芸術の湖に
ジュリエットが生きていたら、その後の人生はどうなっていただろうか。—— 恋する少女を帰したあと、香織はひとり、黙考していた。
ジュリエットは、思えば危ういことばを数多く遺している。たとえば ——
「今夜はさようなら。あなたを篭の小鳥にしてしまいたいけれど、かわいがりすぎて殺しちゃったら大変だから」
「夜の闇ちゃん、私のロミオをよこしなさい。もし死んじゃったらあなたにあげるから、粉々にして夜空に飾るといいわ。みんな夜空の虜になって、太陽なんか拝まなくなるわ」
—— うろ覚えではあるが、それほど間違ってはいないだろう。
とにかくジュリエットは純粋だった。そして、その純粋さこそ、少女が壮大な恋愛悲劇のヒロインたりうる性質だったのだ。—— そのようなことを考えながら、香織は自身のうちにくすぶる、ある種の背徳的な好奇心を自覚していた。
思考にふける香織の視界に、壁絵が入った。母親の記憶 —— その断片が、彼女の脳内をめぐる……。
***
香織の母親は劇的な人生を歩んだ。
彼女は町の劇場で女優をやっていたが、十代のころから大人びた美貌を持ちあわせていた彼女は、あるとき色恋の不祥事を起こして所属していた劇団を退団。当事者のひとりであった男が彼女を追って劇団を後にし、彼らは結婚してともに新たな一座を組むことにした。
ところが、彼らの劇団は旗揚げから一年で解散してしまった。同時に夫婦も離婚し、その後彼女は職を転々としつつ生活していたが、やがてまた相手を見つけて結婚。その相手が、香織とその兄の父親でもあった。
二度目の相手は裕福な実業家で、結婚生活は円満につづいたが、幼いころから芝居を経験し、芸術や文学に慣れ親しんでいた彼女にとって、現実の家庭での生活はひどく味気ないものでもあった。彼女は絵画や音楽にのめりこんだが、優しい夫はそのすべてを受けいれて見守った。しまいには、彼女が思いつきで欲しいと言った喫茶室をプレゼントして、開業させてしまった。それはこじんまりとした喫茶店で収益にはならないが、彼女にとっては夢のような空間で、夫からの最大のプレゼントでもあった。
「いつか、俺が仕事を辞めたら、そのときは仲間に入れてくれよ」
そう言って後ろから肩を抱く夫に、彼女は心からの愛情を感じていた。
彼女が狂いはじめたのは、その夫が若くして亡くなった後だった。
仕事の関係で海外に飛んでいた彼女の夫は、現地で急な病にたおれ、還らぬ人となった。喫茶室に生けるための薔薇の枝を切っていたときに、彼女は夫の訃報を聞いた。このとき十八歳の高校生だった香織は、真紅の花びらのなかに呆然と座りこむ傷だらけの母の姿を見た。
夫を亡くした香織の母親は、前にも増して芸術にのめりこんだ。—— 一日中部屋へ閉じこもり、涙にむせびながら絵を描いていたことも —— また、夜中に目を覚まして、哀しい旋律を弾き鳴らしたことも ——、絵描き道具もピアノも、亡き夫が彼女にプレゼントしたものだった。
ともに暮らす兄はすでに職についていたために、日中はほとんど香織が母親の面倒をみることになった。香織は母に寄り添い、生前の父親がそうしていたように、母の趣味に付きあった。
しかし、年月を追うごとに彼女の精神は蝕まれていき、その性質は粗暴さを増していった。そしてついに身体をも病み、苦悶のなか、亡き夫の後を追うにいたった —— 彼の死から、四年後のことだった ——。
—— さらに月日は流れ、香織は三十歳の年を迎えていたが、いまだに母親の遺した喫茶店にしがみつき、他の職にはつかずにいた。家計は兄の給料と、両親の遺した資産とでやりくりしていた。兄もそれを認めていた。
***
香織はロートレックの『二日酔い』のプリントされた壁絵を見て、うろ覚えの台詞をつぶやいた。それは、母が好きだった芝居の演目の印象的な台詞だった。
「それでも私、この湖に惹きつけられるのよ、かもめみたいに」
参考
シェイクスピア『ロミオとジュリエット』
チェーホフ『かもめ』
拙作中では香織の「うろ覚え」という設定ですが、じっさいの台詞とはすこし変えています。
また、『かもめ』に関しては、青空文庫に載っている神西清訳を参考にしています。
……あ、ジュリエットをすこし弁護しておきましょう。
「可愛がりすぎて殺しちゃったら」というのは、あれです。これは比喩なので、「ロミオを引きとめて、家の者に見つかって殺されちゃったら」という意味にとれるので、じっさい……いや、でも、それを「篭の小鳥にして可愛がりたいけど……殺しちゃったら……」と表現するのはなかなか……あれ、弁護になってない?