松下宗一郎の日常2
歯が痛い。右の犬歯の一つ奥の歯だ。
なんとか痛みを緩和しようと、ベロで無意味に撫で回すも全くもって効果なし。
……虫歯か。生まれてこのかた虫歯になったことなんて無かったのに。
「よーう。どうしたそんな不機嫌そうな顔しやがって」
「高梨か……」
「なんだよ。あ、もしかして昨日洗い物残して行ったからか? でもそれくらいお前がやってくれても」
「違うって。歯が痛いんだよ」
「虫歯か? 歯医者いけよ。あ、竹内」
物凄く眠たそうに竹内がリビングに来る。寝癖はすごいわシャツのボタンは掛け違えてるわもうぐちゃぐちゃである。
「………………ん」
「朝弱いのな……」
高梨が若干引きながらフォローを入れる。これが学年首位をキープする秀才、竹内の真実である。
「もう、また竹内くんそんな格好で!」
さっちゃんが竹内の髪をクシとスプレーでセットする。もはや毎朝の恒例行事となっているが、竹内は高校卒業後さっちゃんがいなくなったらどうするのだろうか。
一人で生きていけるのか心配である。
「さっちゃん行ってくるね」
「幸子様、行ってきます」
「………………行ってきます」
昨日のことがあるから一応もう少し幸子様呼びを続けようと思う。
さっちゃんもため息混じりに「行ってらっしゃい」と手を振ってくれる。
「今日も時間ギリギリだな」
「竹内が朝弱いせいでな」
竹内を責めるように横目で見るも、ぼーっとしてて聞いていない。
あと十分ほどで朝のチャイムが鳴る頃だ。
それでも間に合うほど、この寮の立地が良すぎる。
たわいもない話を二人としながら校門付近まで来ると、ジャージ姿に竹刀を持った時代錯誤の体育教師が仁王立ちで待ち構えていた。
「うわ……砂川だよ」
思わず不満を口にしてしまう。
教師の姿を見ただけで不満を漏らしてしまうのはあまりにも不敬だ。
しかし想像してほしい、汚物まみれの害虫が校門に立ってたら「うわ……汚物まみれの害虫だよ」と不満を言ってしまうのも無理ないだろう。
体育教師というだけで嫌いな生物なのに、竹刀まで持ってたら汚物まみれの害虫となんら変わらないというものだ。
「お前先生に対して汚物を見るような目を向けるなよ」
「高梨、鋭いな。まさに汚物の類だと思っていたところだ」
「…………松下、言いすぎ」
まさかの二対一である。
しかしそれもそのはず、この二人はスクールカースト最上位に君臨する二大皇帝。
教師からの扱いもそれ相応となる。
「高梨、竹内……時間ギリギリだぞ! 早く入れ!」
砂川は二人の名前だけを呼び、急かせるように声をかける。俺に対しては鳥のフンでも見るかのようにチラッと確認し、視線を外す。
「先生おはよーございまーす」
「…………おはようございます」
二人の挨拶に満足顔で砂川が答える。
「おう。もう少し早く来いよ!」
二人を見送った後に、「挨拶もできねぇのかお前は」とでも言いたげなチラ見を再度頂き砂川は目線を戻した。
挨拶したところでどうせ無視するだろお前。
「まあ、宗一郎の言いたいこともわからんでもないな」
「だろ?」
「……松下がカースト下位なのが悪い」
「竹内が酷いこと言った……ッ!」
高梨が竹内の肩に手を置き首を振る。
そうだよな。今のは言い過ぎだよな。俺の代わりに竹内を叱ってくれ。
「竹内、思ってても口にしちゃダメだろ」
「全然フォローになってない!」
こいつら、人のデリケートな部分に遠慮なく土足で上がりやがって……。
どうせ地面を這いつくばる虫の気持ちなんて考えたことないんだろう。
高梨は国民的アイドルってだけでもはや説明もいらないほどの地位にいるわけだが、さらに運動神経抜群で社交的。
竹内は頭は良いが、あまり人と喋らないし暗いしとっつきづらい。ここまで聞けば、おおよそ高梨と同列なんて有り得ないと思えるが、顔に関しては種類は違えど高梨と同じくらいカッコいいのだ。
するとどうだろう。人と喋らない、暗い、とっつきづらいという欠点がクール、ミステリアス、インテリジェンスに早変わり。
何というチート。
「ってか俺とつるんでてその位置にいる宗一郎がおかしいんだけどな。逆に俺が自信なくすわ」
「そんなに言う?!」
「……松下は人との関わりを避けたいからって頑張りすぎ」
別にそんなことを頑張っているつもりはない。竹内の皮肉がそろそろ心臓を貫こうとしているところでようやく教室が見えた。
三人で教室に入ると、何やらクラスがざわついている。何かあったのだろうか。
「あっ高梨くーん」
高梨と竹内が来たのを見て女子たちが蜜に群がるが如く集まってくる。
俺は女子の群れをすり抜け、最短ルートで自分の席に着席する。真ん中の列の後ろから二番目である。
「竹内くん今日も眠そう……カッコいい」
「あの半目を見れるのは朝だけだからね。同じクラスの……特……権ッ!」
斜め前に座る女子たちが竹内をおかずにときめいている。「今日も眠そう……カッコいい」ってなんだよ。全てのマイナス要素がカッコよさに変換される装置かよ。
「松下君、聞いた?」
ほおづえをつく俺の横からヒョコと顔を出す金髪ショートカットの少女。
綾取由奈。
俺の隣の席だからか、やけに話しかけてくる学校唯一の新聞部員。といってもこの学校では四人以上集まらないと正式な部活とは認められないため、ただの自称だ。
常に学校指定の赤ジャージを羽織り、耳にはピアスだらけという問題児ではあるが、本人いわく、取材のための動きやすさと学校内での地位をキープするためのファッションを両立した完成形とのことだ。
「……なんだ綾取」
「またぁー。興味なさそうなフリしてー……え? ホントに興味ないの?」
信じられないとでも言いたい顔だ。
興味ないわけじゃない。でも聞きたくない。
人の噂ってのはほとんどが悪い話だ。普通悪い話なんて聞きたくないだろ。
そりゃあ三度の飯よりゴシックが好きなお前からしたら信じられないだろうがな。
「こんなにクラスが騒めいているのに無関心でいられるなんて信じられない。実はさぁ……」
「いやなんで話そうとしてんだよ。興味ねぇって」
「一年の涼海静って子が死んだらしいんだよ」
「無視かよ……」
やっぱりろくな話じゃない。
この国では数えきれないほどの高校生が死んでいる。それなのに知りもしない奴がたまたま自分と同じ高校に通っていた時期に死んだというだけでなぜ同情しないといけない雰囲気になるのだろうか。
いや、同情してるやつなんて一人もいない。
みんな同情してる風の演技をしてるだけで、その裏に隠されているのはその女子生徒が死んだ理由を知りたくてたまらないという好奇心だ。
その感じがなんともねっとりして気持ち悪い。
「……てか、どうでもいいよそんなの」
「うん、まあそこはどうでもいいんだけどね」
どうでもいいのかよ。そこは「えー、冷たくない?」とか「酷っ!」とか反応するところだろ。いや、そういう反応するやつ嫌いだけどさ。
「死神の仕業って話なんだよ」
「は? 死神?」
「そうそう、死神。死体になんの死因もないのに魂が抜けたかのように綺麗に動かなくなってるんだって……って、死神知らないの?!」
「知ってるよ。死を司る神さまだろ」
綾取がため息をつきながら頭を抱える。
「違うよ……この一連の事件の犯人を死神って呼んでるの」
「なんだよ一連のって、まるで何回もそんな事件があるみたいに」
「はぁ〜……あるんだよ。三十年前にある地区で大量にそういう死体が発見された事件知らないの?」
「……有名なのか?」
「もういいや……それから数年に一度はそんな死体が発見されるの。しかも数年前にもここの生徒が死神の仕業と思われる綺麗な死体で発見されたんだって」
そうか、それでクラスがざわついてたのか。
遠目から高梨を見るとちょうど女子の群れに今の話を聞いてるようだった。
竹内は……机に突っ伏して寝ている。クラスの喧騒などものともしない睡眠欲だ。
ふと視線を前に向けると、担任の斉藤先生が教卓を前にして立っていた。
クラスの半分以上はそれに気づいておらず、おしゃべりを続けている。
「……おい、斉藤来てるぞ」
「うそ……いつのまに居たんだよ」
「存在感なさすぎない?」
「マジそれ、ウケる!」
明らかに斉藤先生に聞こえる音量だ。いつものことだが、斉藤先生は何も聞こえていないかのようにただ待ちぼうけている。
「起立!」
このままじゃ始まらないと思った日直が空気を読んで号令をかける。
それでようやくグループで固まっていた生徒たちが笑いながらダラダラと自分の席に散っていった。
「礼、着席」
日直のおかげでなんとかクラス全員が着席し、ようやく斉藤先生が朝のホームルームを始める。
「今日は真面目な日直でよかったね」
綾取が隣の席でぼそっと言う。
そういえば昨日はさっき斉藤先生を小馬鹿にしていた不良グループの一員が日直だったせいで中々ホームルームが始まらないという問題が起きた。
そのせいで真面目グループと不良グループでちょっとした喧嘩になり、高梨がクラスでの地位と権力、そして圧倒的なコミュ力を存分に発揮してその場を収めたんだった。
「それじゃあ朝のホームルームを終わります。一限目は体育ですね。着替えてグラウンドに移動して下さい」
そう言うと斉藤先生は出席簿を持ち教室から出て行く。
「そうだった……というか、一限目体育ってどんな時間割だよ……」
「松下、竹内! 先いってるぞ!」
いつのまにか体操服に着替えている高梨が早く来いよと親指を廊下に向けて振る。女子がいる中でいつ着替えたんだお前は。
体育ということは……朝見た汚物まみれの害虫をまた視界に入れないといけないのか。最悪だ。
竹内と同じように俺は机に突っ伏した。




