クリスマス・イブの夜に
12月24日 カタルーニャ共和国 首都バルセロナ
翌日、バルセロナはクリスマスイブを迎えていた。まだ夕方だというのに、商店は早々に店じまいしており、人々は教会へ礼拝・ミサに出かけている。故に街には人の姿はない。そんな人の気配が消えつつある街中に、1人の青年と1人の少女の姿があった。
「やぁ、こんばんは。オクタヴィア」
「サトル、本当に来てくれたんだ」
場所は2人が出会った「カンプ・ノウ」にほど近いレスコルツ地区の大通りであった。2人の吐息が白く色づき、周囲の寒さを映し出している。
そしてしばしの間、沈黙が流れた後、前林が困った笑顔で口を開いた。
「君は私に何か用事があって、ここへ呼んだんだろう? 心を読むことは簡単だけど、できれば君自身から教えて欲しいな」
前林はオクタヴィアが何かを思い詰めていることに気づいていた。もちろん、それを読み取ることは簡単だが、できることなら彼女の意思で話してほしいと感じていた。
前林諭、彼は「覚り妖怪」の家系に生まれたことで、周囲から奇異の目で見られながら育ってきた。それが原因となり、疎まれたことも一度や二度ではない。そして今も、検察庁の同僚からはどこか遠巻きに見られている。
その経験故に、彼はある価値観を見出していた。それは「人の意思は本人が口に出してこそ意味がある」というものである。彼らにとって、人が言い出しづらそうにしている意見を読むことは簡単だ。しかし、言いづらいことを口に出す「勇気」にこそ意味があると、前林は思っていた。
「あの・・・、その・・・」
オクタヴィアはもじもじしながら、つっかえた言葉を発することしかできない。前林は困り笑顔で小さなため息をつく。
「ここでは話しにくいのかな?」
「・・・」
オクタヴィアはこくりと頷いた。前林は“そうか”、と小さくつぶやくと、彼女の背中に手を添えて、ここから歩き出す様に促す。オクタヴィアは一瞬だけ目を見開くが、特に抗うことなく、彼が促すまま街を歩き出した。
「・・・」
2人は無言のまま、店じまいしたレストランが並ぶレスコルツ地区を歩く。そしてその一画に位置する、街の富裕層のみが利用する高級レストランの前で、前林が立ち止まった。入り口には“閉店”の札が掛けられており、店員の姿はない。
「あの、ここは・・・?」
「今夜無理言って貸し切ったんだよ、料理も夕方のうちに作って貰ったんだ。店員もいないから、配膳は全てセルフサービスだけどね」
前林はそういうと、店の扉を開ける。誰もいない、静寂が支配する空間の奥に、朧げな灯りと蝋燭の火が点っているテーブル席があった。周囲には来客の目を楽しませるための高価な調度品や装飾が飾られており、テーブルの上には銀のナイフとフォークが並べられている。それは貧民街で暮らすオクタヴィアにとって、隔絶された世界であった。
前林は対になって置かれている椅子の一方に座る。そして呆然と立ち尽くすオクタヴィアにも、向かい側の椅子に座る様に促した。彼女は戸惑いながらも、それに座る。
「クリスマス・イブの夜というのは家族と共に過ごし、家で御馳走を食べ、キリストの生誕を祝う、カトリック教徒にとって特別な日だと聞いた。それなのに何の準備もしないのも、君に悪いと思ってね」
日本国内におけるクリスマスの認識と、実際にキリスト教徒が行うクリスマスには乖離がある。そのことを理解していた前林は、家族と共に過ごす大切な時間を犠牲にした彼女に、それに代わるものを用意しようと考えたのだ。
「・・・私には『クリスマス・イブ』なんてただの12月24日よ。いい思い出なんてないわ」
しかし、問題のある家庭環境で育ったオクタヴィアにとって、クリスマスは特別な日でも何でもなかった。いつもと変わらない辛い日でしかなかったのだ。
「・・・さ、食べようか。遠慮はしなくていい、これは私が好きでやったことだ」
前林は彼女の心中を察する。そして彼はナイフをフォークを手に取り、食事を始めた。テーブルの上には前菜が乗っており、オクタヴィアの前にも前林が食べ始めたものと同じ皿が置いてあった。
「・・・えっと」
彼女は皿の両隣にいくつも置いてあるナイフとフォークを見て、どれから使うのか迷っていた。それに気づいた前林は、外側から使うことを教える。彼女は慣れない様子でナイフとフォークを手に取り、自分ができる限り上品に食べようと試みた。
「・・・!」
前菜の魚介と野菜のマリネを口に運ぶ。その瞬間、オクタヴィアの表情が綻ぶ。そして上品を装う態度は剥がれ落ち、2口目、3口目と次々に口の中へ運んでいく。
「フフ、そんなに慌てて食べたら、詰まらせるよ?」
「・・・!!」
前林はマナーもへったくれもなく、目の前に出された料理に夢中になる少女の姿を、微笑ましく思っていた。彼に声をかけられ、オクタヴィアは我にかえると、ぽっと顔を赤らめる。
その後、前林は彼女が前菜を食べ終えたことを確認すると、椅子から立ち上がり、自分とオクタヴィアの皿を下げる。そして近くの長テーブルの上に置いてあった、スープの「ソパ・デ・アホ」を彼女の前に置いた。
「あの、サトルもやっぱり・・・その」
「・・・ん?」
再び椅子に座り、スプーンを手に取った前林に対して、オクタヴィアは怖ず怖ずとしながら口を開いた。彼女は前林を呼びつけた本題に踏み込む。前林は彼女の心を読まず、彼女が自ら言葉を発するのを待った。
「・・・お金で“春”を買うの!?」
「・・・ゲホッ!? 何故そんなことを?」
彼女が発した予想外の言葉に驚き、前林はたまらずスープをむせ返してしまう。口周りをナプキンで拭う彼に、オクタヴィアは言葉を続けた。
「日本人は皆お金持ちだから」
「いや、そういうわけじゃ・・・」
この時代に蔓延る日本は金持ちというイメージは、単に国同士の経済力に格差があるというだけで、個人レベルで金持ちばかりというわけではない。前林は彼女の言葉を咄嗟に否定する。
オクタヴィアは顔を俯けながら説明を続けた。
「私、大使館の悪事が暴かれれば、お姉ちゃんを助けられると思ってた。でもお姉ちゃんは、そんな単純な理屈じゃ片付けられないものを背負っていたの」
「・・・」
一緒に逃げよう、姉にそう告げた時、オクタヴィアは自分の浅はかさを思い知った。大使館を排除しても、根本的なことは何も解決しないことに初めて気づいたのだ。
「お姉ちゃんは私のために・・・体を汚して、それを我慢してまでお金を稼いでくれてるの。それなのに私は大使館さえなくなれば、全部解決してお姉ちゃんは幸せになれると思ってた。でも・・・そんな簡単な話じゃないよね。
私には覚悟がなかった。大使館の悪事を暴いて、お姉ちゃんと一緒に逃げ出したい。その思いは変わらないよ? でも、その後のことを考えてなかった」
彼女の家庭は、姉であるアグスティナが大使館より持ち帰る収入によって成り立っていた。それがなくなれば、当然ながら暮らしは成り立たなくなるし、薬物と酒類の資金源がなくなることで、義父からの暴力が余計に酷くなる可能性もあった。
故に彼女は姉に逃げようと提案したが、それも先のことを考えていない短絡的な提案に過ぎなかったのだ。
「お姉ちゃんは私に苦労をかけたくないと言ってくれた。でも、私もこれ以上、お姉ちゃんが苦しんでいるのを見たくない。でも、そのためには私も苦労を背負わなくちゃいけない。お姉ちゃんと同じことをしてでも」
「・・・!!」
オクタヴィアは顔を見上げると、前林の目をじっと見つめた。心を読むことを封じていた前林は、彼女が自分をここへ呼びつけた訳をようやく悟る。
「ねぇ・・・だから私を」
「・・・」
オクタヴィアがそこまで言いかけたところで、前林は唇に人差し指を当て、「静かに」というジェスチャーをした。そして彼女が言わんとしたことを遮る様に、困った笑顔で口を開く。
「・・・残念だが、私は君が期待する様な男ではない。そういう真似は、もっと『心の綺麗な』奴に頼むことだ」
「・・・え?」
オクタヴィアはきょとんとした顔をする。
「さ、この話はもうおしまい。せっかくの食事が冷え切ってしまうよ」
前林は彼女に食事を進める様に促すと、それ以上何も言わなかった。オクタヴィアも何も言うことができず、ナイフとフォークが擦れる音だけが聞こえていた。
「・・・優しいね、サトルは」
オクタヴィアはぽつりと呟く。こうして、“日本の妖怪”と“カタルーニャ人少女”のクリスマス・イブの夜は更けていった。
〜〜〜
12月26日 カタルーニャ共和国 バルセロナ=エル・プラット空港
東京・羽田空港からパリ=シャルル・ド・ゴール空港を経由し、バルセロナ=エル・プラット空港に13人の日本人が降り立った。高級そうなスーツに身を包み、大掛かりな荷物を抱える東洋人の集団は、周囲の視線を集めていた。
「ここがカタルーニャ、そしてバルセロナか・・・」
集団を先導する中峰雷豪警部は、周囲を見渡しながらぽつりと呟く。彼らは外務省の要請を受けてこの地に派遣された「警察庁警備局国際犯罪対策課」の一団であった。
警察庁警備局国際犯罪対策課とは、海外で活動する邦人の安全確保のために警察内部で組織された、準軍事的実働部隊である。
旧世紀であれば、他国の領土において警察活動を行うことはその国の主権に触れる行為であり、該当国の承認無しには基本的に不可能であった。しかし、この時代においては大多数の国々が「国連」の「治安維持軍」に国内の治安維持を委託しており、その治安維持軍に兵力を提供している国ならば、該当国の領域での治安維持行為の執行権限を有すると定められている。
故に、日本の警察機構は「カタルーニャ共和国」での捜査権限を握っている。尚且つそれは該当国の認証・許可を要するものではないのだ。
「さぁ、行くぞ・・・」
屈強な男たちは大掛かりな荷物、すなわち日本国内から持ち込んだ銃器等の機材を担ぎ、空港を後にしてバルセロナへと乗り込んでいく。
カタルーニャ政府の与り知らないところで、日本の汚点を覆い隠すための捕物劇が始まろうとしていたのだった。
リアルでの忙しさもあって、なかなか時間がとれず、1ヶ月振りの割に短くて申し訳ないです。
皆様、良いお年をお過ごしください。