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広大な宇宙を漂う、銀の箱。
中には、いつ目覚めるともわからぬ少女が一人。
毒の林檎を齧ったのか、
糸車の針を刺したのか。
いずれにせよ、目覚めの接吻を施す王子は居ない。
果たしてこの箱は、安息の眠りを誘う揺り籠か、
二度と覚める事のない闇へと引き擦り込む棺桶か。
その中に眠る少女はどちらの運命ともわからず、ただ、漆黒の宇宙を漂う。
このまま塵となり果てるか、星の一つとなり仄かな光を地上に照らすか。
しかし、彼女に訪れたのは、長い、長い静寂の時。
………
……
…漆黒の中に、ポツリと。
ひときわ輝く青い光が見えてきた。
少女の眠る箱はその光に導かれるがごとく、
静かに、ゆっくりと、その青い光に吸い込まれて行く…
静謐な白い壁に囲まれた部屋で、
『私』は目を覚ました。
天井から壁、床に至るまで真っ白な、何もない部屋。
私は横たわっていたベッドから上半身を起こす。
…ここは、何処だろう?
記憶がはっきりしない。
あたりを見回しても何か手掛かりになるようなものはなく、
『私』が身に着けているものも、白い無地のワンピースのみ。
…そもそも、『私』は、誰なのだろう?
そこまで考えたと同時に、右の壁の一部が開き、
新緑の若葉を思わせる、鮮やかな緑髪の青年がにこやかに近付いてきた。
「やあ、お目覚めようだね。
僕の名前はノア。この星の管理を任されているんだ。」
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今からさかのぼる事、三日前。
突如この星の大気圏を破り、落下してきた物体。
大気の摩擦熱で燃え尽きず残ったそれは、
有機生命体の生命維持装置を兼ね備えたカプセルであり、
中には一人、ホモサピエンスタイプの女性が一人入っていた。
現地の人々と協力し、ノアはカプセルを回収。
この星の管理センターへと運び込み、解析調査を行っていた。
「…手短に話すとこんなところかな。
君の再生、復元にもかなり手を焼いたよ。
どうだい、どこかおかしなところは無いかい?」
やれやれといった風もあるが、ノアは私を気遣ってくれているようだ。
…いや、ちょっと待って。
再生…?復元…?
嫌な予感を感じつつ、その質問を投げかける。
「もしかして、私、死んでたんですか…?」
その質問に少しきょとんとしつつも、ノアは答えた。
「うん?まあ君たち有機生命体の観点で見ればそうだね。
君のカプセルは大気圏突入の熱でこそ燃え尽きなかったけど、
この星に落着した時点で半壊。
君の内臓は押し潰されてグチャグチャだったから、
大体の機能はこの星にいる他の有機生命を参考に、適当に作らせてもらったよ。」
淡々と話すノア。
私はその自らに起こっていた事態を想像し、
血の気が引いていた。
「幸い、脳組織に大きな損傷は無かった。
酸素の供給が途絶えた時間もそれ程ではないし、壊死した組織も修復は完了している。
今、君の記憶が曖昧というのならば、おそらく一時的な物だろう。
…どうだろう、少し歩いてみないかい?」
そう言って、ノアは私に手を差し伸べた。
少し照れ臭くも、それを握り返そうとする私。
しかし、私はノアの手に触れた途端、ギョッとして手を引っ込めた。
ノアの手は、人形のように冷たい。
「…驚かせたかな?
このコミュニケーション端末は
あくまで君たちのような人型を模しただけに過ぎない。
少し解析した君たちの言葉で言えば…
僕はコンピューター、という奴で、
この端末はロボット、もしくはアンドロイド…という事になるのかな。」
ノアは再び手を伸ばし、私の手を取る。
「歩きながら、少し、この星のことを話そうか。」
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今から8000年程前。
最低限の生命維持環境を求め、ノアといくばくかの生命がこの星、
『EDEN』に降り立った。
長い年月をかけ、ノアはこの星を、有機生命体が生存できる環境に作り替えていった…
「それが僕の使命であり、存在意義だった。」
先ほどの白い部屋から出て、いくつも光の差し込む、長い廊下へと差し掛かる。
「そして、僕たちの入植した時からは考えられないぐらい、
今のこの星は様々な有機生命体に溢れている。」
彼はその、光差しこむ窓から、眼下に広がる世界を見せてくれた。
「うわあ!」
その美しい風景に思わず声があふれる。
広大に広がる緑、色とりどりに咲き誇る花、豊かに流れる水、
煌々と光を放つ太陽と透き通るような青空に、それを埋め尽くさんばかりの鳥の群れ…
彼、ノアはどこか誇らしげだ。それもそうだろう。
彼の話からすればこの星は入植時、薄い大気と岩だけの星。
その環境をここまで作り変えたというのだから、偉業としか言い様が無い。
そして、私はその風景に感動すると同時に、
どこか郷愁にも似た懐かしさを感じていた。
「…そうか、君の生まれた星も、
緑あふれる素晴らしい星だったのかもしれないね。」
私の表情から感情を読み取ったかのように、ノアは呟く。
そうだ、私は以前にも、このような緑あふれる風景を見たことがある…
その風景を食い入るように眺めている途中、
森の端に、不自然な何もない円形の窪地があることに気が付いた。
「あの場所が、君の落ちてきた場所だよ。
何か手掛かりがあるかもしれないから、後で行ってみよう。」
私がこの星に落ちてきた場所…
一体私は何者なのか、何の為にこの星へ落ちてきたのか…
ふと、窓に映る自身の姿を見る。
艶のある黒い髪に、ダークブルーの瞳。
しかし、この顔が私だという実感は薄い。
「実は君の入っていたカプセルには名前らしき情報があった。
解析した結果『エウサラ』と読めたので、そう名乗ると良いんじゃないかな。」
そう言って、ノアはチェーンの付いた金属片を私に手渡した。
「エウサラ…?」
いまいちピンと来ないが、いつまでも名無しでいるわけにもいかない。
私はそのチェーンを首にかけた。
その様子に満足したのか、ノアは微笑む。
「では、改めて、ようこそエウサラ!『EDEN』へ!
僕とこの星は君を歓迎するよ!」
ノアは両手を広げ、歓迎の意を体全体で表していた。
まだ、私が何者なのかすら分かってはいない。
この先の不安が無いといえば嘘になる。
だが、この無邪気な微笑は信じて良いと思えた。
何故なら私は彼の微笑にも、先程の広大な緑と同じ懐かしさを感じていたからだ。