蒼い龍の美しき眷属
2112年9月21日 長野県諏訪市 龍王の里
亜人が人間への下剋上を目論み、政府や軍内部まで取り入って、飛行戦艦「扶桑」を一時的に奪うという前代未聞のテロ事件から3日後、「亜人解放同盟」は主犯格の夢永タクヤを除き全滅し、彼も逮捕・勾留され、起訴されるのを待っている状態だ。
事件の関係者となった「葉瀬名家」の本拠地である「龍王の里」には、連日メディアからの取材交渉が舞い込んでいるが、当主・縁の方針で全てを拒否していた。それでも里の入り口や、東京に本社をおく「ハゼナ・アグリカルチャー」の玄関には、報道陣とパパラッチドローンが昼夜問わず出待ちしている状態であった。
葉瀬名家本殿には、ここを居住地としている龍二の両親の他、龍二自身の姿もある。療養とマスコミからの避難を兼ねて、ここへ帰ってきていたのだ。
『・・・日本を恐怖に陥れた『亜人解放同盟』ですが、国連からは一時『扶桑』が同組織の手中に落ちたことに関して、『扶桑』の管理体制の杜撰さを糾弾する声が上がっています。政府代表団は『2度と同じことが起きることはない』と述べ、依然として『扶桑』放棄を迫る国際社会に対して牽制を・・・』
ワイドショーは連日、あの事件の報道を繰り広げている。世間が「亜人種」への態度を硬化させかねない大事件だったが、同時に事件の収束に貢献したのも同じ「亜人種」であることが宣伝されたことで、「亜人種」そのものに対する表立った過剰なバッシングはなかった。
『今回の事件を引き起こした『亜人解放同盟』のリーダー、夢永タクヤ容疑者については、内乱罪の適応も視野に入れ、捜査が進められています。また、同集団からの贈賄を受け、機密情報などの提供を行なったとされる官僚や軍人についても、特定秘密保護法違反の容疑で捜査が進められており・・・』
加えて、そんな危険な組織が政府や軍の内部に協力者工作を行なっていたことも、人々に恐怖を抱かせていた。
『さらには、この『亜人解放同盟』は海外からの資金援助を受けていたことが判明しております。資金源と目される中国東北部の旧人民解放軍系軍閥である『黒龍軍閥』は、以前から皇国軍と国連治安維持軍が合同で鎮圧に当たっていますが、溝口外務大臣は今回の事件を受け、より黒龍軍閥への攻勢を強める姿勢を明らかに・・・』
さらに政府は、亜人解放同盟に活動資金を提供していた海外の「軍閥」を、徹底的に叩き潰すことを決めていた。この事件が日本にもたらした影響と恐怖は計り知れない。
「・・・ハァ」
本殿のダイニングで朝食をとる龍二は、ため息をつきながらテレビを消してしまった。彼はコーヒーカップを手に取ると、複雑な表情でそれを口元へ寄せた。
夜の海に堕ちた遼一は、あれから一切の行方がわからなくなった。体や所持品の一欠片も見つからず、生死すらもわからない。
この一件に関しては、龍二の行動は「緊急避難」として処理されており、なおかつ遼一を葬ったのは皇国軍による「公務執行」であるため、亜人解放同盟と、彼らに協力した政府・軍関係者以外が罪に問われることはない。
それでも、決して仲が良かったわけではないとは言え、実の兄弟と殺し合ったことは、彼の心に決して浅くない傷を残した。
本殿 洋間
本殿の一室では、遼一と龍二の両親である詩穂梨と和馬の姿があった。和服に身を包む2人は、先ほどの龍二と同じようにテレビのワイドショーを見ている。
「俺たちも当主も・・・龍二に酷なことをした」
和馬は結果として兄弟同士を殺し合わせたことを悔やんでいた。祖父・縁と龍二が同意のもとで交わした約束とはいえ、人間の娘の命を優先する代償として、全てを21歳の青年の双肩に被せ、さらには長男を次男に征伐させるなど、通常の価値観からすればあり得ない話だ。
「人間みたいなこと言うのね。でも・・・私たちは『龍』、『龍』の世界は人間のそれよりも厳しいことは、貴方も知っているでしょう。遼一は私たちの敵になった、それを龍二と皇国軍が排除した。・・・それだけよ」
「ああ、まあ・・・そうなんだが」
テラルスでも上位種族であり、個として完成されている「龍神族」は、元よりの習性として群れを作らず、たとえ親子であっても徹底した個人主義であることが特色だ。「龍」という立場から見れば、表向き、人間のように「家族」を形成している彼らの方が異端と言えた。
だが、ヘルハウンド族という種族から婿入りした和馬の目には、妻・詩穂梨の淡々とした様子はとても異様に映っていた。
「全く・・・人間の小娘1匹のために、ここまで事態をややこしくして。遼一とはまた違う、変な育ち方をしたものね」
詩穂梨はそう言うと小さなため息をついた。すでに自立して、長らく行方すら眩ませていた長男は、彼女の中では息子という庇護すべき存在ではなく、すでに独立した個人であり、倒すべき敵になっていた。
〜〜〜
2112年9月26日 神奈川県横浜市 横浜翡翠学園
事件からおよそ1週間後、負傷のために入院していた門真照はこの日、ようやく復学することができた。テロ組織に誘拐された被害者となり、メディアにも取り沙汰された少女を、級友たちは同情と憂慮の目で見つめている。
「門真さん・・・大丈夫?」
「大変だったね、怪我はもういいの?」
病み上がりの「氷の美少女」が自分の机に着席すると、彼女のもとへクラスメイトの女子たちが集まってくる。照は儚げな微笑みを浮かべ、口を開いた。
「私は大丈夫です。みなさんには心配をおかけしましたね」
「・・・そう? 大丈夫ならいいんだけど・・・」
気丈に振る舞う照を見て、女子生徒たちは一歩引く。だが、雪の様に白く透明な肌には、まだところどころに痛々しい青痣が残っている。
「おはよう! みんな席について〜」
その時、教室に担任教師が入って来た。生徒たちはそれぞれの席についてホームルームが始まる。その中には天文部部長であり、事件の当事者でもある宿屋奏太の姿もあった。
「あの大事件から1週間、門真さんが帰ってきました。皆さんも大きな不安を抱え、私たちも正直なところ、かなり動揺しました。理事長と学園運営は警備の強化を・・・」
教師が今後の学園の方針について話している。テロ組織の襲撃という前代未聞の事態を受けて、学園も保護者を納得させる改善策の提示を求められていた。
だが、照の耳には教師の話は届いていない。彼女の心には暗い影が差し込んでいた。
(龍二様に・・・あれから一度もお会いできていない。メッセージも・・・こなかった)
照が入院している間、龍二の従姉妹である須美華が足繁く様子を見に来てくれていた。しかし、当の龍二は一度も見舞いに来ず、通話やメッセージのやり取りも一切なかったのである。
(やっぱり・・・龍にとって、ただの人間は邪魔なのかな・・・。私が強い『妖怪』だったら、龍二様にも葉瀬名家の方々にも、月神先生にも、波鐘さんにも・・・そして天文部のみんなにも、あんなに迷惑をかけることはなかった・・・! 私は、龍二様にも、皆さんにも・・・迷惑な存在なのかな・・・?)
照は自身が非力であるが故、為す術もなく攫われ、そして利用されたことに罪悪感を抱いていた。自分が龍二の足枷になっているのではないかと、そう感じるようになっていた。そして彼女は、テロリストたちに啖呵を切ったときの言葉を思い返す。
『私は『龍の眷属』、そしてあの方の『忠犬』です。“死ね”と言われたら何時でも死ぬ覚悟です』
(私は何の覚悟もなかった・・・。私は・・・)
龍二の命令なら死ぬことだって厭わない、そう啖呵を切ったはずだった。しかし、今の彼女は龍二に捨てられることを恐れ、他のことが何も手に付かなくなっている。自分の覚悟が口先だけに過ぎなかったことを、改めて思い知らされ、自己嫌悪に陥っていた。
放課後 文化会館 天文部 部室
門真照は、彼女を一言で言い表すとするならば・・・まさしく美少女である。それも抜群のプロポーションと時代錯誤な良妻振りを兼ね備えた、稀代の大和撫子であった。密かなファンは多いが、「氷」とも評される人を寄せ付けない雰囲気と本人の性格のため、天文部員の他にはあまり交流を持たず、何方かと言えば孤立している生徒である。
彼女は優等生と評される普段の様子とは程遠い、上の空な様子で日中を過ごした。そしておよそ1週間ぶりに天文部の部室を訪れていた。
「・・・失礼します」
どこか他人行儀な挨拶で部室の扉を開けると、そこにはすでに部長の宿屋と小羽の姿があった。2人とも、事件の傷が完全には癒えておらず、ところどころに包帯や湿布を貼り付けている。
「やあ、なんか久しぶりな気分だよ。体はもう大丈夫?」
「・・・あ、はい。おかげさまで」
小羽はフランクな態度で容体を問いかけた。彼ら3人が集まるのは、事件が終わって初めてのことだった。だが、照はどこかそっけない返事を返してしまう。痛々しい傷跡が残る彼らの体を目の当たりにして、彼女の心の中では罪悪感が湧き上がっていた。そして、彼女は視線を右往左往させながら、か細い声を捻り出す。
「あの・・・私、部活を辞めようと思うんです」
「・・・やめる!? な、なんで・・・!?」
部長の宿屋は照の突然の申し出に動揺を隠せない。彼女は頭に包帯を巻く宿屋に対して、退部を決意した理由を口にする。
「・・・だって私、今回のことで・・・皆さんに大変な迷惑をかけました」
「・・・迷惑って? いや、俺たちや龍二さんだってそんなこと思わないよ! 悪いのは『亜人解放同盟』だけだ。なぜ君が負い目を感じる必要があるんだよ!」
宿屋は珍しく声を荒げて照を問いただす。すると、照は目尻に涙を浮かべ、心の奥底に疼いていた罪悪感を露わにした。
「私は・・・小羽さんや波鐘さんのように強くも、宿屋さんのように勇気もない・・・。だから、私は・・・何の役にも立っていない。皆さんと一緒にいるだけで、迷惑をかけてしまいます。龍神様にも・・・!」
「・・・」
照はうちに秘めていた心情を吐露する。テロ事件に巻き込まれ、誘拐されたという事実は、16歳の少女の心に確かな傷を残していた。
彼女が心に抱えているものを知った宿屋は、言葉を選びつつ、ゆっくりと口を開く。
「・・・俺だって、勇気なんかないよ。それでも命を賭けても助けたいと思ったのは、君がかけがえのない仲間だったからさ」
「そうだ! 俺だってあの時、どんだけ怖かったと思ってるんだ。多分、陽夏ちゃんも同じだったと思うぜ?」
宿屋に続いて、小羽も口を開く。彼らはあの時、恐怖を感じていなかったわけではない。ただ、仲間を助けるために必死だっただけだ。
「それに、門真さんには普段から俺たちの方が助けられてるよ。部の運営や事務仕事・・・この間の文化祭の時も随分助けられた。だから、門真さんが困っていたから全力で助けた。それが仲間ってもんだろう?」
「陽夏ちゃんも、そしてもちろん君のご主人様も、同じ思いだったと思うぞ? 君だったから助けた、君だったから命を賭けても良いと思ったんだ。ま、確かにあんな一大事が降りかかるとは思ってもみなかったけどさ。・・・だからさぁ! ・・・部長!」
小羽は一呼吸おいて、語り手を宿屋に譲る。そして涙目になっている照に、宿屋は照れくさそうな笑みを浮かべながら、率直な思いを告げた。
「俺たちが言うことはただ1つ! 門真さんが無事で良かったです! これからもよろしく・・・!」
「・・・!!」
宿屋は屈託のない笑みを浮かべる。小羽も彼の言葉にうんうんと頷いていた。感極まった照の両目から、大粒の涙がこぼれ落ちる。それは先ほどまでの悲壮の涙ではなく、歓喜の涙だった。
照は言わば“不義の子”であり、さらには唯一の肉親である母親からも捨てられた過去を持つ。その出自故に、生まれ持つ美貌とは異常に不釣り合いなほど自己肯定感が非常に低く、自分は人に望まれなければ存在する価値すらないと、無意識的に思い込んでいる節があった。
「・・・それに、君は自分に何もないって言ってるけど、俺はそうは思わないぜ」
「・・・え?」
小羽の思いも寄らない言葉に、照は首を傾げる。
「俺たちや龍神族、そして『解放同盟』の亜人たち、さらには政府や国民まで、言わば君1人のために舞い狂ったんだ。・・・この国は『魔法と科学の国』だけど、こうも多くの人を狂わせることは、もはや天性の『魔性』だよ。魔法でも科学でも説明ができない」
日本政府、皇国軍、そして龍神族も、照1人に大きく振り回され、事件は取り返しのつかないところまで発展し、ついには諸刃の剣である「吸血鬼族」まで出動する事態になった。小羽はその事実を「魔性」と呼び表す。
彼に続いて宿屋も口を開いた。
「門真さんはもっと自分の望みに正直になるべきだと思う。『魔性』かどうかはともかくとして、君のその力は・・・君自身を幸せに導ける力だ。もう、自分がダメだとか、役に立たないとか、そういうことを考えるのは止めようぜ」
宿屋は照の内面に隠れた、無意識の自己否定に気づいていた。彼はそれを穏やかな口調で指摘し、止めるように通告する。
そして宿屋が告げた、自分に正直になるべき、という言葉は、照にとって青天の霹靂であった。
「・・・私の望み」
照は改めて、自分が何を望んでいるのか、思いを巡らす。
「・・・まっ、辛気臭い話はこれでおしまい。久しぶりの部活動始めようか!」
宿屋は両手を叩き、話に一区切りをつける。天文部は照の復帰をもって、テロという惨禍から日常の中へ戻って行った。
横浜翡翠学園 正門付近
部活動を終え、夕暮れの日が街を赤く染める放課後、照は宿屋、小羽と別れて1人家路についていた。まだ、龍二は「龍王の里」から帰って来ておらず、照は1人であの広い家を切り盛りしている。
そして駅へ向かう帰り道、その途中、人気がない路地に入った時、どこかで見覚えのある男が待ち構えていた。
「・・・やあ! 照ちゃん、久しぶり!」
「・・・っ!! 佐浦・・・先輩!」
男は文化祭の直前に、照に言い寄ってきた高等部3年生の佐浦道臣だった。まだ停学中であり、学園には入ることができないため、通学路の途中で待ち伏せしていたのである。
「聞いたよ・・・龍神族に関わったばっかりに、あんな大事件に巻き込まれて大変だったね。もう体は大丈夫なのかい?」
照への復讐のため、自らの手で「同盟」を招き入れた男が、何食わぬ顔で彼女に言い寄っていく。照は全身に鳥肌が立つのを感じていた。
「それに・・・あの天文部の連中、学生の身分で事件現場に割り込んで、軍の邪魔をしたらしいじゃないか。もう、そんな不良連中とつるむのはやめた方が良いよ。君は不幸になる」
「・・・不幸?」
龍神族、そして天文部の仲間たちを非難する言葉が、照の逆鱗に触れる。だが、当の佐浦はそんなことに気づいてすらいない。彼は呑気な様子で言葉を続けた。
「俺はそんな碌でもない連中とは違って・・・君を幸せにできるんだよ! そのためには、俺の経歴に傷がある今の状況がよくないことはわかるよね? だからさ・・・」
「!!」
その時、佐浦は照の右腕を掴んだ。照は咄嗟に身を引いたが、力の差は歴然で、為す術もなく佐浦に引き寄せられる。
「理事長に伝えてくれよ、あの時のことは周りの勘違いだったって・・・。そして君と俺は本当に付き合ってるんだって・・・」
「・・・私は“龍の眷属”です! あなたの庇護なんて願い下げです!」
「・・・眷属? なんだそりゃ? 知ってるよ、君・・・あの龍の妖怪に捨てられたんだろ?」
「!!」
佐浦はさらに照の地雷に触れる。
龍二の送迎で登下校していた照が、復帰後に電車通学になっていたことを、一部の生徒たちが邪推して「あの子は事件をきっかけに、龍の妖怪から捨てられた」と根拠のない噂を立てていた。事実、事件の後から彼女は龍二に会えていない。その事実と佐浦の言葉が、照の精神を再びぐらつかせる。
「結局、妖怪は人間のことなんて何とも思ってない。足手まといと判断したらポイ、なんだよ! 良い加減に現実を見ろよ!」
「・・・!」
照は何も言い返せなくなっていた。口を開こうにも、唇が震えてか細い声しか出てこない。やはり自分は必要ない存在なのではないか、そんな疑心暗鬼が心の中に渦巻いていく。だがその時、その闇を払拭する存在が現れた。
「・・・誰が、その子を捨てたって?」
「・・・!?」
佐浦と照はその声がした方へ振り向く。そこには「龍王の里」にいる筈の、葉瀬名龍二の姿があった。照は動揺する佐浦の手を振り払い、龍二のもとへ駆け寄っていく。
「・・・ごめんね、1人にして」
「いいえ、・・・良かった!」
龍二は照の頭を優しく撫でる。照は喜びのあまり、彼の体に抱きついてしまう。佐浦は呆気にとられていたが、すぐに気を取り直して龍二に問いかけた。
「・・・テロ首謀者の血縁者が、こんなところにいて良いんですかぁ? ちょっと情報を流せば、すぐにパパラッチドローンが集まってきますよ?」
佐浦はそう言うと、携帯端末をポケットから取り出して龍二に向ける。学園周囲には龍王の里と同じように、テロを報道するマスコミやライターのドローンが飛び交っており、龍二が来ていると分かれば、彼の言う通りにすぐ飛んでくるだろう。
「マスコミが来て困るのは君の方じゃないか? 君が亜人解放同盟に照のことを伝えたのはわかっている」
「・・・ハッ! 何を根拠に・・・」
佐浦は一瞬だけ目を見開くも、その動揺を誤魔化すように首を左右に振った。彼が亜人解放同盟と連絡を取った形跡は、携帯端末から綺麗に消去されている。証拠などある筈がないと高を括っていた。
「割と無知な男だね、君は? 君自身の携帯のログを消そうとも、大元のサーバーや相手の端末にはログが残ってるんだよ。『亜人解放同盟』の構成員が持っていた携帯端末から、君とのやり取りを示すログが見つかったんだ」
「・・・は?」
佐浦の口角が歪む。龍二は動作が止まった佐浦に追い打ちをかける。
「・・・まあ、停学じゃあ済まないかもしれないね。あと、俺が照を捨てることはないから、勝手なことは言わないで」
「!」
龍二はそう言い残すと、照を連れて立ち去っていく。佐浦は呆然と立ち尽くしながら、2人の背中を見つめていた。
・・・
横浜市 みなとみらい地区 龍二の自宅
事件から8日後、龍二と照は8日振りに顔を合わせる。2人ともどこかぎこちなく、なかなか言葉を発することができない。
「・・・あの! 今晩の夕食は」
「・・・すまない!」
2人はほぼ同時に言葉を発する。あえて日常的な会話を交わそうとした照を遮り、龍二は謝罪の言葉を告げる。
「8日間もほったらかしにして、不安にさせたよね・・・」
「いいえ! そんなことは・・・」
照は咄嗟に龍二の言葉を否定する。だが実際のところ、彼女はこの8日間でだいぶ精神的に追い詰められていた。その事実が彼女の視線を左右に泳がせる。
「俺は・・・この8日間、確かに悩んでた。もしかして、君はもう俺たちに関わらない方が幸せなんじゃないかって。それに俺は、いつか君は巣立って行くものだと考えてきた。でも・・・」
「・・・!?」
龍神族と関わった故に事件に巻き込まれた照を憂い、龍二は彼女と別れることを考えていた。照は驚きの表情を浮かべる。
「俺たちは全ての亜人種の中で唯一、『神』と冠された名を持つ種族。そして『神』は、大抵悪魔よりもタチが悪い存在だ。嫉妬深く、感情的で・・・手に入れたいものは盗んででも追い求め、手に入れたものは二度と離さない。だから・・・君を手放すなんて無理だった」
悩み抜いた末に龍二が出した結論は、照を手放さないことだった。それを後押しするきっかけとなったのは、祖父・縁とのやり取りだった。
・・・・・
・・・
・
(お前はあの人間を、どうする?)
(・・・俺たちと関わった為に攫われたんです。もう一緒に暮らし続けることはできません)
龍二は一度、照と離れることを決めていた。当然ながら本心は真逆だったが、これ以上、龍と関わることで不幸な目に遭って欲しくないという思いがあったのだ。
(・・・人間はお前が想像しているよりも弱くない。だが、お前が思う以上に、人間とは儚く、脆い生き物だ。もし、もう一度会いたいと願っても、その時にあの小娘はもうこの世に居るかどうかもわからない)
(・・・!?)
縁は改めて、人間と龍神族との寿命差について突きつける。それは龍二にとって、直視していなかった残酷な事実だった。
(全く未練がないのなら、もう何も言わない。だが・・・少しでも後悔する可能性があるなら、共に居たいと願うなら、手放すな。人間と共に生きられる時間は、まさしく光陰矢の如く短いのだから・・・)
縁の父親は人間である。彼は葉瀬名家で唯一、人間の儚さを知る男であった。
・
・・・
・・・・・
「おじいさんに言われて決意が固まるって言うのも、情けない話だけど・・・改めて言うよ。照・・・俺と一緒に生きてくれないか。ずっと・・・」
「ずっとって・・・いつまで?」
「ああ、いつまでも」
「・・・!」
龍二の言葉を聞いて、照は再び目尻に涙を浮かべた。彼女はそれを隠すように視線を逸らすと、自分が抱えていた思いを語り始める。
「門真照は・・・あの日に一度死にました。だから私はあの時から、私の全てを貴方の為に尽くすと決めました。いつか側に居ることを望まれなくなるまで・・・」
いつか来る別れを覚悟していたのは、照も同じだった。大妖怪と称される名家の子息に対して、憐れみで拾われた捨て犬では、いつまでもそばに居ることなど叶う筈がないと、自分に言い聞かせてきた。しかし、それも限界に達していた。
「私は貴方が里に連れて行ってくれたあの日、残りの生全てを、貴方と共に過ごすことを望んでしまいました。そんなことになるわけないと、分かっていた筈なのに・・・。でも・・・いつか捨てられたらと思うと、怖くてたまらないんです」
「照・・・!」
2人はようやく、お互いの秘めたる思いを明かすことができた。2人の望みは一緒だった。お互いの愛の深さを知り、2人の間にはより一層深い絆が芽生えていた。
「私はどうあっても、貴方より先に死んでしまいます。いつか照が死んだ後も・・・私を忘れないでくれますか?」
「・・・バカ、忘れたりなんか、しないよ」
少しだけ震えた照の言葉に、龍二は一瞬だけ表情を曇らせるが、すぐに柔和な笑みを浮かべて言葉を返した。その答えを聞いて安心したのか、照の心からは不安や迷いが消えていた。