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フランツ・ホロウィッツ君に大声をあげたのは、もちろんナタリー・モーガン令嬢です。私のところから、訝しげにナタリー嬢を見ているフランツ君の表情も、顔を真っ赤にして叫んでいるナタリー嬢の顔もよく見えます。なぜなら、この二人のやりとりは、ヘンリエッタ・ファーミングヴィル辺境伯夫人の目の前で起きており、夫人を観察していた私から必然的に丸見えだったからです。
夫人はといえば、面白がるとは言いませんが、ちょっと眉を上げて、若い二人を見くらべています。
フランツ君が、
「何って、何もしていないけれど?」
と返事をします。
興奮の納まらないナタリー嬢が、
「今、ファーミングヴィル夫人と、親密そうに話してたじゃない!」
確かにフランツ君は夫人とおしゃべりしてましたね。でもそれを言うなら、両手の指では足りないほどの若者が夫人と喋ってましたけど。
フランツ君は益々わけがわからないという顔になってます。
「お話させていただいていたけれど、それが?」
ナタリー嬢は、ワナワナ震えながら、
「婚約者のある身でありながら、貴方が夫人と親しくしているのは判っているのよ!」
フランツ君は悪びれもせず、ちらっとファーミングヴィル夫人の方を見ると、ナタリー嬢に向かって
「ああ、確かに。夫人のところによくお伺いして、楽しくお話させていただいているけれど?色々学ぶこともあって、有意義な時間を過ごしているよ。それの何が問題なのかな。」
と、しれっと答えています。
ナタリー嬢の怒りの炎に油がそそがれました。
「何が問題なのかですって?それがわからないの?!男を弄ぶと評判の女のところへ入り浸っているのよ?何をしてるか判ったもんじゃないわ。私の評判にもどれだけ傷をつけたと思っているのよ!」
どうやらナタリー嬢は浮気をネタに婚約破棄を狙っているようですね。
フランツ君は、慌てた様子もなく、淡々と反論してますね。
「君が僕に、紳士としての資質に欠ける、面白みがない、と言うから、ヘンリエッタに社交界でのあり方を習うために通ってるんだ。文句を言われる筋合いはないね。」
これを聞いて、益々ナタリー嬢が怒っています。
「ヘンリエッタですって?!その年増に一体何を習うっていうのよ!田舎者でずっと領地に引っ込んでた女よ!?」
フランツ君は鼻を鳴らしました。
「フン、ヘンリエッタは君なんかよりはずっと洗練されているし、社会についても良くご存知だ。二人で話していると、話のタネが尽きないね。」
あら、社会?いったいどんなことをおしゃべりしていらっしゃるのか、興味津々だわ。
「私と結婚するつもりなら、その女と二度と会わないで!」
ちょいとナタリーちゃん、貴方の目的は婚約破棄でしょうに。本末転倒しちゃっているわよ。
フランツ君はめげません。
「結婚?僕と結婚するつもりがあるのかい?どこぞの落ち目の国の王太子妃の席に座ろうと必死なんじゃないの?」
ここでどうやらナタリー嬢はようやく最初の狙いを思い出したようです。
目が泳いでますよ。
それにしてもフランツ君、随分王家に対する評価が低いのね。
「こんな旧弊で封建的な王家にしがみ付くのは、せいぜいがとこ、君のような凋落貴族のお嬢さんだけさ。
好きにするがいい。僕は君にはなんの未練もないよ。君にも君の頭の固いご一家にもね。」
あらあら、本当に王家に対して微塵も敬意を払っていないのね。面白い。
ナタリー嬢が立ち直りました。
「じゃ、じゃあ、婚約破棄ということでよいのね!」
フランツ君は表情を変えません。
「ああ、構わんね。」
そのあっさりした態度にナタリーちゃんたら、随分拍子抜けしたようですが、それでも、
「そ、それなら、ホロウィッツ家とモーガン家は、ここに婚約を破棄することを宣言するわ!」
と、高らかにのたまいました。
良いのかしら?プロの意見としては、両者に異議なしとはいえ、公式には、陛下の御前で、陛下の裁断を仰がなければいけないのだけれど。
ナタリー嬢はそのまま、取り出したハンカチで涙を拭き(もしくはその真似)ながら、その場を立ち去りました。
フランツ君はすでに取り巻き連のところに戻って、古き体制を嘲るような話をしています。ファーミングヴィル夫人は、その若者たちの話を微笑みながら聞いています。
つまりはファーミングヴィルのサロンは、反体制の若者の集まりということなのかしら。夫人の果たす役割も興味深いわね。さてと、なんのためにそういった青年を集めているのか、探り出さないとね。




