壮絶な空中戦 妖精族 VS US-2
同日 マーシャル諸島共和国 クェゼリン島 バックホルツ皇国海軍飛行場
販売元の摘発から2日後、パラオやフィリピンから遠く離れたクェゼリン島では、この地に派遣されている兵士たちが、いつも通りの日常を過ごしていた。
待機中の彼らは今、格納庫内に駐機された「US-2」の側でポーカーに興じている。海賊の襲来を知らせる緊急コールはならないまま、ただのどかな時がすぎていた。
「しかし・・・潰しても潰しても湧いてきますよね、『人民解放軍崩れ』!」
「その言い方はやめなさい、渋谷。人民解放軍はあくまで中国共産党の正規軍の名称、海賊はあくまで『海賊』です」
先輩の一等水兵が渋谷という若い海兵の発言を咎める。2022年から24年にかけて勃発した「東亜戦争」の結果、人民解放軍は国連指導の下に規模縮小を余儀なくされ、現在の南シナ海・南太平洋地域には、その残党が海賊となって跋扈している。
海賊が幅を利かせるのはアジアの海だけでなく、カリブ海やアラブでも、海賊と呼ばれる集団の貿易船襲撃や沿岸地域での略奪が横行していた。治安秩序が崩壊したのは陸だけでなく、海も同様なのである。
「・・・ですけど、奴らが解放軍の元兵士で、軍艦を盗んで暴れているのは事実でしょう。お陰で仕事は尽きない、いい迷惑ですよね?」
「だが、喜んでくれる人たちも居るだろう。それなら、この島で海賊を狩り続ける意味はあるんじゃないか」
「確かに・・・一理ある」
皇国海軍<Imperial Navy>の兵士たちは、他愛のない会話を交わしつつ、いつ途切れるかも知れない平穏を過ごしていた。そんな中、先ほど後輩を咎めた男が、何かを思い出したかの様な顔をして口を開く。
「そういえば・・・パラオのミクロネシア派遣隊本部からデータが届けられていた。今回の魔法麻薬の製造者として名前が上がった人物の顔写真と経歴の詳細だそうだ。あとで全隊員の端末に送信するから、一応チェックしておいてくれ」
一等水兵の男はそう言いながら、場に2枚のカードを捨てる。のどかな時間は過ぎていき、燦々と輝く太陽はいつの間にか夕焼けへと変わっていった。
〜〜〜
マーシャル諸島共和国 クェゼリン島 市街地
程なくして夜が来る。かつてアメリカが租借し、アメリカ陸軍の「バックホルツ陸軍飛行場」が置かれていたクェゼリン島は、一般のマーシャル人の居住は不可能だったが、アメリカが租借権と自由連合盟約を放棄し、軍がミクロネシアを去ってからは、近隣のイバイ島から住民が再び移り住む様になっていた。
マーシャル諸島共和国政府が日本政府と新しい同盟を交わし、日本皇国海軍が駐留する様になってからも、日本政府は住民の立ち退きなどは行わなかったため、同島内には今も現地民による集落が賑わいを見せている。
「バックホルツ陸軍飛行場」はその名前だけを残し、現在は日本皇国海軍の管理下になっている。基地の所属設備であったゴルフ場やスーパーマーケット、ビーチは日本政府によって整備し直され、基地関係者とその家族だけでなく、現地民も利用している。両者の関係は非常に良好であり、街には日本軍人とその軍属をターゲットにした酒場が軒を連ねていた。
須藤はその中で、お気に入りにしていたバーを訪れている。カウンターの向こう側にはマスターが1人、カクテルを作っていた。
「・・・」
須藤はバーボンを口に含みながら、携帯の画面を見つめていた。それには先ほど隊員たちに一斉送信された、パラオ本部からのデータが映っていた。
程なくして須藤は携帯を懐へ仕舞う。そして空になったグラスをマスターへ返しながら、もう1杯をオーダーする。
「すまん、同じものをもう1・・・」
「・・・2杯!」
「!?」
その時、突然となりに現れた女性が、唐突に須藤の注文へ割り込んできた。彼女は魅惑的な笑みを浮かべ、須藤の顔を覗き込む。
「奢ってよ、ダンディなおじ様」
「!!」
その女性は確かに魅力的な顔立ちをしていた。もし彼女が初めて出会う現地住民であれば、奢ってあげたかもしれない。だが、彼の頭からはそんな気遣いなど吹き飛んでいた。
「雨宮・・・愛!」
「・・・」
先ほど本部より送られてきた、魔法麻薬製造の容疑者がいきなり目の前に現れた。須藤は驚きのあまり、思わず彼女の名前を口にしてしまう。その瞬間、彼女の顔から笑みが消えた。須藤は間髪入れず、懐の拳銃に手を伸ばす。
「しまった、ここは皇国海軍の島だったのか。・・・迂闊だったわね」
彼女はそういうと、幻想的な妖精の羽を背中に生やす。そして強烈な突風を放ち、店の中にあるもの全てを吹き飛ばした。
「うわあああ!」
一番近くにいた須藤は、為す術もなく壁に叩きつけられる。バーカウンターに立っていたマスターは間一髪、カウンターの下に隠れて難を逃れていた。雨宮はその隙に、バーの窓をぶち破って外へ飛んでいく。
「・・・っ! マスター、悪い! 俺の払いと被害額は後で教えてくれ!」
須藤はそういうと、彼女の後を追って店の扉から飛び出して行った。マスターや他の客たちは、彼が出て行った先を呆然と見つめている。床を見れば巨大な棚に所狭しと並べられていた酒瓶が、全て叩き落とされて割れていた。
「オイオイ、勘弁してくれよ・・・」
マスターは諦めの混じった笑みを浮かべて、ぽつりとつぶやいた。
店を飛び出した須藤は、空高く逃げる雨宮を追いかけながら、バックホルツ飛行場に連絡を入れていた。
「俺だ、例の妖精女に出くわした! ・・・空だ! 奴は空に逃げた! US-2を出すぞ!」
『り、了解!』
司令官の命令を受けて、基地の兵士たちは出撃準備に取り掛かる。空を見上げると、雨宮はすでに天高く飛び上がり、星空の瞬きに紛れてほとんど見えなくなっていた。
・・・
クェゼリン島 バックホルツ皇国海軍飛行場
基地へ帰還した須藤大尉は、出撃準備が整ったUS-2のもとへ急ぐ。早歩きで機体へ向かう彼のもとに、部下の兵士たちが続々と近づいてきた。
「US-2、いつでも飛び立てます!」
「ご苦労! 例の妖精女は?」
「大尉との接触場所から、それと思しき飛行体を捕捉しています。クェゼリン島から遠ざかっています」
「・・・良し、すぐに追いかけるぞ! 捕獲網と電撃弾を用意しろ! 空中で『妖精族』雨宮愛を逮捕する!」
多くの部下を引き連れて、須藤はUS-2へ乗り込む。エンジンが駆動し、プロペラが回り始め、機体は滑走路を走り始めた。そして機体は大空へと飛び立つ。
『妖精族と呪術族は『2級』の亜人です! 気をつけて!』
管制塔から機体のコクピットへ通信が入る。US-2はクェゼリン島から離れていく妖精を追って、空高く飛び上がって行った。
太平洋 上空
上空へ飛び立ったUS-2は、妖精の後を追って星空を進む。機内では数名の兵士がジェットパックを装着していた。
「相手は妖精族と呪術族の混血だ。空中での戦闘能力は高いことが推測される」
飛行能力を有する亜人は多々存在するが、空中戦を行なった前例など存在しない。乗組員たちはこれまでにない緊張感を抱いていた。
「まもなく会敵します!」
US-2は瞬く間に雨宮に追いつく。前方の視界を望むコクピットの窓からは、煌めく光をたなびかせながら、星空を優雅に浮遊する雨宮の姿が見えていた。
「見つけた! 逃すか! 総員戦闘準備!」
US-2は右へ進路をとり、機体の左側を相手に向ける様な態勢をとる。機体の左舷の小窓から顔を覗かせる小銃が、空を飛ぶ妖精に照準を定めた。弾丸は非殺傷性の電撃弾に差し替えられている。それで雨宮の意識を奪い、ジェットパックを装着した兵士が、彼女の身柄を確保する手筈になっていた。
「・・・機体上部に突如として赤外線反応出現!」
砲手が銃に手をかける。その時、US-2の真上に魔法陣が現れ、赤外線検出担当士が赤外線装置からそれを見つけた。砲手の1人がバブルウィンドウから上を見上げると、夜空に輝く魔法陣が鎮座している。機長席に座る須藤大尉はすぐさま操縦桿を左へ倒す。直後、魔法陣から真下に向かって衝撃波が振り下ろされた。
ドオオォォ!!
衝撃波は右の翼を掠めて海へ落ちていく。乗組員たちは胆が冷える思いをしていた。コクピットから前方を見れば、空中に静止してUS-2に向かって両手をかざす雨宮の姿があった。
(優れた呪術師である父の力よ。私に死角はない!)
彼女はフィンガースナップを鳴らす。するといくつもの魔法陣が空中に出現し、US-2を取り囲んだ。直後、機体の左側に出現した魔法陣が輝き出す。
「うおおおおっ!」
須藤大尉は死にものぐるいで操縦桿を動かし、US-2を降下させる。直後、魔法陣から放たれた衝撃波は、機体の上部を掠めて行った。その拍子に、機体の外壁が一部吹き飛ばされる。
(喰らえ! 『妖精ラップ』!)
雨宮はさらに次々とフィンガースナップを鳴らした。その音に呼応する様に、魔法陣が続々と輝きを増していく。
「一か八かだ! 機関砲で魔法陣を破壊しろ!」
「り、了解!」
火器管制官の命令を受けて、機関砲を構える砲手がその照準を魔法陣の1つに合わせる。直後、漆黒の夜空に砲撃音が鳴り響き、弾丸が発射された。弾は見事魔法陣を打ち抜き、粉々に破壊する。
「攻撃効果あり!」
「良し! 続けろ!」
粉々に砕かれた魔法陣を見て、隊員たちの士気が戻っていく。砲手は次々と魔法陣を破壊していった。しかし、取り損ねた魔法陣がさらに輝きを増していき、US-2に向かって続々と衝撃波を放ってきた。
「か、回避ィィ・・・!!」
須藤はUS-2をまるで小型機のように操縦し、右へ左へ上へ下へ、機体をアクロバティックに動かしていく。しかし、全てを避け切ることはできず、何発かの衝撃波を機体に食らってしまった。機体の外壁は凹み、部品が飛んでいく。
(・・・!!)
見事、かろうじて魔法陣をくぐり抜けた敵機に、雨宮はさらなる攻撃を繰り出そうとする。しかし、魔力の限界が近づいており、呼吸は荒くなっていた。
「はぁ、はぁ・・・!」
一度で数多の魔法陣を発動したことで、雨宮は自分の想像以上に魔力を消費していたのだ。機長の須藤と彼女を狙う砲手は、その一瞬の隙を見逃さない。US-2は一気に妖精のもとへ近づき、砲手は無線電撃弾の照準を雨宮へ合わせた。
「・・・今だ! 喰らえ!」
小銃から数発の電撃弾が放たれる。それらは雨宮の体に着弾し、彼女の体に電撃を食らわせた。
「キャアアア!」
魔法防壁を出す余力もなかった雨宮は、為す術もなく甲高い悲鳴を上げた。その直後、意識を失った彼女は、漆黒の海へと落下していく。
「・・・出動!」
US-2の後部扉が開き、そこからジェットパックを背負った3名の兵士が飛び出す。3名の兵士は落下していく雨宮を追いかけ、その身柄を見事キャッチした。そして彼らは海面に向かってジェットパックを全開で噴射する。
『雨宮愛・・・公務執行妨害の現行犯、並びに麻薬取締法違反の容疑でその身柄を確保しました!』
兵士の1人が気を失っている雨宮の体を抱きかかえ、身柄確保を報告する。その後、兵士たちは傷だらけのUS-2へと帰還した。雨宮は気絶したまま拘束され、基地へと護送されることとなった。
〜〜〜
8月22日 クェゼリン島 バックホルツ皇国海軍飛行場
翌日、身柄を確保された雨宮は「営倉」に隔離されていた。この飛行場が米軍の管轄下だった頃から存在する懲罰房だ。皇国海軍の隊員たちは、20世紀の日本軍になぞらえて此処を「営倉」と呼んでいる。実際に本来の用途で使われることは極めて少なく、物置として使われていた。
小さな独房の中で、雨宮は大人しくしていた。昨日の空中戦で魔力を大きく消費してしまったため、その回復に時間がかかっているのである。
「・・・」
須藤大尉は小窓から独房の中を覗いていた。すると部下の兵士が報告を届けにやってくる。
「大尉、本国より連絡です。本日夕には警察庁より、亜人・魔術師護送の専門部隊が到着するとのことです」
「そうか・・・」
須藤はそっけなく答えた。人智を越える力を持つ亜人・魔術師の犯罪者は、その身柄の護送は普通の人間には至難の業だ。政府は魔力を封じ込める拘束具の開発を進めているが、未だ量産化には至っていない。
その為、警察庁内にはその護送を専門にする集団が設置されており、そういった犯罪者の長距離護送には、その部隊の協力を得られることになっていた。噂によれば、他者の内面を丸裸にして、その魔力を丸ごと支配下におく「禁断の魔法」があるのだという。
「・・・」
須藤は再び独房の中へ視線を向ける。それに気づいた雨宮が、妖しい笑みで須藤の目を見つめ返した。
「あんたは・・・なぜこんなものを作っている? 復讐のためか?」
須藤は犯行動機を問いかけた。ヤクザと結託し、麻薬の製造と密売を行なっていた彼女の両親は、警察に確保された後、あまり時間を経ずに死刑となった。
完全な自業自得ではあるが、人間が彼女の両親を殺したことは事実である。故に須藤は、それが今回の事件の動機ではないかと考えていた。しかし、彼女が述べた言葉は、須藤たちの想像を越えるものだった。
「フフ・・・復讐? そんなもの、興味はないわ。私は自分の名前・・・“愛”が示す使命に従い、人間に愛を届けているために活動しているの。この荒廃した世界で死を望む者に、莫大な快楽を手向けにした盛大な『死』という名の“救済”を・・・。それが私の『愛』よ。私は人間を愛しているの。フフ・・・!」
(狂っている・・・!)
雨宮は笑い始める。彼女は人間を愛しているからこそ、焼き殺したと言い切ったのだ。須藤と彼の隣に立っていた部下の兵士は、背筋が凍るのを感じていた。普通の人間には決して到達できない思考に、戦慄したのだった。
程なくして、日本より訪れた護送部隊によって、雨宮の身柄は日本本国へ護送された。事件の全容が明らかになるにつれて、フィリピンに派遣されていた「警察庁警備局国際犯罪対策課」、及びパラオの「皇国海軍派遣隊本部」によって、各地に点在していた「快楽の火」販売拠点も次々と摘発され、事件は急激に収束へと向かって行った。
〜〜〜
8月31日 日本皇国 東京 警察庁
「警察庁警備局国際犯罪対策課」・・・日本国外における日本人の安全確保、及び海外で犯罪を犯した日本人の確保を使命とする部署である。「フィリピン・南太平洋魔法麻薬拡散事件」が容疑者逮捕によって一先ずの解決に至ったことで、職員たちはその後処理に追われている。
そして今、課長である相田士郎警視は、この事件において明らかになった「ある脅威」について考えていた。
(『妖精族』と『呪術族』・・・強力な特殊能力を有する亜人種同士の『混血』によって、妖精族の製薬技術と呪術族の攻撃力を兼ね備えた存在が誕生した・・・。亜人の脅威は、人間との混血によって薄まるとされていたが、むしろ強力な亜人種同士の婚姻が重なるごとに、その脅威は強くなっているのが現状だ。それもこれも・・・)
日本、そこは世界唯一の完全なる法治国家にして、異世界テラルスよりやってきた亜人種とその血を引く者たちが、人間社会に溶け込み、共に暮らしている魑魅魍魎と人間社会が混ざり合う混沌の地である。
しかし、亜人全てが人間社会と共に歩む選択をしているわけではなく、人間とは異なる寿命などを理由に、人間社会からの離脱を選んだ者たちもいた。彼らは「公式に存在が発表されている亜人種」の中では最強と称される「ある種族」を頂点として、独自にコミュニティを形成している。長命種族や特殊能力を有する亜人種が集まるそこを、人々は「龍王の里」と呼ぶ。
その閉鎖された里の中では、強力な亜人同士の婚姻が繰り返されており、特に里を治める「公式の最強種族」は、代を重ねるごとにその力を増しているという。
(・・・あの里の閉鎖性が、雨宮愛の国外逃亡の露呈を遅らせたのは事実。いつか『龍王の里』の全貌を明かさなければならないな)
相田はいつか、人間社会から隔絶された亜人種の集まりであるコミュニティに、メスを入れることを考えていた。
そして数年後、「人間社会」への挑戦を企てる者が現れる。
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US-2
21世紀初頭に開発された飛行艇。海上自衛隊時代より運用され、エンジンが国産に置換された後は民間機型、低コスト型、ガンシップ型など、様々な派生型が開発された傑作機。現在は新規製造されておらず、活躍の場は主に海外である。マーシャル諸島にはガンシップ型が駐留している。