師匠
放課後、日も沈みかけた頃。
学校は昼間の喧騒から抜け出たような静けさに包まれていた。
廊下と教室の蛍光灯は消されており、唯一の光源である夕焼けが浅倉緋奈の陰影を映し出す。
俺は適当な机に腰掛け、教卓に座る浅倉を見据えた。
「どういうことか説明してくれ」
「ええ。高梨くんと竹内くんの手続きは私の方でしておいたから安心して。二人とも家の都合で地元に帰ったということになっているわ」
「違う、そこじゃない! なんでお前が担任になってんだ!」
浅倉は「ああ、そんなこと……」と呟き、目線を外した。
「あなたの担当指導官だからよ」
「お前、局長じゃないの?」
俺の言葉に、だからなんなのとばかりに髪をかきあげて遠くを見つめる。
前から思ってたが、こいつは見た目と仕草のギャップがありすぎる。
「人材不足なの。あなたに構ってあげられる人は他にはいないの」
「局長ってよっぽど暇なんだな」
「今日はやけに口ごたえするわね?」
いや、普段からああ言えばここ言うと言われるタイプですけどね俺は。
「そんなことより、今は仕事に集中しなさい。あなたの目的は何?」
「高梨と竹内を見つけること」
「違うわ。私たちに協力することよ」
え、いや……おかしいだろ。そんな真っ直ぐな目で俺の目的を否定しないでほしい。
「あなたが個人で高梨くんと竹内くんを見つけるのと私たちが見つけるのとどちらが効率がいいと思うの?」
「そりゃあ、わかってるけど……じゃあ俺を高梨と竹内の捜索する係にしろよ」
はぁぁああ、と盛大にため息をつく浅倉。
なんだこれは。まるでアホの子に算数を教えるお母さんの反応だ。
「あのね。闇雲に探して見つかるものじゃないのよ。今は情報を集めている段階だからあなたには何もできないと思うの。それに“死神”はここの関係者という線が濃厚なんだから彼らと繋がっている可能性だってあるわ。私がこんなにも譲歩してあげているというのにいつまで駄々っ子のようにぐちぐち言ってる気なのかしら?」
「すいませんでした」
静寂の中、茜色が暗闇に変わっていく。
カラスも鳴き止み、校舎は月明かりに照らされる。
浅倉の姿はもう輪郭ほどしか分からなくなっていた。
暗い教室の中、俺は頭を下げる。
この雰囲気のおかげかもしれない。これほどまでに綺麗な角度で頭を下げられたのは。
「よろしい」
浅倉はこの話は終わりとばかりに教卓から降りる。
少しだけ、助かったと安堵してしまった。
「じゃあ、仕事の話。つい先日涼海静という生徒が亡くなったわ。それが死神の殺し方に酷似していたの」
綾取が言っていた都市伝説だな。
たしか、死体にはなんの外傷もないのに魂が抜けたように綺麗に動かなくなってるって話だったっけ?
「とりあえず、その涼海静という生徒の周りから洗うしかないわ」
「いや……まて、たしか死神は数年前にもここの生徒を殺したって話じゃなかったか?」
「……なんで知ってるの? 世間では失踪扱いになっているはずだけど」
「いや、まあ聞いた話で……」
ん、世間では失踪扱いになってるのか?
じゃあなんで綾取は知ってたんだ……?
「なあ、それって……」
「誰か来たわ」
遠くから、コツコツと足音が聞こえた。
それはゆっくりとこちらに近づいて来ている。
「見回りの先生かしら。大丈夫よ。こんな遅くまであなたがいることは私が誤魔化してあげるから……」
足音が止み、ガラガラと薄暗い教室を真っ黒いシルエットが開ける。
「……誰か、いるんですか?」
「ごめんなさい。驚かせてしまったようで浅倉ですわ」
「ああ、なんだ。浅倉先生でしたか」
「ええ。松下くんが学校に来てなかった分の補習をしてて……」
「そうでしたか。でもそろそろ時間も遅いですし……」
「ええ、もう帰らせるところですわ」
「すいません、よろしくお願いします……」
そう言うと、教室の扉をゆっくりと閉めた。
斉藤先生のコツコツとやけに響く足音が徐々に遠ざかっていく。
「よくこんな暗い中で補習してるって言い訳が通ったな」
「今、帰るところって言ったからじゃない?」
そうだろうか。
よくわからないが、どこか違和感を覚える。何かが引っかかるのだ。
結局、その答えが出ないまま俺は暗い教室を出た。
「おはようございます! 師匠!」
いつも通りほおづえをつきながら朝のホームルームが始まるまで待機する俺の席の真横で、ある人物が不可解な行動を見せていた。
綺麗な90度のお辞儀をかます金髪ジャーナリスト綾取だった。
「なんだ。海外ドラマキャラから弟子キャラにでも変更したのか?」
「海外ドラマ、キャラ……?」
なんだ、あの海外ドラマ風リアクションはわざとじゃなくて天然だったのか?
「師匠。今日からご鞭撻のほどよろしくお願いします」
綾取はさらにキレッキレのお辞儀を見せつける。90度を超えてもはや前屈してるようにしか見えない。
「なんで俺が師匠なんだ」
「昨日の師匠のあの言葉、それを私なりに咀嚼して考えてみたんだ。そしてわかったよ、いかに自分がジャーナリストとしてレベルの低いことをしていたのかがね!」
「そ、そうか。よかったな……」
「ああ! 私は北風と太陽で言うところの北風だった。力ずくでスクープを狙うだけの誰でもできることを毎日毎日繰り返していただけだったんだよ! それに比べて師匠はまずカーストトップの二人と仲良くなることによって何もしなくても情報が集まってくる環境を整えていたんだ。まさしく太陽のやり方そのもの……そして二人が突然の転校、その秘密を知るのは師匠のみ。こうなってしまっては誰もが師匠に群がるしかない……ッ!!」
「いや、主に群がってきてんのはお前くらいだぞ」
「この計算され尽くしたシステム構築! 美しい! 美しすぎる! それに比べて私はそのシステムの残飯にありつくしか能のないゴミジャーナリスト! どうか、どうか私を救いたまへ!」
「……………………」
あまりの熱意に引いてしまった。
なんかわからんが昨日の俺の意地悪が綾取をなにかに目覚めさせてしまったのかもしれない。
「あ、ごめん。一気に喋っちゃって。とにかく、一晩考えてわかったんだ。本当に素っ裸にしたかったら相手への愛情を忘れるなという師匠の信条。そしてむやみやたらに人の秘密を話さないのは、今後も付き合っていくために公開する情報を限定しているんだと。一度に取るか、分割で取るか。その選択を見極めろと師匠が言っていることにようやく気づいた」
……こいつ、怖い。
何も教えてないはずなのに勝手な妄想で何かを学んでる。
よくわからんが、スポンジより吸収力あるんじゃないか?
「お願いだ! 私を本物のジャーナリストにして欲しい!」
「俺はジャーナリストでもなんでもないし、お前もただの自称新聞部なだけでジャーナリストじゃない!」
俺の言葉に綾取は俯く。
よかった。ようやくわかってくれたみたいだ。
「たしかに、まだジャーナリストと呼ぶには未熟すぎることはわかっているよ。それでも私は本気で師匠のジャーナリズムを学びたいんだ」
「全然わかってなかった!」
それからも綾取のジャーナリスト魂の叫びは続き、俺だけじゃなくクラス全体をドン引きさせることになった。
「師匠、お昼ご一緒しましょう!」
「嫌です!」
完全に断っているのに綾取はしがみついて離れない。何というしつこさ。もうお前は十分ジャーナリストだよ。
「おい、いい加減にしろ」
後ろの席から唸るような低い声が聞こえた。
振り向くと、やんちゃな生徒が集まって席を囲んでいる中から一人、ゆっくりと立ち上がる不良生徒が見えた。
……嫌なやつにからまれた。
深迫龍平。このクラスのやんちゃグループをまとめる不良だ。
群れるのは好きじゃねぇ……とかいう雰囲気を出しながら、盛大に群れるという矛盾を体現する存在。
やんちゃグループより、矛盾を体現するグループの方がしっくりくるかもしれないな。
この矛盾を体現するグループは生徒のみならず、教師にまで精神的被害を及ぼすウィルスの塊だ。
しかし、力は力。
だからこそ体育教師の砂川は、ボスである深迫に対して、いがみ合いながらも心で繋がってるアピールに余念がない。
「朝から目の前でずっといちゃいちゃしやがって……」
別にいちゃいちゃしてるわけじゃないんだがな。周りから見ればそういう光景に映ってたのか。
深迫は長い前髪をかきあげて、俺を睨みつける。
俺かよ。明らかに綾取じゃねぇのか?
綾取は、姿勢良く自分の席に座っていた。
顔だけをこちらに向けて、目で頑張れと訴えてくる。
……お前が原因だよ?
「ムカつくんだよ、お前」
深迫の奥で矛盾を体現するグループのメンバーたちがザワめく。
「おいおい、あいつ龍くん怒らせちゃったよ」
「まー確かになんかウザかったし」
「高梨と竹内の影に隠れてたやつが目立つなっつーの」
あれ、俺……もしかして、虐められてるれてる!?
そうか、今までは高梨と竹内がいたから安全圏にいたけど、そもそも俺の位置でこんな目立ったらそりゃあ虐められるわ……。
「なんか……ごめんな」
「うるせぇよ」
深迫はゆっくりと一歩踏み出し、俺の胸ぐらを掴むと同時にぶん殴った。
周りの席を巻き込んで吹っ飛ばされる。
いやいや、沸点が低いにも程があるだろ。
こんな短い会話でよく人を殴れるところまで持っていけるもんだ。
「うわぁーやっちゃった」
「龍くんやべぇわ!」
「誰か止めた方がいいんじゃない?」
「とか言ってもうちょっと見たいって顔してんじゃん」
「ははっ、バレた?」
教室中が唖然と俺たちを見守る中、矛盾体現グループのみが嬉々とした声を上げる。
深迫は倒れている俺の胸ぐらをまたつかんで引き起こした。
やめろよ、シャツの第二ボタンが悲鳴あげてんだろ。
「高梨がいなきゃ何も出来ないようなやつが……俺をなめんじゃねぇよ」
胸ぐらを引き寄せて、ガン見される。
顔が近い。もはや恋人とキスする直前の距離。
なんで不良ってこんなに近いところで会話するんでしょうね。腹立つ相手にここまで近づきたいと思うなんて信じられない。
「ああ!? 聞いてんのか!?」
胸ぐらを揺らされ、首の座ってない赤ちゃんのようにぐらんぐらんと頭部が動く。
そろそろめんどくさくなってきた。ぶん殴られたし、その程度はやり返してもいいよな。
とりあえず胸ぐらを掴んでいる手の小指からほどこうと、軽く指を引っ掛ける。
「ストーップ!」
——ぽきっ。
綾取が急に間に入って俺と深迫の体を引き離す。
「あ?」
見ると、深迫の小指が真横に曲がっていた。綺麗な直角だ。
いきなり押されたせいで、引っ掛けた指に力が入ってしまった。
これは俺が悪いんじゃない。綾取のせいだ。
「いでぇあああああああああ!」
「だ、だ、だ大丈夫?!」
綾取が深迫の小指を凝視しながら、わたわたと忙しなく動く。
「テメェああ!」
「いや、今のは綾取だろ」
「ええ? 私?!」
どう考えても綾取のタイミングが悪いと思うんだが……。
「テメェがやったんだろうが!」
「だから顔近いって。わかったわかった、悪かったよ。お詫びに治してやるから」
深迫の小指を握り、元の角度にぐいっと戻した。
折れたときの小気味良い感触とは違って、メキメキっと鈍い感覚が手に伝わる。
「い゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛!」
「ふ、深迫くん!」
「な、これでいいだろ」
深迫は右手を抑え、フーフー言いながら血走った目でこちらを凝視する。
なんだよ、やばいよ。薬やってるみたいになってんじゃん。
「松下ぁあああ!」
「そんな積年の恨みみたいな感じ出されても……俺も殴られてるからな?」
「そ、そうだよ。これでおあいこだね。深迫くん!」
綾取が深迫をなんとか鎮めようとするが、いつ襲ってきてもおかしくない肉食動物のようにこちらを睨む深迫。
早く檻に閉じ込めとけよ。
「全員、席について」
浅倉が教室に入ってくる。どうやらお昼休憩が終わったみたいだ。
……ご飯、食べそびれた。
「ん? そこ、何をやってるの?」
こちらを指差して険しい顔でこちらを見る浅倉。
しかし、その裏で面白そうに目を輝かせているのを俺は見逃さなかった。
「チッ……」
深迫は苛立ちを隠そうともせず、綾取を突き放し教室を出て行く。
「何があったのかしら? 松下くん?」
表情は少し戸惑っているように作られているものの、その目は心底楽しそうだ。
人のトラブルが好きでたまらないんだなこいつは。
「先生には関係ありません」
その野次馬根性を拒否するように目も合わせず倒れた机を直す。
綾取も、愛想笑いを浮かべながらそそくさと席に着いた。
「浅倉先生にそんな言い方ないんじゃないのー?」
「そうだねー。かなりヒドイと思うわー」
「先生ー。松下たちが喧嘩してましたー」
浅倉信者の女子たちが俺を非難するように声を上げる。
「まあ、しょうがないわ。私がまだ松下くんに信頼されていないのは少し寂しいけれど」
「私たちは味方だからね緋奈ちゃん!」
「うん、あんなやつ気にしなくいいから!」
浅倉の憂いを帯びた演技にキャピキャピと湧く女子たち。
ああ、もう本当にこのクラス嫌だ。




