氷の美少女
しばらく学園ドラマが続きます。
2112年4月9日 神奈川県横浜市 横浜翡翠学園高等部
入学式から1週間後、新1年生たちはグループを作ったりしながら、この高校での新生活に馴染みつつあった。1年B組の生徒である宿屋奏太も、そんな新入生の1人である。
「俺は東崎さんかなぁ・・・なあ、宿屋! お前はどう思う?」
休み時間、数名の同級生たちが宿屋の机に集まって、他愛のない会話をしている。彼らは今、クラスで1番かわいい女子は誰かという話をしていた。
「俺は・・・う〜ん」
中学からの同級生である泉川に話を振られ、宿屋は真剣に悩んでいた。ちょうどその時、校内で密かに噂になっている“氷の美少女”が教室内に入ってきた。その姿を見ていた宿屋は、彼女の名前を口にする。
「やっぱり・・・門真さんかなぁ」
宿屋は照の名前を挙げた。数名の男子は「なるほど」と納得していた。しかし1人、彼女と同じ中学だった男子が、その発言に顔をしかめる。
「確かに美少女だけど・・・あいつには近づかない方がいい。“妖怪の愛人”って噂だからな」
「妖怪?」
「いつもあの子を迎えに来ている若い男だよ。人間じゃないらしいんだ。しかも、あんな高級車を乗り回す御曹司だろ? だから本来の結婚相手は別にいて、門真は愛人なんだろうって噂」
その生徒は照と同じ中学出身であるが故、彼女が近寄り難い人物であることを知っている。しかし、その認識は実際の照の姿からはかけ離れたものだった。
「・・・所詮噂だろ? ふつーに兄妹とかじゃないの?」
「門真は自分のことは人間って言ってたし、苗字も違うらしいから、本当に血のつながりは一切無いんだと思う」
「えぇ〜、じゃあマジで愛人やってんの? 清楚そうな顔して」
たむろしていた男子生徒たちは、照に対して幻滅した様な発言をする。宿屋はその会話を聞いて、不快な気持ちがしていたが、場の空気を乱すのを戸惑い、なかなか言い出せない。
そんな時、唐突に彼らの会話を遮る声がした。
「・・・根拠のない噂で人のことを判断するのは、感心しないな」
「つ、月神先生」
高等部の倫理・日本史の若き教師、月神葵がいつの間にか彼らの目の前に立っていた。スラっとしたスタイルの良い長身に、日本人離れした白肌、色素の薄い頭髪、赤みを帯びた茶色い瞳、そして青年とは思えない中性的で色気ある容姿・・・学園屈指の美形教師として評判の男である。
その目はまるで獣の様に鋭く、天使の様に幻想的だった。生徒たちはただ見つめられただけなのにも関わらず、身震いをしてしまう。
「・・・す、すみませんでした」
「うん、気をつけるんだよ」
月神はそう言うと教壇へ戻っていく。それと同時に予鈴が鳴った。教室を見渡すと、彼に熱い視線を送る女子生徒たちの姿がある。月神は生徒たちに向かって軽く微笑む。
「では・・・先週のオリエンテーションに続いて、本格的に授業を始めます。教科書は1ページ目『第1章・神話の時代』から。この章の内容は歴史的事実との整合性について議論のある部分であり、大学入試には出題されませんが、この国のルーツを語る、いわば日本人のアイデンティティに関わるものです・・・」
この時代、歴史教育は「天照大神」から始まる。月神は板書にプレゼンテーションを映し出した。
「では最初のページから、この世界はまず『高天原』という神々の住む場所が最初に誕生し・・・」
彼は理路整然とした口調で説明を行う。女子生徒の何人かはその端正な顔立ちに見惚れていた。その中に1人、何かを企んでいる様な笑みを浮かべる女子生徒がいた。
(あれが噂の先生ね・・・。確かに、悪くない顔じゃない・・・)
彼女の名前は東崎鈴美、照や宿屋たちと同じく、このクラスに在籍する新入生の1人だ。そして彼女はある亜人種のクオーターでもある。
(下手すれば並の女よりもよっぽど美人で綺麗な顔。そんな綺麗な男を見ていると、貶めたくなる・・・。私の『歌』の力で弱味を握って、僕にしてやりたい・・・!)
東崎は歪んだ感情を月神に向けていた。彼女は中学の頃から亜人種の力を使い、自分より立場が上の男性、すなわち男性教諭の弱みを握り、言いなりにすることを喜ぶ歪んだ趣味を持っていた。
・・・
全ての授業が終わり、ホームルームも終了した放課後、生徒たちは続々と帰路につく。宿屋もカバンを取り出し、帰り支度を進めていた。そんな彼に、男子生徒の1人が話しかける。
「なぁ、宿屋! バスケ部の見学に行かねェか?」
「バスケ?」
入学式から1週間後、校内は部活勧誘期間であり、在校生たちは新入生たちへの勧誘攻勢を強めていた。そんな中、この男子生徒は宿屋をバスケットボール部の見学に誘ったのである。
「まだ入る部活決めてないんだろ?」
「あ、ああ・・・でも」
宿屋はうなずいた。しかし、同時に少しだけ表情が曇ってしまう。
中学の頃、彼はサッカー部に属していた。強豪校というわけではなかったが、レギュラーに選ばれており、予選大会ではそれなりに活躍して、国体の候補選手に選ばれるほどだった。しかし、彼は中学2年の秋、試合中の接触プレーで半月板を損傷してしまった。それ以降、スポーツはすっぱり辞めていたのである。
「だから・・・運動部の見学は、ごめん。もうするつもりはないんだ」
宿屋はその経緯を包み隠さずに明かした。それを聞いた男子生徒は、申し訳なさそうな表情をする。
「・・・そりゃあ、悪かった。じゃあ、またな」
「ああ、気にするな」
宿屋にとって、膝の故障はすでに終わった過去の話であり、それについては特に気にしていなかった。2人は別れの挨拶を交わし、男子生徒は教室を後にする。
その後、教室は人がどんどんまばらになっていく。そして帰り支度を終えた宿屋は、教室に氷の美少女・門真照が残っていることに気づいた。
「・・・」
宿屋は端正な顔立ちをしている照の横顔に、自然と視線を向けてしまう。それと同時に、彼女と同一の中学に通っていた級友が言っていた“妖怪の愛人”という言葉を思い出す。
「・・・?」
(・・・ヤベッ)
その時、照は自分を見つめる視線に気づいて振り向いた。宿屋はサッと視線を逸らすが、照は椅子から立ち上がり、彼の方へ近づいて来る。
「・・・どうしました? 私の顔に何か?」
「あ、いや・・・別に」
宿屋はしどろもどろな返事をすることしかできない。照は“そうですか”と素っ気ない態度を取ると、そそくさと自分の席に戻っていく。
ちょうどその時、彼女の携帯が鳴った。照は発信者の名前を見て表情を一変させ、満面の笑みになる。携帯を耳に当てた照は、宿屋に向けていたものとは明らかに異なる声色で、電話の向こう側に居る相手に話しかけた。
「はい、照です! どうされましたか、龍神様?」
(・・・?)
照は人目を避けるため、電話をしながら教室を一旦後にする。しかし、宿屋は彼女が発した「龍神」という言葉を聞き逃さなかった。
・・・
神奈川県横浜市 高層マンション
その日の夜、照と龍二はいつもの様に2人で夕食をとっていた。この日の献立は白身魚のムニエルとコーンポタージュに、サラダが添えられていた。
この時代の日本では、各家庭の台所や企業、介護施設などの食堂には「自動調理器」が備えられている。あらかじめ決められた食材を投入すれば、その人の年齢、性別、体重、栄養状態から摂取すべきカロリーや栄養素を計算し、調整された食事が提供される仕組みになっている。日本食だけでなく、フレンチ、中華、イタリアンなどのテイストも選択でき、故に1人暮らしや共働き家庭での自炊率は10%にも満たないとされている。
一方で、バリエーションや味付けはどうしても狭くなりがちで、照の様に、それを理由にして自炊にこだわる者たちも居り、個人の料理は「趣味」や「主義」の範疇だと考えられていた。また当然ながら、高級飲食店やホテルで出される料理は21世紀と同じく、料理人が腕に縒をかけた品物である。
「・・・あのさ、高校生活はどう?」
「?」
龍二は向かい合わせの照に、新しく始まった高校生活について問いかける。照はキョトンとした顔で、彼の目を見つめた。
「・・・どう、とは?」
「だから・・・友達とか。クラブとか」
龍二は彼女が高校生活のスタートに失敗していないか気にしていた。そして照の返答は、見事彼の不安を射抜くこととなる。
「部活動をしては、龍神様に晩御飯をお作りする時間がなくなります。そんなことは耐えられません」
「・・・」
龍二はたまらず項垂れてしまう。彼は気を取り直すと、諭すような口調で語り始めた。
「あのね・・・照。学校に通いながら、家のことを全部やってくれる君には、感謝してもしきれないよ。でもね、俺のために『高校時代』を犠牲にして欲しくはないんだ」
「・・・犠牲にしているつもりは、ありませんが?」
照は龍二の言葉の意味を理解しかねていた。そんな彼女に、龍二は言葉を続ける。
「高校時代は人生の中でわずか3年だけだ。でもその3年間で得た経験や友は一生ものになる。だから俺は、普通の16歳の女の子がそうする様に、照には友達を作って欲しいし、楽しくて幸せな高校生活を送って欲しい」
龍二は自らの想いを伝える。しかし、照の表情はますます困惑したものになっていた。
「・・・わからない。照にとっては今の暮らしが幸せなのです。これ以上は何も望みません」
「・・・ッ!!」
照は龍二の想いを理解できなかった。業を煮やした龍二は、最終手段に打って出る。
「・・・では、命令だ。3年間続けなくてもいい。でも、部活勧誘期間の間に、どこかの部活に入ること」
「・・・え」
龍二は命令として、彼女に何らかの部活に入るように指示を出した。その命令を受けた照は、まるでこの世の終わりのような、絶望的な表情を浮かべていた。龍二はその表情を見て、心にナイフが突き刺さるような心地になる。
「・・・これは君のためなんだ。頼む」
龍二は辛い気持ちを押し殺して照に頭を下げた。恩人と慕う龍二に頭を下げられ、照もようやく観念する。
「・・・分かりました」
忠義を誓う相手に頭を下げられ、自分のためと言われれば引き下がるしかない。照は観念した様子で、龍二の命令を受け入れた。
〜〜〜
4月14日 横浜翡翠学園高等部
照と龍二の間に一悶着が起きた4日後、部活勧誘期間の期限が折り返す中、上級生による1年生への部活勧誘はさらに攻勢を強めていた。そんな中、文化部に的を絞っていた宿屋は、学園のホームページに掲載されている部活の一覧表から1つ、ある部活に目を引かれていた。
彼はその部活について尋ねるため、放課後に職員室へ足を運んでいた。学年主任である讃岐は、宿屋が提示したページを見て、苦笑いを浮かべていた。
「・・・すまん、宿屋。このサイトは情報が今年度版に更新されてなくてな。『天文部』はもう無いんだ」
「・・・えぇ?」
宿屋は「天文部」への入部を希望し、顧問の所在について讃岐に尋ねていた。讃岐は彼に天文部が廃部になっていることを告げる。
天文部は最後の部員だった昨年の3年生が卒業し、顧問も定年退職を迎えていたため、昨年度3月をもって廃部になっていたのだ。
「・・・どうする? 文化系の部活なら、まだ他にもたくさんあるが」
「・・・いや、もう少し考えさせてください」
他の文化部を勧められた宿屋は、しばし結論を待つことにした。彼は職員室を退出した後、ある計画を思い浮かべていた。
(・・・どうせなら、やりたいことをやりてェ。自分で新しい部を作るのもいいかもな)
宿屋は幼少期、地元の子供会の仲間と頻繁に天体観察を行っていたことがある。故に天文学に対する造詣も深く、1から新しい天文部を作ることを考えたのだ。
新しい部活を作るならば、必要なものが3つある。部員、部室、そして顧問だ。最初にやるべきことは、天文学への興味がある部員集めだろう。
(・・・とは言っても、どうするかなぁ)
少なくとも、彼の周りには同調してくれる様な物好きはいない。どうやって仲間を集めるべきか、宿屋はあれこれ考えながら教室へと戻っていく。
その頃、1年B組の教室では、「どこか部活に入ること」を命令として言い渡された照が、自分が入るべき部活を模索していた。彼女は部活の勧誘冊子を見つめながらため息をついた。
「・・・」
しかし、今更スポーツを始めるつもりもなく、かと言って演劇やボードゲームに興味があるわけでもない。料理は得意だと自負しており、家庭科部の入部を一度考えたが、料理をするために家で料理する時間を削っては元も子もないと、これも却下していた。
(・・・文化系の同好会でも、流石に週4回以上はどこも会合があるのね)
彼女の希望としては、家事をする時間が取れなくなるのは避けたかった。そのため、なるべく活動日が少ない文化系の部活を、と考えていたが、彼女が希望する様な活動周期のクラブはなかなか見当たらない。
そんな時、彼女に話しかける声が聞こえてきた。
「・・・部活探してるの?」
「?」
照が声のした方を見上げると、机の前に宿屋が立っていた。
「・・・ええ、まあ。でも、家事と両立できるようなクラブは中々無いものですね」
「そ、そうなんだ」
照は冊子を閉じると、淡々とした様子で口を開く。宿屋は彼女が家事との両立に悩んでいるという事実に驚きつつも、意を決して彼女にある提案を持ちかけた。
「・・・実は天文部を立ち上げようと思うんだけど、よかったらメンバーに入らない? 活動は週末の夜を考えてる。その・・・門真さんが家でどのくらい家事をしなくちゃいけないのかは分からないけど、そこまで影響はない様にするつもりだから・・・」
「・・・」
宿屋にとっては、ダメ元もダメ元の打診だった。十中八九は断られると思っていた。しかし、彼女の口から出た答えは、そんな不安を裏切るものだった。
「・・・それなら、前向きに考えても良いですか?」
「・・・え」
宿屋は思わず間の抜けた声を出してしまう。呆然とする彼に、照は淡々と言葉を続けた。
「宿屋さん・・・でしたね。顧問や部室の目処が立ったら、また教えてください」
「う、うん。分かったよ・・・」
「・・・では、お先に」
「ああ、さよなら」
照はカバンを右肩に担ぐと、宿屋に一礼して教室を後にする。
その後、誰もいなくなった教室で、宿屋は静かにガッツポーズを掲げていた。




