学園少女誘拐事件
2112年9月15日 横浜市中区
文化祭開幕を2日後に控えた日、天文部との間にいざこざを起こした佐浦道臣は、自宅のある高級マンションに帰宅していた。指紋認証で玄関の鍵を開けると、そこには彼の両親が待ち構えていた。
「・・・どうしたんだよ、親父? 出迎えなんて珍しいな」
「・・・」
道臣は父親がいることに面食らう。父親の義臣は眉間にしわを寄せ、無言のまま部屋の奥へ向かっていく。
「あのね、道臣・・・父さんと母さん、あなたに話があるの。荷物を置いてリビングに来てくれる?」
「・・・?」
母親は理由を言わず、息子にリビングへ来る様に命じた。道臣は怪訝な表情を浮かべる。彼は自室に部活の道具と通学カバンを置いた後、両親が待つリビングに向かった。
応接用の向かい合うソファの一方に、父親の義臣と母親が並んで座っている。道臣はその向かい側に腰掛けた。
「お前・・・あの『葉瀬名』のお嬢さんに粗相を働いたそうだな」
「・・・は?」
道臣は心当たりが全くなかった。父親の義臣は怒気を含んだ声で口を開く。
「・・・門真照、という女子生徒に狼藉を働いたそうだな」
「門真・・・? ああ、ちょっとふざけただけだよ。それが何だって言うんだ?」
道臣は照のことなどすでに忘れかけていた。しかし、彼は自分がしでかした事態の重さを自覚していなかった。
「その娘は・・・あの日本最大の農業企業の『葉瀬名家』の養女なのだ。今朝、葉瀬名家から学園へ正式な抗議があったそうだ。お前を退学にしろ・・・と!」
「な、何だよ、それ!?」
道臣は流石に動揺していた。資産家の息子である彼も、葉瀬名という名前は知っている。しかし彼らが龍の一族であることは知らなかった。ゆえに、照に纏わりついていた「大妖怪の妾」という噂と「葉瀬名家」との繋がりに気づいていなかったのだ。
「まさか、本当に退学になる訳じゃねェよな? 親父、なあ!?」
道臣は薄ら笑いを浮かべながら父親に詰め寄る。
「・・・何とか2週間の停学と反省文の提出で話をつけた。感謝しろ」
「は? 停学? 反省文? ・・・フザけんなよマジで、なんであんなブス女のためにそんなことしなきゃなんねェんだよ」
道臣は全く反省の意を見せない。それどころか照に逆恨みする有様だった。そして彼の態度はついに父親の逆鱗に触れた。
「・・・ふざけているのはお前だ!! どれだけ親に恥をかかせれば、迷惑をかけたら気が済むんだ!」
「!?」
父親の義臣は息子の胸ぐらを掴み、怒声を浴びせる。道臣は言葉を失い、母親は狼狽えるばかりだった。
「『ハゼナ・アグリカルチャー』は我が社にとって最大の取引相手だ! 今後同じようなことがあったら、親子の縁を切る!」
「・・・なっ!?」
頼りにしていた父親に最後通告を突きつけられ、道臣は呆然とする。父親は突き飛ばすように彼の胸ぐらから手を離すと、憤慨したまま自室へと戻って行った。
横浜市内 龍二の自宅
その頃、照が暮らしている龍二の自宅に1本の電話が届く。通話をしている龍二は、極めて真剣な表情で会話をしている。リビングのソファには、天文部員である宿屋と小羽の姿があった。照は台所で紅茶を淹れている。
「はい、そうですか・・・では」
龍二は通話を切る。相手は照たちが通う学園の理事長だった。彼がソファに座り直したタイミングを見計らって、照は龍二と客人2人に紅茶を配っていった。
「・・・龍神様?」
照はトレーを胸に抱えながら、不安そうな表情で主の顔を見上げる。龍二はティーカップに口を寄せると、優しい笑みで彼女に向き直す。
「・・・佐浦道臣という3年生は、2週間の停学処分になったそうだ。退学にさせられなかったのは残念だが、少なくとも、2日後の文化祭では顔を見ずに済むだろう」
「・・・そ、そうですか」
照はどこかホッとした表情を浮かべる。知らない異性に詰め寄られた記憶は、彼女の中で軽いトラウマになっていた。
「・・・さすがは『葉瀬名家』ですね。アイツの生家は日本でも有数の運輸企業だと言うのに。それを遥かに上回る権威と権力か」
小羽はほくそ笑む。横浜翡翠学園は私立の進学校であり、企業の子息・子女も多く通う。その中でも佐浦道臣の生家は学園内でトップクラスの資産家だった。ゆえに、彼の悪行については学園も生徒たちも日和見主義となり、今まで目立ったお咎めなく見過ごされてきた。
しかし、龍二が「葉瀬名」の名前を出して学園に一報を入れた途端、それを鶴の一声として佐浦の処分がトントン拍子に決まってしまった。日本国民の4割の胃袋を支える「世界最大の農業企業」が有する権勢は、他の大企業を遥かに凌ぐものなのだ。
「大切な家族を守るためなら、何でも使うさ・・・。それよりも今回のこと、連絡してくれてありがとう」
龍二は改めて、宿屋と小羽の2人に感謝の言葉を伝える。宿屋と小羽、そして照の3人は顔を見合わせ、安堵の笑みを浮かべるのだった。
〜〜〜
2112年9月17日 横浜市 横浜翡翠学園
それから2日後、ついに「学園合同文化祭」の日がやって来た。天文部は文化会館の部室に今までに記録した星空の映像を展示していた。ポータブルプラネタリウムによって部屋一面に写し出された星空と流星群は、この部屋を訪れる集客の心を射止めていた。
「これは『ペルセウス座流星群』で、日本ではいわゆるお盆の季節に流れる流星群です。三大流星群の一角を成し、1時間に80個以上の・・・」
立体映像で映し出された夜空と流星をバックに、受付嬢を務める照が説明をしている。氷の美少女目当てに訪れる不埒な輩も相まって、来場者は当初の想定を超える人数が訪れていた。
部長の宿屋は照の説明に合わせてバーチャルPCを操作し、立体映像の画面を切り替える。するとどこかで聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「・・・宿屋さん! 遊びにきました!」
「波鐘さん!」
人混みに紛れて現れたのは、カジノリゾートで出会った亜人族の少女、波鐘陽夏だった。小洒落た服とトートバックを身につけ、可憐な中学3年生といった出立ちである。休日を利用して恩人が通う学校の文化祭を訪れたのだ。
彼女が属する亜人種は「ミダス族」、触れたものを「黄金」に変質させる能力を持つ種族だ。カジノリゾートでの一件でその存在が政府に認知され、その希少性と価値から彼女の一家は「特定保護種」として政府の保護下に置かれることとなった。
「ここが良く分かったね、1人で来たの?」
「はいっ! おふたりにまた会いたくて来ちゃいました!」
波鐘は無邪気な笑みを浮かべる。彼女はキョロキョロと周囲を見渡した。
「あの、小羽さんは?」
「ああ、あいつなら俺と交代で文化祭をまわっている筈だよ。連絡しようか」
「・・・! はいっ!」
波鐘は目をキラキラさせる。どうやら彼女は小羽が目当てだった様だ。
その時、接客を行っている照も、カジノリゾートで出会った少女の来訪に気づいていた。
「あ! お久しぶりですね、波鐘さん」
「・・・門真さん!」
カジノリゾートでの一件で偶然出会った2人は、お互いに挨拶を交わす。あの一件以降、2人は時折連絡を取り合う仲になっていた。
宿屋の腕時計端末がアラームと共に起動し、空中にミニホログラムディスプレイが投影される。それには今日1日のスケジュールが表示されていた。
「そろそろ・・・中央広場で管弦楽部の路上コンサートがある。小羽もそこに来るみたいだ。波鐘さんも一緒に行かないか?」
「・・・はい!」
その後、彼ら3人は小羽が待つ学園の中央広場へと移動するため、天文部の部室から出て行った。そして廊下を行き交う来客の中に、彼らに憎悪の視線を向ける人影がある。
(あいつらのせいで・・・オレの学園生活はメチャクチャだ・・・!)
男はパーカーのフードを目深に被り、学園の生徒たちから顔を隠している。だがその素顔は現在停学処分中である筈の佐浦だった。
彼は携帯端末をポケットから取り出すと、どこかへ連絡を取る。
「・・・俺だ。お前たちが探している女が出てきた」
横浜翡翠学園 中央広場
中等部校舎と高等部校舎、そしてその2つを繋ぐ渡り廊下に囲まれた「中央広場」では、管弦楽部による路上コンサートが開催されようとしていた。指揮者を務める3年生の少女が集まった聴衆に向かって頭を下げる。群衆の中には天文部のメンツがいる。
「・・・こ、小羽さん!」
「あ! やぁ、陽夏ちゃん!」
波鐘は雑踏の中に小羽の姿を見つけると、嬉しそうに彼のもとへ駆け出していった。彼女は自分の殻を壊してくれた小羽に、尊敬と思慕の念を抱いていた。
「良く来てくれたね、ぜひとも楽しんで行ってよ」
「・・・はい!」
波鐘は満面の笑みを浮かべる。その時、広場の各所に設置された拡声器から、アナウンスが聞こえてきた。オーケストラを組む管弦楽部の先頭に、部長を務める男子生徒が立ち、群衆に向かって挨拶をする。
『みなさん! ようこそ、集まってくださいました! 横浜翡翠学園中高合同管弦楽部による、文化祭特別ライブ! お楽しみください!』
甘いマスクで指揮棒を握る部長に向かって、女子生徒の黄色い歓声が湧き上がる。その指揮棒が3、2、1のリズムを刻んだ瞬間、オーケストラは弦楽器の弓を弾き、管楽器に思い切り息を吹き込む。
だが、群衆の耳に届いたのは鮮やかな旋律ではなく、鼓膜を破らんばかりの爆発音だった。
ドカアァ・・・ン!!
「キャアアア!!」
群衆の歓声は一瞬で悲鳴に変わった。非常事態を察知した学園の警備ドローンが現れ、群衆に向かって冷静を保つようにアナウンスを発する。
「どこで・・・何があった!?」
「・・・あそこだっ!」
小羽は咄嗟に波鐘の体を庇う。そして宿屋が指差した先には、壁が破壊された渡り廊下があった。さらに渡り廊下に大穴を開けたと思われる集団が、不気味な笑みを浮かべ、逃げ惑う群衆を見下ろしている。
「・・・!?」
宿屋の背後に隠れていた照は、先頭に立つ女々しい印象の男と目が合った。男の背後には、異形の体を持つ者たち控えていた。
(・・・亜人種!?)
小羽は彼らが亜人種の集団であることに気づいた。女々しい男は一際不気味な笑みを浮かべると、怯えを隠し切れない照を指差し、仲間に合図した。
「あいつが『龍の眷属』だ・・・奪え!」
「了解!!」
集団は天文部の面々に向かって襲いかかってきた。大勢の人々が背を向けて逃げ惑う中、小羽は仲間たちを後ろに庇い、右腕を構えて臨戦態勢をとる。
「クソッ・・・! あいつら、こっちに来やがる!」
「小羽!」
「心配要らねぇよ! それより陽夏ちゃんと照ちゃんを頼む! ハアアア!」
小羽は右腕に魔力を纏う。全身の毛が逆立ち、魔物としての姿を露わにする。その間にも、背中から羽を生やした「人面鳥族」の男たちが迫っていた。
「“白銀の鎌鼬”!」
小羽は疾風のごとき“鎌鼬”を、迫り来る亜人に向かって放った。しかし、人面鳥の男たちの前に魔女の仮装をした女が現れ、魔方陣を張り巡らせて小羽の攻撃を弾き飛ばしてしまう。
「・・・魔法防壁か!」
「そうよ! 貴方も亜人種なのね、中々の攻撃力だけど・・・残念ッ!!」
女は呪術族の血を引く亜人種だった。彼女は魔方陣からカウンター攻撃を繰り出す。魔力を込めた実体弾が小羽に向かって襲いかかった。
「ウワアアアァ!!」
小羽は為す術もなく吹き飛ばされてしまう。その余波に巻き込まれ、駆けつけていた警備ドローンも蹴散らされてしまった。
「小羽!!」
宿屋は咄嗟に彼の名前を叫ぶ。その直後、広場の上空を飛び回っていた人面鳥族の男が彼らのもとへ一気に近づいてきた。
「オラッ! よそ見は禁物だぜ!」
「ぐはっ・・・!」
男は飛翔の勢いそのままに、宿屋の腹に向かって強烈な蹴りを喰らわせる。宿屋は強烈な嗚咽感と共に気を失ってしまう。
「小羽さん! 宿屋さん! イヤアアァァ!!」
逃げ惑う群衆と飛び交う襲撃者を前にして、波鐘は狼狽することしかできない。そしてそんな彼女を嘲笑うかの様に、人面鳥族の男たち、そして呪術族の女たちは、波鐘と照を囲うように飛び回る。
「龍の眷属・・・! その身、我々が預からせてもらうわ!」
「!!?」
呪術族の女は波鐘の隣に立っていた照を指差す。すると彼女の体は球形の魔法防壁に包まれた。防壁は瞬く間に空へ上昇していく。波鐘は咄嗟に手を伸ばしたが、全く届かない。照は必死の形相で魔法防壁を叩き、引っ掻いたが、声すらも遮断されて悲鳴を上げることすらままならなかった。
そして目的のモノを手に入れた亜人種の集団は、破壊された学園を尻目に空に向かって飛び立っていく。
リーダー格の女々しい男は、一際屈強な人面鳥族の部下の背中に飛び乗ると、それまでの雰囲気とは一転して、まるで悪魔のような高笑いをあげ、そして愕然とする波鐘に向かって捨て台詞を言い放つ。
「おい、お前! この小娘の飼い主に伝えろ! コイツが無様な顔で龍神に命乞いする様を届けてやるからよってなァ!」
「・・・!!?」
波鐘は言葉を発することができない。だがその時、瓦礫の中から宿屋が立ち上がる。彼は額から血を滴らせながら、修羅の如き眼光で襲撃者たちを睨みつける。
「テメェ・・・ッ! 『門真照』をナメるなよ!」
「・・・ククッ!」
しかし、襲撃者たちにはそんな宿屋の忠告もただの負け惜しみにしか聞こえない。そして照は囚われた球形の中で、届かない叫び声を上げ続ける。
破壊された学舎を尻目に、亜人種の集団は照を攫い、空の彼方へ去っていく。宿屋は足を引きづりながら追いかけようとするも、彼の視界と意識は次第に薄れていき、気絶してしまった。
騒ぎを聞きつけた警備員と教師たちが現場に駆けつける。周囲には破壊された渡り廊下の瓦礫と、蹴散らされたドローンが散乱していた。そして避難が間に合わず、小羽と襲撃者の戦闘の余波に巻き込まれ、負傷した人々が倒れている。
月神は特にひどい傷を負っていた教え子たちを見て、怒りと動揺をあらわにした。
「・・・教頭先生! すぐに救急車と警察を呼んでください!」
「わ、わかった!」
教頭はすぐに携帯電話を取り出して119番にかける。警備員たちは負傷者の救護へと向かう。そして月神は特に負傷が酷い教え子、宿屋のもとへ駆け寄った。
「宿屋くん・・・血が!」
「少し擦りむいただけです。それよりも・・・小羽の方が重傷です」
「・・・!!」
宿屋が指差した先には、校舎の壁に叩きつけられ、瓦礫の中に横たわる小羽の姿があった。負傷した2人の姿を目の当たりにして、波鐘は酷く狼狽している。
「私が・・・私がちゃんとしていれば、照さんを攫われることはなかった! ごめんなさい!」
「攫われた・・・!? それと・・・君は?」
彼女の言葉を聞いて、月神はますます目を見開いた。そして同時に、目の前に立つ中学生の存在に疑問を抱く。立ち上がった宿屋が事の詳細について説明する。
「その子は以前、エンターテインメント・シティーで会った子です。小羽と仲が良くて・・・この文化祭に来てくれたんです。・・・それよりも、門真さんのことですが」
宿屋は襲撃者たちが亜人種の集団だったこと、小羽が応戦したが返り討ちにあったこと、門真が彼らに攫われてしまったことを話した。
「・・・奴らは、門真さんのことを『龍の眷属』と呼んでいました」
「・・・『眷属』?」
襲撃者たちは彼女が「龍の眷属」、すなわち天翔る龍に変身する最強の亜人種の一族・葉瀬名家の従者であることを知っていた。
「あいつらは、門真さんを使って・・・『葉瀬名家』を脅すつもりでしょうか?」
「照ちゃんの揺るぎない忠誠心なら、奴らの思う通りにはならない・・・だろうが」
波鐘の肩を借りて立ち上がった小羽が、2人の会話に入ってくる。
「・・・小羽! 無理するなよ!」
「これくらい、どうってことねェよ! それよりも・・・!」
小羽は気丈に振る舞う。確かに彼は人間より頑丈な種であるが、全身に酷い打撲を負っていた。立ち上がるのがやっとの状態だった。
「わかっている、門真さんのことは、すぐに警察と理事長に伝える。生徒1人誘拐されたとなれば・・・学園の大問題だ。無事だといいが・・・それに」
月神は照の身を案じていた。そして彼は一呼吸おくと、深刻な顔でつぶやいた。
「・・・日本屈指の企業一族、そして日本最強の亜人種を標的にした誘拐事件か。もしかしたら・・・この学園だけじゃない。日本という国そのものを巻き込む大騒動になるかもしれない・・・」
月神はこの事件の背景に潜む、犯人グループの狙いに思考を巡らせる。「横浜翡翠学園襲撃・女子生徒誘拐事件」は警察に通報され、瞬く間に日本中のソーシャルメディアが知るところとなった。