローネだった。
「じゃあ、いただきます」
2人はスプーンを手に取り、夕飯を食べ始める。そして他愛ない会話をしながら、本当の親子のように過ごしていた。
そして窓の外には、古臭く雑多な住宅地帯とは対照的に、未来的な摩天楼が林立した大都市が見えている。火星の首都「水龍」は、火星の繁栄の象徴であった。
この都市は最初、気圧と気温の管理のため、巨大なドームに覆われていたが、火星の大気が地球と同等になった後はドームが撤去され、さらに移民が自由化されたことで、一気に多種多様な人種が流入し、今や2000万の人口を有する地球外天体最大の都市となっている。
人種のるつぼとなり、合法・非合法問わずあらゆる組織が参入した「水龍」は無秩序な拡大を続け、治安が大きく傾き、今や「太陽系で最も危険な都市」と評されるまでになった。
そんな街では孤児・浮浪児の存在も珍しくない。元々孤児であったイツキは、幸福にも牧師である角一郎に拾われ、今に至るのである。
〜〜〜
2199年3月17日 土星圏 衛星タイタン 首都「タイタニアス・フローズン・フィールド」
月面入植者は10億の大台を突破。火星は各地に都市が建設され、月の人口を追い越して14億の人民が暮らしている。金星上空には24の浮遊都市が浮かび、1億2千万の人民が暮らし、木星にはエウロパを除くガリレオ衛星に基地・都市が築かれていた。
そして人類はついに「土星」にまで進出したのである。宇宙移民は合計して30億に迫る勢いであった。
人類の宇宙進出を支える礎となっているのは、日本がテラルスから持ち帰った28世紀の技術である。人々は事実上一国のみで土星まで活動範囲を広げた日本を「太陽系帝国 The Empire of Solar System」と呼んだ。
・・・
「太陽系帝国」
月 78都市 10億
水星 1基地 5千
火星 92都市 14億
金星 24都市 1億2千万
木星圏 42都市 3億
土星圏 10都市 8千万
宇宙移民合計 29億
・・・
「太陽系帝国」こと「日本皇国」は、世襲制の「天皇」と呼ばれる君主を元首に置く、名実ともに地球の歴史上で最も繁栄した「帝国」となっている。
未だ効力を有する「宇宙条約」第2条を回避するためのカモフラージュとして、各宇宙都市は名目上、あくまで「国連」の統治下にあることになっているが、国連の宇宙開発に関わる「宇宙開発機構」は事実上、日本政府の牛耳る機関であり、その人員はほぼ日本人によって占められている。故に宇宙都市・基地の全ては国連を介した日本政府の間接統治下にあるも同然だった。
太陽系全域に広がるその版図は、間違いなく人類の歴史上最大を誇るものである。そしてその版図の最果て、数年前に入植が開始されたばかりの土星の衛星「タイタン」の首都「タイタニアス・フローズン・フィールド」には、極秘裏に国連の使節団が派遣されていた。
彼らはドームに覆われた首都の中心部にある、行政庁舎の会議室にいる。簡素な応接間にはテーブルと対面式のソファが設置されており、国連代表団である彼らはその一方に座っている。ドームの外ではメタンの暴風雨が吹き荒れていた。
「我々『地球』の主張は変わりません」
「・・・では、我々の提案を受け入れることはないと?」
彼らの目の前には、別の一団が座っていた。一風変わった民族衣装に身を包むその一団は、一見すると人間と変わりない様に見えた。しかし肌の色や耳の形など、人間とは違う特性を有する者がいる。彼らは同時翻訳機を用いて「英語」を話していた。
国連使節団の1人、アメリカ人のブライアン・アイハワードは言葉を続ける。
「地球の人口許容量はすでに現在の地球人類のみで飽和状態となっています。新たに130億の人口を受け入れる余地は到底ありません。それに『地球』は我々の惑星です。共同管理など到底受け入れられるものではありません」
ブライアンは国連の主張を伝える。彼の言葉を受ける相手の一団は、一様に顔を顰めていた。
「・・・我々は貴方方を拒否するわけではありません。『国際連邦』は『宇宙漂流連合』を新たな加盟国として迎え入れる用意があります。それに連合の全住民は難しくとも、一部特権階級のみならば、居住地を提供することは可能です。他の住民の方々には、太陽系の他の天体を提供します」
ブライアンは毅然とした態度で、国際連邦の声明を伝える。それはこの4年間の交渉で到達した最大の譲歩であった。
「それはだめだ、こちらとしても前から言っている通り、『女王陛下』は連合全臣民が、地球の豊かな自然を享受できる未来を望んでおられる。地球には土地などたくさんあるだろう」
「こちらとしても最大の譲歩です。ご理解を・・・」
相手方の代表は不遜な態度でブライアンに語りかける。だが国連代表団の主張も変わらない。その会合に立ち会っていた、タイタン・土星圏の行政長官を務める杉原善時は、額に冷や汗を流している。
「・・・この条件を承諾いただけないのなら、残念ながら地球への移住は諦めていただく他ありません。お答えが出た時、またお会いしましょう」
ブライアンはそういうと、代表団の同行者たちを引き連れて部屋を後にする。彼らに続いてタイタン・土星圏の行政長官を務める杉原も、そそくさと会議室を後にした。残された相手側の青い肌をした代表者は、憎しみと侮蔑の感情を湧き上がらせる。
「・・・科学の遅れた原始種族が。地球人は自らを情けをかける立場だと思い込んでいる様だ。情けをかけているのは此方だと言うのに」
男は地球人類を見下していた。彼らは長期の調査の末に、地球の科学力が自分たちより大きく劣るものであることを知っていた。
「どうしましょう? ・・・確か『女王府』の決定は?」
「ああ、腰の重い『女王府』もついに業を煮やし、本日の交渉が決裂した場合、『実力行使』に出ることを決定している。・・・頑固で愚かな地球人への『警告』だ」
青い肌の男はほくそ笑む。この一件は「エッジワース・カイパーベルト」内に潜んでいる彼らの「母艦」に届けられた。
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太陽系外縁天体 エッジワース・カイパーベルト
太陽系際果ての惑星「海王星」よりもさらに外側に、数多の小惑星や準惑星が属する「エッジワース・カイパーベルト」と呼ばれる天体群がある。
22世紀末、地球人類が未だ到達していないその領域に、1隻の巨大な宇宙船が停泊している。それは月の3分の1ほど、冥王星の衛星「カロン」と同等の大きさがあり、船内にはコロニーが形成され、130億人の人口が暮らしている。
『連合女王 ライザ=グリアント・アルザウォール陛下、および『女王府』より出撃命令。『連合軍』第4艦隊は19、20、21、22番ゲートより出撃せよ。繰り返す・・・』
突如として艦内放送が発せられ、巨大船の右舷にある多数のゲートが重々しく開いていく。その中には数多の宇宙船が控えていた。
『連合軍第4艦隊・・・出撃!』
それらの船は続々と発進していく。そして編隊を組み、遠く離れた太陽系の中心部に向かって舵をとる。
『目標地点はジェリカ恒星系第4惑星『マズナー』、同惑星を速やかに制圧せよ』
宇宙船団は艦隊を成してエッジワース・カイパーベルトを進む。彼らの目標は太陽系第4惑星「火星」である。この時、地球史上初めての「宇宙戦争」の序曲が幕を開けた。




