悲劇の姉妹
2103年12月23日 日本皇国大使館
さらに翌日、前林は少女に接触するために手立てを立てていた。彼は大使館の警備室に赴き、扉を開けて薄暗い部屋の中に入る。
部屋の内部は無人であり、大使館内の各所に設置されている監視カメラの映像が、並べられたディスプレイに映し出されている。大使館内の警備はAIと警備アンドロイドが管理しており、人の力が必要な有事の際には、現地の警備会社に委託することになっていた。
前林は操作用PCの前に座ると、人差し指の静脈と指紋をリーダーに読み取らせる。すると大使館の警備室の操作ソフトが立ち上がる。そして彼は「不審な少女」を見かけた時間に遡って、大使館の正門前のカメラ映像をピックアップする。
「・・・!」
その少女はやはり鋭い目つきで大使館を睨んでいた。前林はさらに少女の顔や身長などのデータをAIに解析させる。そして各監視カメラに記録された映像から、少女の姿を検索した。すると日付は不定期ではあるが、おおよそ決まった時間に大使館の付近をうろついていることが判明した。
「・・・」
前林は不気味に笑うと、ソフトを終了して席を立つ。現時刻の大使館の正門前を映している映像には、今まさに街の方から大使館へ近づいてくるあの少女の姿が映っていた。
大使館 正門前
太陽が空高く登っている日中、その少女は再び大使館の前にいた。彼女は身を隠しながら、内部の様子を伺っている。下唇を噛み、拳をぎゅっと握り締め、悔しそうな表情をしていた。
「お姉ちゃん・・・」
少女はぽつりと呟く。しかし、彼女は中の様子を伺うのに気を取られるあまり、背後から近づいてくる男性の足音に気づいていなかった。大使館の別の出入り口から出てきていた前林は、少女の意識が此方へ向いていないことを確認しながら、一歩一歩彼女の背後へ近づく。
「・・・やあ、君、よくこの場所にきているけれど、日本大使館に何か用かな?」
「!!」
突如として日本人に話しかけられた少女は、まるでこの世の終わりのような表情をしていた。そして手を伸ばしてきた前林の脇をすり抜けようとする。だが前林は動きを読んでいたかの様に、少女の動きにぴったりとついてきて、彼女の退路を断った。
「ここは在外公館だ。部外者があまり近づく様な場所ではないとということは分かるよね? それで、君は一体何をしに、ここに通っているのかな?」
前林は妙にネットリとした言い回しで、少女に詰め寄っていく。窮地に立たされたと思い込んだ少女は、おもむろに前林の股間に向かってキックを蹴り上げた。
「おっと!!」
少女の心を読める前林は、当然のことながら彼女の蹴りを躱した。だがその隙を突いて、少女は一目散に逃げ出したのである。
「・・・どいてっ!!」
少女は街を行く人々を押しのけ、前林を煙に巻こうと、人気のない路地の中へ消える。だが彼には少女が最初からどこへ向かうつもりなのか、彼女を視界に捉えている限りその行動を読み取ることができるため、特に焦ることなく、冷静に彼女のあとを追いかけていった。
十数分後、追いかけっこの末に少女はある広場へとたどり着く。まだ日も落ちていない昼間だが、周辺にはちらほら酔っ払いの姿がある。少女は膝に手をついて息を整えると、大きな深呼吸をして広場の中に立っている大きな建物を見上げた。
「・・・」
その建造物はかつて、そして今もバルセロナ市民の誇りであった。だが2024年の改築以降、世界経済の崩壊により十分な維持費が捻出できなくなり、今は半ば荒れた状態で運営が続けられている。
そんな荒れたシンボルを、少女は得も言われぬ表情で見つめていた。しかしその時、街中で撒いたはずの男が彼女の背後に迫っていた。
「・・・ほぉ、これが噂に聞く『カンプ・ノウ』か。想像していたよりも汚いな」
「!!」
男は歯に衣着せぬ物言いで、バルセロナ市民の誇りであるサッカースタジアム「カンプ・ノウ」を評する。少女がハッと振り返ると、そこには前林の姿があった。
「・・・あなた! ここまで来たの!? どうやって!? 余所者に追いつけるはずが!」
「どうやって? 君が教えてくれたのさ、『カンプ・ノウ』に逃げ込もうと、心の中でね」
「はっ!?」
少女は目を見開いて驚く。そして恐怖の表情で後退りしていく。前林は少女の震える歩みに合わせて、ゆっくり、ゆっくりと距離を詰めていく。
(まさか、そんなわけない・・・! 人の心を読むなんて!?)
「それがあり得るんですよ。私は人間ではないからね」
(人間じゃない!? じゃあ、本当に私の考えていることが・・・)
「ああ、君の考えていることは」
(全部ばれてる!?)
「全部手に取るようにわかるんだ」
前林は不気味な笑顔を浮かべながら、少女の心を言い当て、揺さぶる。その姿は日本の伝説に登場する「覚り妖怪」そのものであった。
「・・・おっと、本能からか悪い癖が出た。私は別に君をとっ捕まえるつもりじゃない。聞きたいことがあるんだ」
「聞きたいこと?」
「そう、まずは君が大使館に敵意を向ける理由、そして・・・大使館の人間が何をしているのか、教えて欲しい」
日本人が日本大使館について教えて欲しいという。少女はその不可解さに首を傾げる。前林は当惑する少女に、自分が日本皇国から派遣された「監査官」であること、そして今、あの大使館が監査の対象になっていることを説明したのだ。
その後、警戒心を少しだけ緩めた少女に、前林はスタジアム付近の屋台にて、バルセロナの名物であるサンドウィッチの「ボカディージョ」を奢った。前林は熱々のボカディージョを頬張る少女を、微笑ましく思っていた。
「あ、ありがとう。日本人なのに、優しいんだね・・・」
「日本には1億の人口がいる。いいやつも居れば悪いやつも居るさ」
少女の体を見ると、着ている服は薄汚れており、手足も細い。その見た目だけで、貧困層の人間だということは一目瞭然であった。少女はボカディージョを食べ終わった後、一息ついて、ゆっくり口を開く。
「私はオクタヴィア・ドゥラン、姉のアグスティナ・ドゥランがあそこで働いているの」
オクタヴィアは大使館に敵意を向けていた理由を語り始める。その事情は2年前まで遡る。
カタルーニャ共和国に日本皇国大使館ができたのは、今から20年前のことである。そして現在の特命全権大使である真柴高虎氏が着任したのが2年前のことだ。前任の大使までは現地住民の雇用を行うことはなかったのだが、真柴氏の着任より、現地住民の雇用を行う様になったという。
「年齢性別出自問わずって触れ込みだったらしいから、凄い人数の人たちが殺到したんだって。ただ、結果を見れば若い女の人ばかり雇われて、最初はみんな不審がったんだ。でも、雇われた人たちは見たこともないような給料をもらって来て、みんなびっくりしたんだよ」
真柴は料理人を除いて、事務の経験も満足な教養もない貧困層の若い女性ばかりを雇用した。雇われた女性の家族たちは、そのことを勘繰り、事務職とは体のいい口実で、彼女たちが慰み者にされるのではないかと不安を感じていた。だが、後に提示された給金の額を見て、そんな感情は全て吹き飛んでしまったのだ。
「・・・でも、私・・・見てるんだ。大使館から帰ってきたお姉ちゃんが、時折1人で泣いているのを。だからあそこに居る日本人が許せなかった。それなのに、警察も・・・!」
大使館の中で何が行われているのか、遠き国・日本から来た者たちが何をやらせているのか。2年も経てば、大使館に勤めている女性たちの様子を見て、その家族たちも薄々気づいてくる。だが、彼らは大使館からの給金に目が眩み、やつれていく娘や妻を、無理やり大使館へ勤めさせ続けた。
激昂し、訴えを起こす者も中には居たが、現地の警察や検察、そして裁判所は、貧民の訴えなどには耳を貸さなかった。それどころか、それほどの金を貰っているのなら、その程度の理不尽など耐えて当然だと突っぱねられたのである。
「そして、“あの男”も・・・!」
アグスティナ・ドゥランとオクタヴィア・ドゥラン、2人の母親は貧民街に暮らす恋多き女であった。娼婦などではないのだが、この姉妹を含めた彼女の子供たちは皆、父親が違うという。
そして今の父親は酷い男であった。大使館からの給金に目が眩んでいた父親は、勤務を辞めたいと懇願する姉のアグスティナに、怒号を浴びせ、暴力を振るい、彼女が大使館を辞めることを絶対に許さなかったのだ。
血のつながっているはずの母親は、そんな夫の言動をただ傍観しているだけであるという。
「・・・なるほどね。そういうことか」
オクタヴィアは姉のアグスティナが大使館内で酷い目に遭わされていないか、正門の外から必死に様子を伺っていたという。当然、そんな場所からは建物の中の様子は見えないが、無駄なことだとしても止められなかったのだ。
「お姉さんを助けたい?」
「・・・うん」
前林は率直に尋ねる。オクタヴィアはこくりと頷いた。姉が大使館に勤めて得た金は、両親が全て取り上げ、無計画に散財しているという。オクタヴィアは姉1人に犠牲を強いて、金の亡者と化した両親を蔑んでいた。
「ならば私たちに協力してくれ。いいな?」
「・・・うん!」
前林はオクタヴィアに協力を求める。彼女はさらに強く頷いた。前林はさらなる情報を集めるため、彼女に質問をする。
「単刀直入に聞く。我々はあの大使館が事務の女性たちを使って、売春斡旋業を行っていると考えている。その場所が分かるか?」
「・・・場所? ちょっと待って・・・」
大使館に勤める現地住民の心を読んだ結果、真柴を筆頭とする外交職員たちは、このバルセロナのどこかにテナントを借り、そこを富裕層向けの「宿」としていることが分かっている。
だが、その詳細な場所については未だに分かっていない。物証を抑えるためには、何としてもその現場を捉える必要があった。
「・・・確証はない、けど・・・週に何回か、あの大使館からはトラックが出ていくの。最初はただ荷物を運んでいるだけだろうと思っていたんだけど、そのトラックが出ていくと、次の日の朝、お姉ちゃんが酷くやつれて帰ってくるから・・・もしかしたら」
「・・・トラック!?」
前林は目を見開いた。やはりこの少女は核心に迫る情報を持っていたのだ。まだ確固たる証明はないが、女性たちはそのトラックに乗せられて、宿へ連れて行かれているのだろう。
「・・・実は私たちは4日後には日本へ帰ることになっている。そしてあの大使館の者たちは、俺たちが何かを感づいていることを察知している様なんだ。そこで君に頼みがある。私たちは4日後、予定通り帰るフリをする。その後、いつもの様に大使館の監視を続けてくれないか?」
「え?」
きょとんとするオクタヴィアに、前林は懐からある道具を取り出して説明を続ける。
「君に取り敢えず、何かあった時のためにこの“無線機”を渡しておく。我々は奴らが油断して“営業”を再開した時を摘発する。帰国を装った我々も、大使館の監視は続けるつもりだが、君が最も物理的に大使館に近づける監視員になる。それでもし、我々の目が届いていない時に何か動きがあれば、これで連絡して欲しい」
「・・・!」
前林はオクタヴィアにスパイの役割を果たす様に言い渡した。オクタヴィアは彼の言葉を瞬時に理解し、渡された補聴器型無線機をポケットの中に仕舞い込んだ。
「・・・任せて!」
オクタヴィアは勝気な笑みを浮かべる。その後、彼女と別れた前林は、現地職員の家族から証言をとれたこと、そしてすでに現地警察に訴えを起こした者が存在することを、公邸のゲストルームにて待機している徳佐に報告した。
彼らは大使館の摘発に向けて、着々と動いていた。
〜〜〜
日本皇国 東京 外務省
それから数時間後、日本の外務省では、数名の官僚たちが集まる会議室にて、監査官の1人である徳佐からの報告内容が吟味されていた。彼らは「領事局国際安全対策課」の人間である。この外務省独自の捜査機関である国際安全対策課には、徳佐が所属する「大臣官房付監察査察室」から、在カタルーニャ日本大使館の疑惑について伝えられていた。
「カタルーニャ共和国は『国際連邦』の加盟国。そして片務的な関税自主権の喪失と租借地の献上を引き換えにして、『国際連邦治安維持軍』に国防と治安維持を委託しています。我が国も連邦の加盟国であり、そして治安維持軍に兵力を提供している以上、彼の国の領域に対して治安維持行為の執行権限があります」
官僚の1人が発言をしている。それは22世紀の国際情勢について含んだものであった。
この時代の国際機関である「国際連邦」には、各有力国が資金と軍事力を供出することで組織された「治安維持軍」と呼ばれる組織がある。前国連においては遂に結成されることはなかった強制行動型国連軍と、PKFと呼ばれた国際連合平和維持軍の、中間のような立場・形態をとる軍事組織である。
国際連邦は元々、この治安維持軍を紛争地帯に適切に配置することで、世界の治安回復を目指すことを目的として設立された。加盟国ならば無条件で、治安維持軍の軍事支援を受けられることになっている。
しかし、それはあくまで、定められた運営分担金の納入と軍事力の供出を滞りなく行っている場合の話だ。加盟国の多くは世界経済崩壊の影響を脱せず、未だ経済的に困窮している国ばかりである。そんな国々が維持軍の恩恵を受けたければ、未納分の分担金・兵力に代わる対価を、連邦に対して提出しなければならないのだ。
「この案件は、我らが日本皇国の名誉に関わる一件になる。確固たる物証は未だ無いが、職員の親族からは証言がとれており、実際に現地の警察機関には、大使館に対する訴えの記録が確認された。あの“サトリ検事”はすでに確信を持っている様だ。だが、摘発には現地警察や他国の治安維持軍兵士を関与させたくはない」
国際安全対策課長の東鈴兼彦は、他国に詳細が漏れることなく、この一件を収めたいと考えていた。願わくば、そんな事実は無いのが望ましかったが、最早そんなことを期待している場合ではなくなってしまっていた。
「すでに事務次官には報告済みだ。諸君らは警察庁警備局の『国際犯罪対策課』に連絡を取り、現地での出動を要請してくれ。我々は彼らがフランス経由で速やかに現地入りするルートを整える」
「国際犯罪対策課」とは国外にて事実上の警察活動を行う機関として、警察庁警備局に設立された部隊だ。元は「国際テロリズム対策課」という名称であったが、テロだけでなく個人レベルの様々な犯罪に対応するため、人員も装備品も拡充され、海外での準軍事的実働部隊として再編成された。海外での諜報活動や邦人の安全確保の他、有事の際には準軍事部隊として現地に展開し、現地の治安機関と協力しながら邦人の救援を行うことを使命としている。
だが今回の様に、日本国民の国外犯を摘発するために出動するのは、かなり異例のことであった。
「この一件が摘発された時、我が国は外交官の信任状を自ら任期途中で撤回することになる。もしこれが他国へ露見すれば、我が国の名誉に傷がつく。この一件はあくまで、内々に収めるのだ!」
「はい、確実に・・・!」
会議に参加していた国際安全対策課の官僚たちは、ボスの命令に深く頷いた。外務省も大使館の摘発に向けて、着々と準備を進めていたのである。
〜〜〜
12月23日 夜 カタルーニャ共和国 首都バルセロナ
同日、カタルーニャは夜を迎える。聖なる夜が近づく中、バルセロナはクリスマスマーケットの真っ只中であった。街の大部分が荒んだ雰囲気が漂うバルセロナの街も、クリスマスマーケットが開かれている通りは、活気に溢れている。
だが一歩、人気のない場所に足を踏み入れると、街の様子は一変する。オクタヴィアと彼女の家族が住む家は、日本大使館が存在する地区から南へ行った場所に位置する、少し入り組んだ住宅街にあった。
古びた集合住宅の1階にオクタヴィアの家がある。彼女はカンプ・ノウにて前林と別れた後、時間を潰しながらその家へ帰って来ていた。
「・・・」
オクタヴィアは建物に入り、家の扉の前に立った。中からは血の繋がりがない父親の怒号が聞こえてくる。彼女は「ただいま」も言わずに扉を開けた。
「薬だ!! 薬買ってこい! お前! まだ金隠してんだろ!!」
怒号が一際大きくなる。薬物の常習者であるその男は、こうして感情の抑制がきかなくなることが多かった。その暴力の矛先は、一家で唯一の生計維持者であるオクタヴィアの姉、アグスティナである。
母親はタバコを吹かしながら、その様子を見ているだけであり、姉は特に抵抗することもなく、怯えながら理不尽な暴力が止むのを待っていた。
「・・・お姉ちゃん!? ちょっと、止めてよ!」
オクタヴィアは咄嗟に、義父であるバスコ・アルフォンソが振り上げた右腕に掴みかかる。
「あ!? くそっ、ガキは引っ込んでろ!!」
「きゃあ!!」
バスコはオクタヴィアを振り払おうと、右腕を力一杯振り回した。15歳の少女では、リミッターが外れた男の腕力に敵わず、オクタヴィアは放り投げられてしまう。運良く古ぼけたソファに飛ばされたため、怪我は無かったものの、姉のアグスティナはその様子を見てショックを受けてしまう。
「・・・ケッ! コイツを助けたきゃ、お前も稼いでくることだ! コイツの様にな!」
「・・・!!」
バスコはそう言い捨てると、奥の部屋へと消えていく。オクタヴィアは毅然とした目つきで、彼の後ろ姿を睨んでいた。そして彼女はその視線を母親のカルメラ・ドゥランへと向ける。するとカルメラは居心地が悪そうにサッと視線を逸らし、バスコと同じ部屋の中に消えて行った。
「・・・大丈夫? オクタヴィア!」
姉のアグスティナは妹のもとへ駆け寄り、彼女の身を案じた。アグスティナの体にはあちこちに痛々しいアザができていた。そんな姉の姿を見て、アグスティナの中でふつふつと怒りが沸き上がってくる。
「お姉ちゃん! なんであいつらにお金を渡すの!? 何で逃げないの!? お姉ちゃんがひどいことされて、それに耐えて稼いできたお金のほとんどが、薬とギャンブルで食い潰されてるんだよ!?」
オクタヴィアは以前より、金銭管理がままならない養父と実母、そして彼らに稼ぎを委ねる姉に憤りを感じていた。
「・・・ねぇ、お姉ちゃん。もう大使館辞めてよ。そして逃げよう?」
「!?」
オクタヴィアは姉に逃亡を持ちかける。姉のアグスティナはその言葉を聞いて、目を見開いた。
「私が大使館を辞めたら、貴方の暮らしはどうなるの? 逃げ出して、貧民の女2人でどうやって生きていくの? 貴方にまで私と同じような苦労を掛けるのは嫌よ?」
「・・・っ!」
アグスティナはオクタヴィアの頬に両手を添えて、優しい声色で彼女を諭した。オクタヴィアは怪訝な表情を浮かべるが、アグスティナは笑顔を崩さない。
「私は大丈夫。だから貴方は何も心配しないで」
「・・・お姉ちゃん」
アグスティナは妹であるオクタヴィアにだけは、苦労を掛けたくはないと願っていた。彼女は自身の思いを伝えると、姉妹の部屋へと入って行く。1人居間に残されたオクタヴィアは、しばしの間呆然としてしまう。
「・・・」
そして何かを思い立った彼女は、ズボンのポケットからあるものを取り出す。それは前林から渡された補聴器型無線機であった。
オクタヴィアは通信開始のボタンを押す。すると、無線機の向こう側から男の声が聞こえてきた。
『こちらサトル・マエバヤシ、オクタヴィアか? どうした?』
「ねぇ? サトル・・・明日会えないかな。個人的な用があるの」
オクタヴィアは元気をなくしたか細い声で、無線機の向こう側にいる男に問いかけた。