ヨコハマ・ベイ・エンターテインメント・シティー
2112年6月5日 神奈川県横浜市 龍二の自宅
6月の上旬、龍二は照と共に自宅で休日を過ごしていた。彼がPCでレポートを作成している傍らで、照も部長である宿屋から任された仕事をしていた。
「照、部活は楽しいみたいだね?」
「はい! みなさんは本当によくしてくれます」
天文部は今のところ、男所帯の中に女子1人だけという構図になっているが、宿屋と小羽は彼女に対して屈託なく仲間として接している。照はそれが心地よかった。
「そうか、よかった」
龍二はそう言って微笑む。その時、彼のスマートウォッチに着信が届いた。龍二はバーチャルディスプレイを空中へ投影し、発信元の名前を確認する。
「・・・お祖父さん!」
「・・・!」
発信者の名前は「葉瀬名縁」と表示されていた。それは龍二の祖父であり、日本最大の農業企業のトップに立つ男であった。彼は緊張の面持ちで通話を繋ぐ。
『・・・元気か? 龍二』
「はい、おじいさん」
祖父というにはあまりにも若々しい声が聞こえてきた。しかし、その口調は精神的な成熟を感じさせる堂々としたものである。祖父の縁は早速、連絡した要件について伝える。
『農林水産省大臣、佐久間英義大臣が主催する晩餐会が、6月11日に横浜で開催される。ハゼナ・アグリカルチャーにも招聘状が届いた。善久たちを行かせる予定だ。お前にも参加してもらう』
「それは良いですけど、・・・場所はどこなんですか?」
第一次産業に携わる国の重鎮たちとその家族を集めた会合が、次の日の土曜日に開かれるという。縁は龍二を社交の場に触れさせる目的で、晩餐会に参加させようとしていたのだ。
『・・・『ヨコハマ・ベイ・エンターテインメント・シティー』の『ホテル・エ・ベリッシモ・ノッテ』だ』
「ヨコハマ・ベイ・エンターテインメント・シティー」、そこは2020年代に開設された統合型リゾート、すなわちカジノリゾートである。日本で最初に開業したカジノリゾートであり、開設からすでに90年近い歴史を持つ。
主たる観光資源であるカジノの他、ホテル、アミューズメント施設、スポーツ施設、ショッピングモール、レストラン、映画館、コンサートホールなどが並び、2050年以降はほぼ日本単独開催となった「オリンピック」も、ここを会場とすることがある。
「6日後に『ヨコハマ・ベイ・エンターテインメント・シティー』ですね」
『そうだ、よろしく頼む。・・・ああ、お前のことだから、あの人間も連れて行きたいだろう。別に構わないからな』
「わかりました。喜久叔父さんによろしく伝えてください。・・・それでは」
通話が切れる。直後、龍二は大きなため息をついた。
「・・・龍神様、さっきの電話は」
「ああ・・・」
龍二はスマートウォッチからカレンダーを起動する。6月11日の予定欄は空欄になっていた。
「照、次の土曜日は予定があるかい?」
「・・・いえ、その日は何もないです」
照は首を横に振った。龍二はことの詳細について説明する。
「次の土曜日、農林水産官僚や農業企業の重役が集まる晩餐会があって、祖父は俺を出席させると決めたみたいなんだ。一緒に来てくれると、嬉しいんだけどな」
龍二は同伴者として彼女を晩餐会に誘う。その瞬間、照は満面の笑みを浮かべた。
「・・・わ、私を!? はい、喜んで!」
社会的地位の高い人物が集まるレセプションに、大企業の御曹司の同伴として参加することは、当然それなりの立ち振る舞いを要求される。彼女はそんな場所に連れて行ってもらえることが、嬉しくてたまらなかったのだ。
〜〜〜
2112年6月11日 神奈川県横浜市 ヨコハマ・ベイ・エンターテインメント・シティー
晩餐会の当日、龍二と照は会場である「ホテル・エ・ベリッシモ・ノッテ」に来ていた。タクシーを降りる龍二は20万近いスーツに身を包み、照は横浜翡翠学園の制服を着ていた。緊張のためか、いつも以上に表情が固い。
「叔父さんはまだ来てないのか・・・」
龍二は辺りを見渡し、ぽつりとつぶやいた。そして照を引き連れてホテルに入ろうとした時、突然彼の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。
「久しぶりだね、龍二!」
「・・・須美華ちゃん!」
それは彼の“母の弟”である喜久の長女、すなわち従姉妹に当たる少女であった。名前を葉瀬名須美華と言い、彼の4歳年下である17歳の高校2年生だ。
須美華は龍二の顔を見上げ、親しげな様子で彼に話しかける。
「いや〜、ちょっと見ない間にまたカッコよくなったね! ・・・あれ、どうしたの、その人間?」
その途中、彼女は龍二のそばに控える人間の少女に気づいた。照はおずおずとしながら顔を出し、頭を下げて自己紹介をした。
「は、はじめまして! 門真照といいます!」
「!」
その瞬間、須美華は体の中に稲妻が走ったかの様な感覚に陥る。
「・・・か、かわいい!」
「!?」
須美華はそういうと、両腕で照の肩を掴み、彼女に向かって思いっきり顔を近づけた。照は突然のことに硬直してしまい、全く動くことができない。
「ねぇねぇ、龍二! ”これ”ってあの時拾ってきた人間の子だよね?」
龍二が高校2年生の時、彼は母と祖父に頼んで当時小学生の照を葉瀬名家に引き取った。須美華が照と会うのはその時以来のことだった。
「・・・そうだよ。それより“拾った”って言い方は・・・」
「へぇ〜! あの痩せた人間の子供がこんな可愛くなったんだ!」
須美華は龍二の言葉が耳に届いておらず、まるで新しい人形を与えられた子供の様に、照の頬を一頻り撫で回す。そしてなすがままになっていた彼女を強く抱きしめると、お菓子を求める子供のような上目遣いで、龍二の顔を見上げた。
「ねぇ、私にこの子ちょーだい? ちゃんとご飯もあげるし、可愛がってお世話するからさ」
「ダメに決まってるだろ!」
須美華はまるで犬や猫を譲って貰うかのような言い方で、照のことを欲しがった。龍二は思わず感情的になってしまう。
「ちぇーっ、残念」
しかし、須美華は彼の怒号を特に気にすることはなかった。それどころか、新たな企みごとを龍二に示してきた。
「ねぇ、龍二。まさか、照ちゃんをこの格好のまま晩餐会に出すつもり? 制服なんてもったいないよ! 私が見繕ってあげるから!」
「・・・え?」
なすがままになっていた照は、少しばかり気の抜けた声を出してしまう。そして須美華は呆然としている彼女の腕を引き、どこかへ連れ去っていく。
「借りてくね!」
「おい!」
龍二が静止する間もなく、2人はどこかへ消えてしまった。彼は大きなため息をついた。
ヨコハマ・ベイ・エンターテインメント・シティー ホログラム・シアターセンター
その頃、エンターテインメント・シティーの敷地内にある「ホログラム・シアターセンター」の出入り口に、天文部の宿屋と小羽の姿があった。彼らは休日を利用して、ここに映画を見に来ていた。
この時代の映画は、ホログラムを駆使した3次元的な立体映像をドーム状のシアターに構築する形態が主流となっている。ホログラムとプロジェクションマッピングの普及により、家庭で用いられる映像技術も格段に進歩しており、テレビゲーム機などは部屋全体にホログラムを投影し、プレイヤーにまるでゲームの中の世界にいるかの様に錯覚させるものが開発されていた。
「ちょっと早く来すぎたねぇ」
「そうだな、部長。あと30分、どうやって時間を潰すか・・・」
小羽は腕時計式端末で現在の時刻を確認する。映画の上映開始まで30分ほどの余裕があり、予定していなかった時間的猶予が彼らの頭を悩ませていた。
「どうせならジュースとポップコーンでも買うか」
「まぁ、並ぶ時間はあるからね」
小羽の提案に、宿屋も同意する。その後、宿屋から電子マネーを受け取った小羽は、2人分のポップコーンを買うため、シアター内の販売所に向かおうとした。
しかしその途中、フードを目深に被った人物が彼の目の前に飛び込んできた。
「うおっとぉ!?」
「・・・キャ!」
小羽は辛うじて接触を回避したが、相手の方はバランスを崩して転んでしまった。その拍子に甲高い悲鳴をあげたことから、小羽はその人物が女性であること悟った。
「・・・あの、大丈夫ですか?」
「!」
小羽は倒れてしまった女性を起こしてあげようと、右手を差し出した。女性は彼の顔を見上げると、おどおどしながら彼の右手を掴んだ。
「あ、ありがとうございます」
女性は立ち上がると、そう言って足速に立ち去った。身長は小羽より低く、外見は中学生くらいに見えた。
「あの子、このジメジメした季節に、なんで手袋なんかつけてるんだ?」
そして小羽は、彼女が梅雨という季節に厚手の手袋を着用していたのが、少し気がかりになっていた。
ホテル・エ・ベリッシモ・ノッテ ロビー
照、須美華と別れた龍二は、ホテルのロビーに設置されたソファーに座っていた。首と後頭部を背もたれに預け、上を見上げてみると、吹き抜けになっている天井から、巨大なシャンデリアがぶら下がっているのが見える。
その時、照と須美華が彼のもとへ戻って来た。
「お待たせ! 龍二! ・・・ほら、見せてやってよ!」
「は、はい・・・!」
龍二が振り返ると、そこにはパーティードレスに身を包んだ須美華の姿があった。その服飾や身につけているネックレスなどの装飾品は、必要以上に華美というわけではないが、並の高校生が手を出せる領域ではない金額の品物ばかりであり、彼女たちの生家の財力を誇示している。
そして須美華の背後から、同じ様に着飾った照が現れた。
「・・・!」
照は須美華と同様に、彼女が見繕った高級なパーティードレスに身を包んていた。イヤリングやネックレスなどの装身具も、須美華のセンスが光っている。普段の制服姿では分からない、女性らしいスタイルが強調されており、龍二は思わず見惚れてしまう。
「・・・コホン、ちょっと露出が多くないか?」
照の服は須美華と比べると、肩周りや背中が結構空いたデザインをしていた。龍二は気を取り直すと、そのことに苦言を呈した。
「・・・そう? これくらいなら大丈夫よ。スカーフもあるし。それにこの子の肌、凄く綺麗なんだから、積極的に見せつける方針でいかないと! ホントは胸元も空いたヤツにしたかったんだけど、流石にそれは恥ずかしいって・・・」
「おいおい・・・」
龍二は従姉妹である須美華が、彼女に無理強いをしたのではないかと心配する。しかし、照は少しだけ恥ずかしそうに頬を染めながら、彼に問いかけた。
「その・・・似合いませんか?」
「あぁ、なんだ。・・・その、凄く・・・綺麗だよ」
龍二ははにかみながら答える。お互いに恥ずかしがる2人を見て、須美華は大きなため息をついた、
「ハァ〜、どうせお互いの体なんか見飽きてる間柄でしょうに、今更何恥ずかしがってんのよ」
「・・・なっ! お前なあ!」
「・・・!!」
龍二は須美華が発した言葉を聞いて憤り、公共の場であることを忘れ、大きな声を張り上げた。照は茹蛸の様に顔を真っ赤にしている。
「・・・あら? なんだ、違ったの? てっきりやることやってんのかと」
「・・・っ!」
今度は龍二が顔を真っ赤にする。だがその時、須美華をここへ連れて来た張本人である、彼女の両親が彼らの前に現れたのだ。
「久しぶりね、龍二くん」
須美華の母、葉瀬名玲が龍二の存在に気づいて声をかける。彼女は炎を操る悪魔「炎魔族」のクオーターであり、亜人種のコミュニティである「龍王の里」の出身者であった。
「久しぶりです。叔母さん、そして叔父さん」
玲の隣には彼女の夫であり、龍二にとっては母親の弟にあたる喜久の姿があった。龍二が着用しているものとはまた格の違う、年季の入ったダークスーツを着用している。この夫婦は実年齢は40歳台後半なのだが、どちらとも強力かつ長寿な亜人種の血を引いているため、外見は20歳台後半程度で老化が止まっているのだ。
周囲をよく見渡してみれば、格式高い装いをした男女の姿がちらほらと目につく。おそらくは彼らが参加する晩餐に参加する者たちだろう。現役閣僚が開催する規模の大きな会合ということもあり、その装いも一際高貴な印象を漂わせる。
「ん?」
喜久は龍二の側に控えている少女に気づいた。視線を向けられた照は、慌てて会釈をする。
「なんだ、それも連れて来ていたのか。まあ、別に構わないが」
喜久は照のことを一瞥すると、特に気にする様子もなく、再び血縁である龍二に視線を向けた。
「まぁ、あまり緊張するなよ。私たちがいる。現役閣僚と要人相手とはいえ、人間に対しては堂々と構えていればいい」
厳格そうな雰囲気とは裏腹に、喜久はいざとなればフォローするから堂々としていろ、と社交場初体験の龍二にアドバイスを送った。
彼は次に、龍二の側に立つ照に視線を向けた。
「・・・君もだ。龍二の側女とはいえ、仮にも我々の同伴者として振る舞うなら、くれぐれも粗相のない様にしてくれよ」
「は、はい!」
照は改めて気を引き締め直し、力強く返事をした。自分の振る舞いが主とその一家の評価につながることを自覚し、彼らを貶める様なことがあってはならないと、胆に銘じるのだった。
ホテル・エ・ベリッシモ・ノッテ 22階 宴会場
それから程なくして開宴時間となり、招待客が晩餐会会場へと通されていた。スタッフに席順表を渡され、各々が割り振られた席に座る。
喜久と龍二をはじめとする葉瀬名の面々は、会場前方の主催者席に程近いテーブルに割り振られていた。他の参加者たちは席に座る「龍神族」を遠巻きに見つめている。
彼らが経営する農業企業「ハゼナ・アグリカルチャー」は、主に関東首都圏に住まう人々に食料を供給し、実に日本人口の40%が口にする食料を生産している。日本国内でも屈指の大企業なのである。
『お集まりの皆様、お待たせ致しました』
開宴の時間が訪れ、進行役を務めるホテルスタッフの男性が壇上からアナウンスを始めた。前方の主催者席には農林水産省大臣の佐久間英義と、彼の妻が並んで座っている。
『皆様、前方へご注目ください。主催者による開宴の挨拶です』
進行役に名指しされ、佐久間はワインが注がれたグラスを片手に椅子から立ち上がった。招待客の注目を一身に受ける中、佐久間はゆっくりと口を開いた。
ヨコハマ・ベイ・エンターテインメント・シティー アミューズメントパーク
ホテルで豪華な晩餐会が開催されていた頃、「ヨコハマ・ベイ・エンターテインメント・シティー」の敷地内に建設されている遊園地に、華々しい雰囲気と似つかわしくない黒服の男たちがいた。彼らはインカムで仲間たちと連絡を取り合いながら、焦燥感に満ちた表情で彼方此方を駆け回っている。
「出入り口は抑えた! 絶対エンターテインメント・シティーの中にいるはずだ!」
「会長のご命令だぞ! 何としても探し出せ!」
彼らは会長と呼ばれる人物の命令で“誰か”を探していた。しかし、なかなか見つからないため、彼らは会長からの制裁を恐れて、死にものぐるいになっていたのである。
「絶対に捕まえるんだ・・・あの『ミダス族』の娘を!」
〜〜〜
葉瀬名善久
龍神族のクォーター。詩穂梨の実弟。縁の第2子。長男。名目上の照の養父。
葉瀬名玲
炎魔族のクオーター。善久の妻。
葉瀬名須美華
龍神族の血を引く少女。17歳。当主・縁の長男 善久の第1子、長女。自我に忠実でつかみどころのない性格。人間を自分たちとは別種の生き物と考えており、悪意は無いが照を動物の様に扱う言動が特に目立つため、龍二に不快感を示される。




