松下宗一郎の日常
高梨は全身をバネにして障害物を飛び越え、逃げていく。まるでパルクールだ。
あんなのまともに追いかけて捕まるとは思えない。俺は先回りして壁際に潜み、高梨が来るのを待った。
タイミングを見計らってタッチしようとするが、高梨は上半身を捻りながらそれをかわす。
そのまま壁を蹴り、野生動物のように登っていく。
ったく、なんだよその動き。
「……くそ、やっぱり無理か」
「俺にここまでついてこれるのは宗一郎くらいだよ」
壁の上に立つ高梨が、夕焼けの太陽を背に笑っていた。
小学生の頃、高梨は鬼ごっこの鬼だった。
いや、わかりづらい表現だな。つまり、高梨に鬼ごっこで勝てる奴はいなかった。
追う側だろうが、逃げる側だろうが常に一人勝ち。
対抗できるのは俺くらいで、それでもやっぱり勝てなかった。
みんな高梨を追うことをしなくなり、『高梨以外を全員捕まえたら鬼の勝ち』みたいな風潮になっていった。
高梨が鬼の場合は、みんな適当に流すようになった。
そりゃあそうだ。絶対に負けるとわかってることを何回もやらされたら、本気でやるのが馬鹿らしくなる。
結果、俺一人だけが高梨を追いかけ続けた。
そんな鬼ごっこも、みんな小学生の終わりにやめてしまった。結果残ったのは高梨と俺の二人だけ。二人だけの鬼ごっこ。
それは高校生になった今でも続いていた。
「俺たち、いつまでこんなことしてんだろうな」
「何言ってんだよ。ずっとやり続ければいいだろ?」
「お前は良いかもしれないけど、高校生になってまでこんなことやってたら我ながら将来が心配だ……」
それを聞いた高梨はニヤっと顔を崩す。
「じゃあさ、バケモノ小屋に入るか」
「バケモノ小屋?」
「なんだよ。知らないのか? バケモノ小屋ってのは特殊な訓練を受けた民間組織だ」
「なにそれ、殺し屋かなにかか?」
それを聞いた高梨はなにが面白いのかわからないが笑いながら答えた。
「くははっ、本当に宗一郎は世間知らずだよな。違うって、アサクラ記念病院のことだ。病院といっても警察では対処できないような事件を国から依頼されるんだ」
「ん? 病院なのに事件を解決するのか?」
「まあ、そうだな。凶悪犯の中には特殊な病気でそうなってしまった人もいるみたいでな、それを治すための病院なんだ。だからアサクラ記念病院には調査局っていう患者を確保する特殊部隊があって、文字通り人間離れしたやつしか入れないからバケモノ小屋って呼ばれてる」
「ははっ、俺がそんなとこに入ったらすぐ死んじゃいそうだな……」
冗談だと思い、笑いながら流したのだが高梨は低い声で続けた。
「……俺は、バケモノ小屋に入る」
「はっ?! お前、今の仕事はどうするんだよ!」
高梨は高校生にして、売れっ子のアイドルだ。
今、人気絶頂といっていい国民的アイドルToonAnimalの看板メンバー。まあ、そんな奴がなんで未だに俺なんかとつるんでるのか時々不思議になる。
「いずれ辞めようと思ってたんだよ」
「辞めるって……」
「というか、最初からバケモノ小屋の調査局員になる為の資金稼ぎだからな」
「資金稼ぎ?」
俺のよくわからないといった表情に少し呆れつつも、高梨はさらに説明する。
「バケモノ小屋の調査局ってのは未知の凶悪犯を……まあ、病院的には患者だが、それを追う組織だ。捜査にはもちろん金がいる。でも新米に渡される調査費用なんてたかが知れてるんだ。自腹で情報を買い、賄賂を渡して潜り込む。そうでもしなきゃ優秀な同期を抜かせない」
「その為の資金稼ぎ……?」
「バケモノ小屋に入るためには才能と努力があればいい。でも金がなければ出世できない、ってのは有名な話だ。金のない奴は奪われ続けるんだよ」
金のない奴が必死に集めた情報を、金のある奴が雇った情報屋に全て奪われる。
結果、金のない奴はずっと貪られ続けるってことか。
「でも、なんでそこまでして……」
「決まってんだろ。世の中を変えるんだよ」
こいつは何を言ってるんだろう。
思わず呆けてしまう。
「まあ、宗一郎も考えてみろよ。バケモノ小屋」
「なんで俺を……?」
「宗一郎くらいなんだよ。俺に追いつけんのはさ」
夕日が完全に沈み、俺は夜の街をふらふらと歩いていた。煌びやかなはずの街のネオンがぼやけて見える。
俺が少し散歩したいと伝えると、高梨は何か察したように「じゃあ先に帰ってるわ」と行ってしまった。
とっくに寮の門限を過ぎた時間だ。
まあ、うちの寮長は優しいから軽く怒られるくらいで済むだろう。
「あー、何してんだろうな……俺は」
高梨とは違うとわかっていても比べてしまう。
だって一流のアイドルはただ稼ぐ為の手段に過ぎなくて本当の夢はバケモノ小屋って……。
それを高校生で考えてんだもんな。
「ったく、どこの主人公だよ」
「あなたは主人公になりたいの?」
「うわっ?!」
目の前に少女が立っていた。
長い黒髪。喪服かと思うほど全身まっ黒のドレスを着込み、上目遣いの潤んだ瞳に俺が映るほど顔が近い。
いつのまに……?
というか、なんでこの距離で気がつかなかったんだ? 少しボーッとし過ぎたか。
「でも、不思議な話ね。誰しもが自分を主人公だと思って生きている筈なのに……あなたの人生における主人公はあなたじゃないの?」
「いや……誰?」
急に現れて普通に話しかけてくる少女。
良かったな、もしこれが年端もいかない可憐な少女ではなく、ただのおっさんだったら通報してたぞ。
少女は俺の疑問に不機嫌になりながら答えた。
「……誰でもないわ」
うん、あるよね。思春期というのはこいうものだ。
この時期のわけのわからない言動は、全て自分の定まらない自我を確立する為であって、なんら恥ずかしいことじゃない。
それになんの理由もなく、自分を特別な人間だと思い込む時期でもある。
「どこの世界からやってきたんですか、お嬢様?」
ここは乗っておいてやろう。せめてもの優しさだ。
でもずっとそのままのキャラでいくなら覚悟した方がいいぞ。主に人の目をな。
「相変わらず、性格悪い」
そう言って少女は立ち去った。
なんだったんだ、あの少女は。
きっと恵まれて育ったのだろうな。なんの苦労もなく何もかも妄想の中で生きている温室育ちの前頭葉お花畑姫といったところか。
「……帰るか」
学校から歩いて数分の閑静な住宅街。そこにある古びた館。ここが俺の住む寮だ。
「ただいま」
玄関は閉まっているので、道路沿いの壁をよじ登ったところにある小さな窓から侵入する。
寮長はとても優しいので18時以降はこちらの窓の鍵をかけ忘れてくれるのだ。
だが22時には閉められ、それから6時まで開くことは絶対にない。
何度か時間ギリギリで間に合わず、玄関で寝る羽目になった。
「お帰りなさい」
「あ、ははっ……幸子様。今日も栗色の髪が素敵ですね。あっ、小鳥のエプロンもお似合いですよ。本当はもっと見惚れていたいところなんですが靴を玄関に戻さないといけないのでこれで失礼します」
「待ちなさい、宗ちゃん」
その太い声にビクッと肩を震わせる。
さっちゃん……いや、幸子様こと寮長は二十代後半のお美しくも愛らしい女性である。
一人でこのボロ館を切り盛りするしっかり者のお姉さんだが、あんまりにもルールを守らない生徒には『悪魔の微笑み』と呼ばれる説教が待っている。
この『悪魔の微笑み』寸前の状態になった彼女に、「こんなに可愛らしい笑顔で廊下に響き渡るほどドスの効いた声が出せるなんて丹田の鍛え方がえげつないですね、幸子様」なんて冗談を口が滑っても言えるはずがない。
今すぐ脱出を図らなければ。
「今月、何回目?」
「えーっとですね、バレてなければ三回……」
「バレてるから五回目よ、宗ちゃん」
「や、やはりそうでしたか。幸子様の目は誤魔化せませんな。それよりもこれ以上幸子様の美しさを目に焼き付けてしまいますと他の女性が見れなくなってしまいますのでこれくらいで……」
背中越しで幸子様の「もう晩御飯はないからね!」というお厳しい言葉を聞きながらそそくさと撤退する。
流石に今月五回はやり過ぎたか。次からは四回までに抑えておこう。
いや……しばらくは大人しくしておくのがいいな、あれはギリギリだった。噴火寸前の火山にはコップ一杯の油を入れることすら危うい。
廊下を進み、共同リビングのドアを開けると高梨が鍋を食べていた。
「おう、遅かったな」
それともう一人、竹内。
竹内はチラッと俺に目線を合わせると、また鍋を食ベ始めた。
無口な奴だが気のいい俺の友達だ。
「おお! メシ作ってくれたのか。ありがとう」
「ったく、また門限破りかよ。さっちゃん怒ってたぞ……まあ、俺が作ったから間違いなく美味い。感謝しろよな」
高梨は演技じみたドヤ顔をしているが、本当にこいつの飯は美味い。
テレビ番組でも何回も料理を作っているらしく、高梨が料理上手だというのは世間にも知られていることだ。
この高梨の料理に何回救われたかわからない。今回もその温情に肩まで浸からせてもらおう。本当にありがとう。
高梨の作った鍋はやはり美味かった。感動と幸福によるハーモニーが口内を駆け回るほどだ。
出汁の味がしっかり具材に染み込んで、茶碗によそわれたご飯があっという間に胃袋に消化されていく。
「あー、食ったぁ」
「……ご馳走様」
竹内が俺を見ながら呟く。
食べ終わったらご馳走様だろ、という意味の竹内なりの指摘だ。
「ごちそうさま! 美味かったよ!」
「当たり前だろ、俺が作ったんだからよ。食後のお茶、飲むだろ?」
「ああ、もちろ……ん?」
見ると机の上に置いてあったはずのコップがなくなっていた。
どこいった?
周りを確認するが見当たらない。
いや、さっきまで絶対にここにあったはず……。
もしかして、またいつもの悪戯か……。
高梨は明るくて空気も読める完璧超人だが、唯一の欠点がこの悪戯癖だ。
小さいころから意味のない悪戯を仕掛けてはオチもなくただ人間を観察する。
きっとコップを隠して俺がどう対処するかを見るっていうよくわからんことをしてるんだろう。これだけはあまり好きじゃない。
俺は流し台の横にある戸棚を開き中を確認する。
この寮に住むやつらのコップは置いてあるものの、俺の青いコップは見当たらなかった。
「あー、ここにあったわ」
「え?」
高梨の目線が俺に向いたあと、ある場所をチラッと確認した。
ああ、そこか。
俺は静かに食器棚の扉を閉めて、リビングのソファーに座る高梨の前に立った。
「なんだ? コップはどうしたんだ?」
無言ですぐ横の引き出しを開けて中を確認する。
柔らかい中に固い感触。タオルの中にコップが包まれいた。
「あった」
「チッ……なかなかやるな。だがまだまだ甘い」
高梨が目線で竹内を見ろと促す。
なんだ? と思いながら竹内を見ると、竹内が俺のコップを持っていた。
「はっ? このコップは?」
「俺が買ってきた偽物だ」
「なんだそれ!」
「しかし、ギリギリ合格としよう。やはり宗一郎は俺たちと一緒にバケモノ小屋に入れ」
「え? 俺たち?」
俺が見ると、竹内はコクっと頷いた。
「え、二人ともバケモノ小屋に……?」
「だから二人じゃない、宗一郎も入れ。三人でチームを組むんだ。それなら同期なんで一瞬で抜かして上層部に潜り込める」
「上層部って……なに企んでんだよ……」
「決まってんだろ。世の中を変えるんだよ」
高梨の顔は本気だった。さっきの演技じみた言い方ではなく、本気で言っている。
「世の中を変えるって……」
「俺たちは支配されてる。取り戻すんだよ、人生を」
「高梨、なに言って……」
「まあ、考えといてくれ。金のことなら全部俺に頼っていいからよ」
そう言い残して高梨と竹内は自室に帰っていく。
リビングには食い終わった鍋と食器のみが残されていた。
「洗い物、俺か」




