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深緑を称える木々と、生い茂る色とりどりの草花。
間を吹き抜ける風がそれらを揺らし、ざわざわと潮騒にも似た音を奏でる。
食材の収集が何事も無く終わればいったん休憩と称して、
香りを胸いっぱいに吸い込み、その場に寝転がりたい気分にでもなっていた所なのだが…
茂みの暗がりより這い出た不気味な生き物たちは高揚した気分を一瞬にして打ち砕いた。
ざっと見て、10体ほど。毛むくじゃらの長い手には雑に切り出した木の棒。
それらは既にあたりを取り囲むように位置を取っている。
エアバイクで逃げるにも、木の横に着けたそれを取り戻すにはこの包囲を突破しなければいけない…
いや、そもそもバイクを付けた側は行き止まりだ。
そちらへ向かおうものなら私達は逃げ場を無くしてしまう。
「…ゴメン、木の実落とすのに集中してて警戒怠ってたにゃ…」
テトさんが謝っているが、無理もない。
今でこそ、犬とも猿ともつかない耳障りな鳴き声と
じめっとした生暖かさが想像できるような吐息の音がひしめき合っているが、
先程私達が木の実を集めている時には、風と木々の騒めきぐらいしか聞こえてこなかった。
つまり、奴らは声を潜め気配を殺し待っていたのだ。
この場から逃げ出すための足と分断されたこの状況を…。
教えられていた『知能は低くない』という情報は充分に解った。
しかし、本当に交流は不可能なのか?縄張りに足を踏み入れた事を謝り、立ち去ればなんとか…
そう思い試みたテレパスは、私の甘い考えを打ち消した。
「女」「二人」「女」「女」「奪」「犯」「奪」「犯」
…気持ちが悪い。私の言葉は聞こえていないのか、それとも聞こえようと無視しているのか応じず、
ただひたすらに醜悪で、下卑た思考が流れ込んでくる。
そうか、こういうことか。『我々とコミュニケーションを取れない種』の意味も良く分かった。
私達の呼び掛けには答えぬ、ただ己の欲望のみに忠実に、我を通し動く…
それがEDENを追われた忌み子達、エイリアンなのだ。
しかし、彼らが安易に私達に襲い掛からない理由もテレパスでわかった。
欲望だらけの思考に混じって恐れの感情が一つ流れる。
「銃」
そう、彼らは私達が手に携えた物を危険だと知っていて、今は様子を窺っているというわけだ。
「…エウサラちゃん、走るのは得意かにゃ?」
「…分からないですけど、それしかないんですよね?」
「…あたし達が来た道を一直線に引き返す!エウサラちゃんは後ろを付いてきながら救援信号!」
「はいっ!」
鋭い目つきで二丁の銃を前面に構え直し、テトさんは駆け出す。
不意を突かれたエイリアン達はまだ動き出していない。
「…あたしの射撃はエボリューションにゃ!」
テトさんは正確にエイリアンを撃ち抜く。
ギャッという短い悲鳴と共に、その二体は倒れる。
私は銃を片手に持ち替え、ウォッチの救難信号ボタンを押した。
テトさんを追いかける私に奴らの思考が流れ込んでくる。
「痛」「逃」「追」「怒」「犯」
ギャエエと、怒気が混じった声で大きく吠える。
奴らは血走った眼をぎらぎらと光らせ、私達を追走してきた。
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エイリアンの一団は二人の女を追いかける。
銃を持っていたとはいえ、あっさりと逃げることを許したことに彼らは苛立つ。
彼女らを追いかける一団は8体…
いや、先程撃たれた二体も致命傷は受けておらず、起き上がってすぐさま一団に合流している。
それどころか追いかける道中でどこから現れたのかさらに数体が合流し、相当な数のに膨れ上がっていた。
彼らの足は短く、簡単に彼女らに追いつけるものではない。
しかし彼らが追跡を止める理由は無い。
なぜなら、彼らは優れた嗅覚をもっていた。逃した獲物の匂いは既に記憶している。
しかも厄介なことに、彼らは仲間内ではコミュニケーションも取れるし、テレパスで記憶共有も出来る。
途中合流した仲間たちも匂いの情報は共有しているというわけだ。
しかし、途中の分かれ道に差し掛かった所、彼らに不可解な事が起こった。
「匂」「消」「女」「消」
茂みに分かたれた道が二つ。しかしそのどちらにも匂いは続いていない…
ギャエッギャエッと、不思議がりながら辺りを見回す。
うろうろとあたりを見回す。しかし道から匂いは途切れている…
それならば、と考える。道が無いのならばそれ以外を進んだに過ぎないのだろう。
考えつくなり、先頭のエイリアンはその鼻先を茂みに突っ込む。
「ギュェ!」
同時に、悲痛な鳴き声が響き渡った。
茂みの中には緑色の実の粒を幾つも並べた、強烈な臭気を発する草が群生していた。
見ればほぼ同時に他の者達も茂みの中の匂いを嗅ぎ、そこかしこで同じように悶えている。
これでは匂いが辿れないのも当然だ。ここは『オオヘクソカズラ』の群生地だったのだ。
「臭」「匂」「不可」
まだ遠くには行っていないという確信はあるものの、彼らのアドバンテージは完全になくなったといって良い。
彼らの自慢の嗅覚を潰され、途端に集団は統制を取れず、散り散りに動き始める。
勘頼りに動き始め、その場からエイリアン達が消えた…
ガサ…ガサガサッ…
「…っぷはぁ!」
エウサラとテトの二人が、
オオヘクソカズラの茂みから顔を出したのはエイリアンの一団が消えて程無くしてだった。
「うええ…仕方ないとはいえこの匂いは…」
テトさんの機転で一時の難を逃れたとはいえ、私の気分は最悪だった。
おびただしい臭気を発する草の群生地に飛び込む…
なんでもスカンクの分泌液と同じ成分が含まれているらしく、少し目にも染みる。
「提案しといてなんですけど、あたしも正直逝きかけましたニャ…」
テトさんはネコの特徴を引き継いでいるのもあって、嗅覚も私以上なのだろう。
茂みの中で向かい合っていた彼女の顔…
上顎を歪ませ口を半開きにしたそれは、遠い記憶にある飼っていたネコのフレーメン反応を思い出させた。
…いや、私の飼っていたネコは白目を向いて痙攣はして無かったかな。
「…とりあえず、今は周辺にアイツらの気配は無いみたいだニャ。
じゃあ、警戒しながらバイクを回収か歩いて戻るか…
それとも…まさか助けが来るまでここに潜むとか…言わにゃいよね?」
町から、今現在の周辺までバイクで40分程。
歩いて帰るには少し時間がかかりすぎるし、
ここで助けを待つ…のは既にテトさんが全力でお断りする勢いだし、
私だってこの匂いが染みつくような作戦は御免だ。
そもそも先程だって殆ど目と鼻の先で相手が見失ってくれたが、
私達の足取りが消えた位置は変わっていないのだ。
再び同じ場所を探さないという保証も、次も見つからないという保証も全く無い。
つまり、取るべき手段は一つしかない。
私達は辺りを警戒しつつ、エアバイク回収へ向かうことにした。
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別の道へ迂回し歩いていた私達の前に突如、
森の風景と不釣合いな、金属らしきものでできた四角い建造物が現れた。
全体に鈍い銀色。継ぎ目はあまり目立たず、高い技術力を感じる。
「…これは一体?」
「ああ、たぶん都市拡大計画と地下鉄道網計画の残骸かニャ?
ずーっと昔に『住民がこのままじゃパンクする!』ってことでやってたらしいんにゃけど…
結局トラブルがあって森もそのままで、おじゃんになったって聞いてるニャ」
ずっと昔、という割にはつやつやしていて、わりと新しめの物に見える。
でも、私の入っていたカプセルも年代が特定できないと言っていたし、
この星では劣化しない金属も割と当たり前なのかもしれないと、胸元の金属の名札を見やった。
グルッと回ってみると、シャッターの様なものが降りた入り口があった。
その横には手の平から認証する、生体認証式ロックキー。
と、いうことは関係者用入り口等だろうか?
私は興味本位で認証パネルに手を当てた。
「地下鉄…っていうなら、開けられればここからから帰れるのかな?」
「いやー、流石にダメだニャ。電源も来てないでしょうにぇ~」
「だよねぇ…それ以前に無関係の私達に開けられるはずが…」
「…認証カイシ。認証ID、カクニンチュウ…」
まさかの事態に呆気にとられる私達。
パネルには赤い光が灯り、IDサーチが開始されているようだ。
「うっそ、マジですかいニャ」
「カクニンチュウ…カクニンチュウ…カクニンチュウ…
…供給電力ガ不足シテイマス。」
ガイド音声が停止する。
程なくしてパネルは光を失った。
「…あり、やっぱダメかニャ。」
「もし使えれば安全に帰れたかもしれないのに…」
「ま、ここまで来たらさっきの所まですぐだし、気にすること無いニャ。
じゃ、れっつらごー!」
テトさんは元気よくその場から歩きだす。
一見あっけらかんとしている彼女だが、警戒は怠らず耳は四方八方へクルクルと向きを変えている。
少し残念がる私を見かね、努めて気丈に、明るくふるまっているのだろう。
彼女のそんな強さは実に見習いたいと思った。
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先程の建造物を離れると、テトさんが言った通り、すぐに巨木とバイクが見えてきた。
しかし先を歩くテトさんは一旦足を止め、鋭い目つきへと変わる。
彼女は再び二丁の銃を構えた。
「…まあこれも少しは予想できてたかニャ…
エウサラちゃん、銃を構えて。」
身構えた私達に気が付いたのか、木の後ろから再びエイリアン達が6体程現れた。
鼻では追えなくなったが、持ち物が置いてある場所に獲物は戻って来るかもしれない…
その考えに至った個体がここで待ち伏せしていた、ということなのだろう。
再びギャッギャッという鳴き声が聞こえだす。
個体数は先程より少なく、囲まれた状況でもない…
とはいえ、油断はできない
先程テトさんから射撃を受けた個体もいた。
胸のあたりに少し毛が焼け焦げた跡があるが、ピンピンしている。
出力を上げねば確実には仕留められない、ということらしい。
それにテトさんも気が付いたのか、相手から目を逸らさぬまま、私に助言をする。
「…たぶん、あれを一撃で仕留められる出力まで上げる場合は
一丁で六発。外さなければ余裕だけど、その前提がそもそも難しいニャ」
「…ですね。やるしか?」
「やるしかないにゃ!散開して各個撃破!」
「了解です!」
左右に散開し、銃をエイリアンに向ける私達。
エイリアン達もそれぞれ半々に別れ、私達に向かって来た。
まだ距離はある。動きながら…でも決して焦らず、撃つ。
しかし、その一発をエイリアンは木の棒で受けた。
ならばとそこにもう一回、照準を少しずらして射撃。
「ギュィエエエ!?」
どうと一体のエイリアンが倒れ伏す。こちらには後二匹。残弾は4。
しかしそれにかまわず、二体のエイリアンは棒を振り上げ駆け寄ってくる。
片方に向かってさらに引き金を引く。しかしそれらは横に散開しつつ向かってきて、的を絞らせない。
銃口から放たれた閃光が空しく空を切る。
ならば一つに絞るしかない。片方をしっかり見据え、もう一度。
「ゲェッ!」
閃光に貫かれたそれは短い声を上げ、焦げ落ちる。あと1。残弾2。
素早く向き直し、もう一匹を…
そう思った瞬間、私の目の前に飛翔する木の棒が向かってきていた。
残りの一匹が私に向かって手に持っていた棒を投げつけたのだろう。
避ける?いや、間に合わない。だが銃口はそれを捉えている。
ええいままよ。私は引き金を引き、それを撃つ。
焦げ散らばる木片。残された水分が蒸発し、もうもうと視界を遮る。
その先の黒い影の距離が動き、近くなり、飛びかかり…
気が付けば私はエイリアンに組み伏されていた。
フラッシュガンは既に私の手の届かない位置へ転がっている。
腰のヒートセイバーに手を伸ばそうとしても、
私の腕はがっちりと掴まれ、何度もがいてもびくともしない。
エイリアンの太い腕は女性の力で振りほどけるものでは到底なかった。
ならば足はと動かそうとするも、こちらも長い足の指でしっかりと握られ、固定されている
「女」
「奪」
「犯」
「 犯 」
「 犯 」
野獣そのものの、醜悪な思考が流れ込んでくる。
こんなものはむしろ聞こえないほうが良い。私は只々恐怖するしかない。
「い、いやああああああああああああああああ!!」
「グフッ、ゲフッグフゲフフッ!」
悲鳴を上げる私に、エイリアンは下卑た喜びの笑いを浮かべるのみ。
「ちょっ、エウサラちゃん!今助け…」
テトさんも自分側の相手だけで手いっぱい。私を助ける余裕などない。
エイリアンは私の服に手を掛け、それを一気に引きちぎろうと…
「…二人とも目をつぶれ!」
ノアの声?
正常な思考などできる状態ではなかったが、聞こえたその声を信じて目を閉じた。
「ギャッ!?」
「グエエ!?」
閉じた瞼の向こうから眩い光を感じた。
次に感じたのは、私の自由を奪っていた力と重さからの解放。
瞼の向こうに感じる光が暗くなってきたのを感じ、目を開ける。
そこにはエイリアンを一刀のもとに叩き斬ったノアがいた。
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「…で、こちらに切り替えるとフラッシュガンは閃光弾も発射できる。
一発でエネルギー切れになるからおすすめできないけどね。」
「ノアっち…前聞いた時も思ったけど、
攻撃よりエネルギー消費するのって設計ミスじゃにゃいの…?」
「いやいや、広範囲の目をくらませるほどの光量だからね、馬鹿に出来ないよ?
そもそも、閃光弾モードの弾を直接物体にぶつけるとあっという間に灰になる…かも」
「げ、マジ?」
「それはさておき、お互い御無事で何よりでしたな。重畳重畳。
今回タッピオの森に流れて来たエイリアン共は
先程の個体で全部でしょうし、一安心といった所ですかな。
…さて、ボールマロンはこれだけ集めれば十分でしょう。」
ノアとオリバーさんが合流し、私達は残りの食材を集めていた。
なんでも彼らは別件でタッピオの森を調査に来ていたらしい。
そこへ救難信号を受けたのだが、他のエイリアンを撃退しながら向かったため遅くなった、とのことだ。
「いやー、でもほんと危機一髪だったにゃあ~。
エウサラちゃんがエロドージンな事態になっちゃうところだったし!」
「…あはは…
…エロドージンってなんですか…?」
いつものように軽口を叩くテトさん。私としても下手に深刻になられるより気が楽だ。
拾い集めたボールマロンという大きな栗を、オリバーさんの持つ大きな箱へまとめる。
ふとオリバーさんを見ると、彼は眉を顰め、何か判然としないような表情を浮かべている。
そしてふいと、誰ともなしにその疑問をつぶやいた。
「しかし不思議ですな。我々の環境調査時はエイリアン共が全く姿を見せなかったにも関わらず、
何故こちらには大挙として群れが…?」
「いや、それは簡単な事だよ。
まず、僕の方にはオリバー、君が居た。
見た目にも明らかに強いと解る動物に、おいそれとは近寄らないだろう?」
ノアは当然といった様子でオリバーさんに答えを示し、
ふむ、とオリバーさんは唸る。どうやら彼としては盲点だったようだ。
確かにそれなりの知性があるなればこそ、
彼の山の様な体格を見て襲い掛かろうと思う無謀な個体はいないだろう。
さらに、とノアは付け加える。
「死骸を確認したんだが、彼らは全員オスだった。
通常の群れだったらメスもいるが、それが居ないということは…
縄張り争いから追い出されたあぶれオスなんだろう。
お嫁さんが欲しかったけど力で負けて集まった餓えた男所帯…
だから男は無視だ。もう要らない。
だが、奴らの前に若い女性が二人歩いてきた…。さて、どうなる?」
「ぎゃあ!エロドージン展開だにゃ!」
「いやだからエロドージンて何ですか!?」
テトさんの良く分からない冗談に笑い合う私達。
こんな風にふざけて笑い合えるのも、私が何事も無かったおかげではある。
改めて、ノアにはちゃんとお礼を…
「…ところで君たち二人とも、オオヘクソカズラの群生地に入っただろ。
酷い匂いだからあんま近づかないでくれよ?」
「うわひどっ!入りたくて入ったわけじゃニャいっちゅーの!」
「………」
……やっぱりやめ。
改めて服の匂いを嗅いでみると、
やむを得ないと思ってしまう所がまたトホホな感じよね…
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エウサラたちが見た、
森のはずれにポツンと佇む鋼色の四角い建造物。
彼女達が去った後、再びその認証パネルは生き物のように光を宿し、
ノイズ混じりの声を発した。
「…供給電力不足ニヨリ、低速モードヘ移行イタ ザザザッ…
認証ID、カクニンチュウ…カクニンチュウ…カクニンチュウ…」
「ID ザザザッ、認証シマシタ
開 ザザザザッ 確認。オープンフェイズニ入リマス」
「ID9、 ザザッ…ウニハイリマス」
「低速モード起動 ザザザッ… 終了ハ744ジカ ザザザザッ 」
「温 ザザザッ 調 ザザッ カイシ…」
「 ザザッ 液循 ザザザザッ…」
ブゥゥゥゥゥゥゥン…
静かな唸り声のような音を立て、ゆっくりと、何かが動き始めた…