軍閥の街「長沙」
2102年4月3日 中華人民共和国 共産党政権直轄地 上海
「東洋の魔都・上海」に到着した「参議院円借款調査派遣団」一行は、上海虹橋国際空港のロビーにて、共産党政権からの使いである現上海市長の陳星陵らによる歓待を受けていた。
「日本国の皆様、ようこそ上海へ」
「こちらこそ」
派遣団代表の宮戸帯刀は、陳星陵が差し出した右手を握り返し、固い握手を交わす。彼らの言語はお互いに身につけている翻訳機によって、一瞬でお互いの母語に翻訳される。その後、彼らは陳星陵が引き連れていた役人たちとともに、空港の玄関口へと向かう。
(・・・)
派遣団の男たちは周囲の人々から好奇と恐怖の目で見られていることに気づく。国境を閉ざした謎の国からの派遣団は、その他の世界の人々からすれば得体の知れない存在であった。
それは魔法と科学、人外と人間が入り混じり合う今の日本が、「怪奇と現実が交わる国」「化け物が暮らす国」「アジアの魔境」と呼ばれて恐れられているからだ。
「さぁ、こちらへどうぞ」
陳星陵の案内に従って空港を出た派遣団は、バスに乗って中心地へと移動する。上海人民政府が用意したバスは立体道路を通り、意見交換会の会場である国際会議場へと向かって行った。
「さすがは大陸の大都市ですね。どれほど恐ろしい場所かと思えば、さほど東京と変わらないじゃないですか」
「・・・」
派遣団の1人である参議院議員の壬生地善之は、隣に座る外務省の間宮篤佐に話しかける。車窓から見える上海は高層ビル群が並び、とても華やかで、東京に引けを取らない大都会であった。
しかし、中国大陸の実情を知る間宮はそれがショーウィンドウに飾られた姿にすぎないことを知っている。彼は外務省アジア太平洋局支那大陸課に所属していた。
バスは立体道路を降りて、地上の大通りを走っていく。その瞬間、車窓の外に見せる世界は一変した。
「・・・!」
立体道路の柵越しに見えたビルの1階部分には、全てに丈夫な鉄格子が張られていた。道にはゴミが散乱し、壁にはことごとく乱雑な落書きがされている。多くの人々が行き交い、車も走っているが、地面に座り込む人々とその表情は、どこか厭世観のある雰囲気を漂わせる。
「・・・あれは!」
壬生地は車窓の向こうにある光景を見つけた。バスが走る大通りの1本向こう側の通りで、デモ隊と警察が衝突していたのだ。爆発も起こっていた。その光景はあっという間に通り過ぎてしまったが、壬生地の脳裏に深く焼きつく。
「ここは・・・」
壬生地は言葉が出なかった。その後、バスは国際会議場へと到着する。そこで行われた上海人民政府との意見交換会はつつがなく円満に終了し、派遣団は国際会議場を後にした。
・・・
上海 中心街 ホテル
そして今、彼らは翌日の長沙への出発に備えて、上海でも屈指の高級ホテルに宿泊している。それなりのレベルの宿泊施設でなければ、日本人というだけで目をつけられ、宿主と結託した強盗団やマフィアによって襲撃される恐れがあるのだ。
「・・・はぁ」
派遣団代表の宮戸帯刀は、ホテルの一室にて窓から上海の夜景を眺めていた。夜景の煌めきは東京と負けず綺麗だが、非常事態や機動隊の出動を伝えるサイレンの音が断続的に聞こえてくる。明日は無法地帯を抜けて、軍閥が支配する街へ行かなければならない。
「日本は“幸せの国”なのだろう・・・な」
監視社会であり、遠回りな思想統制が敷かれている日本。しかし、警察機構は健全に動き、強固な軍に国境を守られている。安全が当たり前に存在している日本列島と、常に理不尽な暴力に怯えなければならない「外の世界」、そのあまりにもかけ離れた世界観の差に、宮戸は目眩がしそうになっていた。
〜〜〜
2102年4月4日 中国大陸 上海市
派遣団を乗せた大型バスは、21世紀中頃に再建された「滬蓉高速道路」を使い、陸路で「長沙」へ向かう。最初の目的地はその途上にある「武漢」だ。上海と並び、中国共産党の支配下にある都市の1つで、中国大陸の中ではある程度治安が安定している。
走り出したバスの中で、引率役の外務官僚・相良央理が席を立ち、同乗している派遣団の面々に今後の説明を行なっていた。
「内陸の都市はほとんど空港が生きていないため、陸路の移動となります。さすがに高速道路上で襲撃されることはないかと思われますが、給油のために立ち寄る各地の都市では注意が必要です」
バスの中には合計で12人の日本人が乗っている。その内訳は、団長の宮戸帯刀を含む2人の参議院議員と3人の外務官僚、そして護衛として同行している7人の皇国陸軍兵士だ。
バスの前後には人民解放軍陸軍の兵士が乗った装甲車が、護衛として張り付いている。
・・・
参議院円借款調査派遣団
団長 参議院議員 宮戸帯刀
同 壬生地善之
同行 外務省国際協力局国別開発協力第1課 相良央理
外務省アジア太平洋局支那大陸課 間宮篤佐
外務省領事局国際安全対策課 堂ヶ島徹
護衛 日本皇国陸軍第1師団第1歩兵科 進藤圭 少尉 以下7名
・・・
上海から出た途端、車窓から見える景色は一変する。大陸の名の通り、広大な大地が四方八方に広がっていた。山がちな島国・日本ではなかなか目にすることのできない光景である。そして時折通り過ぎる街々の様子も、日本のそれとは大きく異なるものだった。
ところどころから火災による黒煙が上り、建物は崩れ、人々は生気を失った表情をしている。ライフラインもロクに通っていないのか、街は全体的に暗い。郊外に見える田畑は荒れ果て、閑散とした高速道路を走るバスと装甲車を見つめる目は、どこか淀んでいる。
「・・・」
バスの中に重苦しい空気が流れる。数時間後、バスは経由地である「武漢」にたどり着いた。
〜〜〜
4月6日 長沙市 旧人民政府庁舎
上海を出発して2日後、「参議院円借款調査派遣団」は共産党の施政下にある街「武漢」を経由し、班錕明軍閥政権の拠である「長沙」に辿り着いた。
かつて華中地方屈指の栄華を誇った都市の中枢は、今やならず者たちの住処となっている。上海と比較すると街中も整備されておらず、激しい戦闘の爪痕が生々しく残っていた。長沙へ到着した派遣団の一行は、「班軍閥」の行政拠点である人民政府の旧庁舎を訪れる。
「ようこそ、日本国の皆様。我々の街・長沙へ!」
「盛大な御歓迎、感謝します」
班軍閥に仕える官僚の紅明禄が、派遣団の面々を迎え入れる。彼は団長の宮戸と固い握手を交わした。
この周辺領域を支配する「班軍閥」は、元人民解放軍陸軍少将の班峰寧が建てた軍閥であり、現在はその息子である班錕明が率いている。立場としては中国共産党、及びアメリカ軍と協力関係にあり、日本皇国の支援も受けている。この班軍閥を含めた華南地方の軍閥は、共産党やアメリカと提携関係にあることが多い。
一方で、「黄河」以北の軍閥は非常に好戦的な集団が多く、特にハルビンを拠点とする「黒龍軍閥」は、シベリアや朝鮮民国、モンゴル国に度々侵入して略奪を繰り返し、「22世紀の匈奴」と呼ばれていた。その対策として、日本政府は大連を支配する「李軍閥」を支援している。
派遣団は庁舎内にある会議室に案内された。そこには現地の「日本政府事務所(事実上の在外公館)」の所長である杉田涼伍と、軍閥の指導者である班錕明の姿があった。派遣団の面々は彼らとも挨拶を交わす。そして着席した一同に向かって進行役の杉田が立ち上がり、口を開く。
「ではこれから、円借款による長沙〜武漢〜上海間鉄道輸送路建設の説明、及び意見交換を行います」
その言葉を合図に、プロジェクターが白壁にスライドを映し出す。派遣団の面々は目の前に配布された資料を手に取った。
長沙を拠点に「湖南省」の多くを支配する班軍閥は、日本企業の参入と円借款を受けて資源開発とその輸出を進めている。その一貫として、共同事業として採掘された各種鉱物資源を港へ運ぶための鉄道の建設が行われていた。
中国の鉄道はそのほとんどが破壊・遺棄されている。そして広大な中国大陸は数多の軍閥によって分割され、小規模な軍事衝突があちこちで発生している。故に一般人が大陸内を長距離移動することは非常に難しい。だが、鉱物資源の売買で富を得るには、輸送手段がなければならない。故に班軍閥は日本の参入を受け入れたのである。
「今年1月から、起点となる『長沙・地下坑内駅』の建設が開始され、同時に上海でも地下鉄道の建設工事が開始されました。路線は盗賊や他の軍閥の襲撃を避けるため、地下鉄道として計画されております。この事業のため、日本人から数十名の技術者が派遣され、この長沙に滞在しており、雇用された現地住民と共に事業に携わっています」
杉田はスライドに建設現場の写真を出しながら、現状について説明する。日本人技術者がシールドマシンを扱い、現地住民が日本人の指示を受けながら、各種重機を用いてセグメントの構築を進めていた。
「現地作業員と日本人企業員との関係は良好です。今月に行われたアンケート結果では、実に90%を超える現地作業員が、待遇に非常に満足していると答えています」
班軍閥が日本企業の参入を受け入れたのは、雇用を生み出すことも1つの理由であった。その目論見は成功している様だ。
「我々としても、今回の共同事業については非常に感謝しています」
軍閥側からの参加者の1人が、日本への謝意を口にする。軍閥の指導者である班錕明も、穏やかな笑みを浮かべていた。しかし、会に出席している幹部の中には何人か、険しい表情をしている者たちがおり、宮戸はそれが少し気になっていた。
その後の意見交換では、派遣団のうちの何人かが、現地の状況についていくつか質問をぶつけた。会そのものは終始波風が立つことなく、穏やかな雰囲気で終わったのである。
長沙市 ホテル
派遣団の一行は、軍閥側が用意した宿泊施設へ来ていた。彼らはホテルのロビーに集まり、今後の予定について話し合っている。
「此処は共産党政権やアメリカ軍の影響範囲外です。外出をするなとは言いませんが、その際には軍閥の兵員を伴い、迂闊な行動は避けてください」
引率役を務める外務官僚の相良央理は、団員たちに現地滞在中の注意を告げる。ここは人民解放軍やアメリカ軍の庇護がない、ならず者たちによる「王国」なのだ。
「明日は共産党政権の首都・重慶へと向かいます。それまで移動の疲れを癒し、明日に備えてください」
相良はそう言うと、派遣団のメンバーに向かって一礼する。
長沙市 市街
此処は湖南省を実効支配する「班錕明軍閥政権」の拠点であり、事実上の首都である。21世紀初頭は人口700万を越え、高層ビルも並び立つ大都市だった。しかし、高層建築の殆どは廃墟と化し、各行政庁舎も一部が崩落、さらに今は班錕明軍閥の行政施設となっている。
そして今、壬生地善之は外務官僚の堂ヶ島徹と共に、軍閥の兵士と皇国陸軍の護衛を引き連れ、視察の一環として長沙の街を歩いていた。彼らは今、「瀏陽河」という河川のほとりを訪れている。
その河岸には上流から下って来た商船が停泊しており、河岸には交易の為の市場が並び、見るからに大丈夫ではなさそうな川魚や粗悪な布製品が取引されていた。
「・・・あれは!?」
その中で一際、壬生地の目を引いた商取引があった。薄汚い衣服で身を包んだ女性が、金銭と引き換えに交換されている。それは他でも無い「人身売買」の現場であった。壬生地はたまらず、その場へ近づこうとする。
「・・・何処へ?」
その瞬間、軍閥の兵士が壬生地の肩を掴み、その動きを止める。皇国陸軍の兵士は軍閥兵士の動きに対して、警戒心がマックスになっていた。だが、壬生地は落ち着いた口調で、軍閥兵士に問いかける。
「『中華人民共和国』は『国際連邦』の加盟国だ。あれは人身売買の現場ではないのか? ならば止めるべきだ」
当然ながら、秩序が崩壊したこの時代でも、表向きは人の売り買いはタブーである。故に壬生地は目の前で行われていたそれを、取締るように進言する。
「此処は『中華人民共和国』などではない、我々の国だ。それにあれは“職業斡旋”の現場だ。人身売買などではない。それに・・・」
兵士はあくまで目の前で起こっているそれを取締る気はない様だ。そして彼は壬生地の顔を睨みつけ、言葉を続ける。
「無事に視察を終えたければ、何も“見ない”ことだ」
「・・・っ!!」
脅し半分の言葉を告げられ、壬生地は押し黙ってしまう。その後、堂ヶ島は彼のもとへ駆け寄ると、小声で耳打ちをする。
「“時代”と“価値観”が違うんです、壬生地さん。テラルスに居た頃も、日本政府は他国の奴隷売買は黙殺していた。此処でもそうです。『異世界』なんですよ、此処は・・・」
この時代、多くの人々が人権を踏みにじられ、まるで家畜のような生活を余儀なくされている。しかし、日本政府はそんな他国の人権事情に対して我関せずの立場をとっていた。この長沙に開発の手を伸ばしたのも、鉱物資源を求めたからにすぎない。
「・・・」
胸の中に渦巻く複雑な感情を抱えながら、壬生地はその場を後にする。仮に壬生地がこのことを政府に報告しても、軍閥への支援が停止されるわけではないだろう。彼はそのことがたまらなく悔しかった。
次回「日本政府への要求」