曖昧な境界
結局は香織のいうとおりだった。彼女のいたずらは大きな衝撃ではあったが、憂花はそれによって彼女を拒絶するにはいたらならなかった。
憂花は、香織をふしぎな人物だと評しながら、無意識に信頼を置いていたのだと気づいた。それは、ふたりの独特の距離感 —— 憂花自身の認識していたそれ —— のせいかもしれなかった。憂花は香織の謎めいた表情にある種の危うさを認めながらも、それはなにか直接的に自分と交わるたぐいのものではないと思っていたのかもしれなかった。
絵画や芝居といった芸術はいつだって一方通行で、だからこそ、鑑賞者や観客はその内にある危うげな要素を安心して楽しむことができる。—— 殺人の魅力にとりつかれたり、陰鬱な展開にのめりこんだり、—— それは、内にある人物や概念が現実に姿を現わすことがなく、まるで動物園や水族館の強化ガラスを通して猛獣を見るかのように私たちは安全に彼らを観察することができると無意識のうちに知っているからだ。このガラスを通している以上、外から見る側は彼らの直接的被害者にはなりえないし、共犯者になる心配もない。あるとすれば、それは観客の妄想だ。
憂花にとって、香織はそれに近い存在だったのかもしれない。—— いうなれば、立体アート —— 現実に存在し、会話をし、相互の交流が可能ではあるものの、ふたりのあいだには —— 憂花から見る彼女の前には —— 曖昧なガラスのようなものが存在し、あたかも直接の影響がないように思わせる —— あったとしてもその効果は限定的であり、憂花の現実に介入するものではない、—— そんなような、ぼんやりとした認識があったのだ。
あるいは、憂花にはむしろ、香織のほうがその境界を自分よりも明確に意識していて、自分の現実へと踏み出してくることを遠慮しているのだろうという安心があったのかもしれない。彼女は憂花に刺激を与えはするが、それは一種の芸術的作用の域を出ず、それをいちばんよく理解し実行しているのは他ならぬ香織自身であり、それが香織にとっての暗黙のルールなのだと、憂花は勝手に思っていたのかもしれなかった。
この日、香織のいたずらとその後の彼女の言動によって、憂花の幻想は崩れはじめた。
しかし、それは同時にポジティヴな意味での感動をも憂花のうちに引き起こした。あたかも絵画のなかの人物が額縁を飛びだして自分に話しかけてくるような感覚、—— ただし額縁は相変わらず存在し、彼女はいつの間にか元の絵へ帰って静止している、—— そのような感覚が、今まで以上に香織のふしぎな魅力を引き立たせ、音を立てはじめた幻想は以前にもまして憂花を魅了するのだった。