宇宙戦艦「扶桑」の危機
2112年9月17日 横浜市 神奈川県警察本部
学園襲撃事件を受けて、神奈川県警察本部には捜査本部が設置された。亜人の組織が関わる事件ということもあり、警察庁からも人員が派遣されていた。
「監視カメラが捉えた映像から、主犯格と思われる男は夢永タクヤという人物であることが判明しました。希少種族『夢魔族』に属する亜人種です。その他の人物も、人面鳥族、呪術族として登録されている亜人種が勢揃い。そしていずれも活動記録が5〜6年前から絶えています」
神奈川県警の刑事が情報を提示する。他の警察署の刑事たちも、リモートでこの捜査会議に参加していた。
「・・・おそらく彼らは『亜人解放同盟』かと思われます。中国東北部を牛耳る『黒龍軍閥』と金銭的な繋がりがあると目されており、公安と外事が合同で捜査に当たっていました・・・」
警察庁より派遣された刑事が敵組織の名前を明かす。同時に参加している全ての警察官の端末へ資料が配布された。
「亜人解放同盟」とは、数年前より活動を開始した政治主張組織だ。その名の通り、多種多様な亜人種のみで構成されていると目され、人間に抑圧され続けている亜人種の解放を掲げている。同組織の構成員の仮想通貨アカウントに出所不明の入金が多数確認されており、その主張の危険性も相まって公安の監視がつく様になっていた。
会議が進む中、1人の刑事が会議室の中に飛び込んできた。
「し、失礼します! 先ほど、動画サイトに犯人グループによるものと思われる『動画』が公開されました! 直ちにメインスクリーンへ繋ぎます!」
刑事は腕時計型端末を操作して、メインスクリーンに動画サイトに投稿されたそれを投影する。動画には素顔を晒した夢永タクヤが座して映っており、その背後には幹部格と思われる男女の亜人種が立ち並んでいた。
『日本国民の皆さん、我々は『亜人解放同盟』です。早速ですが・・・昨日の横浜翡翠学園襲撃は我々の犯行で間違いありません。そして我々は目的の為にさらなる活動を開始します』
夢永は立ち上がり、大袈裟な身振り手振りを加えながら言葉を続ける。
『強者は弱者を従えるのがこの世の理、故に『人間』は文明という名の武力で他の動物を凌駕し、この世界の支配者となりました。それは必然です。ですが今、人間は最強ではない。長き歴史の中、人間が他の生物を制圧してきた様に、我々には人間を制圧する権利があります。ゆえに我々はその理に基づいて、人間に対して革命を起こすことにしました』
夢永はカメラに視線を向けると、画面の向こう側に向かって手を伸ばした。
『亜人種の方々には同志として我々への協力を要請します。特に『龍神族』の方々・・・貴方方は最強と謳われる強大な力を持ちながら、人間の権力に屈した亜人種の面汚しです。その汚名を払拭し、誇りを取り戻したくば、率先して我々に協力しなさい。貴方方の大事な“ペット”も我々の手中にあります。どうか正しい選択をすることを期待します・・・。
ではまた、皆さん・・・近日中にお会いしましょう』
そう言って夢永が頭を下げたところで、動画は終わっている。犯罪を劇場のように楽しむ夢永の姿は、刑事たちの逆鱗に触れていた。
「・・・直ちにこの映像が投稿された場所を探知しろ! 犯人グループの所在を突き止め、誘拐された女子学生を早急に救出するんだ!」
「はい!!」
刑事部長の総括で捜査会議は打ち切られた。刑事たちは慌ただしく立ち上がり、それぞれの職務へと戻る。
・・・
同刻 長野県諏訪市 龍王の里 葉瀬名家本殿
同盟が配信した動画は瞬く間にニュースに取り上げられ、昼のワイドショーで特集を組まれていた。龍神族の本拠地である「龍王の里」の葉瀬名家本殿では、龍二の両親である詩穂梨と和馬がダイニングで唖然としている。
「間違いない・・・遼一だ」
「あの・・・馬鹿息子!」
詩穂梨は怒りで声を震わせる。彼女の体を巡る大妖怪の血が湧き立ち、髪の毛は逆立って口元からは鋭い牙が姿を覗かせた。
彼女たちが驚くのも無理はない。「葉瀬名家」のもう1人の家族が、公開された映像に映っていたのだ。夢永の後ろに並ぶ幹部たちの中に、詩穂梨と和馬の長男にして、龍二の兄・遼一がいたのである。東京の大学に入学した後、怪しいサークル活動に没入し、そのまま退学して行方を眩ませて行方不明になっていたのだ。
「変な団体に参加して、調子に乗っている様ね・・・」
詩穂梨は頭を抱え、大きなため息をついた。ただでさえ政府に睨まれている「龍神族」の1人が、事実上の「革命」を宣言した集団に属しているのである。神代から数えれば3000年近い日本の歴史においても、極めて異例の事件に、血族が関わっているのだ。
2人が頭を抱えていた時、着信音と共にスクリーンに通話画面が投影された。「SOUND ONLY」の文字と共に、葉瀬名家当主の名前と顔写真が表示される。
「・・・お父様!」
『・・・詩穂梨、状況は分かっているな』
発信元は詩穂梨の父にして葉瀬名家当主である葉瀬名縁であった。彼は連絡内容を単刀直入に告げる。
『・・・政府から協力要請が来た。遼一を止めなければならない。また政府から指示があれば追って連絡をする。それまでは里で待機だ』
「・・・!! ・・・わかりました、その時が来たら必ずあの馬鹿を止めます」
詩穂梨は自分の息子と対峙する覚悟を決めている。それは父の和馬も同様であった。
・・・
横浜市内 龍二の自宅
同盟の革命宣言は全国ニュースになっている。それはこの横浜市でも、当然のことながら大々的なニュースになっていた。
「・・・遼一兄!?」
大切な存在を攫われた心労、そして兄と慕っていた者の裏切り、その2つが彼の精神を疲弊させていた。他者から「大妖怪」と称されようと、彼は21歳の若年にすぎないのだ。
・・・
東京都内 某所
その頃、動画配信を終えた「亜人解放同盟」は、都内某所で次の計画に向かって動き出していた。根城にしていた廃ビルはすでにもぬけの殻になっており、次の場所へ拠点を移す準備が整っている。
「・・・さぁ、行こうか。みんな・・・革命の切り札となる『船』へ」
夢永は椅子から立ち上がる。その椅子の対面には縛られた照の姿があった。彼女の顔には打撲痕がまばらにあり、非常に痛々しい印象である。
「この人間の小娘が、本当に龍神族を止める切り札になるのかよ?」
同盟幹部の1人、炎魔族の穂村猛は怪訝そうに照を見下ろす。彼女は目隠しをされているが、態度は毅然としており、誘拐犯たちを前にしても震えの1つも起こしていなかった。本来ならばより強く葉瀬名家へ動揺を与えるため、彼女が助けを乞う様も映像に載せる予定だったのだが、照が一切の脅迫にも動じなかったため、その目論見が頓挫していたのである。
「・・・クソッ、可愛くねェ女だぜ」
「・・・私は葉瀬名家の方々の命令しか聞きたくありません」
照は毅然とした態度を崩さない。夢永が耳元に口を近づける。
「いいのかい? 君が敬愛するその葉瀬名家は・・・君を見殺しにするかも知れないよ?」
彼は照を揺さぶるように、甘い声色で彼女の鼓膜を揺らした。しかし、照はそんな夢の悪魔の甘言にも惑わされない。
「私は・・・『龍の眷属』、そしてあの方の『忠犬』です。“死ね”と言われたら何時でも死ぬ覚悟・・・それに、小さな雌犬だと思って舐めて近づくと、噛みつきますよ?」
「おお怖い、大した忠臣ぶりだね・・・」
夢永は彼女の耳元からパッと顔を離した。少女の忠誠心に感心しつつも、どこか彼女を小馬鹿にしたような口調であった。その時、今まで沈黙を保っていた遼一が口を開く。
「・・・俺の愚弟はこの人間に随分とご執心だった。祖父も何だかんだ甘いお方だ。あいつが泣きつけば、祖父は非情になれない。あいつらは・・・動かない」
「・・・フーン、まあ君がそういうなら、そうなのかな」
政府から葉瀬名家へ事件鎮圧の協力要請が通達されている。遼一は自分の弟である龍二が政府に与する「実家」を止める抑止力になると考えていた。そしてその目論見は的を射ていたのである。
〜〜〜
同日 夜 長野県諏訪市 龍王の里 葉瀬名家本殿
舞台は再び「龍王の里」へ戻る。当主・縁の婿養子である和馬は、夫婦の寝室がある2階の展望テラスで夜風に当たっていた。
彼は「ヘルハウンド族」という、火を操る魔犬に変身する能力を持つ亜人種である。元々、里の出身ではないが、強い亜人種との婚姻を求めた縁によって縁談が組まれた。そんな経緯での婿入りだったが、妻・詩穂梨との仲は良く、家族の間に目立った問題はない。ある一点を除いては・・・。
「・・・遼一のことはすまない。お前があの人間をどれだけ大切に思っているかは、あいつも知っていただろう。それを利用された」
和馬はガラステーブルの上に置かれた携帯端末に向かって話しかけている。端末からはホログラムディスプレイが投影されており、画面には彼の息子である龍二の姿が映し出されていた。
『・・・父さんや母さんは、遼一兄の行方を知っていたの?』
龍二はずっと抱えていた疑問をぶつける。葉瀬名遼一とは龍二の実兄であり、かつて後継者の1人として祖父・縁が期待を寄せていた男だ。龍二にとって兄とは、幼少期から共に過ごした憧れの存在であり、そして目標だった。
「・・・いや、俺たちも知らなかったんだ。随分と探したんだが、手掛かりすら掴めなかった」
そんな遼一が失踪したのが大学入学時、7年前のことである。当時は最強種族の失踪ということもあって、日本政府内でも大きな騒ぎになった。結局音沙汰もなく7年が経過し、遼一の存在は葉瀬名家の中でも、過去の記憶となっていた。
「まさか、あんな危険な連中と関わっていたとは・・・」
『・・・父さんたちは、遼一兄と戦える?』
「まあ、政府からの要請も来ているし、何より我が家の大問題だからな・・・」
いざとなれば、彼らは暴走する家族を止めなければならない。それは龍二もわかっている。しかし、彼にはそれができない理由があった。
「やはりあの人間が気がかりか」
『当たり前だろ! もし、おじいさんが照の命を無視するなら、俺は父さんだろうと、母さんだろうと、全力で止める・・・!』
「・・・そうか」
龍二は両親や家族と対峙する覚悟を吐露した。和馬はどこか悲しそうな笑みを浮かべていた。程なくして通信は終了する。テラスの上には、満天の星空が広がっていた。
〜〜〜
2112年9月18日 神奈川県横須賀市
翌日、日本政府へ宣戦布告をした亜人の組織は、各局のワイドショーを騒がせている。街を行き交う人々の口からもその名前がちらほら出ているが、大多数の国民は概ねいつも通りの日常を過ごしていた。
「・・・小羽の家が横須賀にあるとは知らなかった。あれが『扶桑』か、生で見るのは初めてだよ」
「大きいだろ? 名実共に世界最大の宇宙船だ。そして世界唯一の『宇宙戦艦』だよ」
海浜公園のデッキに宿屋と小羽、そして波鐘の3人がいた。彼らはデッキの柵に身を預け、皇国海軍施設の港湾に停泊している「扶桑」を見つめていた。太陽はすでに西日となっているが、海風が心地よく彼らの体に吹き付けてくる。しかしそんな美しい夕暮れ空とは裏腹に、彼らの心は土砂降りの様に暗かった。
「・・・門真さん、大丈夫かな」
「すみません、私が動けていれば・・・!」
宿屋と波鐘は、襲撃事件のことを悔いていた。特に波鐘は自分の能力を晒すことを躊躇ったことに、ひどい後悔の念を抱いていたのである。
「いや、陽夏さんの責任じゃないよ」
「そうだぞ、俺だって何もできなかった。お前が気にしてもどうにもならねェよ」
3人は風に吹かれながら、傷を舐め合っていた。3人の心は照への心配で一杯だった。
日が暗くなっていき、海軍施設を含む湾岸に明かりが灯る。決して出撃しない軍艦「扶桑」にも、明かりが灯り始めた。
皇国海軍施設 メインゲート付近
飛行戦艦「扶桑」、正式名称を「大気圏宇宙航行用超弩級飛行戦艦」と言い、日本が異世界テラルスより持ち帰った、平行世界の28世紀の日本で造られた「未来の遺産」である。
“21世紀”の日本国が転移した時代から500年前のテラルスに、“平行世界の28世紀”の日本からこの飛行戦艦とその乗組員たちが転移していた。そして500年の長きに渡って永久凍土の下に封印され続けていたのを海上自衛隊が発見し、テラルスでの最後の戦いを勝利に導く切り札となった。
地球では2041年、千島列島へ出撃したロシア軍に対して出動し、強力な太陽フレアのごとき電子攻撃と、千島列島の一部島嶼を吹き飛ばす威嚇射撃によって、ロシア軍を撤退させるに至った。なお、地球における扶桑の軍事出撃はこの一件が最初で最後である。
「扶桑」は皇国海軍施設の港湾に停泊しており、当然ながら普段は一般人の立ち入りはできない。海軍施設のゲートでは武装した兵士とカメラが目を光らせている。
だが、そんな監視網を嘲笑う様に、メインゲートへ近づく車があった。兵士の1人がその車に気づく。そして停車した車から3人の男たちが降りてきた。彼らは堂々と閉め切られたゲートに近づき、柵に手をかけた。
「おい! 止めなさい! ここは関係者以外立ち入り禁止だ!」
監視の兵士たちは扉をこじ開けようとする彼らを諌める。しかし、フードの中から青い瞳が見えた途端、彼らの意識は瞬く間に遠のいた。
「・・・眠れ!!」
「ウッ!!?」
3人の屈強な海軍兵士が、為す術もなく地面に倒れていく。彼らは寝息を立てて深い眠りについていた。
「おやすみ、人間・・・さてと、俺たちは別に動くから、お前たちはここで人間共の相手を頼むよ」
「はっ!」
青い瞳の持ち主は夢永だった。彼は「夢魔族」としての力を使い、見張りの兵士たちを問答無用で睡眠に陥らせた。人の睡眠と夢を操る能力、それが「夢魔族」が有する特殊能力なのだ。
程なくして、異常事態が基地の中央監視室に察知される。夜勤中の警務隊員の携帯端末に、緊急のメッセージが送付される。
『メインゲートに異常探知! 侵入者の可能性あり! 付近を巡回中の警務隊員は警備アンドロイドを引き連れ、現場の状況を確認せよ』
メッセージを受け取った隊員は、すぐさま現場のメインゲートに急行する。基地内部は徐々に慌ただしくなっていく。
皇国海軍施設 「扶桑」停泊バース
しかし、そんな彼らを嘲笑うように、侵入者の本隊はすでに海軍施設の奥深くまで侵入していた。すでに日が沈み、真っ暗になった海の中から、大きな気泡の様なものが姿を現す。そして基地に接岸したそれの中から、夢永が姿を現した。
他にも気絶した照の身柄を担ぐ人面鳥族の男、海中で活動できる魚人族の男、学園を襲撃した時もいた呪術族の魔女、他にも学園襲撃に参加した同盟の幹部たちが姿を現す。その中には遼一の姿もあった。
「さぁて・・・」
夢永が顔を上げると、そこには港に接岸する「扶桑」の姿があった。全長500mを超える世界最大の宇宙船であり、世界唯一の宇宙戦艦である。
「・・・『扶桑』の艦長と幹部たちの計らいで、大体の兵士たちは艦から出払っている筈・・・、俺の能力の虜にした者以外はね」
夢永はほくそ笑む。そして彼らは扶桑の艦内へ続く乗艦デッキに足を進める。
「『ねんねんころり おころりよ』・・・眠りは人間の欲求そのもの、決して抗えないんだなぁ。そして、夢の世界は人間の欲望そのもの、それを支配する俺の力に、死角はないのさ」
夢を操る能力は、すなわち人間の欲望に迫る能力に等しい。金を使って国防省の人間から「扶桑」の人事を探り、そして夢を操り、欲望を操り、長い時間をかけて下準備をしてきた。そしてその成果が今、結実しようとしていた。
「さぁ、乗り込もう。日本皇国国防の象徴・・・改め、我ら亜人解放同盟の新たな革命拠点へ」
夢永は監視もついていないタラップに足をかける。漆黒の海の漣が聞こえる中、彼はまるでこの世界の王への階段を登るかの様な心地になっていた。
「・・・待て! 夢永タクヤ!!」
「・・・?」
しかしその陶酔を唐突に遮る雑音が聞こえた。声のした方を睨みつけると、いつの間にか現れていた一台の軽自動車と、全身の毛を毳立たせ、魔法の旋風を右腕に纏う少年、その隣に立つ人間の少年の姿があった。
「『扶桑』から離れろ!」
「そして返してもらうぞ、俺たちの仲間を!」
鎌鼬族の血を引く小羽が、そして普通の少年である宿屋が、亜人種の集団に立ちはだかる。