終わりの始まり
四限目の終わりを知らせるチャイムが鳴る。
ようやく昼だ。
この世の終わりとも思える精神苦痛を一限目に受けたせいで俺のライフポイントは限りなくゼロに近い。
高梨は一限目が終わるとすぐいなくなってしまった。たぶん仕事に行ったのだろう。
国民的アイドルということもあり、学校もある程度は融通してくれているようだ。
「さーて、飯にしますか。竹内……」
竹内と一緒に食いに行こうと思っていたのにどこにもいない。いつも昼は一緒に食べてるのに。
たまには一人になりたい気分だったのか?
「えーッ! 高梨君アイドル辞めるって!」
女子生徒の叫び声が教室に轟いた。
それを皮切りに、その女子が手に持つスマホに群がるように生徒が集まる。
そしてその誰もが画面を見ながら驚いていた。
高梨がアイドルを辞めた?!
……そういえば昨日そんなこと言ってたな。アイドルは資金稼ぎのためで、辞めるつもりだと。
いや、つっても急すぎるだろ。
俺も調べようとポケットからスマホを取り出すと、高梨からメール通知が来ていた。
開いてみると、「ちょっと引退会見あるから抜けるわ。昼一緒に食べれなくてごめんな」と書かれていた。
いや、ちょっと抜けるって何で引退会見がコンビニ感覚なんだよ。そもそも今日辞めるって聞いてないし。昼飯とかどうでもいいわ!
俺が脳内でつっこんでいると、スマホに影が落ちてきた。
ふと目線を上げると先ほど群がっていた生徒たちが俺の周りを囲んでいた。
「ねぇ、高梨君が引退ってどういうこと?!」
「なんか聞いてるでしょ!」
「教えてよ、松下君!」
あまりの迫力に圧倒されてしまう。まるでライオンに囲まれた一匹のヌー。
草食動物であるヌーは群れてこそなんとか対抗できるのに、たった一匹だけではもう喰われるしかない。
そんな恐怖と緊張の最中、普段なら挨拶も交わさないような間柄の相手によくそんな距離感で喋れるなと感心が芽生えていた。
てか、竹内のやつが教室にいない理由これか。
俺も連れてけ裏切り者!
「ねぇ! 松下君、聞いてるの?!」
「まあまあ皆さん落ち着いて」
横から綾取が救いの手を差し伸べてくれる。
助かった。さすが持つべきものは隣のおしゃべり女子生徒。
「聖徳太子じゃないんだからいっぺんに聞いても答えられないよ。ね、松下君」
「え? ああ、まあ……」
綾取が何を言いたいのかわからず曖昧な返事をしてしまう。こいつはどういう流れに持っていくつもりなのだろうか。
「だから一人ずつ並んで聞きましょう! まずは私ね!」
「なんで綾取さんからなのよ!」
「ずるいでしょ!」
「そんなもんこのルールを決めたからに決まっとるやないか! おんどりゃあ!」
綾取さん、口調変わってますよ。
でもありがとう。綾取が皆と争っている間に教室から抜け出すことに成功した。
他の教室でもみんな騒いでるようだ。わかってはいたが高梨ってやっぱりアイドルなんだな。
幸いにも、廊下で話しかけられることはなく、なんとか校舎からの脱出に成功した。
校門を抜けてすぐの商店街、その裏路地にある喫茶店に入る。
いつも昼飯を食べてる店だ。ランチタイムは学生にも優しい。
立地の悪さから、表通りのファーストフード店に比べればだいぶ空いているが、お昼時ともあって客がまばらに座っている。
「よっ」
「……竹内てめぇ」
「怒るな。俺もギリギリで気づいたんだ」
「俺に伝えるくらいの時間あっただろ!」
「なかった。あの女子がスマホ見て驚いていたところだった」
「あーそうですか! マスター、Aランチ!」
厨房から「はいよ」と、いつもの低い声が返ってくる。
竹内は俺の不機嫌そうな態度には目もくれずCランチを上品に食べていた。
今日のCランチはクリームパスタと海老フライか……美味そうだな。
「なあ、竹内」
「あげない」
「まだ何も言ってねぇよ」
竹内が食べ終わりそうな頃に、俺のAランチがようやく運ばれてきた。ハンバーグカレーだ。
くっくっくっ、これはAで間違いなかったな。
ハンバーグという最強のおかずに、カレーという最強の主食。つまり最強、間違いない。
この喫茶店ではABCの日替わりランチがある。
しかし、俺は黒板に書かれたランチメニューを見てしまうと昼休みの時間では足りないほど悩んでしまう。
だから毎回とりあえずAランチを頼むようにしているのだが今日は大当たりだった。
「ご馳走さま」
竹内を見ると綺麗にクリームパスタと海老フライを完食していた。
いつも思うが食うのがめちゃくちゃ早い。
「しかし、急だよな」
「ものを口に入れながら喋るな」
「ああ、ごめん」
「……高梨のことか?」
竹内は珍しく俺が食ってる最中にもかかわらず話を続けてくる。いつも俺が喋ると食べてからにしろとうるさいのに。
やはり高梨の引退はこいつにとっても気になることなんだろう。
「竹内は聞いてたのか?」
「……さっきメールで知った」
「だよな。じゃあ……」
「ああ、アサクラ記念病院の調査局員試験を受けるつもりだろうな」
「竹内はどうすんだよ」
竹内は席を立ちながら答えた。
「俺も受ける。お前も受けろ、松下」
「いや、だから俺は……」
竹内は俺の言葉を聞く前に店から出て行く。
カランカランと扉についた鈴が鳴り、その残響とともに俺の周辺だけを漂うような静けさが訪れた。
俺はあいつらとは違う。たまたま凄いやつらと仲良くなったからって、俺自身はいたって普通の人間なんだ。
そもそも今の現状だって奇跡に近い。俺があんな人気者たちと友達なんて……。
少し感傷的になりながらぼんやりと視線を落とすと、竹内が綺麗に食べ終えた食器、そして伝票が置かれている。
「あいつ金……」
その声は客の喧騒にかき消された。
『人気アイドルグループ、ToonAnimalの高梨悠介さんが突然の引退会見を行いました。会見の様子を——』
テレビは高梨のニュースで持ちきりだった。
寮の周りは記者で囲まれ、外も出歩けない状態である。
高梨からは「しばらく迷惑かけるからホテルで寝泊まりする」という旨のメールが届いたが、どっちみち迷惑なのは変わりない。
「……どうせなら俺もホテルに泊まりたかったな」
「宗ちゃんのくせに贅沢言わない!」
「酷っ!」
さっちゃんはいつも通り気丈に振る舞っているが、買い物も一苦労だったはずだ。
俺も学校から帰ろうとしたら入口が記者でごった返してて大変だった。
裏口に回っても数人の記者が見張ってて、しょうがなく道路沿いの壁を登って窓から侵入した。
……なんか最近、窓から入るのがデフォルトになってきてる気がする。
ニュースを見ていると、パツンとチャンネルが切り替わり、耳に残るテーマが流れてきた。
「あっおい、竹内!」
「……月曜サスペンス」
「なんでお前リモコン持ってんだよ!」
リモコンは俺が手にしているのに、なぜかもう一つのリモコンをテレビにかざしながら真剣な表情で立っていた。
「いつリモコン買ってきたんだよ! ってかどんだけサスペンス好きなんだよ! 高梨の引退会見だぞ!」
「松下、今いいところ」
「まだ始まったばっかりだろ! ……そうだ、お前今日昼飯の金払って行かなかっただろ!」
「松下、今、いいところ」
「こんのやろう……ッ!」
何者も寄せ付けないオーラで全てを帳消しにできると思うなよ!
「オラァ」
俺のリモコンの操作をうけて画面が高梨の引退会見に切り替わる。
「はっはっはっ! 参ったか、このサスペンスオタクめ! ……あ!」
竹内が無言でリモコンを俺から奪うとそのまま外に放り投げた。
「ああー!! リモコンがぁあ!」
竹内が満足そうに窓を閉めて、リモコンを画面に向ける。
「こら! 竹内君ダメじゃない!」
さっちゃんが竹内にリモコンを放り投げたことを叱るが、竹内はそれには一切目もくれずひたすらテレビ画面を凝視していた。
ちょうど家政婦が奥様にボロクソに怒られてるシーンだ。
「聞いてるの?! 竹内君!」
「幸子、今、いいところ」
「……う、はい」
「さっちゃん弱ッ!」
なんかモジモジしてるし、竹内に弱すぎるだろさっちゃん。
はっ! もしかして、惚れてんのか?!
「で、でもリモコンは外に投げちゃダメだからね!」
そう言いながら部屋から出て行くさっちゃん。
すぐに玄関から出て行く音が聞こえてくる。
リモコン取りに行ったんだな……。
ドラマは奥様からの罵倒に耐えきれず、家政婦が家を飛び出すところだった。
結局サスペンスドラマは、主人を殺した奥様のアリバイを作った家政婦が、刑事の説得により自供するというなんとも言えない結末だった。
竹内は満足そうに顔をほころばせていた。
テレビを消すと、外から記者たちの話し声のようなものがうっすらと聞こえてくる。
すでに深夜だというのに、まだ記者たちの気配は消えなかった。
「いつまで張り込むつもりだろーな」
「……高梨がくるまで」
「まあ、そうか」
共同リビングで竹内が読書をしているのをぼーっと見ていると、外から陽気なラッパの音が流れてくる。
『ここは、特別危険区域に指定されました。今すぐ避難して下さい。ここは、特別危険区域に——』
カーテンを開けて外を覗くと、メガホンを乗せたワゴン車がゆっくり走ってくる。
「なんだあれ、選挙カー?」
固まったようにその車を凝視していた記者たちは、急に叫びだし大慌てで荷物をまとめて逃げて行く。
「なんだよ、何が起きてんだ?」
さっちゃんと竹内は一言も喋らずその車を見ていた。
先ほどまでざわざわとうるさかった記者たちの話し声は無くなり、代わりにラッパが奏でるメロディーとアナウンスが繰り返し流れる。
「ねぇ、さっちゃん、なんか避難しなきゃいけないっぽいけど……」
さっちゃんに振り向いた瞬間、ガシャンと窓ガラスが割れた。
その音に思わず縮こまる。
「うわっ! なに?!」
軽いパニックになりながらも、物凄く速いなにかが窓ガラスの破片とともに入ってきたことがわかった。
「……わりぃ、失敗した」
高梨だった。
それも、ところどころ傷を負っている。
そして何より目がいくのは、その足。
皮膚は黒く、骨格が人間とは明らかに違う。
狼や豹などのようにつま先立ちで、踵までが異常に長い。
第二の膝が逆向きについているようにも見える。
「逃げるぞ。さっちゃん、悪い」
「ええ、早く行きなさい」
何が起きているのか理解できない。
ラッパの軽快な音はとうとう家の前まで来ていた。
アナウンスの声は、近所迷惑のレベルを超えるほどに煩い。
「宗一郎、今は考えるな!」
高梨にズボンのベルトを掴まれ、一瞬視界がブレる。
内臓が潰されるほどの圧力とともに目の前に飛び込んできたのは、樹々と家の屋根だった。
「おおおおおいいい!! と、飛んでるぅう!」
高梨は竹内と俺を両手に抱えて飛んでいた。
俺はただ高梨に身を任せるしかなく、頭も混乱してまったく動きそうにない。
そんな中で、家の前に止まったスピーカーワゴンから人が出てくるのが見えた。
あれは……。
長い黒髪に、全身真っ黒なドレス……昨日の前頭葉お花畑少女!
長い睫毛の奥にある眼光は完全にこちらを捉え、艶やかな唇はうっすらとつり上がっている。
「チッ……よりにもよって……ッ!」
高梨が苛立ちを込めた口調で呟く。こんなにも高梨が顔をしかめているのは初めて見る。
「……あいつ、知ってるのか?」
「アサクラ記念病院、調査局長浅倉緋奈。バケモノの中のバケモノだ」




