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ときめき君のポートレイト  作者: 檸檬 絵郎
第一部 形成
9/44

芸術と芸術家


 * 上条香織 *


 群生するはすの葉に目をりながら、香織は物思いにふけっていた。相変わらず無邪気なところのあるすみれのような少女は、薄暗い水面みなもこいが上がってくるのを眺めたりしつつ、夕闇の池を楽しんでいた。

 「香織さんと一日中一緒にいられるなんてふしぎ」—— 自身に向けられた少女のことばが、なんども脳内を駆けめぐる……。



 ***


 バジル・ホールウォードという画家は、「きらめく若さ」という人物画の連作で有名だった。先ほどの美術展に展示されていた『ナルシサス』もそのうちの一作で、彼の庭やロンドン郊外でおなじモデルを使って描かれたものだった。この青年を使った一連の傑作は、一八八四年の春、画家が三十六歳のときに完結したが、彼は以後も若い青年のモデルを好んで用いていた。

 その後、画家は雇っていたひとりの青年モデルとのあいだに当時問題とされていた同性愛の関係を疑われ、投獄された。服役後、彼は欧州各地を転々とし、不遇の晩年を送った……。


 展示に添えられていた解説文に、こんなものがあった。


 —— 「芸術というものは、芸術家本人を表すよりもずっと、隠す作用にけている」……このことばは画家の名言として知られているが、彼の絵画は、むしろ雄弁に彼自身のモデルに対する愛情の深さを物語っている。画家の名言は、おそらくは描いた肖像画の表層に自身の感情が現れすぎていることを隠すための、画家自身への方便だったのではないか。


 その点、彼の芸術を敬愛していたというチャールズ・シムズのほうが、遥かに彼自身を隠すことに成功しているともいえる。服を持って逃げる妖精たちの光景は、息子の死に気を病む画家自身の苦痛とは正反対に明るく楽しい雰囲気に満ちていた。

 しかし、香織はこう考えた。—— 芸術と芸術家が入れ替わってしまったのだ —— 画家の明るさに満ちた心は芸術という空想のうちに持ち去られ、彼自身に残ったものは、芸術的な陰鬱と死のみだった —— と。



 ***


 帰りの電車ですやすやと寝息を立てるあどけない少女。—— 周囲から見れば、香織は彼女の姉とも思われるだろうか。遊び疲れ、眠りこんでしまった愛しい妹の髪に優しく触れる、良き姉とも……。





 「芸術というものは、芸術家本人を表すよりもずっと、隠す作用にけている」

 本文中のこの部分に関しては、オスカー・ワイルド『ドリアン・グレイの肖像』に登場するホールウォードのことば "It often seems to me that art conceals the artist far more completely than it ever reveals him. " から。


 上述の原文は、「プロジェクト・グーテンベルク」に掲載されている "The Picture of Dorian Gray by Oscar Wilde" を参照。

http://www.gutenberg.org/ebooks/174?msg=welcome_stranger#chap05

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