……ふに……。
* 六角憂花 *
十二月二十三日、朝。
夢から醒めた憂花がふと気配を感じてふり返ると、さっきまで寝ていたはずのベッドの上に、すやすやと寝息を立てるときめき君の寝顔があった。
憂花は思わず彼を見つめて……、
「……、はっ!」
しかし、彼の柔らかそうな頬へ無意識に伸ばしかけていた手を止めて、代わりにブランケットをとって彼の影を被った。—— ふわりと舞ったブランケットはゆっくり沈み、シーツと密着して平らになった。
「まさか……、ね……」
***
久しぶりに着る制服。リボン位置の調整に戸惑いながらも、憂花はある種の安心を感じていた。
奇妙な夢ばかり見ていたけれど、ようやくふだんの生活に戻ることができる —— 鏡に写った自分の顔に、しぜんと笑みが浮かぶのが見えた。しかし、——
「お休みだよ」
「えっ」
ふいにかけられた声に後ろをふりかえると、
「学校、お休みだよ」
そこには、ときめき君の姿があった。
「え、なんで」
「祝日だからさ」
「あ……、ああ。いや、そうじゃなくて」
「そうじゃなくないって」
「だから、そういうことじゃなくて……」
動揺してことばに詰まってしまった憂花を見て、彼はけらけらと笑った。
「君の額縁の中にいちゃ、君のことがよく見えないんだもんな。君自身だってほら、学校にも行けなかったでしょう。だから、出てきちゃった」
「……」
「びっくりした顔してるね。でも、君が望んだんだよ、出てきてほしいって。覚えてない?」
「覚えて……る」
「良かった」
彼は優しそうに微笑んで、しぜんな手つきで憂花を招き、隣へ座らせた。
「これからは、君の隣にいて……、いいかな?」
窓から差し込む冬の日差しが、彼の頬 —— その柔らかな線 —— を縁取っていた。
***
「お帰り」
香織の店から帰宅した憂花が、家の門を入ろうとしたとき、二階のベランダから声をかけたのは彼女の母親だった。
「うわ、びっくりした」
「なんでよ」
「いや、だって……」
玄関へ入ると、敷布とブランケットを担いだ母が階段を降りてくる。
「洗ってあげるね、これ」
「ありがとう」
応えてから、憂花はときめき君の存在が気にかかった。
―― 母さんにバレたんじゃないかしら……。
「明日こそ学校ね」
「終業式だけどね」
急いで階段を駆けあがった憂花は、部屋のドアを開くと、ときめき君の肖像画を確認した。
―― 薄い……。
敷布を外されたベッドの上に、彼はいない。
ふと天井を見上げるが、もちろんいない。ベッドに視線を戻し、屈んで台の下をのぞいてみるが、やはりいない……。
―― 夢、だったの……?
まさかと思いつつ、勉強机の引き出しを開ける。―― やはり、彼はいない。―― しかし、
「……、はっ!」
いた。―― 気配を感じて顔をあげた憂花の目の前、布を掛け忘れた小さな立て鏡の中に、憂花の探していたときめき君の微笑みはあった。
彼はその柔らかな掌を憂花の左の肩へ置く。―― 人差し指が立って、彼女の頬を狙っている ―― それが見えているのに、憂花はふりかえらずにはいられない。―― すべてを見通したときめき君は、勝利の微笑みで彼女の行動をうながした。
……ふに……。―― ふりかえった憂花の頬に、彼の細い指先が触れた。
「どうだった?」
「……言えなかった」
「え、僕のこと、言えなかったって?」
「うん。言えなかった……」
ときめき君は目をぱちくりさせた。
「香織さんだけじゃなくて、お兄さんがいたから」
「ふたりきりじゃなかったんだ」
「うん」
「かわいそうに。話したくて、ずっとうずうずしてたんでしょ。で、最後まで話すタイミングがなくて」
「うん……」
彼は両目を細めて、ベッドの上に腰かけた。
「ホームパーティに呼ばれた」
「え」
ときめき君は、またぱちくりをやった。
それから優しく微笑んで、
「上条さん一族の?」
「うん」
「行くの?」
「明日ね」
「そう……」
彼は唇のあいだに舌を挟んで湿らすと、そのままにこりと笑った。―― 上唇と舌のあいだに、きれいに並んだ白い歯が見えた。