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「声を出さないで!大人しく付いて来てくれれば、何もしないから!」
目の前が真っ暗になったのは、どうやら、この女性が私の目を手で覆ったためのようです。いや、声を出させないためなら、覆うのは口でしょうよ。頭の中でぼんやりとそんなことを考えていたら、彼女も自分の間違いに気がついたようで、目を覆っていた手を、口にずらしてきました。どうやら、彼女もかなり慌てているようですね。
ようやく目が見えるようになったので、睨みつけると、私の口と腕を抑えているのは、やはり女性でした。しかも、この顔記憶にあるぞ。ああ、お針子さんの一人です。必死の形相で懇願している様子を見ると、特に命の危険はなさそうです。目で頷くと、お針子さんの腕が少し緩みました。
やはり、悪事には向いてなさそうな方です。先生は?と目をやると、こちらは男性に思いっきり口と腕を押さえつけられ、抱えられて、路地裏に引き込まれています。思わず声が出そうになりましたが、お針子さんの方が先でした。
「兄さん!人さらいに加担した覚えはないわよ!」
振り返りざま、兄さんと呼ばれた男性が囁き返します。
「スタイヴァサントの奥様に、侯爵の話を聞いてもらいたいだけだ!人攫いなんかするつもりはない!」
兄さんは、暴れるマーティアン先生を持て余しています。侯爵の話と聞いて、私も好奇心が疼きました。兄さんと先生を追いかけて、路地裏に移動しました。
「他の人に聞かれたくないんです。暴れないでください。どうかお願いします!」
兄さんは、必死で先生に呼びかけています。それでも空中を蹴ることをやめない先生に、今度は私が声をかけました。
「先生、ちょっと落ち着いてください。二人なら、大丈夫でしょう?本気で危害を加えようとはしていないようだし。」
私の声を聞いて先生が暴れるのを止めると、兄さんも先生から手を離しました。
兄さんに改めて問います。
「それで、侯爵の話とは、一体なんなんですか?」
兄さんは、あたりを警戒しながら、
「マーティン・ステーブリッジと申します。この街で本屋を営んでます。昨年本屋が大変だった時に、侯爵様には本当に世話になりました。細々ながら営業を続けられるのも侯爵様のおかげです。」
ここまで聞いて、先生は我慢できなくなったようです。
「だからなんなの!お礼ならこんな形じゃなく、侯爵家に来てすればいいでしょう!」
マーティン兄さんは、慌てて声を抑えるように両手を動かすと、また囁きながら返事をしました。
「侯爵様から、家に来るな、跡をつけられてる可能性があるから、連絡を待て、といわれたんです。」
はあ?
不可思議な情報を得て、先生とマーティン兄さんの口論に口を挟みました。
「ええと、主人がそんなことを言ったのですか?いつ?」
疑問ばかりが浮かびます。
「お亡くなりになる2週間ほど前です。危ないから来るんじゃない、と。」
そして2週間後には、落馬事故で亡くなったと。ふーん。なんとまあ、すごい偶然だこと。キナ臭い。
「侯爵様からのご依頼の品、ようやく出来上がったんです。お世話になった侯爵様になんとしてもお届けしたかったのですが、お家にお訪ねしてよいものかどうか、ずっとためらってまいりました。
外で奥様にお目にかかろうと思い、外出される機会を伺っておりましたが、奥様、なかなかお出かけにならなかったので。
妹から奥様が店にいらっしゃると聞いて、矢も楯もたまらず、ここでお待ちしておりました。」
ふーん。これを待つというのね。まあ、いいわ。
兄さんは言い訳を続けます。
「私も何度か誰かに見られているような気がしましたので、慎重にならざるを得ませんでした。」
どうやら、兄さんも旦那様の死で、かなり疑り深くなっているようです。私も彼に同意しますね、全くもって変です。詳細な情報が欲しいわね。
「詳しいお話をお伺いしたいのですが、ここで立ち話もなんでしょう。別途時間を取っていただくことは可能ですか?」
私のお願いに、マーティン兄さんは、ためらいを隠せません。まだ命の危険を感じているようです。
「いえ、ですが、お目にかかっているところを誰かに見られるのも・・・」
そうですね。ここは慎重に事を運ぶ必要がありますね。あ、閃いた。
「要は、疑われない理由で、会えればよいのでしょう?ここは一つ、妹さんに一肌脱いでいただきましょう。」
私は、妹さんを真っ直ぐに見ました。
「貴方、今度、スタイヴァサント侯爵の愛人として、家に乗り込んできてくださる?『私が愛人だー、奥様を出せー、手当を寄越せー』ってね。」
「「「はあっ!?」」」
お三方、声を抑えてくださいな。なんでしょうね。これが一番怪しまれないでしょうに。