合同捜査
11月1日 アメリカ合衆国・東海岸 首都ワシントンD.C 「国際連邦」本部
21世紀中頃、新たな国際機関「国際連邦」が此処、ワシントンD.Cに設立された。ここ50年で様々な国が生まれ、そして滅んでいったが、現在のところ、日本皇国を含めた90カ国の国々が加盟している。
そもそも「国際連邦(International Federation)」とは、経済と秩序が崩壊した2025年以降の世界において、それまでの世界秩序の中心だった「国際連合」に代わり、更なる強制力と固有の軍事力を有する国際機関としてアメリカ、カナダ、ロシア、インド、ブラジルが中心となって設立した一大機関である。
原則として加盟国は加盟国同士の貿易のみ許され、さらに加盟国は運営分担金の支払いの他、それぞれが持つ軍事力の一部を連邦に供出する義務を負う。これによって、連邦は国家を超越した軍事機関である「国際連邦治安維持軍」を組織し、紛争や海賊行為が激しい地域・海域に軍事力を適切に配置することで、世界の治安回復を図ってきた。
だが、この「国際連邦」の仕組みには大きな暗部が存在していた。
「経済が貧しい国は分担金の支払いも軍事力の供出も出来ない。そもそもこのご時世に他国の為に金と兵を出せる余裕のある国なんか数える程しか無い。大多数の国々は加盟国としての義務を果たせない代償として、連邦に助けられたという既成事実を作られた後に、運営分担金と軍事力供出の代わりとして様々な権益を差し出す羽目になった。
故に『国際連邦』によって潤うのはわずかな大国のみ。この組織の本態は大国が生き残る為に現代に蘇った”帝国主義”なのだ」
国際連邦日本皇国政府常駐代表の赤島源章は、「安全保障理事会」の会議堂に向かう道すがら、隣を歩く次席代表の東風山亮太と話をしていた。
「拒否すれば『治安維持軍』による庇護を受けられず、国内の治安すらままならない。差し出せるものが何も無い国は“非加盟国”となり、加盟国同士の貿易圏から閉め出される上に、賊や人攫いまでも横行する完全な“無法地帯”となる。アフリカやアジア、東欧なんかはそういった国が大半を占める訳ですね」
秩序が崩壊した世界において、国際連邦による治安維持活動は前国連のPKO以上に重要な役割を果たしている。だがその代償として、連邦は世界各国の権益を徴収し、大国同士で山分けしている。
尚、日本政府はその山分けに参加することはなく、独自の貿易圏を構築し、さらに宇宙開発による地球外での資源調達を模索し続けていた。
『各国代表の皆様、御着席ください』
数多くの加盟国の中でも、上記の5カ国からなる常任理事国、そして日本を含む10カ国の非常任理事国の合計15カ国から成る会議を、国際連合から踏襲して「国際連邦安全保障理事会」と呼ぶ。
非常任理事国は連邦への“貢献度”から判断される推挙に基づいた選出となっており、安全保障理事会の支持によって承認される。前国連とは異なり、連続の再任も可能となっており、日本皇国は加盟した2044年から、ほぼ連続で非常任理事国に選出されていた。
「11月に入ったから議長は交代だ」
「今月は誰?」
「私だ、宜しく頼みますよ」
「アルゼンチンのホセ=メンドーサ氏か」
「よろしく」
10月までの議長国だった「中華民国台湾」から、「アルゼンチン共和国」への引き継ぎが確認される。そして15カ国より集結した30名の代表者が着席し、会議場は一層物々しい雰囲気に包まれた。そして世界で最も力を持つ会議が始まる。
<国際連邦安全保障理事会>
・常任理事国(5カ国)
アメリカ合衆国 カナダ ロシア連邦 インド共和国 ブラジル連邦共和国
・非常任理事国(10カ国)
イングランド・ウェールズ連合王国 ノルウェー王国 スイス連邦 オーストラリア連邦 朝鮮民国 アルゼンチン共和国 日本皇国 ニュージーランド 香港共和国 中華民国台湾
「そういえばミスター・アカシマ、この前の万博開会式はニホン政府は災難でしたね」
「え、ええ・・・」
日本代表団の左隣に座っていたノルウェー王国代表が赤島に話しかける。赤島はばつが悪そうに曖昧な返事をした。
「日本の安全神話とやらも大したことありませんな」
周囲に聞こえるか否かか細い声で嫌みが聞こえて来る。だが、その言葉ははっきりと赤島の耳に届いていた。アメリカ合衆国代表ローレンス=ランジニールゼン、彼のほくそ笑む顔が赤島と東風山の視界に映る。
「・・・っ!」
赤島は言葉をぐっとこらえた。東京万博での失態は世界で唯一の”完全な法治国家”、日本皇国の安全神話を確実に貶めていた。
〜〜〜〜〜
11月1日 東京都品川区 みどり大学医学部付属病院
捜査4課7係の拾圓と穂積、そして弐条の3人は、万博会場にて殺害された興梠釀苑の司法解剖が行われるという「みどり大学病院」を訪れていた。法医学講座准教授の神浦和帆が3人を解剖室へ案内する。
「今、血液内科でステルベンになった患者の病理解剖が行われているので、それが終わり次第、興梠氏の司法解剖を開始します」
「分かりました」
拾圓ら3人は神浦准教授と共に解剖室が並ぶ廊下に立つ。そしておよそ20分後、解剖室の扉が開き、病理解剖を終えたご遺体がストレッチャーに載せられて出て来た。それに遅れて1人の医師が部屋から出てくる。
「神浦先生、お待たせして申し訳無い。どうぞ空きましたよ」
「いや、狗寺先生。こちらこそ急かしてしまって・・・」
「いやぁ・・・まあ、お互いに大変ですね。では・・・」
病理解剖を終えたその医師は神浦、そして彼女の背後に立っていた拾圓たちに会釈をすると、運ばれた遺体を追いかける様にそそくさとその場を立ち去る。
「お待たせしました。刑事さん、行きましょう」
神浦は拾圓らの方へ振り返ると、彼らを解剖室の中へ案内する。拾圓らは側に置いてあったマスクを耳に掛け、解剖室の中に足を踏み入れた。
・・・
東京都江東区 ネオ・ベイサイド臨海地区 東京万博会場 万博メモリアルスタジアム
その頃、他の捜査4課7係の面々は、拾圓の指示に従ってテロ事件の現場となった万博会場の「メモリアルスタジアム」を訪れていた。
「折角・・・新しい係長とお近づきになれる好機でしたのに、梨里が羨ましいわ〜」
被害者が殺害された現場であるトイレに向かう道すがら、7係の1人である九辺未智恵は、右の掌を頬に当てながら、新米のエリート係長と行動を共にする同僚を羨やましがっていた。彼女の頭からは、色つやの良い毛並みに覆われた1対の獣耳が突き出している。
「またお前は・・・節操の無い”化け狐”め、捜査1課で3つ、2課と3課で2つの家庭を修羅場にした上、まだそんなことを言っているのか」
同じく7係の1人である六谷大悟は、殺伐とした現場の雰囲気に相応しく無い言動を放つ同僚に不快感を抱いていた。
「いやですわ〜、六谷。化け物というのならお互い様でしょう? それに拾圓さんは恐らくまだ未婚よ〜?」
「そういう問題じゃねぇよっ!」
六谷は堪らず大きな声を張り上げてしまう。彼らを引率する主任の多村は、黙ったまま部下2人の会話を聞いていた。
そうこうしている内に、3人は興梠が殺害され、さらにテロリストが爆弾を爆発させた現場であるスタジアム内部の男子トイレに到着した。爆発によって扉は吹き飛び、周囲には焦げ目が付いている。
トイレの中では鑑識課の警察官の他、虫を彷彿とさせる外見をした捜査用小型ロボットが、小さい足をカサカサと動かして、壁や床に付着した血痕や指紋の捜索を行っていた。爆発によって壁は余す所なく焼け焦げており、便器は全て吹き飛んでいる。
「こりゃあ、ヒデぇなぁ・・・」
六谷は周りを見渡しながらぽつりと呟く。床の上を見ると、興梠氏の遺体があった場所に、それを示す為の白いテープが貼られていた。
「・・・捜査4課の方々ですね、お疲れ様です」
現場を訪れた多村たちの下へ、鑑識の1人が駆け寄って来る。彼の名前は先枕宏大、警視庁鑑識課に所属する若い巡査である。先枕は床の上を指差しながら現場の説明を始める。
「被害者は此処に仰向けの体勢で倒れていました。損傷が激しかったので初見では分からなかったのですが、遺体には数カ所、巨大な獣に引き裂かれたかの様な深い切り傷がありました」
多村は手を顎に当てながら先枕の説明を聞いていた。
「そして既にご存じかと思いますが、付近に位置する監視カメラの映像では、興梠氏がトイレに入ってから爆発が起こるまで、トイレに出入りした者は皆無でした。その他にも被疑者を特定する様なものは特に何も・・・」
「ほんっとうに・・・何も無かったのか?」
説明を続ける先枕に対して、六谷はうわずった口調で問いかける。
「はい、まあ・・・当日の映像を全て解析した訳では無いですが、少なくとも被害者が殺害された時刻以降に、トイレから出た人物は居ないということです」
現場となった男子トイレには外に出られる様な窓などは何もなく、爆発から身を隠せるシェルターとなり得る様なものも無い。そしてトイレ内には当然ながら、興梠氏以外の遺体も無かった。鑑識ロボットが被害者以外の指紋や毛髪を採取する為に部屋中を動き回っているが、爆発に伴う火災の為に、犯人を特定するものを見つけられる可能性は低い。
「監視カメラの映像、我々も見ることはできますか?」
「はい、此方へどうぞ」
多村の問いかけを受けて、先枕は彼らを総合警備室へ案内する。
万博メモリアルスタジアム 総合警備室
総合警備室は東京万博のメインホールである「万博メモリアルスタジアム」の地上1階に位置している。部屋内部の壁には、万博会場の各地に設置された監視カメラの映像を映す小型スクリーンが、所狭しとパズルの様に並べられており、それらの前には映像をチェックする監視員が座る為の椅子が固定されている。
そして部屋の最奥にある一際大きなスクリーンには、おそらく爆発の現場となった男子トイレを捉えていると思しき映像が映し出されていた。その映像の前に、2人のスーツ姿の男性が立っている。
「利能さん、公ヶ崎さん・・・お時間宜しいですか?」
「・・・ん?」
先枕に話しかけられた2人の男は同時に振り返る。多村は彼ら2人に自分達の素性を述べる。
「警視庁捜査4課から来ました、多村と言います。そして私の部下の九辺と六谷です」
多村の紹介に合わせて、彼の背後に立っていた九辺と六谷が会釈をする。彼らと同じく警視庁の所属であった利能は彼らの素性を知り、片眉を吊り上げた。特に九辺の頭から飛び出している狐耳が、彼の視線を捉えていた。
「ああ・・・あの4課の刑事か。私は警視庁警備部警護課課長の利能健優。4課が此処へ来たということは、興梠氏の事件の捜査の為か」
利能健優、警視庁警備部警護課課長を勤める彼は、東京万博の警備を統括する万博協会事務局警備室の室長の任に付いている。
「はい、監視カメラの映像を見せて頂けないかと思いまして・・・」
多村は総合警備室を訪れた理由を述べる。
「まあ、良いだろう。公ヶ崎・・・どいてやれ」
「はい」
利能は側に立っていた部下に声を掛ける。公ヶ崎と呼ばれたその男は、スクリーンの正面の場所を多村らに譲る。彼、公ヶ崎武市もまた、利能と同様に万博警備に関わる人物であり、警視庁警備部警備第1課に所属する刑事であった。
「では、開会式当日の映像をもう一度再生しますね」
大スクリーンの前に座っていた警備員は、先程まで利能と公ヶ崎が見ていた映像を巻き戻す。それは興梠が開会式の最中に会場から抜け出し、男子トイレに入ってから、爆発が起こるまでの1時間ほどの時間を捉えたものであった。
その映像には津田から説明を受けていた通り、男子トイレから出入りする人物は居なかった。そして目映い閃光と大量の土煙にカメラの視界が覆われ、映像はそこで途切れる。
「映像は此処までです。・・・どうですか?」
「・・・」
映像が終わった所で、後ろに控えていた公ヶ崎が多村らに問いかける。だが多村と六谷は何も答えること無く、映像を注視していた九辺に目を向けた。
「・・・っ!」
2人に続いて九辺の方へ視線を向けた利能は、思わず息を飲んだ。スクリーンを凝視していた彼女の瞳は、いつの間にか鮮やかな紅色に変色しており、彼女の周囲には凍てつく様な冷気が漂っている。それは彼女が妖怪の血を引いていることを、まざまざと見せつけていた。
「・・・驚きましたか? 彼女は”九尾の狐”の血を引く者です」
多村は利能らに九辺について説明する。テラルス由来の亜人族の一種である「妖狐族」、その血を引く彼女の目は、隠された魔法を見抜く力を持つ。その力はこうして映像を介すことによっても、発揮することが出来るのだ。
「映像越しだから断言は出来ないけれど〜、今見た限りでは、魔法による目眩ましや映像の偽装とかは無いと思うわ」
「そんなことまで分かるのか?」
利能は眉間にしわを寄せながら九辺に尋ねる。スクリーンから利能へ視線を移す彼女の目は、いつの間にか元の黒目に戻っていた。
「はい、ですが何もかも見破れる訳ではありません。”仕掛け”を見破るには”仕掛け”を作った以上の力が要ります。故に・・・私よりも魔力を持つ者が仕掛けたモノは、見破ることは出来ませんの」
「成る程・・・」
利能は顎を触りながら彼女の説明に耳を傾けていた。
「利能警視、公ヶ崎警部、お時間を頂き、感謝します」
目的を達した多村は利能と公ヶ崎に会釈をする。彼に続いて六谷と九辺も頭を下げた。
「この映像はこれからデータ化して捜査本部へ送るつもりだ。もし見足りないのならば、本庁でもじっくり見られるだろう・・・行くぞ」
「は、はい」
利能はそう言うと、公ヶ崎と共に総合警備室を後にする。2人を見送った多村は、六谷と九辺の方へ振り返る。
「・・・俺たちはまた現場のトイレに行こう。ちょっと気になるものがあったんだ」
「・・・? 分かりました」
六谷は疑問符を頭上に浮かべながら首を縦に振った。その後、トイレに戻った彼らは捜査を続ける。
・・・
同日 東京都渋谷区
全国生中継で放映された「万博襲撃事件」は、万国博覧会という国際的イベントを直接狙った前代未聞のテロ事件として、直ちに日本国中に報道されることとなった。世界唯一の完全なる法治国家で発生したテロは、その国に暮らす人々の間にかつてない不安感を漂わせる。
そんな中、事件発生からほぼ半日が経過した11月1日の午後4時、日本政府から初めて事件に関する公式発表が成されることとなった。
『洛奥時帆内閣官房長官より、昨日の万博爆破事件に関して会見が行われます』
渋谷区の交差点に面した巨大スクリーンに首相官邸の記者会見室が映し出される。無数のマイクが設置された講壇に、内閣官房長官の洛奥時帆が姿を現した。一斉にフラッシュライトが焚かれる中、洛奥は深く頭を下げる。
『・・・昨日、東京万国博覧会開会式におきまして、同会場内で爆発事件が発生いたしました。確認された爆発は5回、いずれもトイレ等の監視カメラの目が無い場所で起こり、その内の1つはメインホールである万博メモリアルスタジアムにて発生しました』
講壇に立った洛奥は事件の概要から説明を始める。
『事件についてですが・・・実行犯として5名を現行犯逮捕致しました。実行犯グループについては『朝鮮人民革命軍』と名乗る14人の男女であり、その内9名が確保時に死亡、5名が病院へ搬送され、現在は治療中です。被害状況と致しましては・・・現在把握されている範囲で負傷者46名、死者3名となっております』
洛奥は次に被害状況について説明する。爆発が直接の原因となった死者・負傷者は、万博協会副会長の1人であった興梠驤苑のみで、その他の人的被害の全ては、爆発とテロリストの登場によって起こったパニックに起因する二次的なものであった。
『日本政府はこの事件をテロと断定しました。テロの惨禍がこの国で起こったという事実は・・・信じがたいことですが、被害を受けた方々には哀悼の意を表します。また、日本国民の皆様方に多大な不安を与えてしまったことをお詫び申し上げます。
我々は今回の事態を大きく反省し、同様の惨禍が二度と起こらない様に、より一層の警備強化を以て勤めて参ります』
洛奥は再び深々と頭を下げる。その瞬間を狙って、再び数多のフラッシュライトが瞬いた。
『それは万博は中止しないということでしょうか!?』
『被害者への補償はどうなるんですか!?』
『テロリストを国内へ侵入させた国境管理体制には、不備があったと思われますが?』
記者たちから質問が次々と飛んでくる。洛奥は一息置くと、興奮の様相を見せる記者たちを宥める様なジェスチャーをしながら、口を再び開いた。
『万国博覧会に関してですが、2日後より爆発による損壊を受けた箇所の修復作業に入ります。中止・・・ということはありません。勿論・・・テロリストが国内へ侵入した経路、または動機などについての捜査は継続し、原因の究明と再発の防止に努めて参ります』
万博は中止にはしない。記者たちはその言葉を聞いて再びざわつき始める。
『一般人を標的にしたテロ行為は断固として許さざるべき卑劣な行為であります。我々がこの脅迫に屈することは、あってはなりません。万博開催の日程はまだ未定ですが、近日中に発表致します』
洛奥官房長官は今後の方針について説明する。その後、いくつかの問答を経て、緊急記者会見は終了した。
「万博中止せず」・・・この政府発表はたちまちネットニュースとして拡散し、世論の中で様々な議論を巻き起こすこととなる。
・・・
東京都千代田区 警視庁庁舎 捜査第4課7係 オフィス
太陽がほぼ地平線の向こうに消えた夕方、捜査4課7係のメンバーは再び本庁のオフィスに集まっていた。
「まず、被害者の基本的な情報からおさらいしましょう」
係長である拾圓はホワイトボードスクリーンの前に立ち、各々のデスクに座る7係のメンバーを見渡す。
「被害者は興梠釀苑、68歳。元は経済産業省の事務次官で後に関連法人団体へ再就職。今回の東京万博では万博協会副会長を勤めていました」
「興梠・・・確か息子さんが政界の・・・」
「はい、衆議院議員、興梠紗門氏の実父に当たる方ですね」
多村は同じ苗字を持つ若き政治家が居ることに気付く。興梠紗門、被害者の長子であるその男は、端正な容姿も相まって国民からの人気を徐々に集め、若干27歳にして頭角を現し始めた与党のスーパーホープであった。
「親は元事務次官、息子は与党の若き有望株・・・親子揃って政財界のスターって訳か」
「そういうことです。ご子息の紗門氏も万博に関連した活動に協力しており、つい先日は骨髄バンクのドナー登録を奨励するイベントに釀苑氏共々顔を出していた様ですね」
興梠親子の素性は日本の政界における世襲を体現したものである。どこか皮肉めいた物言いをする六谷に対して、拾圓は淡々と説明を続けた。
「・・・では、皆さんが集めた情報を集約しましょう。最初に我々の方から・・・弐条さん、説明を」
「あ、はい!」
拾圓と共にみどり大学付属病院へ行った弐条梨里は、オフィスに響き渡るはきはきとした声で返事をする。7係で最年少である23歳の彼女は、九辺と並ぶ7係の女性メンバーであり、拾圓と同じく普通の人間である。
「ええっと・・・興梠氏の司法解剖においては、目新しい情報は余り得られませんでした。氏の身体に刻まれていた創は体壁を貫いて、肝臓や肺までも傷つけていて、相当な怪力を以て付けられたものだということです」
弐条の説明に合わせて、拾圓がスクリーンの画像を切り替えていく。そこには司法解剖中に記録として撮影された写真が映し出されていた。
「何時見ても酷いですわね・・・」
凄惨な写真に気が滅入ってしまった九辺は、頭から突き出た狐耳をぺたんとさせる。
「まぁ・・・という訳で、我々は余り収穫が無かった。そっちは・・・?」
弐条と共に拾圓と同行していた穂積は、殺害現場となった万博会場を訪れていた多村らに問いかける。
「こっちは〜、ちょっとした発見があったんですよ〜・・・フフ」
多村に同行して万博会場を訪れた九辺は、さも意味ありげな声色と含み笑いを発した。その説明の為、同じく多村と同行していた六谷が説明の為に席を立つ。
「まあ・・・化け狐はさておき、現場の状況を説明しましょう」
六谷はそう言うと手元のノートPCを操作し、スクリーンに現場である男子トイレの写真を表示させた。
「これが現場です。酷い有様でしょう・・・。爆発による火災のせいか、犯人の毛髪や指紋等は発見出来ませんでした。・・・ですが、多村主任がある不可解な代物を発見したんです。トイレから外壁に伸びる換気口の中に・・・」
六谷は写真を切り替える。
「これが・・・そのダクト内の写真です。人間は入らないが、小型犬くらいなら通り抜けられるくらいの大きさです。そして通気口の出口はすぐ外の外壁に繋がっていて、そこまで障壁もなく、おまけに出口はちょうど監視カメラの死角になっていました。そして・・・」
彼は通気ダクトの説明をしながら、写真のある箇所を拡大する。そこは通気口の下部にあたる場所、通路で例えると床に相当する箇所だった。
「ここに・・・赤い足跡が付いているのが分かりますか? では別角度から取った写真を表示します」
六谷はさらに写真を切り替える。それはダクトの内部を上から撮影したものだった。
「見てください。この足跡はトイレの換気口から外壁に開く通気口の出口へ続いています。鑑識に依ると、体高30cm程の小型犬の足跡と間隔が一致するそうです。実際に動物の足跡であるのか否かは科捜研の解析待ちですが・・・この足跡の赤色が血液であることは判明済みです。
因みに出口の下方には換気扇と防鳥網が落ちていました。鑑識は爆発で吹き飛んだものと考えていた様ですが、内側から故意に外された可能性が高いです」
六谷は現場で発見した新たな事物として、トイレの換気口からダクトを通って外へと続く奇っ怪な足跡を提示したのである。
「犬の足跡が・・・何故? どうして被害者の血を付けて・・・? どういう・・・ことですか?」
係長ながらも1番の新人である拾圓は、六谷らが何を意図して足跡などを提示したのか理解出来ず、困惑した表情を浮かべてしまう。
「・・・つまり、変身系の獣人の存在を示唆しているんですよ。”かかりちょう”?」
その様子を見ていた穂積は、わざと聞こえる様な大きなため息をついた。その無礼な言動を見ていた多村は、彼の更なる発言を遮る様に、自分たちが見つけたものが何を意味するのかについて説明を始める。
「『獣人系の亜人種』は九辺さんや六谷くんの様に、人間と獣の要素を混ぜ合わせた”単一の姿”しか持たない種族が殆どですが、ごく一部・・・人間の姿と獣の姿を自由に行き来できる者たちが居ます。
まるで『妖怪』の様に自由に姿を変化させる彼らは、人の姿をしている時は普通の人間と変わりません。故に・・・日本政府は彼らについて把握できていないと聞きます。さらにこういった変身能力を持つ種族は大概、その体内に含む”魔力”は膨大で、特に獣の形態でいる時は体躯の大きさを”自在”に変えられると言われています」
「つまり姿形が未知数な獣妖怪が、興梠氏を殺害した犯人だと・・・」
拾圓は堪らず生唾を飲み込んだ。
「あくまで私が勘と状況証拠から立てた推論に過ぎません。ただ、結構ヤバそうなものを相手にしている可能性はありますね」
多村は淡々と答える。他の刑事たちも特に戸惑う素振りは無い。
「・・・そうなると、監視カメラの映像をもう一度洗い直す必要がありそうだ。容疑者はあの日にあのトイレに入った全ての人物になる訳ですから。その中で・・・トイレに一度入ったけれど、出て来ていない人物を探せば、それが犯人になる筈」
拾圓は身体中の汗腺から冷や汗が吹き出るのを感じながらも、毅然とした態度で部下たちに指示を出す。多村の発見のお陰で真実に大きく近づくことが出来たのは事実だが、同時に触れてはならない怪物のもとへ確実に近づいている様な感覚に陥る。
(・・・)
先代の係長である千歳薫警部は殉職によって解任となった。この捜査第4課は警視庁内でも際だって殉職率が高いことで有名なのである。