横浜天空大戦
東京都新宿区 市ヶ谷地区 統合幕僚監部 中央通信センター
「扶桑」と人質奪還の一報は、素早く「統合幕僚監部」にも届けられる。中央通信センターでは歓喜の舞が繰り広げられていた。
「横須賀より連絡! 人質を救助、『亜人解放同盟』は制圧し、主犯の夢永タクヤを確保。『扶桑』は東京湾に不時着しました!」
「・・・よし!!」
センター長の安藤少将は人目も憚らずにガッツポーズをする。他の職員たちも同じようにガッツポーズやハイタッチで喜びをあらわにしていた。
だがすぐに、その喜びに水を差す報告が舞い込んでくる。
「・・・不時着した『扶桑』から、巨大な龍が1匹脱出し、横浜へ向かったとの連絡! 龍は市街地上空を低空飛行し、北上中です!」
「・・・龍!?」
安藤少将は一気に顔色を変える。まだ事件は終わっていなかった。
南関東上空
厚木基地から離陸した「UF-3 ユニバース・ゼロ」2機は、低空を飛ぶ「龍」をレーダーに捉えていた。十二分に撃墜可能な状況が整っていたが、直撃したミサイルの破片と地上に墜落した龍が周辺の住宅に被害を与えることを憂慮し、パイロットも厚木基地の司令部も攻撃に踏みきれないでいた。
『・・・龍はまもなく横浜市の上空に到達する。以前として高度30メートル程度の低空飛行を継続』
地上では、スレスレを飛ぶ龍を一目見ようとする住民たちが、ちょっとした騒ぎを起こしている。それがますます、皇国軍の攻撃を躊躇させていた。行政が町内放送で早急な避難を呼びかけているが、野次馬はなかなかその場を動こうとはしなかった。
神奈川県横浜市 龍二の自宅
兄の裏切りと家族の誘拐、そして唐突に起こった海軍基地襲撃事件・・その全てに焦燥していた龍二だが、彼は無言のままソファに腰掛け、目の前の携帯電話が鳴りだすのを待っていた。
「・・・!!」
その時、携帯電話に着信が入った。ディスプレイには照が通う高校の教師の名前が表示されている。龍二はすぐさま携帯を手に取り、耳に当てた。
『やあ・・・無事に門真照さんは助けだせましたよ。今から病院に連れていきます』
「・・・よかった!」
龍二は腰が砕けるような感覚に陥る。最愛の家族を取り戻せたことで、緊張の糸が切れるような心地になっていた。
天文部の顧問を務める葵は、政府から出撃命令を受け取った段階で、照の保護者である龍二に連絡を入れていた。「彼女の身は必ず自分たちが助け出す」と。詳細は告げなかったが、それまで待機するように伝えていたのである。
指示を受けた龍二は、実家と祖父を説得して、何とか照が救出されるまでの時間を稼いだ。そしてついに、照は救出されたのだ。
『・・・でも、君のお兄さんが“龍”になって横浜に向かっています。場所は市街地の直上、航空宇宙軍も展開はしていますが、市街地への被害を憂慮して攻撃を躊躇している状況です』
「・・・何ですって!?」
「亜人解放同盟」は吸血鬼に手も足も出ず殲滅されたが、1人だけ逃れた者がいる。龍二の兄である遼一は、横浜を襲撃するために単身で北上していた。
『ここから先は『葉瀬名家』の問題でしょう・・・。吸血鬼族もこれ以上、矢面に立つつもりはありません。だから、兄貴とのケジメをつけろ。葉瀬名龍二!』
「!」
葵はほくそ笑みながら、横浜へ向かっている兄を迎え撃てと発破をかける。そして彼は具体的な指示を龍二に伝えた。
『すでに軍と政府には話を通してあります。あなたは葉瀬名遼一を市街地から引き離し、東京湾へ誘導しなさい』
直後、龍二はソファから立ち上がって窓を開け、ベランダへ飛び出す。南の方を見てみれば、巨大な紅い龍がうっすらと近づいてくるのが見えた。
「・・・遼一兄!」
見間違えるはずもない荘厳な姿。それは彼の実兄が変身した姿で間違いなかった。彼は携帯電話を放り出すと、突如としてベランダから飛び降りる。
直後、紺碧の鱗に覆われた蒼い龍が空高く飛び上がる。この街を守るため、龍二は実の兄を倒す覚悟を決めた。
神奈川県横浜市 根岸森林公園
「亜人解放同盟」による襲撃予告を受けた横浜は、市と皇国軍による市民の避難活動の真っ最中だった。市街地に住まう多くの住民はすでに、地下街や地下鉄の駅内に身を潜めている。しかし、300万人の避難活動が1時間で終わるわけもなく、地上にはまだ大勢の人々がごった返していた。
地上では避難者を誘導する警察や皇国軍兵士の姿があり、公園や沿岸部では「扶桑」を迎え撃つために陸軍や航空宇宙軍の高射部隊が展開していた。
「まもなく、“紅い龍”が横浜中心部の上空に到達します」
高射部隊の上空監視レーダーが迫り来る敵の姿を捉えている。彼らの敵は「扶桑」ではなく、そこから逃げ出した1匹の龍であった。すでに数多の地対空誘導弾がそれを目標としてロックオンしており、いつでも迎撃できる体制は整っている。
攻撃に踏み切れないのは、龍が通常の航空機では不可能な超低空飛行を行ない、これ見よがしに市街地と肉薄するような飛行をしているからだ。直撃したミサイルの爆風と破片、そして墜落する龍によって、一般市民への被害が出ることが必至な状況だったのである。
現地部隊は迎撃命令が出るのを今か今かと待ちかねている。しかし、内閣と国防省は何かを待っているかの様に攻撃を躊躇していた。住民の避難が不十分なことはもちろんだが、このまま待っていては龍が何をしでかすかわからない。
「政府はいつまで待つつもりだ・・・」
第1高射群を率いる航空宇宙軍大佐、加藤啓はやきもきしながら攻撃命令を待っている。横須賀海軍施設を飛び立った龍は北上を続け、すでに磯子上空まで迫っていた。
そんな中、新たな一報が加藤大佐のもとへ舞い込んできた。
「・・・レーダーサイトより報告! 横浜市みなとみらい地区よりもう1匹の“蒼い龍”が出現!」
「・・・何ィ!?」
加藤大佐は頓狂な声をあげる。日本の歴史上前代未聞、横浜の上空で“龍の喧嘩”が始まろうとしていた。
横浜市上空
天翔ける龍と化した遼一は、横浜市の上空を悠々と飛行していた。彼の視界には建て直された「横浜駅」が見える。遼一は口の中に紅い炎を蓄え、横浜駅に照準を合わせる。人々はほとんど地下に避難しており、地上には人影は見当たらない。
(手始めに・・・)
彼は国民への恐怖を煽るため、横浜でも代表的なランドマークを破壊しようと目論む。口一杯に魔法の火炎を湛えると、それを「横浜駅」に向かって放つ。
(・・・『飛龍炎』!)
全てを破壊し尽くす紅い炎が、横浜駅に向かっていく。だが、それを掻き消すように、どこからか蒼い炎が放たれた。
(・・・『蒼龍波』!)
紅い炎と蒼い炎はお互いにかき消され、その余波が突風となって地上に襲いかかる。遼一が目を凝らすと、どこかで見覚えのある“蒼い龍”がそこにいた。
(・・・龍二!)
(うおおおお!)
龍と化した龍二は、およそ7年ぶりに再会する兄に向かっていく。そして勢いそのままに彼の体に噛みつき、そして少しでも市街地から離れるため、兄の体に噛みついたまま海に向かって前進し続けた。
ドカアァ・・・ン!!
全長100メートルを悠に超える2匹の龍は絡み合ったまま、横浜駅の東に位置する「臨港パーク」に不時着した。途轍もない土煙が舞い上がり、地震の様な地響きが起こる。
周囲の空に展開していた「UF-3 ユニバース・ゼロ」のパイロットは、突如として始まった「龍の喧嘩」を、呆然と見つめていた。
(・・・一体何が起こっている? あの“蒼い龍”は何者なんだ?)
パイロットだけでなく、地上に展開している皇国軍の兵士たちも、同じように困惑している。その時、統合幕僚監部の中央通信センターから、彼らのもとへ通信が入った。
『現在、葉瀬名家の龍二氏が“紅い龍”と交戦中。“紅い龍”が東京湾方向へ誘導されたら、一気に迎撃せよ!』
「・・・了解!」
上層部の意図を察した兵士たちは、チャンスを逃すまいと龍の戦いを注視する。
「臨港パーク」を滅茶苦茶にしながら、2匹の龍が地上で取っ組み合いを繰り広げている。そして紅い龍が蒼い龍による制止から逃れ、再び空へ飛び上がった。蒼い龍も間髪入れずその後についていく。
(葉瀬名家も、お前も・・・! なぜ俺たちの邪魔をする!? なぜ人間なんぞに味方する!? 俺たちは“最強の種族”だぞ!)
夢永に感化された遼一にとって、人間は支配されるべき存在であり、彼らを守ろうとする龍二のスタンスが理解できなかった。
(・・・遼一兄、俺は人間が好きなんだ。今の・・・この世界を愛しているからだ。だから、貴方を止めに来た!)
(・・・!?)
龍二は率直な感情を伝える。だが、遼一にはその考えが理解できない。彼ら兄弟は完全に道を違えていたのである。
遼一は「葉瀬名家」の中でも特に選民思想が強く、祖父母や両親がビジネスのために他企業の「人間」と敬語で会話することにすら反発し、家族と度々衝突していた。それでも高校生までは大人しくしていたが、大学進学時に「亜人解放」を掲げる夢永と出会い、彼の思想に傾倒していくうちに行方知れずになった。
(人間が好き・・・だと? あの人間の小娘のことか! 人間1匹に拐かされる、龍神族の恥さらし! あんな捨て犬1匹の命、捨て置けば良いものを!)
遼一は龍二が葉瀬名家を抑えることを期待して、照の誘拐を提案した。結果的にその目論見は成功したわけだが、人間1人に狼狽える肉親たちを目の当たりにして、彼は内心憤りを感じていたのである。
(・・・“あの子”は俺のものだ! 誰にも渡さないし、手放してなるものか!)
愛すべき存在を貶され、龍二も激情に駆られていく。2匹の龍は空中で激しいぶつかり合いを始めた。
(横浜を守りながら戦うお前に、勝機があると思うのか!)
(やってみなければ分からない!)
(じゃあ・・・守ってみせろ!)
遼一はみなとみらいに聳え立つワターマンションに照準を定める。そして先程と同じように魔力の火炎を放とうとした。
(やらせない!)
(・・・グフッ!)
その直前、龍二は凄まじいスピードで体当たりを噛ます。態勢を崩した遼一の口からは、明後日の方向へ火炎が放たれた。
(速度は上の様だな・・・だが、弟のお前は兄である俺には勝てない!)
龍二がいる限り、横浜の破壊は叶わないことを悟り、遼一は弟の排除に動き出す。彼は龍二に向かって襲い掛かり、頭突きで彼の体を吹き飛ばした。
(・・・ぐわっ!)
パワーで圧倒され、龍二はなすすべなく海面に叩きつけられた。巨大な水飛沫が立ち上り、沿岸部には高波が押し寄せる。
(お前はお前らしく、俺の足元に這いつくばっていろ!)
遼一は海中に消えた龍二を罵倒する。そして再び横浜を攻撃しようと、視線を市街地に向けたタイミングで、海中から蒼い炎が飛び出してきた。それは油断していた遼一を容赦無く襲う。
(・・・ッ!!)
ダメージを受けた遼一はバランスを失う。その隙をついて、海中から飛び上がった龍二は、再び遼一の体に噛みついた。そして上下の位置を反転させ、兄を海面に叩きつけようとする。
(同じ手を・・・喰らうか!)
(・・・!!)
遼一は尻尾を器用に使い、龍二の体を下に持っていく。龍二は再び海面に叩きつけられてしまった。だがすぐさま、海中から飛び上がると、2匹の龍は壮絶な空中戦を繰り広げ始めた。
眩い夜景が広がる横浜の街で、紅と蒼の炎が交互に光る。林立する高層ビル群の合間をぬって、壮絶なチェイスを繰り広げるたびに、強烈な爆風が起こり、窓ガラスを砕いていく。地上に展開する皇国軍の兵士たちは、この世のものとは思えないその光景を、固唾を吞んで見守っていた。
(・・・しつっこい! 良い加減に諦めろ!)
遼一は息を切らしながら、追撃を諦めない弟に悪態をついた。だが当然、龍二も諦めるわけにはいかない。
(じゃあ・・・次で決着をつけよう、遼一兄!)
龍二は口の中に蒼い炎を湛え始める。彼はどちらの炎と魔力が強いかの一騎打ちを持ちかけた。龍同士がどちらの力が上なのかを決める、最も単純明快な決闘であり、これを無碍にすることは、龍の誇りに反することである。
(・・・こんな無謀な勝負を持ちかける奴じゃなかった。人間の小娘に現を抜かして、現実すらも見えなくなったか!? お前が俺に・・・勝てるわけないだろうが!!)
遼一は愛憎入り混じった感情を昂らせながら、龍二の炎を受けて立つ決意を固める。彼も口の中に紅い炎を蓄えはじめ、その光景は横浜の夜空に紅と蒼の太陽が登った様であった。
そして2匹の龍は同時に強烈な火炎を放つ。
(・・・『蒼龍波』!)
(『飛龍炎』!)
紅と蒼の火柱が空中で激突する。直後、龍二の炎が徐々に押し返され、紅の炎が彼の顔前に迫っていく。
(・・・消えろ、葉瀬名龍二!)
遼一は弟に引導を渡すべく、炎の勢いを強めていく。対する龍二も負けじと魔力を振り絞るが、それでも尚、遼一の力は彼を上回っていた。
(・・・!!)
龍二は思わず瞼を閉じる。彼の脳裏には、門真照とであった時の記憶が浮かんでいた。
高校時代、亜人ということで人間からいじめられた彼は、人間に対する恨みすら抱いていた。もしかしたら、兄と同じ道を歩んでいたかもしれない。それを救ってくれたのは、あの時に出会った彼女の存在だった。
何の力も持たない“人間の小娘”の存在が、彼の心の殻を破るきっかけになった。人間を愛せる様になった。だから、この世界を守るために、負けるわけにはいかない。
(・・・う、ウオオオオオォッッ!!)
龍二の覚悟と決意が、敵わないはずの兄の力を一瞬だけ上回る。風前の灯だった蒼い炎が徐々に勢いを盛り返し、そして逆に紅い炎を押し返して遼一の方へ迫っていく。
(・・・ば、バカな! この俺が・・・弟に!)
蒼い炎が紅い炎を吹き飛ばし、そして遼一に襲いかかる。紅い龍はなすすべなく、夜の海に叩きつけられた。驕り高ぶった愚かな龍が、地に堕とされた瞬間であった。
『・・・全部隊攻撃開始!!』
その瞬間、空を飛ぶ戦闘機から、海上の軍艦から、そして陸上の高射部隊から、数多のミサイルと誘導砲弾が発射され、墜落した龍に向かって降りかかる。展開していた皇国軍は、敵の龍が市街地の外へ追い出され、そして動きを止める瞬間を待っていたのだ。
ド ド ド ド ド!!
連続した砲撃音と爆発音が、夜の海に響き渡る。そして爆煙が晴れた後に無数のライトが照らされた。だがそこには横浜を恐怖に陥れた“紅い龍”の姿はなく、そしてこの時を最後に、“紅い龍”が姿を現すことも、2度となかった。




