菫のような少女
葉桜を透した陽光が、窓際に座る男子生徒の横顔を額縁のなかへ閉じこめた。その光景を一目見た瞬間、ひとりの女子生徒の脳内ですべての枝葉を散らすほどの青い嵐が巻き起こった。
* 上条香織 *
純喫茶ムーラン。
店主の上条香織は、あくびをしながら朝のような気だるさで店を開ける。入口を開けてからゆっくり店内の準備をして、パンとベーコンの欠片をカウンターの内へ片づけてからふとため息をつくと、埃を被った薄型時計のデジタル表示は十六時二十分を示していた。
電話が鳴る。
「香織、起きてるか」
兄からだ。
「起きてるよ」
と答えつつ、わざとあくびをする。
「店、ちゃんと開けてるだろうな」
「開けてる開けてる。ってか、今開けたとこ」
「ったく、そんなことだろうと思ったよ。……母さんにとって、大事な店だったんだ」
「わかってるわ。私だってそれなりの覚悟を持って預かってるつもりよ」
「ほんとうかよ」
「ほんとうよ。ねえ、疑り深いのね。いいことないわよ。せいぜい人に騙されないってことくらい」
「生きていくうえで重要な条件じゃないか」
「あなたってほんと純粋ね」
香織はからかうように笑う。
少しのあいだ沈黙していた兄が、ふと思い出して言う。
「ルノワール」
「え」
「ルノワールの絵、ちゃんと掛かってるか」
「ああ……」
「外れてたりしないか」
香織は壁絵へ目を向ける。ロートレックの『二日酔い』。
「ああ、掛かってる掛かってる」
「それだけはちゃんとしとけよ。母さんが開けてしまった穴を隠してるんだからな」
「はいはい、ルノワールね、ルノワール」
「それが俺たち子供の義務なんだから……」
入り口のドアが開き、パイプチャイムの三重奏が聴こえる。
「今日も来たわ、あの子……。お客さんだから、また後でね。母さんの穴って、なんかエロいわね」
「なにを言ってる」
「男の下ネタはロマンティシズム、私は好きよ。それじゃあ」
***
駆けこんできた客は、セーラー服姿の可憐な女子生徒だった。六角憂花、女子高校生になりたての十五歳の少女。中学生の頃から、毎週金曜日の授業終わりに香織の店へ来ておしゃべりをしていた。黄色味を帯びた若い肌は素朴ながらも美しくて、香織は彼女を菫の花のようだと内心にたとえていた。
「香織さん!」
頬を赤く上気させて、彼女は話をし始めた。
「私、演劇部を辞めてきたの!」
本作は、「形成」「夢」「顕現」の三部構成となる予定です。
それぞれの部によってテイストが変わります。第一部「形成」は、人によってはちょっと退屈するかもしれませんが、お付き合いください。(第二部は「夢」の名の通り、ファンタジーの世界となりますので……。)
あと、あらすじ欄にも書きましたが、GLタグは保険です。そういう読み方をしてくれってわけじゃなく。