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「奥様!お、奥様にどうしてもお目にかかりたいと申しているご婦人が来ております。」
普段は落ち着いた風の執事さんが、慌てたのか、どもりながら来客を知らせにきました。
あら、ようやく現れたわね。どうやら愛人になる決心をするのに二日もかかったようです。もしもっと時間がかかるようだったら、マーティアン先生に、さりげなーく説得しに行っていただこうかと思っていました。(脅迫ではありませんよ。お兄さんのこと助けてあげたじゃないですかー、と強調するだけです)
先生は何が起きているか察したようで、一緒に居間にいた、リリアちゃんとルディ君を中庭へ散歩に行こうと誘い出します。彼らがいなくなると、ようやく、執事のバートさんが
「奥様、ご婦人は、旦那様と関係があったと申しております・・・いかがなさいますか?」
と切り出しました。
私は、思いっきり両頬に両手を当てて、驚愕の表情を作りました。臭い芝居だと自嘲しつつ、ちょっとよろめいた後、弱々しい声で、
「ええ、そんな・・・ああ、どうしましょう。そんなバカな・・・」
などと呟きます。何度か深呼吸を繰り返すと、手を下ろして、執事さんに指示を出しました。
「解りました。とにかくお目にかかりましょう。一体どんな方なの?」
「若いご婦人です。ワンダ・イーストゲートと名乗っています。」
打ち合わせた通りの名前ね。
「書斎に通して下さい。子供達には見られないようにしてね。」
先生が気を使ってくれるでしょうが、念には念を、です。
居間から書斎に移動して 待っていると、執事に連れられたお針子のワンダ(もとい、本名はクリスティーナ)さんが入ってきました。
「奥様、お初にお目にかかります、ワンダ・イーストゲートと申します!旦那様には大変お世話になりました!」
クスリスティーナさんは、緊張しているのか、怒ったような口調になってます。それがそれなりにリアリティを醸し出していて、なかなかの名演です。
私は、側で事態を見守っているバートさんに、下がるように申しつけました。
「奥様、お一人で大丈夫ですか?」
心配そうに尋ねるバートさんに、
「大丈夫。何かあったら呼びますから。」
と、両手を揉みしだきながら命じます。バートさんが完全に出て行って、ドアが閉まるのを確認しましたが、念のため、もう少しだけ演技を続けました。
「お世話って、どういう意味かしら!?」
「旦那様には大変可愛がっていただきました!」
「なんですって!」
二人で耳をすませましたが、何も聞こえません。もう大丈夫か。
「小声で話しましょう。」
「はい、奥様。」
「お兄さんからどういう経緯なのか、聞いてきました?」
「はい。数年前から兄の本屋は、経営が苦しくなっていました。本屋と言っても、印刷屋も兼ねてまして、出版と販売を両方やってるんです。貴族の方々からも家系図の印刷や家族史の出版を受注してましたので、それなりに忙しかったんですが、出版って結構お金がかかりますので、ちょっと購買数を読み違えると、あっという間に借金がかさんでしまうんです。」
ああ、はいはい。この時代、本なんて、製造原価が高いだろうし、利益率の設定間違えるとダメージ大きいでしょうね。
「おまけに、その頃、ご注文いただいたものが気に入らないと、お客様からお支払いをなかなかいただけないことがありまして・・・」
なんと、支払い保留ですか。
「相手が、非常に偉い方だったので、兄も苦労したようです。侯爵様は、その時、兄の帳簿を直したり、交渉の仲介をしてくださったそうです。」
あら、旦那様ったら、私と同じことしてる。
「そんなことが重なって、1年前、店が二進も三進もいかなくなったそうです。侯爵様はその時、かなりのお金を前払いでお支払いしてくださって、これを・・・・」
クリスティーナさんは、手に持った袋から、皮表紙の本を取り出しました。
「10冊作ってくれと。絶対に誰にもわからないよう一人で作業し、秘密裏に作成してくれ、って言われたそうです。」
本を受け取って開いてみると、何も記帳されていない、白紙の帳簿でした。




