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翌朝、パズルを解くように、マダム・メイソンの帳簿の謎を解き明かしていたところ、執事のバートさんが、書斎に入ってきました。
「奥様、オリヴァー・デュラント伯爵から先触れが参りました。もし奥様のご都合がよろしければ、お茶の時間に、お話を伺いにまいりたい、とのことです。いかがお返事差し上げればよろしいでしょうか。」
ああ、司法長官ね。別に問題はありません。
「こちらは差し支えございません、と、お返事してもらって構わないわ。あ、マーティアン先生にも同席いただけるようお願いしてね。学園での調査は、先生にやっていただいたのだし。」
先生はなかなか有能な調査員でした。
帳簿を直していると、あっという間に時間が経ちます。お茶の時間になると、デュラント伯爵がいらっしゃいました。街でも評判の焼き菓子を手土産に持参するという手際の良さです。お持たせをいただきながら、私と先生から、調査の流れをご説明申し上げました。伯爵は、折に触れて私たちの仕事ぶりを褒めてくださいます。
「・・・ということで、私共の調査は、まず、リリアが無実であるという前提に立ってそれに合う情報を集めて、繋げていっただけですの。ですから、私たちのやったことがどれだけ伯爵のお仕事に役立ちますかは、はなはだ心もとないですわ。伯爵の調査には、そのような先入観は禁物ではございませんの?」
「確かに、先入観はいけませんね。しかし、長くこの仕事をやっていますと、どうも何かがおかしい、辻褄が合わない、何かがうまく繋がっていない、という、そうですね、勘のようなものが働くことがあります。侯爵はそのようなことがあるとおっしゃっていたことはありませんか?」
「いえ、特には」
侯爵とは話したこともないので、全くわかりません。
美味しいお茶と、お菓子をいただいて、伯爵は上機嫌でおかえりになりました。しかし、どうしてなんだろう。なんだか探りを入れられたような気がするのだけれど。
まっ、いいか。帳簿をマダムの家に届けて話しをしないと。
「先生、私、今からちょっとマダム・メイソンの店まで出かけてまいりますわ。子供達の勉強が済んだのなら、今日はおやすみいただいても大丈夫ですよ。」
もう夕食の時間が近づいていますが、マダムの件は早めに手を打たないと大変です。しかし、先生は休むつもりはないようです。
「奥様、昨日のことはリリアさんから伺いました。マダムの店に、私も同行してもよろしいでしょうか?」
ささっと事を済ませてしまうつもりだったので、先生からの申し出にちょっと驚きました。
「いえ、大丈夫ですよ。今回は、特に先生にお手伝いいただくことはないでしょうから。」
しかし、マーティアン先生も引き下がろうとはしません。決意を秘めた眼差しでこちらを見ています。
「奥様に手助けが必要ないことは存じあげております。でも私は、常に奥様のお側で、奥様のやり方を学びたいと思います。」
え?
「いえ、マーティアン先生は、ガヴァネスとして、非常に優秀ですわ。子供達にも愛情持って接していただいているし。特に変わっていただく必要を感じませんけど・・・」
お給料の交渉かしら、と不思議がっていると、先生が言葉を重ねてきます。
「ガヴァネスなど、お子様たちが成長すればいらなくなります。もう既に、リリアさんにはあまり必要ありません。」
確かにそうです。
「でも先生、心配される必要はないわ。スタイヴァサントでの仕事が終わったら、私共は、素晴らしい推薦状を用意するつもりでいますから。」
再び先生の反撃です。
「ガヴァネスの仕事など空きが限られてます。中流家庭のお嬢さんたちが常に仕事にあぶれてますわ。私は、もっと他のことを学びたいのです。奥様から全てを学びたいのです。」
えっと?
「奥様は以前の奥様ではありません。なんとおっしゃられても、違います。違いすぎます。何か、そうですね、何かに取り憑かれたように、お変わりになりました。誰に聞かれても、私は、奥様が以前の奥様ではないと、声を大にして言えます。」
バレてはいないと思うのだけれど、先生なかなか優秀だから、油断なりませんね。声を大にするのはやめていただきたいわ。
「私は今の奥様を尊敬いたします。奥様の考え方、やり方を身に付けたいのです。」
いやー、先生十分有能だと思いますが。何処行っても大丈夫だと思いますが。まあ、特に差し支えはないでしょうから、様子を見ますか。
「わかりました。私の秘書的仕事もやっていきたいということですね。リリアの手が離れたのならそれもありでしょう。では、まず、マダムの店に行きましょう。」
二人で店に向かいました。
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お金の話しには時間がかかります。話しを終えてマダムの店を出た時には、日がとっぷり暮れていました。馬車に向かおうと急いでいると、いきなり目の前が真っ暗になりました。
「声を出さないで!大人しく付いて来てくれれば、何もしないから!」
荒事は苦手です・・・