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ときめき君のポートレイト  作者: 檸檬 絵郎
第一部 形成
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幸福の絵画


 * 六角憂花 *


 まずは、なさい。—— 香織からのいちばんのおしえはそれだった。

 憂花は、香織とともにいくつかの美術展をまわった。幸い彼女らの住む町は都心へのアクセスがよく、都内の美術館へ行くのに都合が良かった。特に、上野の大公園にはいくつかの美術館が集まっているため、まる一日を使って美術展の梯子はしごができた。

 ある土曜日、憂花と香織は公園内の美術館で開催されている目ぼしい美術展をふたつほど選んで一日を過ごした。


 午前中はルノワール展を見た。『陽光の中の裸婦』、『ぶらんこ』 —— 印象派の巨匠の描く絵画は木漏こもの描写が特徴的で、柔らかな筆致(タッチ)、ぼかされた輪郭とともに鑑賞者を幸福の世界へと導いていく ——。

 印象派の絵画は人物や自然の写実ではあるが、それまでの史上の絵画と比べても画家の主観が如実に表れている。その理由を求めれば、写真の発明により絵画がリアリズムにこだわる意味が薄くなったこと、アカデミズムに対する独自の展示会「印象派展」を開始したことなどがそれだろうか。ともかく、それまで以上に画家の個性、画風が画面上に色濃く表れるようになったのは事実といっていいだろう。

 主観を見るのはまた別の主観だ。描いたのはルノワールでも、観る者ははルノワールではない。彼は十九世紀〜二十世紀初頭のフランスの画家であり、今この美術展を訪れている客は現代を生きる日本人、少なくとも現代人ではある。

 ルノワールの描いた幸福の木漏れ日は、憂花が脳内に想い描くときめき君の肖像画(ポートレイト) —— 初夏のさわやかな陽光とともに閉じこめられた彼の横顔 —— とリンクして、少女の心を強く魅了した。なんともいえぬ幸福感が彼女を包みこみ、絵画の世界へ沈みこませた。


 午後はイギリス近代絵画の美術展を見た。ウォーターハウス、アルマ=タデマ、ラファエル前派のエヴァレット・ミレイ、—— 先に見た印象派と違い、こちらは古典的な雰囲気のただよう絵画が多かった。画題も、ウォーターハウスは神話や物語を題材にしたものが多く、アルマ=タデマは古代ギリシャ・ローマのみやびな光景を描いたものが多かった。印象派は画題に関しては写実だが、その色彩や大胆な筆致(タッチ)で観る者を絵画の世界へ引きいれる。対して、こちらは歴史や物語といった非日常的な画題が、写実的な描写をともなって観る者をその世界へと連れていく。

 しかし、この美術展でもっとも憂花の心を揺り動かした画家 —— チャールズ・シムズとバジル・ホールウォード —— は、印象派にも通ずる光の描写を用いて甘美な世界を描きだしていた。



 『小さな牧神』(チャールズ・シムズ) —— 屋外に設けられた食卓に、ふたりの女性とちいさい男の子がひとり。男の子は食器類の載る丸いテーブルのうえへ立ち、白い花を咲かせる木の枝へと腕を伸ばしている。……おなじテーブルのうえに、男の子よりもさらにちいさい、半人半獣のケンタウロスのような生き物が載っており、枝に手を伸ばす男の子と目を合わせているが、彼も女性たちもなにいぶかしむことなく、幸福そうなムードは崩れそうもない。木陰からは、女精(ニンフ)獣人(サテュロス)らしき影が、彼らのようすをのぞいている……。


 『そして妖精たちは服を持って逃げた』(チャールズ・シムズ) —— 鬱蒼と茂る森のなか、川のそばに座る女性と裸の幼児。木々が暗い陰を作るなか、親子のいる草地のみが明るく照らしだされている。……母の手を伸ばす先には、悪戯好いたずらずきの小人たちが子どものものと思しき白い衣服を持ち去ろうとしている……。



「シムズって画家は、歴史を語る女神の絵も描いているんだけど」

 香織が言った。

「画家の子どもが第一次世界大戦で亡くなって、後から女神の巻物に血の色が足されたそうな……」

「そんな怖い話、しないでよ」

 飄々(ひょうひょう)と放たれた香織のことばに、憂花は最初、明るく不満をもらしたが、相手の顔を見ると思いのほか真剣な顔つきをしていたためすこし戸惑った。

「服を持って逃げる絵は、その後に描かれた。そして、シムズの最期は……、自殺だった……」




 最後の展示スペースには、シムズが敬愛していたという画家バジル・ホールウォードの作品が一点あった。それは、『ナルシサス』というタイトルの人物画だった。—— ナルシサスというのはギリシャ神話に登場する美青年で、彼は泉に映る自分の姿にきつけられ、その水面みなもから一歩も動かずにやつれて死んだという —— その神話上の人物にふんした金髪の美青年が、薄紫のライラックや黄色いふさを垂らしたキングサリの花に囲まれた画家の庭の一角にある噴水のへりに腰かけて、得意げにポーズをとっている絵だった。

 美々しい青年の相貌そうぼうは、背景として描かれた穏やかな花々と調和して、それどころか、まるで彼自身からその空間が広がっているかのような錯覚を起こさせるふしぎな魅力を持っていた。




 このページに登場する画家は、バジル・ホールウォードをのぞいて実在の画家で、作品タイトルも実在のものを扱っています。(上野での美術展は架空のものです。)

 チャールズ・シムズ作品『小さな牧神』は、作中では「ケンタウロスのような生き物 」としましたが、タイトル通り牧神パンの姿を描いた別バージョンも存在するようです。



◯ バジル・ホールウォードとは

 バジル・ホールウォードは、本作が参考にしているオスカー・ワイルドの小説『ドリアン・グレイの肖像』に登場する画家ですが、私の読んだ新潮文庫の福田ふくだ恆存つねあり訳のものには、小説の冒頭にこの登場人物と同じ名を持った画家のことばとして、「画家の序文」という文章が掲載されていました。そこでは、作者であるワイルドがこの画家との会話がきっかけで小説『ドリアン・グレイの肖像』を書くことになったという制作経緯が、画家の視点で述べられていました。(現在出回っている版にはどれにも載っているものと思い込んでいたので、「プロジェクト・グーテンベルク」に掲載されている小説の原文にさえこの序文が掲載されていないのを知って少々驚いたのですが……、新潮文庫に感謝ですね。)

 ネット検索してみたところ、やはりこのバジル・ホールウォードという画家の実在は確認されていないらしいので、芸術は実生活には無用であるという主張を持ったワイルドがこの小説の虚構性を強調するためにみずから考え出したものととらえてよいのではないかと思います。……まあ、この人物のモデルになった画家は、いるのかもしれませんがね。


 ……ってわけなんで、「実在の人物」ではなく、また「ワイルドの小説内の登場人物」でもなく、拙作中の架空の人物としてとらえてやってくださいな( ̄▽ ̄)

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