日本産魔法麻薬
2105年8月12日 フィリピン共和国 首都マニラ
魔法麻薬「快楽の火」の関与が疑われる「人体発火事件」が起きたフィリピンの首都マニラには、すでに国外専門の捜査機関である「国際犯罪対策課」が潜入している。
フィリピンは「国際連邦」加盟国であり、尚且つフィリピン政府は北スリガオ州、マニラにおける金属鉱床の調査・採掘権を「国際連邦安全保障理事会」へ譲渡する代わりに、「国連治安維持軍」に国内の治安維持を委託している。
故に国連に一定の兵力を供出している日本政府には、カタルーニャ同様、フィリピン国内における治安維持行為の執行権限が保証されているのだ。
そして今、柴崎大矢警部補率いる国際犯罪対策課第4課第3係、合計7名の警察官はマニラに居た。彼らは現地のマニラ市警の警察官と共に、体内から消し炭と化した遺体の確認と、燃えた売春宿の現場検証を終えて、宿泊中の高級ホテルのレストランにいた。
席は個室であり、周囲からの視線はない。円形のテーブル上には、中華と欧風のテイストが混じった料理が並べられている。7人の警察官は配られた書類に目を通しながら、料理を突いていた。
「・・・明日からは歓楽街で潜入捜査に入る。俺たちは香港系、台湾系の富裕層として、『快楽の火』の売人に接触を図る。現場での売人なんぞ、メスよりも切れ味が鋭いトカゲの尻尾である可能性もあるが、それも含めて見極めなければならない」
柴崎警部補は部下たちに今後の予定を説明する。彼らの目標は夜の歓楽街で遊び回る海外の富裕層に成りすまし、売人との接触を図ることであった。彼らの持っている書類には、目星をつけたバーやクラブの名前、そして各々がなりすます架空人物の設定が載っていた。
「人体発火の被害者は4名、身元は全て割れている。彼らの足取りから売人が出入りしている可能性が高い店をリストアップした。志島と神崎は『クラブ・シエロ』、楽波とミミカ、カズは『フライング・ラブ』、俺と郡城は『マニラ・ナイトメア』を当たる」
「りょーかい!」
「任せてくだせぇ!」
上司の柴崎に現場を割り振られた6人の部下たちは、若干ラフな態度で柴崎警部補に接している。柴崎はそれを特に咎めることなく、言葉を続けた。
「これは我が国の機密・・・魔法の流出が関わる案件だ。何としてもヤクの出どころまでたどり着くぞ」
この一件は日本政府も注目する事件である。柴崎たちは改めてそのことを胆に命じるのだった。
〜〜〜
2105年8月13日 太平洋 マーシャル諸島共和国 クェゼリン島
翌日、フィリピンから遠く離れたマーシャル諸島共和国のクェゼリン島では、人民解放軍崩れの海賊を討伐した日本皇国海軍派遣隊が、海賊から押収した積荷の検査を行なっていた。
被害を受けた運搬船から略奪したと思しき医薬品と食料のほか、海賊たちが今までの略奪行為にて収集したと思われる多量の積荷があった。
そして検査を行なっていた兵士が、派遣隊のトップである須藤大尉に報告を持って来ていた。
「海賊艦から押収した積荷の中に、とんでもないものが紛れ込んでいました」
兵士はそういうと、透明な薬剤シートに封入された錠剤を取り出し、須藤のデスクの上に置く。須藤は何の変哲もない錠剤を見て、首をかしげた。
「これは・・・?」
「今、パラオで密かに流通している日本の魔法麻薬『快楽の火』です」
「!?」
薬の名前を聞いた途端、須藤の顔色が変わった。それは地球への帰還直後、混迷期の日本にて流通した魔法麻薬の名であった。
「それは確かなのか?」
「間違いありません。当人たちより証言も取れています。パラオにて売人から買い取ったと・・・」
須藤は部下からの報告書を手に取ると、その内容に目を通してますます難しい顔をする。
「奴らの本拠地は『ナモリック環礁』だったな・・・。藤坂の班に現地へ行かせ、奴らのアジトから残りの魔法麻薬を押収させろ。俺たちは・・・『パラオ』へ向かう」
「・・・はっ!」
パラオ共和国、そこはマーシャル諸島と同じくミクロネシアに属する島国であり、日本と「安全保障協定」を締結している国であった。
〜〜〜
8月16日・夜 フィリピン共和国 首都マニラ 「フライング・ラブ」
夏の日の夜、フィリピン共和国の首都マニラの歓楽街にあるナイトクラブに、3人の日本人警察官の姿があった。国際犯罪対策課第4課第3係に所属する楽波栄太と有鈴ミミカ、斉藤一文の3名は「快楽の火」の売人が出入りしていると目される「フライング・ラブ」の潜入捜査を行っていた。
「おい、姉ちゃん! こっちにワイン1本追加!」
「はーい! 今すぐ!」
露出の多い扇情的な衣装に身を包んだウエイトレスが注文を受けている。楽波は経費で落とせるのをいいことに、高い酒をどんどん注文していた。
店の中は薄暗く、柄の悪そうな連中で混み合っている。遊び慣れた富裕層の子息になりすました3人は、その雰囲気に上手く溶け込んでいた。
「・・・ここに潜入して3日、なかなか目当てのものには届きませんね」
斉藤一文、仲間内からはカズと呼ばれている若い巡査は、薬物の売人に接触できないことに焦燥感を抱く。彼は他の仲間たちと比較して真面目な性分だった。
「こういうのはこっちが焦るとダメだぜ。・・・金回りの良い頭の悪そうなボンボンって周囲に演じ続けりゃあ、そのうち向こうから現れるさ。だから今は飲め! 溶け込め!」
先輩である楽波は、空になっていたカズのグラスにワインを注ぐ。そんな楽波の様子を、冷ややかに見つめる視線があった。
「私はタダ酒を飲んだくれた誰かさんが、肝心な時にボロを出さないか不安ね」
派手なメイクで変装している有鈴ミミカは、タダ酒をあおりまくる楽波を見てため息をついた。雪女の血を引く彼女が持つグラスは、霜が降りて冷気を放っている。
「何だと!?」
「ホントのことじゃない」
ミミカの言い分に苛立った楽波は、やや荒げた口調で彼女に詰め寄る。しかしミミカの方は気にも留めていない様だった。楽波は小さく舌打ちをすると、おもむろに席を立つ。
「・・・チッ、別の酒貰ってくる」
彼はそういうとカウンターに向かって行った。
この店は治安の悪い歓楽街の一画に位置するため、出入りする客の中には一般人に混じって、娼婦や闇のブローカーなども紛れ込んでいる。当然ながら麻薬の売人が出入りしている可能性は大いにあった。
楽波が席を立って数分後、尿意を催したカズも席を立った。
「すみません、ちょっとトイレに・・・」
「あら、行ってらっしゃい」
ミミカは特に気に留めることなく、席をたったカズを見送る。1人になった彼女は静かにミモザを口に含む。
その時、彼女が1人になるのを見計らっていたかの様に、カズと入れ違いになる形で現地フィリピン人の若い男が近づいてきた。男は特に断りも入れずに彼女の向かい側、楽波が座っていた席へと座ると、ニヤケ顔でミミカに話しかける。
「姉ちゃんたち、最近ここでよく呑んでんじゃん。香港から来たんだろ? マニラは初めて?」
「・・・」
ミミカは一瞬だけ眉を顰める。だがすぐに演技の表情へと移った。彼女は小さなため息をつくと、テーブルの下で足を組みなおしながら、妖艶な笑みを浮かべた。
「そうよ、でも・・・ちょっと当てが外れたわね」
「・・・外れた?」
2人の会話はミミカが腕にはめている翻訳機で自動的に通訳される。指向性音声になっているため、翻訳された会話は周囲には聞こえていない。
「ここには“ちょっと面白いヤツ”、売ってくれる人がいるって聞いて来てるの。でも、ハズレね。ただの噂だったみたい。そろそろ帰るわ・・・」
ミミカはここで密かに売買されているという「快楽の火」について仄めかす発言をする。その瞬間、若い男の目の色が変わった。
「姉ちゃんの目当てのものか分からないけど・・・“ちょっと熱くて気持ちいいヤツ”なら知ってるぜ。帰る前にさぁ、試してみるか?」
「・・・!」
今度はミミカの目の色が変わる。もしかしたら、この男は快楽と引き換えに人体自然発火を引き起こす魔法麻薬「快楽の火」について、何か知っているのかもしれない。一抹の期待を胸に、ミミカは男が促すまま席を立った。右手には彼女の警戒心を示す様に、マイナス30度の冷気を纏っていた。
それから数分後、トイレに行っていたカズが席に戻ってきた。そこにはカイピリーニャを煽る楽波の姿があった。そしてここに残っていたはずのミミカが居ない。
「・・・? 有鈴先輩は?」
「・・・別行動開始のシグナルが腕の端末に来ていた。なんだ、お前と一緒じゃないのか」
ミミカは席を立つ直前、カズと楽波が持つ端末に規定されたメッセージを送っていた。それに気づいていなかったカズは、慌てて腕につけているブレスレット式携帯端末を確認する。確かにミミカからのメッセージが届けられていた。
「まあ、あいつは心配いらない。3世とはいえ“雪女”という妖怪の血族。普通の人間の手に負える存在じゃねェ。それより・・・売人が接触してきた」
「・・・え!」
楽波は彼女の安否については心配していなかった。彼女は絶対零度を操る種族であり、その気になれば自身の周囲を人間ごと凍結させるなど、容易いことであったからだ。
そして楽波はこのわずかな間に、とんでもない特ダネを手繰り寄せていた。何と目的の薬物の売人がコンタクトを取ってきたというのだ。吹聴した経歴が売人まで届いたのである。
マニラ 歓楽街 クラブ『マニラ・ナイトメア』
その頃、別のクラブでは班長である柴崎と郡城が潜入を行っていた。そんな中、彼らの腕時計式端末にメッセージが届く。
「・・・楽波が売人に接触した!」
「・・・!」
事態が動いたことを知った2人は、すぐさまテーブルから立ち上がると、勘定をレジカウンターに投げつけ、一目散に店の外へと出て行った。
首都マニラ バー「フライング・ラブ」
その頃、売人と接触した楽波とカズは、奥のVIP席へ案内されていた。いつの間にか、ミミカも戻って来ている。彼女はどこか不機嫌そうな顔をしていた。
「お前・・・どこに行ってたんだよ?」
楽波は単独行動を取っていた彼女に耳打ちする。ミミカは大きなため息をつきながら答えた。
「私も売人っぽい男が接触してきたの。でも大外れ。ヤクについては知ってたみたいだけど、売人を装ったタダのナンパ野郎。ムカついたから凍結させてやったわ」
「オイオイ」
ミミカは冗談とも真実とも区別がつかない発言をする。楽波は思わず苦笑いを浮かべた。
その直後、高級ソファに腰掛ける3人の前に、高そうなスーツを着たフィリピン人の若い男が現れる。粗暴な見た目の用心棒らしき2人の屈強な男を引き連れていた。
「やぁ、よろしく。香港から来たんだって?」
「ああ」
楽波と若い男が握手を交わす。若い男は早速、懐からビニール袋に入った錠剤を取り出した。その錠剤には漢字で「愛」の文字が刻印されている。
「こいつが君たちが求めているものさ。新合成麻薬『快楽の火』、ここでは飲まないでくれよ」
若い男はテーブルの上に錠剤が入った袋を置いた。楽波は袋の中から錠剤を取り出し、中身を確認する。
「これが3割体が燃えて死ぬってヤツか」
「改めて見るとちょっと怖いわね・・・」
ミミカは不安そうな演技をする。もちろん、彼らはこの魔法麻薬を服用するつもりなどない。そんなことは露知らず、男は3人に麻薬の営業を続けた。
「ああ、だがそのリスクの代わりにブッ飛び方は既存のヤクの比じゃない。それに見合うだけのモノは得られる。一度リスクを乗り越えれば、ハマること間違いなしさ」
フィリピンやパラオを中心に流行り出した「快楽の火」は、それらの国々の裏社会を席巻しつつある。3割の死亡率を有しながら、度胸試しの様に服用する命知らずが後を絶たない。そして一度服用して生還すると、強い依存性によって抜け出せなくなってしまう。
つまり、一度手を出せばほぼ確実に燃えて死ぬのだ。
「・・・? フィリピンで売られているのに、この錠剤には漢字が書かれているのはなぜだ?」
錠剤を手に取ったカズは、売人の男に率直な疑問を投げかけた。
「さぁ? 製造者の趣味だろう。俺に聞かれても困るよ」
売人の男はそういうと、テーブルに置いてあったグラスを口に寄せる。カズに続けて楽波が口を開く。
「・・・それにしても“愛”か、物騒なモン作る割りには随分なロマンチストなんだな。いい趣味してるぜ」
「へぇ、そういう意味なのか。俺たちは中国語なんざ読めないから知らなかった」
売人の男は錠剤に刻印された文字の意味を知らなかった様だ。カズは彼にさらなる質問を投げかける。
「これを作っているのは中国人なのか? こんなモノ、香港では聞いたこともない」
「・・・」
遠慮なく矢継ぎ早に質問をぶつける彼を見て、ミミカや楽波は顔には出さずとも、少しばかり焦りを覚えていた。しかし、売人の男はカズの詮索を特に気にする素振りは見せず、少し迷いながも彼の質問に答え始めた。
「まぁ、内緒にしろと言われている訳でもないから良いか。驚くなよ・・・実はこのヤクはあの『日本』で作られたものなのさ」
「・・・日本!?」
楽波はわざと驚いた演技をする。海外の人々にとっては、今の日本は門戸を閉ざした謎の国であるからだ。
「そもそも・・・飲んだやつの体が燃えるなんて突拍子もないシロモノ、魔法なんてもんが実在すると言われる日本でしか作れないだろ。俺も最初はびっくりしたもんだぜ」
男はそういうと、タバコをフカす。目の前に差し出された薬を見て、3人は生唾を吞み込んだ。
「ともあれ・・・今日は毎度あり! それ、気に入ったら、またこの店に来いよ。俺は毎晩いるからさ。・・・行くぞ」
「ウス!」
若い男は護衛を引き連れて席を立つと、VIPルームを後にする。彼は出迎えたウェイトレスに気前よくチップを渡して、店の外へ出て行った。
「さて・・・と」
楽波は手に入れた“ブツ”を懐に仕舞うと、ゆっくり席を立ち上がる。カズとミミカも緊張の糸が解けた様子でため息をつきながら立ち上がった。
その後、彼らは他の店に潜入していた仲間たちと合流し、拠点であるホテルへと戻った。
〜〜〜
2105年8月17日 太平洋 パラオ共和国 マラカル島 マラカル港
その翌日、ミクロネシアでは、海賊を拿捕したマーシャル諸島派遣隊の皇国兵士たちが、パラオ共和国を訪れていた。パラオもマーシャル諸島と同様に、日本政府による安全保障の下に置かれている国の1つである。
須藤大尉は数人の部下を引き連れ、コロール州を訪れていた。この州に属するマラカル島にはパラオ唯一の港湾施設である「マラカル港」があり、そこには彼らが乗ってきたUS-2が駐機していた。さらに港の沖合には、日本皇国海軍が保有する核融合原子力空母「鳳翔」が停泊している。鳳翔とその艦載機である「F-5N・流星」は、このミクロネシアの平和を守る主力部隊であった。
須藤大尉は港に建設されている「日本皇国海軍・ミクロネシア派遣隊本部」を訪れていた。本部とはいえども、その構造はプレハブであり、簡易的なものである。本部長は海軍大佐である大村諒が務めている。
そして今、須藤大尉と部下2名は、その大村大佐の執務室を訪れていた。向かい合う両者は応接用のソファに座り、今回の問題について話し合っている。
「先日排除した海賊船から押収した積荷から、禁止魔法麻薬『快楽の火』が発見されました。海賊の拠点であったナモリック環礁のアジトからも、同じく押収されました」
須藤は大村に事の経緯を説明する。テーブルの上には押収した麻薬の写真が並べられていた。
「逮捕した船員からは、パラオのコロールにて売人から買ったとの証言が取れています。以前よりフィリピンとパラオで流通している話は耳にしていますが・・・」
「・・・なるほど、マーシャル諸島にまで・・・由々しき事態ですね」
大使館職員や軍関係者など、東南アジア、太平洋に散らばる日本の公僕たちの間では、すでに快楽の火の流出は知れるところとなっている。大村はそれがマーシャル諸島にまで広がっていることに危機感を覚えていた。
「・・・この一件に関しては現地警察にも連絡をして、我々も捜索に当たっています。しかしご存知とは思いますが、残念ながら未だ販売元すら掴めていません。しかし、今回貴方方より送付して頂いた調書は、非常に有力な手がかりになり得るものです。感謝いたします」
「・・・いえ、こちらこそ。よろしくお願いします」
大村は非常に懇切丁寧な態度で、須藤らマーシャル諸島派遣隊に感謝の言葉を告げる。パラオ共和国でも本格的に「快楽の火」の捜査が始まろうとしていた。
パラオ共和国 最大の都市コロール とある家屋
パラオ最大の都市コロール、弱肉強食の法則が支配する大陸と隔絶されたこの街は、皇国海軍の庇護も合間って非常に治安が安定しており、人々はのどかな時間を過ごしている。
そんな街の外れ、中心地や観光地からも外れた、誰も見向きしないような場所に、1軒の古びた家屋がある。その家屋の奥に入ると、薄暗い部屋の中から不気味な声が聞こえてきた。
「フフフ・・・愛を、愛を届けるのです。この世界に・・・それが私の使命・・・!」
そこには恍惚な笑みを浮かべる女性がいた。彼女は古びた寸胴鍋の中に、呪詛をかけた液体を順番に垂らしていく。鍋の内容物が放つ異様な匂いは、女性が張った結界によって、外部には一切漏れ出していなかった。