吸血鬼の姉弟 Siblings of vampire
2101年3月15日・夜 日本皇国 東京都
22世紀最初の年、未来都市・東京では奇妙な事件が起こっていた。その事件の捜査の為、拾圓率いる捜査4課・7係が配置されているオフィスでは、刑事たちが事件の内容について会議していた。
「・・・今までのところ被害者は6名、各人とも夜間に新宿区内で倒れているところを発見されています。倒れていた原因は物理的に血液を失ったことによる重度の貧血であり、彼らの首元には共通して人間による噛み跡がついていました。その他に目立った外傷は無く、命に別状はありません」
係員の1人である穂積がホワイトボードの前に立ち、事件の概要について説明する。白板には今までの被害者の顔写真と現場の様子を収めた写真が貼られていた。
「そしてこの事件について・・・日本政府と警視庁はある可能性を見出しました。ですが、これはまだ世間には発表されていません」
そこまで説明したところで、穂積は口をつぐんでしまう。同時にオフィスの中に重々しい空気が漂った。
「“2040年の帰還”の時、ある種族がこの国に紛れ込んだかも知れない。外事がもたらしたその不確かな情報を元に、日本政府は随分探しました。ですが、遂に見つけることは出来なかった」
穂積に続いて、同じく係員の1人である多村が口を開く。彼が口にしたのは、公安警察が60年前からずっと抱えていたある不安に関することだった。
「・・・『吸血鬼族』、ですわね」
妖狐の血を引く九辺未智恵が口にした単語、それはあらゆる亜人種の中で最強と歌われる種族の名であり、日本政府が最も恐れている存在であった。
2040年2月11日、日本国が異世界テラルスから地球へ帰還した日、テラルスの各地に居留していた日本人と共に、多くのテラルス人が日本へ移住した。その中には亜人種も含まれており、日本政府は特例措置として彼らに永住資格を認めたのである。
その時、日本政府は国内に流入した全ての亜人種を記録し、把握していた。だが、中には転移の間際に不法な手段で入国した者も居たことが確認されている。さらにその中に、日本政府が国内へ紛れ込むことを最も恐れていた種族が居た可能性が、外事警察より示唆された。それがテラルスで最も高位且つ最強の種族である「吸血鬼族」だったのだ。
「今のところ、吸血鬼族が日本国内に紛れ込んだという確証は無い。ですが、逆に居ないということも証明はできない。もし、今回の一連の犯行が吸血鬼によるものであれば、この東京は存亡の危機に立っていると言っても過言ではありません」
弐条が説明を続ける。「吸血鬼族」・・・変幻自在な肉体と脅威的な再生能力、そして他種族の追随を許さない圧倒的な魔力と戦闘能力を持ち、一説によると寿命は5000年を越えると言われ、「現世の悪魔」「神の眷属」という異名で恐れられてきた。
そして最も恐れるべきは、血を吸った相手を“生きた屍”として配下に置き、さらにそれを際限なく生み出せるという力だ。この力を駆使されれば、東京は未曾有の生物災害に襲われることになる。
「この事件の重要性は、幸いにもまだメディアに感づかれていません。それに他国政府に感づかれるのも不味い。なるべく早く・・・この事件を収めましょう」
若き班長である拾圓の訓示で会議が締めくくられる。その後、刑事たちは各々の家へと帰って行った。
〜〜〜〜〜
4月7日 東京都新宿区 東京都立新川高等学校
季節は春。街道では桜の花びらが舞い、進級や進学、そして入社など、人々が新たな環境に身を投じる季節である。そして新宿区内に位置する“ある公立進学校”では、“ある新入生”の存在が校内の話題になっていた。
「聞いた・・・? 1年生にもの凄い美少年が入って来たって話」
「知ってる知ってる! 何でもあの月神さんの弟らしいじゃん!」
「姉弟で美形って訳? 遺伝子ってやつ?」
数多の学生でごった返す学生食堂にて、女子生徒たちが“ある新入生”のことについて話している。この学校の女子の間では今、その男子生徒の話題で持ちきりだった。その時、件の新入生が学食に姿を現す。
「・・・!」
日本人離れした白肌、色素の薄い頭髪、紅みを帯びて見える茶色い瞳、そして高校男子とは思えない中性的な表情と色気の中に、あどけない幼さを漂わせる。まるで絵画の中から出て来た様な美しさを持つその男子生徒に、皆が釘付けになっていた。
さらに同学年の女子と思しき取り巻きが、彼の両脇に引っ付いている。だが本人はそんな取り巻きを鬱陶しく思っている様に見えた。
「すごーい・・・」
「男なのに私らより美人ってどういうこと?」
「何か自信無くすねー・・・」
その男子生徒の名は月神葵といった。彼には同じ高校に2年生となる1人の姉が居る。その姉も周りの女生徒と一線を画す美貌を誇っており、“美形姉弟”の存在はこの学校内だけでなく、周辺の他校にも噂としてたちまち広がって行った。
同日夕方 同校内 1年3組教室
新入生にとっては通常登校1日目となったこの日、授業を終えた1年生たちが帰り支度をしていた。噂の新入生である月神葵も、学校指定鞄の中に教科書を詰め込んでいる。
「ふぅ・・・疲れた」
彼は周囲に聞こえない声でぼそっと呟いた。彼は身体的な疲労よりも、登校1日目から好奇の目に晒され、女子生徒に絶えず付きまとわれた精神的な疲労に辟易としていた。
(どうせまた・・・此処でも同じ、みんな勝手に幻想を抱いて、勝手に消えていくんだ)
こういう扱いを受けるのは今回が初めてでは無い。俗世から離れた容姿を持つ彼ら姉弟は、小学校中学校と好奇の目に晒され続けて来た。だがその度に、葵は彼が女子にちやほやされることを気に入らない同級生や先輩の男子にいじめを受け、さらに姉とは違って余りにも内向的な性格であることが災いし、最初は我先にと寄ってきていた女子たちも、半年もすれば幻滅して彼の周りから去ってしまう。
「・・・」
葵は今までの苦い思い出を思い返し、ぎゅっと目を瞑った。その時、瞼で覆い隠された暗闇の中で、唐突に彼の名を呼ぶ声が聞こえる。
「なあ、月神・・・くんだっけ? ちょっと良い?」
「?」
彼が目を開けると、そこには1人の男子生徒が居た。何処かで見覚えのある顔をしている。
「あ、俺の名前は真田準。実は同じ中学だったんだが・・・生徒が多かったし、クラスも同じになったことないから覚えてないか」
「いや・・・覚えてる。確か漫研の・・・」
その男は葵と同じ中学校の出身者だった。成績が良く、同じく成績優秀者だった葵と並んで良く名前が挙がっていた為、彼も名前を覚えていた。
「実は部活の見学に行きたくて・・・一緒に行って欲しい! 1人じゃあ、どうしても心細くて!」
「・・・見学」
葵はじっと真田の目を見つめる。その目はまるで獣の様に鋭く、天使の様に幻想的だった。真田はただ見つめられただけなのにも関わらず、身震いをしてしまう。
「・・・いや〜、実は・・・君の名前にあやかりたかったって言うか、有名な美形新入生を連れて行ったら、先輩たちの受けも良いかな〜って、下衆な考えでしたね。・・・ごめん」
「・・・」
真田はしゅんとしながら背中を向けてしまう。随分下衆な考えで近づいて来たものだと、葵は呆れ顔を隠し切れない。しかし、此処まで下心を隠さずに近づいて来る人間は、逆に新鮮でもあった。
「・・・いいよ。行こうか」
「・・・え!?」
葵はそう言うと、席から立ち上がる。真田はぽかんとした表情を浮かべるが、その顔はすぐに満面の笑みへと変わる。
「ありがとう!!」
漫画研究部 部室
その後、真田と葵は旧校舎の一画にある「漫画研究部」の部室を訪れていた。昔の生徒会室を流用した部屋であり、旧校舎の全体と同じく見た目は古めかしく感じる。中の電気は点いており、誰かは居る様だ。
「すみませーん! 俺たち、1年生なんですけど・・・見学に来ました!」
真田は大きく息を吸うと、部屋の中に居るであろう、まだ見ぬ先輩に声を掛けた。直後、部屋の中から凄まじい物音が聞こえて来る。
ガタガタガタ!!
「?」
その物音はすぐに止んだ。2人が首を傾げていると、部屋の扉がものすごい勢いで開かれる。そこには制服をきっちりと着こなした、真面目そうな印象の男が立っていた。
「おおお! 新入生の諸君、良く来てくれた! ようこそ! 新川高校漫画研究部へ!」
「!」
男は呆然としている真田と葵を、部室の中へ招き入れる。部室はおよそ普段の教室の4分の1程の広さで、中にはもう1人の男子生徒と、3人の女子生徒が居た。
男は緊張した様子の2人を椅子に座らせると、彼らの前に立って自己紹介を始めた。
「俺が部長の灘路桜可、見学に来てくれたのは君たちが最初だよ! 名前を教えてくれるかい?」
「あっ! 1−Cの真田です! 真田準といいます!」
「・・・同じクラスの月神葵です」
真田に続けて、葵が名前を名乗る。彼の苗字を聞いた途端、部員たちの目の色が変わった。
「なんと! 君があの有名な月神さんの弟かい!? 噂には聞いていたが、まさかウチに来てくれるとは!」
灘路も“噂の弟君”の話は耳に挟んでいた。他の部員たち、特に女子たちは何処か色めき立っている。
「何、あの美形?」
「まぶしすぎて見えない・・・ッ!」
「ついに我が世の春が来たのね、グフッ」
女子たちは各々の感想を口にする。目をキラキラさせる者、葵を見られずに目を覆う者、そして口からよだれを垂らす者、反応はそれぞれだが、いずれもが葵の存在に色めき立っている。
灘路はそんな仲間たちの姿を見て、大きなため息をついた。
「気にしないでくれたまえ。この部に居る者は皆、男女問わず少し拗らせているのだよ」
「は、はぁ」
「最も、君には無縁な話か」
「い、いや・・・別にそんなことは」
灘路は葵が今まで女に困ったことはないのだろうと決め付けるが、彼はその言葉を咄嗟に否定した。実際には嫌な思いをすることの方が多かったからだ。
「まあそれはさておき、最初にこの部の説明をしようか! では副部長の唐島くん!」
「う、うす。よろしくっす」
部長の灘路に名前を呼ばれ、副部長の2年生である唐島景が、か細い声を出す。その後、部長より説明を任された唐島は、この部についての説明を始める。
この「新川高校漫画研究部」は、元々は文化祭に学芸誌を出す程度の活動だった様だが、灘路が入部してから、本格的に同人誌即売会への参加も行っていた。かなり精力的に活動している漫画研究部である。
部員数は男子2人と女子3人の合計5人、全員漏れなく癖のある性格と趣味をしている為、この部は数ある部の中でも、“変人集団”としてカーストの底に追い遣られているのだ。
「・・・という具合に、活動範囲を広げたいという意識は共有されているのだが、この様に我が部は人数が少ない。故に即戦力が欲しいのだ。それにあまり部費も出ないのでね。少数精鋭にするしか無いのだよ」
「即戦力?」
「そう、因みに君たちの画力はどの程度のものなのか、少し見せて貰おうか。何でも、自分の好きなキャラクターを描いてくれたまえ」
「・・・え」
灘路は真田と葵の2人に1枚のまっさらなA4コピー用紙を渡す。葵は思わず戸惑いの声を発してしまった。その後、彼らは渡された鉛筆を用いて、部長から課せられた課題を進めていく。
そしておよそ30分後、元漫研の真田に続いて、葵も試行錯誤しながら1つの絵を描き上げた。2人の絵を見た灘路は満足そうな笑みを浮かべる。
「真田くん! 流石は中学で漫研だったというだけあって素晴らしいね!」
「あ、ありがとうございます!」
真田は中学で漫画研究部に所属していたこともあり、部長の灘路が見ても唸るほどの絵を描いていた。そして灘路は葵の絵にも目を向ける。
「月神くん! 君も中々じゃないか! 即戦力と言うには少し練習が必要かもしれないが、ある程度場数をこなせば、すぐに真田くんにも引けを取らないレベルになるだろう! もしかして、君もこういった芸術に興味があるのかい?」
「は、はい。漫画は好きですし、自分でもキャラクターの絵を描いたりすることはあるので」
真田ほどではないが、葵もそれなりのキャラクターの絵を描き上げていた。彼が描いたのはある海賊の漫画に出てくるヒロインの絵だった。
葵は自分の絵を褒められたことが素直に嬉しく、思わず笑顔をこぼす。そして彼の隣に座っている真田も、部長から太鼓判を押されたことで嬉しさを露わにしていた。
「じゃあ・・・入部は!?」
「もちろん大歓迎さ、真田くん! これから部の一員としてよろしく頼むよ。葵くん、君も入部してくれるのかな?」
「え、あ、その・・・」
灘路は真田と葵の入部を歓迎していた。しかし、元は連れて来られただけの葵は、迷いの表情を見せていた。確かに絵を描いているのは楽しい。だが、彼には部活に集中できない理由があった。
「・・・ふむ、葵くんは少し迷っている様だね。まあ、新歓期間はまだ続くから他の部も見てゆっくり考えると良い! その上でウチに来てくれるなら、もちろん歓迎するよ!」
部活とは多くの場合、入部した時から卒業まで付き合っていくことになるものだ。灘路は葵が他の部と迷っているのだろうと思い、彼にプレッシャーをかけない様に猶予を与える言葉を告げた。しかし、彼が迷っているのは、灘路が知る由もない別の理由のためであった。
その後、2人がこの漫研について一通り見学を終えた頃には、すでに夕陽はほとんど沈みかけていた。葵はハッとした表情で時計を見る。時計の針は午後7時24分を示していた。
「おっと・・・こんな時間になってしまったか。すまないね、随分と引き止めてしまった様だ。親御さんたちには連絡していたかい? していなかったらすぐした方がいい」
「!」
灘路は時間を忘れて、新入生の相手をしていた。そして葵も時間のことが意識の外へ飛んでしまっていた。
「大丈夫です。親には最初から連絡してますから。月神くんは・・・!?」
真田はすでに家への連絡は済ませていた様で、特に焦る様子は見せない。だがそれとは対照的に、葵は顔を真っ青にして携帯の画面を見つめていた。真田は血の気がひいたその顔を見て驚く。
「・・・おい、大丈夫か?」
「・・・う、うん。問題無いよ」
葵はそそくさと携帯をカバンへ仕舞うと、引き攣った笑みを真田に向ける。その額からは冷や汗が吹き出しており、とても大丈夫そうには見えない。
(親がそんなに厳しいのか・・・? 悪いことをしたな)
真田はきっと葵の親が門限に厳しいのだろうと思い、安易に部活見学へ誘ったことを申し訳なく感じていた。
その後、2人は急いで帰り支度を整える。
「先輩方、今日はありがとうございました」
「いや、こちらこそ。見学にきてくれて嬉しかったよ」
真田と葵は立ち上がって、漫研の先輩たちにお礼の言葉を告げる。灘路も見学に来てくれた彼らに、満面の笑みでお礼の言葉を返した。
副部長の唐島は相変わらず仏頂面だったが、右手で小さく手を振っている。そして女子3人組はモジモジしながら、何かをブツブツと呟いていた。
「また来てね、あ・・・葵、くん」
「ナニ下の名前で呼んでんのよ!」
「後ろ姿も素敵・・・ッ!」
彼女たちは思い思いの言葉を口にする。その後、葵と真田は漫画研究部のメンバーに見送られながら、彼らの部室を後にした。
校舎の外はすでに日が落ちかけており、空は暗くなりつつある。真田の隣を歩く葵は浮かない表情をしていた。真田はそんな葵に謝罪の言葉を告げる。
「すまないね、俺に付きあわせちゃって」
「!」
葵はハッとした顔をする。自分の態度が彼に気を遣わせたと思い、とっさに表情を取り繕って笑顔を浮かべた。
「う、うん・・・大丈夫。案外、悪く無かった、かも」
それは葵の本音であった。最初は部活動に入る気などなかったが、漫画研究部は彼にとってとても居心地が良かったのだ。だが、彼には部活に入ることが出来ない理由があった。
・・・
新宿区 アパートの一室
月神姉弟の住居は学校と同じ新宿区内にあった。先に家に帰っていた姉の桃真は、玄関の扉がガチャリと開いた音を聞きつけ、玄関に向かって走っていく。
「おかえり! ・・・葵」
桃真は弟である葵の帰宅を出迎える。彼女は歓喜の表情を浮かべながら弟の身体に身を寄せ、紅潮した頬を彼の胸板に密着させた。
「た、ただいま。姉さん・・・」
葵は姉の両肩に手を置く。2人の様子は普通の姉弟とは明らかに異なる雰囲気を感じさせるものであった。
「遅かったじゃない。待ちくたびれたわ」
「部活とか・・・色々見学してたから」
桃真は心の底を覗き込む様な視線で弟を追及する。葵は目を泳がせながら、遅い帰宅になった理由を説明した。
「ご、ごめんなさい。帰ろうとしたんだ・・・けど、せ、先輩の誘いを断れなくて」
葵はたどたどしい声色で、帰りが遅くなった理由を告げた。実際には彼の方が見学に夢中になっていたのだが、その責任を転嫁してしまう。
「フフ、良いの。まだ1年生だもの。そういうこともあるわよね・・・? さ、ご飯もできているから・・・」
弟の動揺とは裏腹に、桃真は笑って遅い帰宅を許した。
その後、夕食を終えた2人は、電気も付けていない薄暗いリビングで身体を密着させていた。窓から差し込む満月の淡い光が、姉弟を儚く照らしている。リビングには最低限の家具しか存在せず、殺風景な印象を抱かせる。
「綺麗な肌、綺麗な髪ね・・・」
「でも・・・姉さんも同じだよ?」
「そう、でも・・・貴方のは私にとって特別なの」
姉の桃真はうっとりとした表情で、月光を反射して輝く弟の髪をそっと撫でた。
「私の同級生や先輩たちが、貴方のことを噂していたわ。人気者ね」
「俺も姉さんのことを聞かれたよ? 姉さんを紹介してだって」
新川高校の美人姉弟、その噂は他校にまで広がっている。桃真は弟が校内で話題となり、さらに多くの女子の目が向けられることにわずかな嫉妬心を抱いていた。
「でも・・・駄目ね。只の人間には私たちのことを真に理解することはできない。私のことを分かるのは貴方だけ。そして・・・?」
桃真は葵の髪の毛を触っていた右手を徐々に下へ移動させ、彼の頬にそっと触れる。弟の顔を見つめる彼女の瞳は、いつの間にか黒から紅へ変化していた。
「・・・俺のことを分かってくれるのも姉さんだけ」
「そうよ、良い子ネ・・・貴方は、何時までも私の可愛い葵でいてくれたら良いの」
桃真はそう言うと葵の頭に両手を回し、彼の顔を自らの胸へ抱き寄せた。その声色と仕草は血の繋がった姉弟に向けるものとはおよそ思えない、妖艶さを含んだものである。だが、弟は実姉の異常さに、わずかな恐れの感情を抱いていた。
〜〜〜
4月8日 警視庁 捜査4課7係 オフィス
7係のメンバーは、この日も都内無差別襲撃事件を追っている。六谷は事件の被害者たちの証言について、係長の拾圓に報告していた。
「最初の被害者の証言では“金髪の欧米人らしき男性”、また2人目の被害者の証言では“20歳前半くらいの日本美女”、さらには“30歳くらいの凛々しいリーマン”、“40歳台の渋いナイスガイ”・・・まあ加害者の姿は被害者ごとにてんでバラバラなんですよ」
被害者には首元に噛み跡がついているという共通点がある。だが、彼・彼女らの記憶に残っていた加害者の姿は千差万別だったのだ。
「テラルスの吸血鬼族はその姿を自由自在に変えることが出来ると聞きます。故に、足が付かない様に姿を変えているのでしょう」
吸血鬼族について、日本政府はすでにあらゆる情報を集めている。多村はその情報から、加害者の姿が事件ごとに違う理由を推測した。
「姿形を変えられては、監視カメラもあまり意味は無いか・・・そもそも伝承通りなら、吸血鬼は鏡やカメラに写りませんからね」
穂積がつぶやく。この時代の日本が監視社会たる象徴である「都市統合捜査支援センター」も、今回の事件には役に立ちそうがなかった。