吸血鬼の脅威
4月15日 新宿区 戸山公園
穂積、そして六谷の心に仲間を傷つけられた怒りが沸き上がる。公園の周囲は彼らの他にも、すでに応援の警察官や警備アンドロイドによって包囲されており、数多の銃口が襲撃犯に向けられていた。
『警告する! お前は完全に包囲されている! 傷害、及び公務執行妨害の現行犯でお前を逮捕する! 両手を頭の後ろに組み、地面に伏せろ!』
六谷は青年に対して、拡声器で投降を呼びかける。公園周囲の住宅地に住む区民たちも、サイレン音や騒ぎを聞きつけて、続々と家の外へ出てきてしまっていた。
「こんなもので封じ込めたつもり? このままだと、全員死ぬことになるわよ?」
しかし、謎の男に化けた襲撃犯・・・すなわち、吸血鬼族の子「月神桃真」は、国家権力の警告を前にしても一切怯まなかった。
この「日本皇国」は世界唯一の完全なる法治国家であり、この「東京」は世界屈指の監視都市である。その一方で、この国には「万博テロ事件」に関与していた狗寺をはじめ、政府や警察でも御しきれない能力の持ち主がごくわずかに存在する。それがこの国に渦巻く“混沌”の最大の元凶であったのだ。
「いや・・・これでいいのさ、“怪物のお嬢さん”」
「!」
拾圓は打撲で思うように動かない体を無理やり起こす。そして軋む膝を無理やり伸ばし、立ち上がる。啖呵を切る彼の目は、桃真にも負けない鋭い眼光を放っていた。
「その余裕がいつまでも続くと思うな。10年・・・いや、5年以内に、人類は必ず君たちを御する術を手に入れる。最高位の種族に下克上を果たす日がきっと来る。確かに今、我々は君に勝てないかもしれない。だが、我々は“法の番人”だ。この場をこのまま見過ごすわけにはいかない!」
「・・・へェ」
痛めつけられてもなお、争う意思を失わない人間を見て、桃真は彼に興味を抱く。しかし彼女の気が逸れたのも一瞬だけ、追い討ちをかけようと右手をゆっくりと振り上げる。
「素直に血をくれていたら・・・殺す気はなかったけれど、仕方ないわね。お察しの通り、この姿は仮初のもの。おまけに私はカメラに写らない。だから現行犯逮捕しか私を立件する手はなかった。そうでしょう? だから私はこの場を乗り切ればいい、とりあえず貴方から・・・」
「!!」
桃真はこの場に駆けつけた刑事・警察官全てを抹殺しようとしていた。彼女の右腕はみるみるうちに屈強な紅色の剛腕と化す。その標的は拾圓の命だ。
「・・・止めろオォ!!」
それにいち早く気づいた六谷は、桃真の方へ走り出す。彼の右手から桃真の右腕に向けて、強靭な蜘蛛糸の束が噴出された。しかし、魔法防壁によって六谷の攻撃は阻まれる。他の警官やアンドロイドも無線電撃銃を放つが、電撃を帯びた弾丸も尽く跳ね返されていた。
「・・・ヤアアアッ!!」
「・・・ッ!」
紅色の剛腕、その先端に位置する鋭い爪が、拾圓、そして彼の足下に横たわる九辺に向かって襲いかかった。拾圓は九辺の上に覆いかぶさり、未だ意識が戻らない彼女の体を庇う。
「・・・!!?」
その時、巨大な腕が、まるで竜の様に赤く堅牢な腕が、拾圓と桃真の間に立ちはだかった。それは桃真の攻撃を受けても、まるでびくともしなかった。
桃真が動きを止めた後、その腕はシュルシュルと音をたてながら小さくなっていき、持ち主のもとへと引っ込んで行く。その先には1人の男子学生の姿があった。
「姉さん、もうやめよう」
「葵!」
桃真は目を見開く。そこに居たのは月神桃真の実弟である月神葵であった。その瞳は桃真と同じく、血のように紅く輝いている。
「・・・姉さん、元の姿に戻ってくれ。警察の皆さんも・・・ひとまず武器を下ろしてください。これ以上、姉さんをいじめるなら、俺は姉さんに加勢する。2人の吸血鬼を相手にすれば、文字通り瞬く間に全滅ですよ。俺たちはあの母さんの・・・全ての生命の最上位、“現世の悪魔”の血と遺伝子を受け継いだ、正真正銘の“吸血鬼の子”なのだから」
「!!」
「吸血鬼の子」、その言葉に六谷や穂積たちは驚愕する。外事警察の推測通り「吸血鬼族」の女性が日本国内に不法入国していたこと、そして彼女が日本人と子供を成したこと、この2つの事実が明らかになったからだ。
「ああ・・・!! 貴方、力が・・・! 遂に“吸血鬼”としての力が目覚めたのね!!」
「うん・・・まあね」
桃真は葵のもとへ駆け寄り、彼の肩に手を置いて喜びの声を上げる。一方で、葵はどこか複雑そうな表情を浮かべていた。
彼女たちの母親の名はブランヴィー=ツェペーシュ、60年前の「帰還」の際に入国を果たし、公安と外事が行方を探していた吸血鬼族の女性である。
吸血鬼族にとって人間は“下等生物”であり、捕食の対象である為、彼女がその人間の男と子を成した経緯については誰も知らない。そして長女である桃真が小学2年生になった時、ブランヴィーは夫である月神繁と幼い姉弟を残し、何処かへ姿を消してしまったという。
残された父親はまだ幼い姉弟を男手1つで育てたが、不運な交通事故で命を落とし、母親と同様に姉弟の前から消えてしまう。父方の親戚は得体の知れない“怪物の子”を受け入れず、以降、姉弟は2人きりで暮らしていくことになる。
葵より頭1つ分身長が高い青年の姿をしていた桃真の体が、金色の光に包まれる。光が消えた後、桃真は本来の女子高校生の姿へと戻った。彼女は弟の胸元に体を預けながら、周囲を囲む警官たちに向かって声を荒げる。
「私たちの血を恐れて・・・この世界は私たちを拒絶した。それなのに、また私たちから何かを奪おうとするの!?」
桃真自身は消えた母親を恨むことはなく、むしろ自分たち姉弟の身体に流れる吸血鬼の血を誇りに思っていた。だが、その真実を知った者たちは彼女らの周りから次々と離れて行った。
この世の何も信じられなくなった桃真は、唯一無二の肉親である実弟の葵を溺愛し、依存するようになったのだ。
「姉さん・・・」
葵はまるで幼子をあやすかの様に、取り乱す姉の頭を優しく撫でる。そして彼女の心が落ち着いたところを見計らって、地に伏していた拾圓に声をかけた。
「刑事さん、とにかく分かったでしょう。貴方方が束になっても、俺たち姉弟には敵わない。国家権力ですら、俺たちを力で抑えられない。そこで・・・1つ取引をしませんか?」
「・・・取引だと!? 何を言っている! 一般人への傷害事件を10件、警察相手にまァこんな大立ち回りをやらかして、なあなあで済ますと思うな!」
六谷は一方的に取引を持ちかける葵に激昂する。だが、葵も毅然とした態度で言葉を返した。
「勘違いしないでくださいよ。警察? 裁判? 軍? 俺たちがそんなもの、恐れていないことはわかりますよね? これは俺たちの譲歩です、もし飲めないのなら、貴方方を全員“生ける屍”にしてこの東京に放ちます。言っている意味が分かりますよね?」
「・・・!!」
葵は姉を警察に引き渡すつもりは毛頭なかった。だがこれ以上、襲撃事件を重ねるのを無視できないことも承知していた。故に彼は東京そのものを人質にして警察を脅し、この事件を無理やり収めようと考えたのである。
「姉が起こした一連の事件は、容疑者不明のまま直ちに収める。その代わり、俺たちはもう誰かを襲いません。糧となる血は野良猫や野生鹿なんかの野生動物で代用したり・・・見つけられるかどうか分かりませんが、任意の提供者を得て摂取する様にします。それに・・・」
葵はさらに目を鋭くすると、桃真のうなじと背に両手を回し、強く抱き寄せる。
「“この人”はもう誰にも傷つけさせない・・・! そして姉さんもだよ・・・。俺は姉さんのものじゃない、もう勝手を許す訳にはいかない」
種族の能力が目覚める前の葵は、姉の暴走を知りながらも止める手立てがなかった。故に本心では姉を慕っていたものの、圧倒的な力の差故に恐怖の感情を抑えられなかった。だが、今の彼は桃真の攻撃を無傷で受け止めた。それは姉弟の力関係が変わったことを意味していた。
「・・・分かりました、貴方の要望通り、事件はこの一件を最後に再発せず、容疑者不明・・・それで終わらせましょう。しかし、最低限の条件として身分証を提示していただき、この場で身元を照会させてもらいます。貴方方を公安のアーカイブに記録しなければなりませんから」
「・・・それはどういう意味ですか?」
拾圓は姉の逮捕を取下げ、事件の真相を隠匿する条件として、姉弟の身元確認を要求した。葵は怪訝そうな表情を浮かべる。
「貴方方の“戸籍”には亜人であることは登録されません。その代わり、警察庁の機密ファイルにはその情報が保存されるということです。この国にはごく一部、貴方方のように国家権力ですら御しきれない能力の持ち主が存在する。そんな人物を通常通り戸籍に登録しては、他国に情報が漏れる危険性が出てくる。それは何としても避けなければなりません。それ故の超法規的措置・・・というわけですよ」
「それはすなわち、俺たちの正体が学校や他の機関に漏れることは無いと・・・?」
「・・・はい、約束します。もちろん、二度と事件を起こさないという前提のもとですが。それとこの事は他言無用に願います」
葵は少し考えるそぶりを見せる。だが、両者の妥協案としてこれ以上の選択肢はなかった。
「・・・分かりました。俺たちの秘密がバレず、静かに暮らせるならそれでいいです。身元照会に応じましょう。学生証でいいですね?」
「・・・葵!?」
姉の桃真は弟の腕の中で拾圓と葵のやりとりを傍観していた。彼女は弟が拾圓の提示した条件に同意したことに驚く。
「大丈夫、姉さん。さぁ、姉さんも学生証を出して・・・姉さんは俺が守るから。もし、それで姉さんが傷つくようなことがあれば、絶対に許さないから・・・」
「・・・!」
桃真は今まで、弟を守ることができるのは自分だけで、自分が庇護しなければならないものだと思っていた。しかし、その弟が自分を守ると宣言した。彼女はそれが衝撃的であり、尚且つ嬉しくてたまらなかった。
その後、姉の学生証を受け取った葵は、それを拾圓に手渡す。それらを確認した拾圓は、腕時計型端末で彼らの名前を検索する。ヒットしたデータには、彼らが新川高校に所属する学生であること、そして東京都内で出生したことがはっきりと記載されていた。
「・・・確かに」
穂積と六谷、そして応援に駆けつけた4課や所轄の刑事、警官たちは、拾圓と怪物の対峙を固唾を吞んで見守っていた。
「・・・後日、公安の人間が戸籍に登録された住所に伺い、最終確認を行います。それで取引成立です」
「分かりました。では、その時に・・・」
葵はどこか不敵な笑みを浮かべる。その直後、彼と桃真の体は蝙蝠の群体へ変化し、甲高い泣き声を上げながら夜空へと飛び立っていく。拾圓はその光景を無言のまま見上げていた。
その途中、六谷が拾圓のもとへ駆け寄ってきた。
「本当にこのまま見逃して、彼らを野放しにするんですか!?」
彼は迫真の表情で拾圓に詰め寄る。六谷はこのまま犯人を放置することに納得していなかった。しかし、拾圓は冷静な口調で部下を諭す。
「・・・全滅したいのですか? それに元々、刑事部長からは身元さえ明らかにすれば御の字だという指示を得ていました。この結末は想定内です。このまま、大人しくしてくれることを祈るしかありません」
拾圓は最初からこの結末を思い描いていた。この国が抱える最大の問題、それは国の力を以てしても抑えられない力をもつ国民がいることである。
「日本皇国」、そして「東京」は、突然家を焼かれて泣き寝入りすることも、空から爆弾が降ってくることもない。世界で唯一と言っていい、平和で治安が維持された国だ。
その一方で、真夏の街中で全身凍傷で死にかけたり、輪切りの死体が公営体育館から見つかったり、空飛ぶ蝙蝠女に襲われて失血したりする。この街は何でも起こる、都民は口を揃えてそう言う。
平和と科学、そして超常と混沌が入り混じる国、それが日本皇国なのだ。
新宿区 アパート
戸山公園で大騒ぎを起こした姉弟は、何事もなかったかのように自宅へと帰っていた。2人は殺風景なリビングで、いつものように床に座り、身を寄せ合っている。
しかし、そこには決定的な変化があった。どこか恐怖を隠しきれなかった葵の顔から、怯えの感情が消えていたのだ。彼は姉の体を抱き寄せ、紅い瞳で窓の外の月を眺めていた。
「姉さんと違って・・・俺は母さんの血を憎んでいたし、種族の力が目覚めた姉さんが少し怖かった。でもその血が目覚めた今、やっと姉さんの孤独が判った気がする。
俺たちはこれから先、3〜4千年は生きることになる。この世界で、それはきっととても孤独なことだよ。・・・1人だったらね」
姉である桃真が葵に執着した理由は、彼が唯一無二の肉親であることの他にもう1つあった。それは普通の人間とは違う時間の中を生きる運命を、共に歩いてくれる者が彼しか居なかったからだった。
種族の血が目覚め、人間から吸血鬼に変わった今、葵はようやく姉の心を理解し、彼女の執着を受け止められたのだ。
彼は姉の頬を両手で覆うと、彼女の顔を自分へゆっくりと向ける。その顔はほのかに赤く色づいていた。血のように紅い瞳が見つめ合う。
「でも、俺には姉さんが居る。だから・・・姉さんだけは、何処にも行かないで。もう・・・あんなことは止めてね」
「・・・はい」
桃真は恍惚な表情を浮かべていた。
その後、この日の夜を境に「新宿区連続失血事件」は二度と起こることはなく、事件は容疑者不明のまま早々に捜査が打ち切られた。各事件の被害者には、これが連続襲撃事件であることは伏せられており、表向きは個々の事件は独立した何の関係もないものとして処理された。
〜〜〜
4月16日 警視庁 捜査4課7係 オフィス
翌日、7係のメンバーたちは、月神姉弟の身元について話し合っていた。オフィスに設置されているスクリーンには、姉弟の顔写真と戸籍情報が表示されている。その映像を背にして、係長の拾圓が説明を行う。
「月神桃真と月神葵、2人とも都内の産科医院にて出生が確認されており、年齢に虚偽記載は無いと思われます。彼らは間違いなく、日本国内で誕生した“吸血鬼の子”です。
母親の名は『夜水雫』とあり、その名の女性は戸籍上に存在します。ですが、60年前の帰還の際に、婚姻関係にあった日本人男性と共に来日したテラルス人の特例移民でした。種族としては『人間』として登録されています。
ですが・・・登録時の年齢が34歳。戸籍上は現在94歳にもなる人間に、今現在で高校生の子供がいるはずがありません。そして、当の本人は50年前から所在地不明になっています。死亡は確認されていません」
彼らの母親は確かに戸籍に登録されていた。しかし、外見は人間と全く変わらないため、当時の「出入国在留管理庁」を騙して自らを人間と偽って登録した様である。
その後、テラルスの「亜人帝国」から、“行方不明の吸血鬼族の女性が日本へ向かった可能性がある”と伝達されたのが帰還の直前のことであり、外事警察と出入国在留管理庁は必死に捜索を行ったが、ついに発見することはできなかったのだ。
「・・・つまり、その女が、彼らの母親が正真正銘の吸血鬼であり、尚且つ、この国のどこかに今も潜んでいるということですね」
多村は生唾を飲み込む。子を生み出した当人の行方は知れず、さらには彼女の血を分けた子供たちが月神姉弟の他にいるかも知れない。吸血鬼の脅威は決して終わってはいない。
・・・
同日夕頃 新宿区 都立新川高等学校 旧校舎
その日の放課後、月神葵は同級生の真田準とともに、再び「漫画研究部」の部室を訪れていた。部長の灘路桜可はニコニコ顔を浮かべている。女子3人も嬉しさのあまり卒倒しそうになっていた。
「・・・ようこそ、新川高等学校漫画研究部へ! 月神葵くん」
「はい、よろしくお願いします」
葵と灘路は握手を交わす。彼はついに漫研への入部を宣言したのであった。彼を仕切に誘っていた真田も嬉しそうだ。
葵は右手を下ろすと、それまでの笑顔とは一転して、どこか暗い表情を浮かべる。
「・・・どうしたんだい?」
灘路は首を傾げながら、彼の顔色を伺った。葵は意を決して口を開く。
「先輩方、そして真田くん・・・皆さんにお願いがあるんです。ここから話す内容は他言無用に願えますか?」
「!」
部員たちは唐突な話に驚く。灘路は副部長の唐島と顔を見合わせた。
「・・・人には誰しも、他人に知られたくない秘密の1つや2つあるものだ。だが、それを我々にだけ話すということは、何か事情がお有りの様だね?」
「はい・・・俺の生存に関わることです」
命に関わる話だと言われ、灘路たちは再び驚いた。葵はゆっくりと窓の方へ歩くと、窓を覆っていたカーテンを開ける。すでに日は沈みかけており、東の空には星がちらほらと見えている。
「その前に今一度、絶対に他人に漏らさないと約束してください。命を賭けてください。そうでなければ、遠慮無く言ってください。俺はこのままこの部を出て行きますから」
「・・・!?」
ただならぬ様子の葵を見て、漫研の部員たちに緊張が走る。
「命・・・か。良いだろう、約束しよう。皆も良いな?」
「う、ウス・・・」
「は、はい!」
灘路の問いかけに、他の部員たちは深く頷いた。そんな彼らの様子を見て、葵は優しくも妖艶な微笑みを浮かべる。
程なくして日が沈み、空を暗黒が覆い尽くす。輝きを増す月光が窓ガラスを透過して、部室に注ぎ込んでくる。そして葵の体は宵闇と月光をその身に受けて、徐々に変化していく。その変化に最初に気づいたのは、同級生の真田だった。
「目が・・・!」
夜風を受ける葵の瞳は、徐々に茶色から深紅へと変色していく。指の爪は鋭く尖り、口元からは鋭い牙が姿を覗かせた。部員たちは息を飲む。
「これが俺の正体、俺と姉は・・・血を糧とする一族、『吸血鬼族』の子なんです」
葵は自らの正体を明かす。灘路は目を見開き、驚きを隠しきれない様子であった。他の部員たちも動揺している。葵は再び説明を始めた。
「中学までは・・・俺は普通の人間と同じでした。しかし、数日前・・・とうとう吸血鬼としての力が開花してしまいました。・・・お願いです、皆さんの血を・・・分けてくれませんか? 気味の悪いお願いだとは分かっています」
「!!」
葵は真田、そして先輩たちに自らの“生き餌”となることを求めた。灘路たちは再び驚きの表情を浮かべる。
これは葵にとっても賭けであった。常人ならば気味悪がり、二度と近寄ろうとはしないだろう。事実、彼ら姉弟はあらゆる類縁から縁を切られている。
少しの沈黙が流れた後、灘路が口を開く。
「・・・成る程、吸血鬼か。まさか、そんな亜人種がこの学校に居たとはね。それで・・・君はどの程度の量の血を摂取する必要があるんだい?」
「!」
灘路はあくまで冷静に、葵の話を聞こうとしていた。逆に葵の方が目を見開いて驚いてしまう。他の部員たちも余計な口を挟まず、2人の会話を見守る。
「およそコップ1杯を、可能ならば週に1回、最低でも2週間に1回は・・・」
「成る程・・・100mlほどか。それほど多くはないのだな。200mlの献血が確か4週間間隔だから、部員が1人ずつ回していけば害はないか・・・」
灘路は葵の要望が実現可能か否か、淡々と考察する。
「ふーん、まあそれなら問題ないっスね」
「??」
副部長の唐島も、自然な様子で灘路の言葉に同意する。葵は自らの正体と目的を暴露しても尚、いつも通りの態度を崩さない彼らを見て、ますます困惑を深めていく。
「あの・・・自分で言ってて何なんですが・・・、気味が悪くないんですか? 俺のこと、追い出さないんですか?」
彼ら姉弟は父親の葬儀が終わった後、「未成年後見人」を求めて父方の祖父母を尋ねた。しかし、彼らから受け取ったのは慰めや励ましの言葉ではなく、“怪物の子、二度と顔を見せるな”という罵声であった。
その後、彼らは叔母のもとを尋ねたが、ここでも同じく“気味が悪い”と侮蔑の目で見られ、追い払われてしまう。姉はこの一件以降、「人間」への信用を無くしてしまうのだ。
「我々はもう仲間だ。その命に関わるのなら、当然協力はするさ」
「・・・」
灘路の言葉に唐島は無言でうなずいた。女子3人組はどこか色めきたっている。
「吸血鬼に血を捧げるって・・・なんか、ラノベみたいでわくわくするね!」
「葵くん相手ならむしろ本望・・・!」
「全部吸い尽くされたって良いわ・・・フフッ!」
独特な反応を見せる先輩たちを見て、葵は苦笑いを浮かべる。その直後、彼の同級生である真田が口を挟んだ。
「でも・・・お姉さんの方は?」
弟が吸血鬼なら、その実姉も当然吸血鬼である。真田は彼女に誰が血を提供するのかが気がかりだった。
「しばらくは・・・俺の血で済ませてもらいます。もう、暴走はさせません。ですが、今は皆さんから姉へコンタクトを取ることは絶対にやめてください」
「・・・なぜ?」
灘路は首を傾げる。なお、彼を含めて全ての部員が“暴走”という単語についてはスルーした。触れてはいけないと野生の勘が告げていた。
「他言無用は勿論なんですが、俺の姉にも・・・今は俺が皆さんに正体をばらしたことを言わないで欲しいんです。弟の自分が言うのも何ですが、彼女は人間を殺すことに躊躇いがありません。絶対に貴方達を口封じしようとしてきますから・・・」
「わ、分かった・・・」
灘路は額から一筋の冷や汗を流す。桃真は人間を同族とは思っていない。故に警察と対峙した時も相手を殺すことに躊躇いがなかった。葵は先輩や友達を姉の手に掛けさせるわけにはいかないと、彼らに姉と接触しない様に念を押す。
「・・・あの、本当に良いんですか? こんなの、まるで皆さんを利用した様なもんじゃないですか!」
一通り話が終わった後、葵は再び不安そうな表情で部員たちに問いかけた。本人としてはそういう意図は無いものの、まるで自分の入部と血を引き換えにした様になってしまい、罪悪感を抱いていたのである。
だが、彼の不安は真田の言葉によって切り裂かれた。彼は眉間にシワを寄せ、少し怒気をはらんだ強い口調で訴える。
「利用した・・・? 何言ってんだ!? 部長も言った通り、俺たちは仲間だろ? 仲間が助けてって言っているんだから、助けるのは当然のことだ。嫌なら嫌って言うぞ、俺は!」
「!」
真田はあくまでも、葵に血を提供することは自分の意志であると告げる。灘路や唐島、そして女子の先輩たちは笑顔のまま、真田の言葉を無言で肯定する。
「まあ、俺たちが言いたいことはただ1つ・・・改めて」
灘路はそう言うと、大きく息を吸い込む。彼に続いて他の部員たちも空気を吸い込み、一斉に口を開いた。
「ようこそ、新川高等学校漫画研究部へ!!」
たとえ正体を知っても、血が欲しいという不気味な願いを聞かされても、葵を迎え入れる歓迎の意思は変わらない。葵は無条件の善意を目の当たりにして、感極まってしまう。それは血のつながりのある人間すら、彼らに与えなかったものだった。
「・・・! ありが、とう・・・ございます!」
目尻から大粒の涙が次々とこぼれ落ちる。号泣を抑え込み、うまく声が出せない中、かろうじて感謝の言葉を喉から捻り出した。
この日、1人の吸血鬼に初めての「仲間」ができた。
・・・
吸血鬼族
「異世界テラルス」最強にして最高位の種族。全生命の頂点に立ち、「現世の悪魔」「神の眷属」などの異名で恐れられている。変幻自在な肉体と脅威的な再生能力、そして他種族の追随を許さない圧倒的な魔力と戦闘能力を持ち、一説によると寿命は5000年を越えると言われる。さらに、血を吸った相手を人間・動物関係なく、“生きた屍”として忠実な下僕にすることができる。この力は伝染性を持ち、屍に襲われた者は同じ屍と化す。