幻灯野原
* 六角憂花 *
「なにを見ているの?」
「告げ口心臓さ」
ときめき王子はトルコ石の遇らわれた双眼鏡のようなものをのぞいていた。
「私にも見せて」
王子は少しためらってから、憂花に双眼鏡を渡した。
憂花は双眼鏡をのぞいたが、見えたのはアルファベットの羅列のみだった。
「本? でも、ふにゃふにゃでよく読めない。英語だし」
王子はその肩に手を置いて、囁いた。
「見えないように、細工をしておいた」
「なにそれ」
ふたりは明るい陽光に照らされた原っぱにいた。遠くに、先ほど抜けてきたばかりの宮殿が見える。—— しかし、気がつくとそれはもはや宮殿の形をしておらず、疲れ切った人間の頭部のように見えた。—— 髪にあたる部分は、砂漠のサボテンのようにボサボサだった。
「あれって、宮殿?」
「大丈夫、僕たちはもう抜けてきたんだから」
宮殿の窓から飛び降りたふたりは、迷路のように入り組んだ生垣の庭を駆け抜けて侍女の集団を振り切り、ここまで逃げてきたのだ。—— と、憂花は思い出した。
「『ロミオとジュリエット』、知ってるでしょう」
「ええ、大好きなお話よ」
「ふたりはなんで恋に落ちたか、わかる?」
「一目惚れしたからよ、お互いにね」
「そう。大いなる力によって、ふたりはお互いに一目惚れした」
「ロマンスの力ね」
「ロマンスの力だ。……足元、気をつけて」
憂花の足元から、赤や黄色の羽根を持った色とりどりの蝶が飛び立った。—— ふたりはいつの間にか、原っぱを歩き出していたようだった。
「そして、またもや物語の力がはたらいて、試練で恋を燃え上がらせる。ちょうど、こんなふうにね」
するとどこかで銃声が響き、憂花の目の前に一羽の水鳥が降ってきた。
「プリンセス・チャーミング、あなたの足元に捧げます」
憂花は心底驚いたが、考える間もなく、
「素敵な演出ね」—— などと口にしていた。
***
自身の荒い心音のために、憂花は目を覚ました。
—— あれ、私……、なにに怯えていたんだっけ……?
「蜘蛛だよ」
—— え?
「原っぱを抜けて、古びた屋敷へ入ったんだ、胡椒まみれのね。で、そこで君はニタニタ笑う蜘蛛を発見して、びっくりしてしまった。—— と、こういうことさ」
—— そういえば、そんな夢を見たような……。
「あれ、人が来るようだ」
それきり、ときめき君の肖像画は大人しくなってしまった。
二分くらい経ってから、憂花の母親が部屋に上がってきた。