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パース

きっかけは、小さな嫉妬。

大したことではないはずなのに、私はもう描けなくなった。


「あら、あそこにいるの、ギルバートさんではなくて」

上品な言い回しをされるこの女性は、見た目も中身も上品な上流階級の方だ。そんな女性に連れてこられたのは、そんな彼女に見合った上品な海辺のレストランだ。

場違いなことこの上ないのだが、彼女は私のファンで、どうしても食事をご馳走したいといわれ、断る術もスキルもない私は高級レストランで似合わない椅子に座っていた。

 彼女の目線を負えば、私のビジネスパートナーのギルバートがいた。

彼は重要な商談にしか着ないようなきっちりとスーツを羽織っていた。そして、彼の隣にいた女性に椅子を引いた。白いワンピースを着た女性はうれしそうにその椅子に座り、二人は和気あいあいと会話を交わしていた。

 流れるような所作に、驚いた口がふさがらなかった。

「もしかして、不快にさせてしまいましたか?ルチア様、よろしければ店を変えましょう」

その様付けをやめてほしいとはいえず、首を振ってこたえる。この絶景のレストランを何の躊躇もなく変えようといえるところがすごい。

「いいえ、いいえ、不快など全く。ただ、ギルがあんなに女性の扱いに手馴れているので驚いただけです」

「まあ」

「力作業もしょっちゅう頼まれますし、この間なんて、アトリエの棚とか机とか一人で運ばされましたよ」

「貴方のその手を筆以外のものを持たせるなんて!!もし怪我でもされたら」

おっと、失言だったかもしれない。目の前の女性は本当に怒っているようだ。

「絵ばっかりかいていても、だめな時ってあるんです。他のことしている方が、筆が進んだりすることもあるんで」

「あら、そうなんですの」

「ええ、本を読んだり、音楽を聴いたり、割とリラックスするほうがいい気がします」

興味がそれたようなので、ほっとしながら絵を描いているときのことを話す。といっても面白いことなんて何もないのだが、私の一番のファンだと自称する彼女は真剣にうなずいてくれる。


女性との会話をしながら、目線をギルに向ける。

食前酒を交わす二人は、まるで恋人のようだ。だが、そうじゃないことを知っている。彼と向かい合っているのは、美大生だ。注目株でいくつもの賞を受賞したと宣伝されている。かわいらしい色合いの作品と彼女のモデル並みのビジュアルもその人気の一端なのだろう。ギルが声をかけるのだから、将来性もある。

青空をバックにブロンドの滑らかな髪と白いワンピースが海風で揺れて映画のワンシーンのように映る。


「私、貴方の海の色が好きなんです」

その声で、われに返る。このレストランに誘ってくださった方を軽視するわけにはいかない。だが、どう答えていいものか、わからず声にならない声を出してごまかす。

「貴方のデビュー作は衝撃だった。あの美しさ、あの世界観、私が求めていたのに、知りもしなかったものがあったわ。当時学生だったギルバートさんが自信満々で売り出すものだから、驚いたものだけど。あれからどのくらいたつのかしら」

「もう10年以上になりますね」

ギルと出会ったのは、大学卒業後に有名な作品の模写をして食いつないでいた時だ。生活に手いっぱいで自分の作品を描く時間も余裕もないまま、このまま潰れていくのだと思っていた時、声をかけられた。私の何が気に入ったのかはわからないが、金持ちの道楽だろう。彼は私に絵を描く時間と環境を与えてくれた。私が画家になれたのは、間違いなくギルがいたからだ。それは、感謝以外の何物でもない。

もう、10年たった。でも、ギルが私を女性として扱ったことは一度もない。

遠くの席で、綺麗に笑う女性が、うらやましくもあった。




「田舎出身のイモ女が、そんな目立つような服着てどうするの?」

淡いグリーンのドレスを当てている私をみて彼は言った。この人生でドレスを着ることなんてなかった私が、小一時間悩みに悩んで買った品だ。

ギルの審美眼は正しい。いや、誰だって止めるだろう。鏡の中には、そばかすだらけで褪せた色をしたぼさぼさ頭。寸胴のような体は肌の状態だってよくない。

「こういった服を着るには、体のメンテナンスが必要なの?君そういうのしてないでしょ?」

僕が選んどいたからこれを着ればいい、そういった彼から渡されたのは黒いパンツスーツだった。社交の経験のない私に無難で最適なチョイスだというのは分かっている。

ギルが正しいのは分かっている。似合わないのは私のせいだ。

会場についてからも、彼は私を顧みることなく、あいさつ回りに行ってしまった。もともと、お金持ちの家に育ってこういった場に慣れているギルは、

私が似合わなかったドレスを着こなす女性とお酒を酌み交わす。


私の挨拶の順番が近づき、緊張感が高まっているとき、ようやく彼は私のもとにやってきた。

「ルチア、いくら取り繕ったって意味ないだろ?ありのままでいい」

悪意なんてない、私に発破をかけてくれる彼の言葉に、私は受け入れることもできず、下を向いた。暗記したありきたりな言葉を並べれば、それなりに拍手と笑顔で迎えられるのは、わかっている。


ちょっとだけ夢見てみたかっただけなのに、でも、もう、だめだった。


私の描く絵を好きだといってくれる人がいる。それは何と幸せで、うれしいことか。手を伸ばそうが、心を殺そうが手に入れられない人は永遠に手に入れることができないものだ。それは、どんなに恵まれていることかわからない。


でも、私自身を好きだといってくれるのは、ギルだと思っていた。別に、女性として情愛を注いでほしいというわけではなかった。好きだとも愛してるだとも言葉にしてほしいわけではない、相棒、家族とか、そう、特別な存在として。

彼が、他の人に、他の女性に、やさしく微笑み丁重に扱う姿に、醜くも嫉妬しているのだろう。そんな感情持ったところで、彼の態度も私自身も変わることはないのに。



今日も、諦めきれずに筆を取る。

気分を変えようと、鉛筆や指で書こうとしたこともある。


少し力をこめればいい。重力にまかせて腕を落とすだけでいい。

この白い紙に、色を付けるだけなのに。

・・・力が抜けて、垂れ下がった腕を持ち上げる気力はなかった。


彼と一緒にいる自分が想像できない。

涙の止め方すらわからない、わからない。






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